楽器あるじゃん。口に
「……まさか吟遊詩人って不人気ジョブ?」
何の気なしに選んだ選択に今更ながら後悔した。
もしかしたらあのシスターが最後に聞き返してしたのも聞き取れなかったからとかではなく、最終確認という意味合いが強かったのかもしれない。
いつもならやっているゲームで選ぶ職業が不人気だったり、新しく始める趣味がマイナーでも全く気にしないんだが、今回はワケが違う。
異世界転生。見知らぬ世界。記憶の断片に残る魔物の存在。
不人気ジョブということは戦いにくいことは容易に想像できる。
死んだことが事実なら元の世界に戻る方法を探すのは得策じゃない。まずは知識も常識もないこの状態で生きていくことを目標にしなければ――ならないのに。こんなジョブでこれからやっていけるのだろうか……?
しかし悩んでいてもしょうがない。シスターは祭壇の裏の扉から奥へ行ってしまったし、知識がない俺でもあの先は関係者以外立ち入り禁止な雰囲気が分かる。バカなふりをして追いかける気にもなれないし、追いついたところでジョブ変更を取り消してくれるかもわからない。
――いやいや、前向きにいこう。前向きに。
あの時、申請を押せなかったことが心残りなのは事実だ。吟遊詩人コミュニティに属して音楽が出来ればいくらか気持ちも晴れるかもしれない。そう言い聞かせてやっていこう。
「後悔しているのかい? 少年」
突然背後から聞こえた声に振り返ると、祭儀場に並べられた長椅子の一番前列に一人の女性が腰かけているのが見えた。
ブロンドの長い髪。切れ長の瞳とその縁に引かれた薄紅色が上品さを漂わせる一方、ネイビー色のくたびれたドレスとしまらない表情がそれを打ち消すかのように妖しいイメージへと塗り替えている。
口の端からは先端から線香のような匂いの煙が漏れるパイプのようなものを咥えている。そのせいか煙で若干わかりづらいが、歳は二十歳後半から三十代前半だろうか。
「まさか剣士を蹴って吟遊詩人を選ぶ人がいるなんてね」
「…………誰ですか?」
長椅子から立ち上がった女性へ反射的に声を返すと、その女性は少し面食らったように眉をひそめた。
まずい。やってしまった。人と会話するということに慣れてなさ過ぎてもしかしたら声と眼光に圧を込めすぎていたかもしれない。正直、見た目は怪しさばっちりだし警戒する気持ちがないわけでもないが、それで今みたいな返事をしてたら前世の二の舞だ。
この世界では前の世界みたいに一人で生きれるとは限らない。だから、なるべく前世の一人で生きるクセをなくして人と関わりを持たなければ。
――というか、そうしないとこの世界の情報すら手に入らないかもしれないし……。
「ご、ごほん。あの、どちら様でしょうか?」
「…………確かにお姉さんの見た目では警戒されても仕方がないかな」
「はい、警戒してました。でも今は人から話が聞きたいんで警戒してないフリをしてます――あ」
マズッ! 心の中の声が漏れてる!?
そういえば前世では思ったことを口にしても誰も咎める人もいないし、バイトも人と関わるものじゃなかったから独り言言いたい放題だった……。
「……ふふ。なに? やけに素直な子じゃない?」
と、なぜか俺の返しに予想外の反応をした女性はパイプを片手に持ち、にへらと緩い笑みを浮かべて見せた。
「素直なのは美徳。誇るといいわ。多分、吟遊詩人を選んだのも衝動的な理由なんでしょう? 数年に一度いるのよね、こういう面白い子」
「数年に一度……ってことは吟遊詩人を選ぶ人はやっぱり少ないんですか?」
「ええ、吟遊詩人はまれにみる不人気ジョブだからね。オルバー南シジ支部で吟遊詩人が出たのは――ざっと三年前に一人だったかな」
「…………ええ? そんなに不人気なんですね」
「吟遊詩人は討伐依頼でようやく声が掛かるかどうかといった具合だからね。ダンジョン攻略には一切呼ばれないし、一般的な吟遊詩人が使えるバフやデバフの効果なんて地味なものが多いもの」
「ダンジョン攻略に使えないってなんでですか?」
意外だった。ダンジョンという概念が存在するのにも驚きだが、ダンジョンという過酷な場所にこそ、吟遊詩人のようなバフやデバフを使える存在は貴重に思える。
「その理由は、これだね」
女性は半眼のままとんとん、と自分の耳の穴の上らへんを叩いた。
「音がうるさいの。ダンジョンのような狭い空間で楽器なんて演奏されたら魔物の接近音が聞こえなくなることもある。そもそもその音のせいで魔物を呼び寄せる例もあるから使えないの」
「……うわー、考えみればそりゃそうだ」
「しかも吟遊詩人には直接的な戦闘力もないからね。後ろから魔物に襲われても対処できないし、基本的にはお荷物」
女性はその後「まぁ、こういう不遇なジョブだからこそ少年のような物好きが選ぶこともあるけれど」と付け足した。
確かにゲームでもマイナージョブだろうと一定の人数はいたので現実にもそういう類がいてもおかしくない。
「ところで、少年は何の楽器を使うのかしら?」
「……え、あーその……楽器はまだないんです」
「楽器もないのに吟遊詩人を?」
うーん、と女性は顎に手を当てて首をひねる。
「と、なると本格的な初心者なのね。こうなるとすぐ冒険者になるのは難しいかもしれないわ」
「……う。やっぱり吟遊詩人を選んだのは悪手でしたかね」
「悪手も悪手よ。でも、もう選択は変えられない。少年は一時の気の迷いにこれから一生付き合っていくしかないわね」
「そんなぁ……!」
「ふふ、安心して。ここから森を抜けた先にあるカプという小さな集落に行きなさい。そこにはオルバー地方でも最大の吟遊詩人ギルドがあるの。そこへいけば色々計らってもらえるでしょ」
「え、そうなんですか!? 教えてくれてありがとうございます!」
女性は口に俺のおじぎに口へ加えていたパイプを揺らして返す。
「いいの。少年みたいなまっすぐな子は嫌いじゃない……それに、私にメリットもあるし」
「……ということはお姉さんも?」
「いや、私は吟遊詩人ではないのよ」
「じゃあなんでそこまで……」
「…………いいのかな? そろそろ日が落ちる頃。今日中にカプへ行くならもう出ないと間に合わないわよ」
「え!?」
窓を見ると、そこからはオレンジ色の光が降り注ぎハンマーを持ったあの男の彫刻を照らしていた。
「すみません! 俺そろそろいきます。お世話になりました!」
「ふ、いいの。お姉さんはここの冒険者ギルドの酒場にいるから、また困ったらいつでも私のところに来てね」
「ありがとうございます! それでは!!」
「ああ、それと出会いの森は夜だと魔物が出るから案内人を雇わなきゃ――あら、もう見えなくなっちゃった」
◇◇◇◇◇◇
吟遊詩人の集まるギルド。そう聞いて居ても経ってもいられず飛び出してしまったが、もう少しあの女性の話を聞いておけばよかった。
祭儀場の外、南シジと呼ばれるこの街は木組みの家や商店が軒を連ねおり、人も多かった。森、と言われてとりあえず門から出れば外に出られるかと思ったが、当然のごとく門は複数あってどこからでたらいいか分からない。
困ったので近くにいた柄の悪そうな男に声を掛けて聞いてみると、すぐにカプへ繋がるという「出会いの森」と呼ばれる場所に近い北門を紹介してくれた。
なんと、大概の森は夜は危険らしいがこの出会いの森は大丈夫だという。地元の案内人も金の無駄だからよせと親切に教えてくれた。
その時はやはり人を見かけで判断するのではなく、声を掛けて実際にコミュニケーションを取るべきだと深く感動したんだが――
「これ、もしかして」
三時間は歩いているが一向に集落が見えてこない。
頭には二つの顔が浮かぶ。カプを教えてくれた女性と、門を教えてくれた男性。
「いやいや、ダメだ。疑うなんて失礼だろ」
もしかしたら女性が思い違いをしていたかも。もしかしたら男性が間違えて別の門を紹介したかも。もしかしたら俺が道に迷っているだけかも。
というか、あの時は吟遊詩人のギルドがあると知れたのが嬉しくて外へ飛び出してしまったが、あれは失礼だったんじゃないか? あの女性もまだなにか話したげだったし、次に会ったら謝らないと。
「……それは俺が生きていればの話な」
霧が深くなるにつれて独り言が多くなる。
不安? もちろん不安はある。だが今は少しワクワクしている部分があるのも事実だ。
新しい世界。新しい生活。そしてなにより、ここは『出会いの森』というらしい。ここで初めての友人と呼べる存在と出会えたりするかも――
「………………」
言葉を止めたのは霧の中に薄っすら影が見えたからだ。
見間違いでなければそれは俺の腰ほどしか身長がなく、そしてこれも見間違いでは無ければ肌の色は緑色で。
「見間違いがなければ、手っぽいところになんかデカいものを持っていたような。なにあれ棍棒?」
『ウゲゲゲゲー!!』
「見間違いじゃない!?」
霧から飛び出してきたのはいわゆるゴブリンと呼ばれるようなモンスターだった。見た瞬間、頭の中で勢いよく警報が鳴る。この世界の記憶を殆ど失っていても、コイツが魔物でありとても危険な生物なのが肌感覚で分かった。
「もしかして出会いの森って、魔物と出会えるって意味じゃないだろうな!?」
迷う暇もなく逃げ出すと、俺の後ろから複数の足音が一斉に鳴り出した。全然気づかなかったが、どうやら複数体につけられていたらしい。
幸運なことに、ゴブリンの足はそれほど速くなかった。手が猿のように長いわけでもないし、ゴリラのように筋肉が凄まじいわけでもない。基本的には身長がゴブリンよりも身長が高く歩幅の長い俺の方が速いはず……なんだが。
「霧で前が……!」
突然、目の前に落ちてきたかのような錯覚を受けるほどいきなり視界に入ってきた木を避けるためにどうしても減速せざるを得ない。その隙にゴブリンたちはどんどん距離を詰めてくる。
もしかしてここまで霧が濃くなるのを待たれていた?
相手は熟練のハンターのようだ。でも体格の差は大きい。あまり焦らず直線で駆けていけばいずれ距離は広がるはず。それを信じて走るしかない。
「――うぅ」
と分かっているにも関わらず、俺の足は止まってしまった。
聞き間違いかもしれないが、今一瞬人の声が聞こえた気がする。
こんなところに人? いや、俺が現状ここにいるんだから誰かがいてもおかしくないはず……。
何かを考える前に動き出した足に体を任せて直角に曲がって走り出す。そして、聞こえたような声に向かい続けると、やがて自然の包囲網を抜けられた。そこ一帯に背の低い草花だけが生えており、霧もない。昼間であればピクニックで一休憩するような場所に最適だ。
その中心付近に女の子が倒れているのが見えた。人――人じゃない? いやいや人だ。だが、その人らしきものの腰からは長くて黒光りする尾びれのようなものが生えていた。
なんだあれ!? と面食らったのは事実だが、それよりも先にその女の子の足首からかなりの量の血が流れていることに意識が全て持っていかれた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「…………ぅう」
慌てて駆け寄り抱き起す。
女の子はだいぶ衰弱しているようで、目にも覇気がなかった。
腰まで伸びた青のインナーカラーが入っていた黒髪は土にまみれ、動きやすさが重視された軽いシルエットのレザージャケットらしき服にはおそらく彼女のものである血が大量に付着していて、肉体が露出している部分には大量にがあり、そこから流れ出た血がしみ込んでいるのが分かった。
そして一番酷いのが足だ。足首が完全に刃物かなにかで引き裂かれている。これでは立つのも難しいはず。
「…………なんだ、お前」
「いったい何がどうしてこんなことに? いやそれよりも……立てますか? はやく逃げないと!」
「…………ハッ」
少女は肩を掴んでいた俺の手を払いのけて、再び地面に倒れこんでしまうが、ゆっくりと震える腕で上半身を起こす。そうしてようやく目が合った瞬間、口からツバを吐きかけてきた。
――こ、これはどういうことだろう。
もしかしたら今のはツバとかじゃなくて我慢できずに小ゲロを吐いただけかもしれない。
俺は先ほどの出来事をなかったことにしてもう一度声を掛けてみる。
「立てますか?」
「……立てますか、じゃねーだろ! ツバ吐きかけられてんのは消えろって意味だっつの! 分からねぇのか!? もう人間なんかに頼るつもりねぇんだよ私は!」
「えぇ!?」
「……その顔、マジで伝わってなかったみてぇだな」
そんなの分からないって。だって俺、対人の経験値ほぼゼロだし。
「とにかくここから早く離れないと……ぐ、ぬぅおおお!」
「バカ! なに普通の人間が私を背負おうとしてんだ! 離せ!」
「なんだろう……! 重い……! いやその体重とかじゃなくて多分尾ひれがあるからだと思うけど……!」
「たりめーだろ! なにちょっとフォローしてんだ。んな気遣いいらねぇーんだよ!」
ゴチン! と後頭部に重い衝撃が響く。
痛い! と叫んだ俺と女の子がドミノ倒しで再び地面に仲良く倒れこんだところで背後からは獣の唸り声のような音が聞こえてきた。
まずい……追いつかれた。
「……ボケ。早く逃げろ。お前は人間だろ? これ以上近づかれると体内魔力の関係で多分お前から殺されるぞ」
言っている意味がよく分からなかったが、忠告してくれているということだろうか。
「私はな、もう一人でやってくって決めたんだ。誰の手も借りずに……みんなを……だから! これくらい一人で何とかする!」
そんなこと言われても、ここで逃げたらダメな気がする。
これは申請ボタンだ。最後まで押せなかった前世の俺の心残り。
ここでこの子を見捨てていったら、俺はボタンを押せなかった時より後悔する。そんな気がする。
「何してる! 早く逃げろ!」
その言葉の途中、手に棍棒のようなものを持ったゴブリンが一匹飛びかかってきた。
防いだ腕から重い音がして、情けなくもしりもちをついてしまう。腕が痛い。尻も痛い。泣き出さないのはまだ理性が勝っているからだ。
こうやってゴブリンを睨みつけて効いていないフリをしなければ、追撃がすぐに来てしまうだろう。
「私はお前みたいな雑魚人間と違って一人で戦える! 大丈夫なんだって!」
「…………本当に大丈夫な人は、そんな必死にならないと思う」
「――大バカ野郎が」
一人で立てないのに大丈夫なわけがない。
にらみ合いにしびれを切らしたゴブリンたちが動きだす。容赦なく浴びせられる打撃に体は痛む。しかし、まだばらばらになるほど致命的じゃない。
どうにか、あの子を連れていく手段を……思い……つかなきゃ……。
「お、おい! なに棒立ちで殴られてんだ! せめて反撃しろ! ジョブのスキルを使え! じゃないと本当に死ぬぞ!」
「…………ジョブ?」
「ああ、そうだ! お前は……格闘家ってナリじゃねぇよな!? でも、この数のゴブリンなら追い払えるスキルはだいたいどのジョブでも最初から使えるはずだ!」
「それって、吟遊詩人でも?」
「ぎ、吟遊詩人だぁ!? お前よくあんなボケジョブ選んで――ハ!? そうか吟遊詩人か! だったらあれだ。魅惑だよ! 低級魔物ならどの楽器で演奏してもだいたい効くって聞いたぜ! それがあれば俺たち二人とも助かるはずだ!」
「…………楽器なくてもいける?」
ボスン、ゴブリンの一撃に吹き飛ばされて膝元にワンバウンドしてきた俺の顔を見下ろしながら、少女は意味が分からないといった様子の表情で、
「楽器、ねぇのか?」
「ない。楽譜も……読めない」
「お前なんで吟遊詩人になったんだよ! というかそんなカスみてねぇなやつがいっちょ前に人のこと助けようとか思うなよ!」
「な、なんだその言い方! 流石に泣こうかな!」
「泣いてる暇あったら走って逃げろ! そんで私のこと本当に助けたいなら誰でもいいから応援呼んで来い! 色んな楽器の演奏でバフやデバフを使いわけるのが吟遊詩人だぞ! 楽器がなかったら何もできやしねぇだろが!」
完全な正論だ。言い返す余地もない。
戻ってさっきの妖しげな女性を見つけることが出来ればなんとかなるだろうか。だけど、時間をかけていたら……。
――その時、脳天に雷が落ちてきた。そんな感覚に襲われた。
「楽器って、なんでもいいのかな」
「ハァ!? んなもん知るかよ。私は吟遊詩人じゃねぇからな。演奏できればなんでもいいんじゃねぇの?」
同時に蘇ってきたのはあの時、公園で子供に言われたあの言葉。
『お口に楽器が入ってるみたい! どうやってるの?』
そうか、そうじゃないか。
「…………あったよ、楽器」
「ま、マジか!? いったいどこにそんなの隠してたんだ!?」
最初から楽器は持っていた。口に。