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第六話 二年という期限

 令嬢の読書記録に目を通していく。令嬢のか細い容姿とは印象の異なる、凛とした文字で書かれている。

 魔法に関するものは、まだ私が魔法使いになりたいと夢見ていたころに読みふけった本がほとんど含まれていた。基本的な内容から大魔法使いしか使えない魔法を集めたおとぎ話に近い内容まで様々だ。魔道具にも関心があるらしく、設計図集も読んでいた。

 懐かしさのあとで、自分に魔力が少ないと知ったときの、絶望がよみがえった。

 どちらにせよ、魔法に関する授業はするつもりがないので、次の束を確認することにした。

 天文学については、少し古い内容の本を読んでいた。

 次々、めくっていく。令嬢は緊張しているのか、私が紙をめくる乾いた音の合間に、吐息に近い令嬢の息づかいが聞こえていた。机の上で手をそわそわと動かしている。

 私が新しい紙束を手に取ったときに、令嬢が「あっ」と声を漏らした。チラッと令嬢のほうに目をやると、すこしうろたえている様子だった。気づかないふりをして続けた。

 一枚目にあった『皇太子の初恋』という書名をみてすぐに理由がわかった。

 少し前にアカデミーの女子生徒の間でも流行っていた小説だ。あらすじは私も把握していた。

『第一皇子が幼い頃に城を抜け出し森で魔物に襲われそうになった。皇子を助けたのは、同じ年頃の黒髪を持つ少女だった。数年が経ち二人はアカデミーで再会する。少女は平民ではあったが将来を期待される魔法使いに成長していた。』という、陳腐な恋物語だ。

 小説の感想は確認する必要はない。私はすぐに次の束に移った。私の専門としている自然学についての記録だ。

 他の分野より、じっくり目を通していく。

 令嬢の読書量には、目を見張るものがあった。質も高い。自然学に関してはとくに、難易度の高い書籍もあった。令嬢は、私が考えていたよりもずっと、真剣に学ぼうとしている。段階を踏んで知識を深めていくのに適切な本が選ばれていた。

 しかし、偏りは否めない。

 小説を読んで、ある程度世の中について知ってはいるようだが、経済には関心がないというより、存在を意識していないように思える。塔の中にいて、与えられたものしか目にしないのだから仕方のないことだ。

 塔から一度も出られず、自分のおかれている状況を呪うわけでもなく、ただひたすらに学ぶ姿勢は、尊敬に値するほどだ。

 しかし……

 令嬢がいくら、独学とは思えないほどの知識を持っていても、どうしても私が教えなければならないほどではない。

 やはり、家庭教師としてなら私の代わりはいくらでもいる。

 父は、令嬢が塔にいるとは知らず、体が弱いせいで人前に出ないと言っていた。実際は、健康に問題はなさそうだ。

 今のところ、侯爵には令嬢以外に子供はいない。夫人との間にできないのであれば、側室を迎えてでも後継者をつくるものだが、そうしていない。ということは、令嬢を跡継ぎにと考えているに違いない。私を、令嬢を支える側近として婿に迎える考えなのは予想できる。しかし、令嬢を隠したままで爵位の継承ができるとは思えない。いったいこの先、どうするつもりでいるのだろうか。

 もしも私が長男として生まれていたのなら、学者を目指すなど許されなかった。

 三男として生まれ、分相応に、自分が生きていく場所を探してようやくたどり着いた答えが学者になることだった。

 それを今さら、諦めさせられようとしている。兄たちに何か起こってしまったのであれば仕方ないが、別の家門のためにだ。令嬢の夫にしても、私である必要は感じない。

 私とて、今までしてきた努力を無駄にしたくないのだ。

 令嬢に、読書の記録に目を通して受けた印象を率直に伝えた。

 私も、家庭教師を任されている間は、真剣に取り組む。どうすれば、もっと令嬢の知識をひろげ深めていけるかを、考える必要がある。

 しかし、五年も研究を離れる気はない。

 二年もあれば、一人で学んでいく(すべ)を身に付けられるはずだ。

「二年の間だけです」

 令嬢は、私が五年の契約で来たことを知らないらしく、嬉しそうな顔をした。

 私は思わず、目をそらした。

 なぜ、私が罪悪感を抱かねばならないのか。理不尽に夢を奪われようとしているのは私の方なのだ。

 ただ、令嬢は何も悪くないというのも、事実だった。

 令嬢に嫌われれば早期で解放してもらえると思っていたが、可哀想な境遇の令嬢に対し、傍若無人に振る舞うのも難しい。

 私は、二年という期限を確実にすることで妥協しようと考えた。

「さきほどお伝えしましたが、二年間は、全力で教えます。その代わり、二年が経ったあかつきには、令嬢から侯爵に、家庭教師は必要ないと、申し出てください」

 令嬢は、私の意図をはかりかねているのか、黙って私の顔を見つめている。

 澄んだ空よりもさらに薄い色をした美しい瞳に、吸い込まれそうな錯覚に陥る。

「先生は、二年で家庭教師をやめたいとお考えなのですね?」

「そのとおりです」 

 理由を訊ねられるかと思っていたが、令嬢は「わかりました」と、すんなり受け入れてくれた。

「二年の間に、お教えできることは限られます。一分たりとも無駄にしないよう、あなたには少し厳しく接しますが、その点は、ご理解ください」

 令嬢は、私の言葉を不安がるでもなく、屈託ない笑顔を返してきた。

「ありがとうございます。一生懸命に学びます」

 私は、また、胸の奥に痛みを感じた。

「今日はそろそろ終わりにしますが、何か質問はありますか?」

 令嬢はしばらく考えたあとで「先生は塔の近くに住んでいるんですか?」と言った。

「家は、馬車で数時間かかる場所にありますが、こちらへ通う間は侯爵領で家を借りる手はずになっています。住まいが決まるまでは宿で過ごすことになりそうです」

「馬車で、数時間……先生、少しお待ちいただけますか?」

 令嬢は私の返事を聞く前に立ち上がって、さきほどの戸棚の前に向かった。そして、地図を持って戻ってきた。

 

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