音の出るフリーター
「貴方の鋳型は剣士か吟遊詩人となります。どちらにされますか?」
「……へ?」
俺は蚊の鳴くような細い声しか出せなかった。
状況が理解できない。
艶やかな黒色のヴェールで顔を覆い隠す修道服のようなものを着た女性が誰なのか分からずそう言ってしまったんじゃない。
なぜ二本足で立っているのか?
目下、一番の謎はそこだった。
だって俺はさっき、というか数秒前――車に轢かれたはずだ。
◇◇◇◇◇◇
「と、こんな感じかな」
「スゲーー!」
「お口に楽器が入ってるみたい! どうやってるの?」
「これはボイスパーカッション……ああええと、調べるならビートボックスの方がいいかな。動画サイトで調べると俺よりすごい人がいっぱい出てくるよ」
「あ、ビートボックスってあれだ! あの人がやってるやつ! アレやって!」
「……あれ? あー、ブンブンハローユーシーブ!」
「スゲーーーーーーーー!」
ノイズが掛かったような低い声に子供たちは一段階上の大きさで色めきだつ。
本気の実演を見せたときより数倍も盛り上がっているのは気のせいだろうか。
「わたしも見たことある。テレビでやってるよね。たくさん人が出てきて、ゆうめいな曲を口だけで演奏するの!」
頭に可愛らしい赤いリボンを付けた女の子はこの子はおそらく、アカペラグループのコンテスト番組のことを想像しているのだろう。
だが、そのことは指摘しない。そういうのは野暮だからね。
ボイスパーカッション、ビートボックス、アカペラ。様々な言い方があるし本当は全部定義が違く別物を指すがそういうのを話すのはマニアだけの間だけでいい。
「おにいちゃんもそういうのできるの?」
「……俺は無理かな? 多分」
質問してくれたこの子は近所の子供の中でもひと際ボイパに興味がある女の子で、いつも俺と話すときは目をキラキラさせてくれる。
だけど申し訳ない。アカペラは今の俺には到底無理だ。
俺のぎこちない返しに子供たちは何かを察したのか公園に出来ていた囲み取材のような円陣は自然と崩れていった。
よし、俺もそろそろバイトに向かわなきゃ。
(……だってアカペラやるには一人じゃなぁ)
趣味がありますか?
そしてその趣味は一人で楽しむことができますか?
この公園で「音の出るフリーター」と呼ばれているこの俺、不元陽彩はその質問には真っ向から『はい』と答えられる。
現代は一人で楽しめることが多すぎた。
テレビ、ゲーム、漫画に動画配信。ちなみにボイスパーカッションもそうだ。
動画サイトへ無数に転がっている講座や演奏動画を見れば一人で習得可能。おまけに口しか使わないからソシャゲのスタミナを溶かしながら練習できる。それが最大の魅力に見えて俺はボイパを始めたまである。
――ちょっと興味はあるんだよな
通知が一つもない冷たい小箱。
そこからアクセスできるインターネット上のコミュニティの一つ。ボイパ練習グループ『katikatiyama』への申請リンクに指を乗せるか乗せまいか。公園からの帰り道で俺はなんとも言えない珍妙な顔でその小箱を睨みつけていた。
なんでも一人で楽しめていた。
強がりとかではないし、本当に一人でやる趣味が楽しかったから一人でいただけだ。そういう人は俺の他にもいると思う。
だが、もっと楽しむには人がいる。
ゲームだってマルチプレイをする友達がいた方が楽しみ方の幅が出来るでしょ?
ボイスパーカッションだってそうだ。分担できるだけで音楽の幅が広がるし、まだまだ発展途上な文化な関係上、ネットで検索しても技術やノウハウが出てこない場合がある。その時コミュニティに所属していればマイナーな知識さえも拾える可能性がある。
いやいや、俺は音楽的な活動経験がゼロだし、楽譜すら読めない。そんな人を受け入れてくれると思うか?
……別に人が苦手とか、恥ずかしいから言い訳を探しているわけじゃない。多分、本当に違う……とは思う。
拒否されるにしてもまずは動かないと始まらないだろ。とっとと指を動かして『申請』を押せ!
頭の中で声が爆発すると同時、鼓膜に殴りかかってきた甲高いクラクション。
道路に飛び出していた赤いリボンの女の子。迫るトラック。勝手に動き出した両足。
次の瞬間見えたのは目の前の赤い染みと、俺の頭の上で泣き叫んでいる公園にいた子供たち。
――何か言ってる。さっきまで道路にいたはずの、リボンの女の子が……。必死な顔で、何かを……。
体が冷たくなっていく。ああ、死ぬのか。言葉は分からなくてもそれだけは理解して、俺はそのまま目を閉じた。
◇◇◇◇◇◇
「貴方の鋳型は剣士か吟遊詩人となります。どちらにされますか?」
「……へ?」
「…………何度聞き返しても貴方の素質は決定し、もう変わることのない現実なのですよ?」
同じことを二度も言われてシスター風の女性も苛立ったのだろう。やけに言葉の圧が強い。
頬をつねってみる。痛い。
口をボ、の形にして空気を押し出す。ドラムの音が鳴った。
「――!?」
どうやらここは夢ではないらしい。
頬は痛いし口からバスドラムの音は鳴るしいきなり目の前で言葉以外の不自然な音が聞こえた女性がドン引きしている。夢ならここまでリアルな反応をしないだろう。
今現在視界に見えているのは大きいハンマーを振り下ろす半裸の男性が模された彫刻とその前にある祭壇。ここはどこかの部屋の中のようで、造りは宗教施設に近い。ということはこの女性は本当にシスターということだろうか。
目にかかっているクリーム色の髪の毛と胸元に数個ボタンのついた藍色の服。肩に掛かっているのは買った覚えのない革鞄。
ようやくぼんやりと思い出してきた。
俺はジョブを『剣士』か『吟遊詩人』のどちらか選ばなくてはならない。今はここ、冒険者ギルドオルバー南シジ支部で使われる祭事場で魂が持つ素養の方向性を『ジョブ』という枠組みを与えて整える儀式『魂割』の儀式の最中。旅の金が尽きて腹が減っている。道中は魔物に襲われまくり逃げるのが上手くなった。家ではいつも一人で遊んでいた。家族とはあまり仲が良くない。俺はオルバー地方の最南端の田舎から成人し家を出た15歳。
「どうするのですか? ヒイロ・フーガ」
逆行していく形で思い出していた記憶の最後のピースを埋めてくれたのは目の前の女性だった。
ヒイロ・フーガか……少し名前が変わってるんだな。
「……あ、いやちょっとだけ待ってくれますか?」
「考える必要がありますか?」
言葉とともに眉根を寄せたのが顔を見なくても分かった。
いやでも本当にちょっと待ってほしい。思い出した、とはいっても本当に先ほど頭の中に並べた事実ぐらいで、ヒイロ・フーガという少年の細かい記憶は殆どない。だが代わりに不元陽彩の記憶は割とするすると細かいところまで淀みなく思い出したくないところまで思い出せる。
状況から考えてこれは異世界転生という状況に間違いないだろう。というか普通に生まれ変わりをして今この瞬間、前世の記憶を取り戻したというのが正しいのかもしれない。
前世の記憶を思い出す代わりに今の記憶がほとんど消し飛ぶ。これは……。
――ペーストからの上書き保存……?
「こほん」
ヤバい。これ以上時間を使うのは本当にマズそうだ。
この魂割とかいう儀式で選ぶのはジョブらしいが、それはゲームとかでいうあのジョブと同じ意味なんだろうか? いやいやこれ以上考えている時間はない。
「さぁ、貴方はどちらのジョブを選ぶのですか?」
「お、俺は――」
頭に浮かんだのは漠然とした未練。最後に押せなかった申請ボタンの先に待っていたもの。
仲間との出会い。共同で借りるスタジオ。共に作る音楽。
見たことがないはずのイメージが脳裏をよぎった瞬間、
「ぎ、吟遊詩人で!」
吟遊詩人って楽器でなんかする人だよな? つまり音楽を学べるってことだよな!?
そんな安易な考えで踏み切った決断を、後に俺は後悔することになる。
よく思い返してみたらあの薄いヴェールの表面、シスターさんの顔は驚愕に歪み切った表情がうっすらと浮かんでいたのではないか。あの不自然なおうむ返しは最終確認の意味ではなかったのかと。
「…………吟遊詩人、ですか?」
「え、はい」
「………………はい、分かりました。貴方の魂の鋳型は今から吟遊詩人へと精錬されます」
その瞬間、シスターの背後にあった彫刻が黄金に輝く。
光が部屋を満たすとそれは弾けるような音とともに消え、シスターはいつの間にか胸の前で組んでいた手を解き、くるりと後ろを振り返る。
「ただいまを持ちまして、今年度の魂割を終了といたします」
と、シスターはどこからか取り出した白色の平たい石のようなものをかちゃん、と祭儀場にあった机の上に置いた。
その机には様々なポーズを取った人間のミニチュアのようなものが置かれていて、その前に先ほどの石が積まれている。その一つの剣を振るう男には頭を超すほどの石が積み上げられている。
それに対して、最後に置かれた石……堅琴を持った女性の前には俺の分の一個しか置かれていない。
…………慌てて確認するが、どのミニチュアの前にも最低十個は石が積んである。その中で一桁どころか一つなのはたった一つ。
――もしかして吟遊詩人って超が付くほどの不人気職?
静まり返った祭事場で、俺はただただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
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