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7(残されたもの)

 ――本当のところ、わたしは嘘をついた。


 清島さんに話したことについてだ。何故なら、その人が死んだのは「事故」じゃなくて「自殺」だったから。

 そしてもう一つ、嘘じゃないけれど本当のことは言わなかったことがある。それは、自殺したその人が――わたしの姉だったということ。

 公園のベンチで隣に座ってくれたのは、世界のはしっこでわたしの話を聞いてくれたのは、いじめられていたわたしを神様みたいに救ってくれたのは、わたしに心の正しい置き場所をくれたのは、いつも長袖を着ていたのは――

 わたしの大好きな、お姉ちゃんだったということ。

 誰よりも誰よりも、優しくて――

 誰よりも誰よりも、傷つきやすかったお姉ちゃん。

 どうして姉が自殺なんてしたりしたのか、確かなことは今でもわかっていない。姉は最期まで、決してそんなそぶりも、兆候も見せたりはしなかった。

 姉は誰かのために戦うことはできても、自分のために戦うことはできない人だった。そうやって、わたしのことを救ってくれたけれど――

 結局、自分のことは救えなかったのかもしれない。



 これは、少し前の話。まだ春がはじまったばかりで、桜がようやく散りはじめた頃のこと。

「――きっと、きれいすぎたんだと思う」

 と、あきらさんは言った。

 それは一面に墓地の並ぶ霊園のことで、わたしたちは姉の墓の前に立っていた。遠くのほうにはお墓参りに来たらしい家族連れの姿があって、明るくて無機質な光があたりを満たしている。

 町ヶ谷哲(まちがやあきら)さんは、姉の友人だった。たぶん、一番の。哲という名前はしているけど、女の人だ。でもその名前にふさわしく、男性的な、クールな人でもある。髪は短く切っていて、そこからはきれいな首筋がのぞいていた。

 飾りけのないシャツにジーンズというラフな格好の哲さんは、今年十八歳で大学生になる。それは、もしも姉が生きていたらそうなっていた年齢と、同じだった。

「――――」

 哲さんはいったん、深々と煙草をすった(ちょっと不良なところのある人なのだ)。それから煙をふうっと、ごみを屑かごにでも入れるみたいにして吐きだす。

「――この世界で生きていくには、望美のぞみはきれいすぎたんだよ」

 その言葉は、わたしにはよくわかるものだった。姉はきれいすぎた――たぶん、不幸なくらい。

 市立霊園の中にたつ姉の墓は、これといった特徴のないただの四角い石の塊だった。そこに、遺灰が納められている。お姉ちゃんはきっと、自分がどこに葬られているかなんて気にしないだろう。

 けど――

「やっぱり、ここが姉にふさわしい場所には思えません」

 何かの都合で同じ場所に集められた、たくさんの死。硬くて冷たくて重い、磨かれた石の塊。

 それは、姉の死を表すのに適当なやりかたとは思えなかった。

 だからこそ、わたしは命日ではなく、姉の誕生日に――いつも桜の咲くその頃に――姉の墓にやって来たのだった。

「そうかもしれないね」

 と、哲さんは軽くうなずいてみせる。哲さんとわたしがここで出会ったのは、ただの偶然だった。

「でもま、死んだ人間にそれを確認するわけにもいかないからね」

「…………」

 それは確かにそうで、それ以上でもそれ以下でもないだけの話でしかなかった。

 少し冷たい風が吹いて、哲さんの持っていた煙草の煙が流れていく。遠くのほうでは、ただ散るためだけに咲いた桜の花びらが宙を舞っていた。

「……どうして、姉は自殺したりなんてしたんでしょう?」

 そう、わたしは訊いてみる。

 哲さんは煙草を風に流したまま、大きく息をすった。手のひらから零れ落ちていく水の塊を、それでも何とか留めておこうとするみたいに。

「たぶん、あの子にとってはそれが正しいことだったんでしょうね」

「死ぬことが……ですか?」

 わたしが訊くと、哲さんはまるで初めて目にするみたいに煙草の先を見つめながら言った。

「あの子は正しいことしかできなかったから」



 ――どうして姉が死ななくてはならなかったのか、本当のところはわからない。姉は遺書も、日記も、その他いかなる種類の記録媒体も残さなかったから。

 でも、その代わりに姉が残していったものがある。

 それは、たくさんの本だ。本棚や、ダンボールや、押入れいっぱいに残していった本。

 わたしは姉が高校一年生の時にいなくなってしまって以来、その本を一冊ずつ読み続けている。何だかまるで、遺骨でも拾い集めるみたいに。

 正直なところ、わたしは自分が本好きなのかどうか、よくわかっていない。

 それはただ、姉を少しでもこの世界に留めておきたいという、ただそれだけの行為なのかもしれなかったから。

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