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第五話 読書の記録

 興味を持っていると伝えれば良いだけなのに、わたしは返事をためらった。

 先生の、オレンジ色の瞳が揺れている。やはり、自然学を学ぶのは無理なのかもしれない。

 部屋の窓は高い位置にあるので、わたしには届かない。空をみることはできるけれど、本の挿絵で知った山や川はもちろん、木々でさえ一度も目にしたことがない。

 先生が「申し訳ない。私が先に、あなたの質問に答えますね」と、言った。

「自然学が、私の専門分野になります」

 アンヌの話だと、先生はかなり優秀な方だ。専門にしているならきっとなんでもご存じなはず。でも、簡単な質問をするのは失礼かもしれない。

「興味はありましたが、先生に教えていただくほどの知識はありません」

「現在の知識量は問うてません」

 先生は、少し不機嫌そうな声で言った。

「自然学に興味を持ったのはなぜですか?」

 塔の外に自然が広がっているのは知っている。本を読めば、山がとても大きいこともわかる。

 帝国の地図をみていたとき、母にこの塔の場所を訊ねた。母はしばらく真剣に地図を眺めたあと「この辺りだと思うわ」と、地図の上のほうを指さした。わたしは、地図上に塔があるとしたら、母の人差し指ほどにはなると思い込んでいた。塔など、ペン先で描いた点にも満たないと知ったのは、その日からだいぶ経ったあとだ。

 地図の中で水色に塗られている箇所は川で、水が流れていると母が教えてくれた。親指の爪ほどの大きさで水色になっている箇所をみつけ訊ねると、そこは湖だった。物語の中に出てきたことがあるので言葉は知っていた。しかし、ここまで大きいとは思っていなかった。塔が点にもならないのに、どれだけ大きいのか、わたしには想像もできなかった。そこに水がたまっているというのだから、不思議でならなかった。

 自然は、歴史の中でも繰り返し大きな影響をもたらしている。洪水や干ばつなどの災害だけでなく、豊作になれば領地が潤い発展した。

 たくさんの本を読んでいくうちに、地形によって気候に違いがあり、育ちやすい作物がわかれていることも知った。

 自然についてもっと研究がすすめば、たくさんの人が豊かになるかもしれない。

 そう、漠然と考えていた。

「上手くは説明できませんが……」

 わたしは、自分なりに、自然に興味を持っている理由を話した。

 先生は、真剣な顔で、時折頷きながら、わたしの話を聞いてくれた。

「他に興味をお持ちの分野は?」 

「塔がどういうものかを知りたくて、建築についてもいくつか本を読みました」

「数学は?」

「少しだけ……」

「言語は?」

「古代語に興味はありますが、書庫に古代語に関連する本がほとんどなかったのです」

「侯爵家の蔵書は誰に訊ねればわかりますか?」

 わたしは質問の答えを知らなかった。

「母か乳母に頼んでいるので……」

 先生は、「そうでしたね」と、目を伏せた。

「覚えている書名があれば、教えていただけますか?」

「読み終えた本について書き留めてありますが……どの分野についてお伝えすれば良いでしょうか?」

 先生はわたしに手の平を指しだして「すべて見せてください」と言った。

「持って参ります」

 先生に断りをいれ、席をたった。部屋の端にある戸棚へ向かう。

 棚の扉をあけ、わたしは少し迷った。読書の記録は、分野ごとに革紐で綴ってある。先生はすべてと言っていたけれど、一部、小説を読んだ感想もあった。一時期夢中になって読んでいた王子様との恋物語も……。

ーーさすがに、お見せできない。

 わたしは、学問に関する束を選んで、棚から取り出すことにした。最近は一冊分の本の内容を書き留めるのにも、何枚も紙を使う。およそ千冊分の記録なので、一度では運べそうにない。

 振り返ると、先生が立ち上がった。

「かなりの量があるのですね。私が運びましょう」

 先生が棚の前まで来て、わたしのすぐ隣に立った。改めて、背の高さに驚く。先生の羽織っているガウンから、不思議な香りがした。

「この棚にあるものを運べば良いですね?」

 わたしが、一部だと伝える前に、先生が何かを呟いた。棚から紙の束が、一つずつ浮き上がって出てくる。わたしは、呼吸も忘れてその様子を見守った。

 先生の前に、紙束がいくつも浮かんでいる。

 実際に魔法を目にするのは初めてだった。 

「魔法を使えるんですね」

 嬉しくてつい声が弾んだ。

「私は魔力が少ないので、簡単な魔法しか扱えません」

 先生の声が冷たかったので、わたしははしゃいでしまったことを反省した。

 机に戻っていく先生の後ろについていく。紙束は、少し先に机にたどりついて、ゆっくりと積み重なっていった。

 先生は椅子に座って、一番上の紙束を手に取った。わたしも、席についた。

 数枚捲ったあとの、次の束を取る。

「読んだ時期ではなく、分野で綴ってあるのですね」

 それから、積み重なった中から、一番分厚い束を選んで「自然学か……」と呟いた。他も軽く目を通し、小説の分の束を「これは、必要ありません」と、脇に避けた。わたしは、中身を読まれずにすみ、ホッとした。

 先生は自然学に関する束を手に取って目を通しはじめた。

 わたしは、緊張しながら、先生が紙を捲っていく音を聞いていた。

 先生は一通り目を通した後で、「あなたが、かなり本を読んできたことはわかりました」と、淡々とした口調で言った。

「多少、偏りは感じます」

 母は礼儀作法や社交ダンスを教えたがり、乳母は刺繍をさせたがった。わたしは二人の希望を少しは受け入れる代わりに、思いつくままに読みたい本を持ってきてもらっていた。だから、わたしが思いつけなかったことは、いっさい、知らずに来たのだ。

「令嬢の年齢を考えれば知識は多い方でしょう」

 わたしは、先生から認められた気がした。

「ありがとうございます」

 先生は無表情のままで続けた。

「自然学もお教えしますが、知識に偏りがなくなるよう、授業の計画をたてましょう」

「お願いします」

「今は、自然学に惹かれているようですが、いったん、様々な分野の基礎を学んで、突き詰めていく分野を見極めた方がいいかもしれません」

 わたしは、先生の言葉を聞いて、苦しくなるほど、鼓動が速くなった。本からたくさんのことを学んできた。それでも、塔の中にいて、文字を読み挿絵を見るだけではわからないことがあった。きっと、これからは先生が教えてくれる。

「誠心誠意、あなたの家庭教師を務めさせていただきます。しかし……」

 先生は、一度言葉をきって、わたしの顔を真っ直ぐみた。

「二年の間だけです」

 父からは家庭教師をつけると言われただけで、いつまで、先生が来てくれるのか知らなかった。二年も、先生に教えてもらえるなら十分に思えた。

「わかりました」

 先生は、なぜかわたしから目をそらした。

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