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第九話 正義は勝つ

「ハァッ! ハァッ……!」


 おれは荒い息に肩を揺らし、ひざに手をついた。


 重いクソだった。

 ここ一週間の贅沢でおれのクソは密度を増し、一発ひねるだけですさまじい気力を要した。


「へっ……やってやったぜ」


 そこには悪魔がいた。

 丹念(たんねん)にこねたハンバーグをだいなしにする地獄からの使者が、スパイスという名のクッションに我が物顔で寝転んでいた。


 顔じゅうから汗がしたたり落ちた。

 この料理を完成させるには、あとひと手間が残っていた。


 ——タネと調味料を混ぜる。


 それだけ……ただそれだけだ。

 だが、そこにいる悪魔がおれを踏みとどまらせた。


 それはある種のタブーだ。

 人間は素手で触っていいものと、そうでないものがある。


 こいつは間違いなくアウトだ。

 昔の農家は(こえ)を素手で混ぜていたなんて聞くが、現代でそれをやるヤツはまれだろう。


 ここに、勇気が要る。


 おれは恐る恐る手を伸ばした。

 指先が震えていた。


 先ほどのような武者震いじゃない。

 恐怖が神経を伝っている。


 だが、やるしかない!

 あの悪党に天罰を下すには立ち向かうしかない!


 たかがクソじゃないか!

 おまえの中にあったものだろう!?

 手では触らなくても、いつだってケツの素肌に触れていただろう!?


 弱気を殺せ!

 心を振り切れ!

 怒りで頭を埋め尽くせ!


 怒れ! 怒れ! 怒れ!


「うおおおおおおおーーッ!」


 おれは猛烈にハンバーグをこねた。

 意識は真っ赤だった。

 手のひらでぐしゃり、ぐしゃりと汚物が潰れた。


 覚悟なんかできてなかった。

 怒りで理性をだましての強行だった。

 指のあいだからグジュッと悪魔が顔を出すたび吐き気をもよおし、涙が出そうになった。


 だがおれはやった! やりとげた!


「できたぜクソやろう……!」


 おれはこねていた右手を抜いた。

 ボウルの中にはクソとスパイスで赤茶色になったハンバーグのタネが、犯された乙女(おとめ)のように力なくへばっていた。


「においは……」


 ……よし、鼻を近づけてもスパイスのおかげで臭くねえ。

 これなら勝負できる!


「さあて行くぜえ!」


 おれはボウルを手に、闘技場へと戻った。

 手の汚れはパンツで拭いてそのまま捨てた。

 戦場へ向かう戦士にはささいなことだった。


「待たせたな!」


 おれは大地を足指(あしゆび)でつかむように強く石段を登った。

 シロッコは調理の手を止め待っていた。


「大丈夫か? 間違って料理を持っていくほどあせっていたようだが……」


「なあに、クソしてきただけだ」


「そうか。その様子じゃ漏らしたわけじゃなさそうだな。一応ジャッジに言ってタイマーを止めてもらっていた。おれも調理はしていない。こんなことでおまえが時間切れにでもなったらいやだからな」


 ケッ、いい子ちゃんぶりやがって! こっちはてめえの本性知ってんだぞ!


「ジャッジ! 勝負の再開をお願いします!」


「うむ!」


 ジャッジが砂時計に手をかざし、それまで止まっていた砂が動きはじめた。


「残り時間、約三十分! さあ作るがよい!」


 ジャッジの声と同時にシロッコが動いた。


「それでは料理の続きだ! おれはこのドラゴニックソースをハンバーグに混ぜる!」


 ヤツはタネの中心に指で穴を作り、ゆっくりと少量ずつソースを入れた。


「このソースは量を間違えると素材の味を暴走させてしまう! 全体の体積を慎重に見極め、最適量を入れる!」


 なるほど、だから最初に混ぜなかったのか。

 かたちを成形してからじゃねえと量がわかんねえんだな。


「混ぜてかたちを整えたらフライパンで両面を軽く焼き、弱火でじっくり蒸し焼きにする!」


 うおお! ジュージューいい音! いいにおいだぜ!

 牛、鳥、魚の香りが同時に迫ってくる!


「こっちも負けてらんねえ!」


 おれはヤツと同様、フライパンでハンバーグを焼きはじめた。

 もっともヤツのようにきれいな楕円形じゃねえ。

 肉とスパイス、そして大量のクソを()り交ぜたそれは、多少のつなぎではかたちを保てずグジュグジュだった。


 だが! それがいい!


「おい、コトナリ! そんなハンバーグで大丈夫か!?」


「大丈夫だ! 問題ない!」


 おれは心配するシロッコに自信満々で言った。

 ヤツはまだ気づいていまい。

 このやわさこそが、おれのハンバーグの決め手ということを!


 そして時は過ぎた!


「よし、そろそろだ!」


 シロッコはフライパンを火から上げ、ハンバーグを皿によそった。

 焼いているあいだに切っておいた野菜を添え、しょうゆベースのソースをかけていく。


「ようやくできたか!」


 おれは悠々(ゆうゆう)と言った。

 こっちはとっくにできあがっていた。


「しかし……本当にそれで完成なのか?」


 シロッコはおれの料理を見て顔をしかめた。

 ヤツの不安は当然だった。


 なにせおれのハンバーグはドロドロだ。

 しかも五分くらいしか火にかけてねえから、かなりレア気味だろう。

 深めの皿にどろりと入れて、ほとんどスープの様相(ようそう)だ。


「時間も()って、冷めてしまったろうに……」


 おうよ、それも計算のうちだぜ! ぬるい方が飲みやすいからな!


「両者完成か!」


 ジャッジがおれたちを見てうなずき、言った。


「ではこれよりジャッジメントに移る!」


 その声を受け、おれたちは互いのキッチン台に料理を配った。

 シロッコの焼き立てハンバーグはまだ熱を持ち、ジュウッ、ジュウッ、と油のはじける音がした。


 ——ゴクリ!


 おれは思わず唾をこぼしそうになった。

 こんなうまそうなハンバーグ見たことがねえ。

 まずにおいがすげえ。

 牛肉の芳醇(ほうじゅん)な香り、鳥肉の香ばしい香り、魚のふんわりとした香りがいちどににおってくる。

 表面はいい焼き色で、しょうゆソースがまた食欲をそそる。


『うまそうだ!』


『お、おれにも食わせてくれ!』


 観客もみな興奮をあらわによだれを垂らしていた。

 未来の調味料ドラゴニックソースと、前代未聞の組み合わせが生み出す魅力は、どんな高級料理よりも胸を(おど)らせた。


「ジャッジ! 先に食わせてもらうぜ!」


 おれは辛抱(しんぼう)たまらずナイフを入れた。

 小気味よい切れ味だ。

 やわらかすぎず硬すぎず、この手触りだけでも気持ちいい。


 そしてこぼれ出す肉汁!


「いただきます!」


 むっ……!


「う、うめえーーーーッ!」


 おれは怒りも闘志も忘れ、ぼろっと笑顔になった。

 顔の筋肉すべてが全力でハッピーに向かった。


 ビーフの重厚なうまみがジュワッと広がる。

 鳥の風味がどばっとあふれる。

 魚の甘味が駆け巡る。


 臭みは一切ない。

 それぞれのうまみだけが同時に、しかも邪魔し合わずに口の中を満たした。


「もぐもぐ! おいしいわねこれ!」


 アン、いつのまに!? つーか食うなよ!


「あたしはオーナーハウスの住人よ! 食べる権利があるわ!」


 む、そうか…………そうか?


「それにしてもすごいハンバーグね! これ、肉の大きさも計算されてるわ!」


 へ、大きさ? みんなミンチだからいっしょだろ?


「違うわよ! 一番味をどっしりさせたい牛肉はやや(あら)め、よく焼きたい鳥肉は(こま)かめ、魚肉は全体になじむようペースト状にしてるわ!」


 い、言われてみればそんな気がする!


「だからシロッコは包丁で叩いたのよ! マシンじゃ粗さを変えられないから!」


 そ、そういうことか!


「そうだ! 君はなかなかのグルメのようだな!」


 シロッコ……!


「このハンバーグはただ混ぜてるだけじゃない! 素材の味を最大限に引き出す方法で、最適の量で組み合わせている! 高級食材を使えばいいというものではない! 粗雑(そざつ)な食材も、見極めれば極上を凌駕(りょうが)する!」


 く……たしかにこりゃ、日本のどの高級ビーフよりうめえぜ!


「そのきれいになった皿がうまさの証拠!」


 はっ……! もう食い終わっちまった!

 もっと食いてえ!


「どうだコトナリ! これが店を()ぐべく修行を()たおれの料理だ! 陸、海、空、すべてのうま味、そこにドラゴンのエッセンスを加え、世界の味をひとつに収めた究極のハンバーグ! 名付けてワールドバーグだ!」


 ちくしょう! めちゃくちゃうまかったぜ!


「さあコトナリ! おまえのハンバーグも見させてもらおう!」


 シロッコはおれの料理(?)を持ち、フォークを構えた。

 それはハンバーグと呼ぶにはいかがな代物(しろもの)で、肉は崩れ、(なか)ばスープとなっていた。


「あれだけのスパイスを入れて、ほとんどカレーの味しかしないだろうが……親父を越えた料理! いざ、実食!」


「ちょっと待った!」


「なんだ!」


「そのハンバーグには食い方があるんだ!」


「なに!? どう食べるんだ! 教えてくれ!」


「その……一気飲みだ!」


「一気飲みだと!?」


「ああ! のどごしを味わうもんでさ、皿に口をつけて、一気に飲み干すんだよ!」


「むう……たしかに肉がボロボロで飲めなくはないが……」


「まあ食ってくれよ! だまされたと思って!」


「う〜ん……これをかァ。しかしまあ、作ったシェフがそう言うのなら、そう食べるものなのだろう。では……いざ!」


 ヤツは皿を口につけ、


「ゴクゴクゴクーーーーッ!」


 飲み干した! やりやがった!


 バカめ! そんなハンバーグあるわけねえだろ!

 そりゃクソ汁だ! おれのうんこがたっぷり入ったクソバーグだ!


 いいか、人間はクソを大量に摂取すると死ぬ!

 エンドトキシン・ショックを起こし、臓器不全で命を落とす!

 おれの大腸菌は常人の一兆倍だ!

 そいつを一気飲みなんかすりゃ、ただで済むわけがねえ!


「うっ……!」


 さあどうだ!?


「ウギャアアアアアアアアーーーーッ!」ゴボボボボボボボボーーーーッ!


 よしっ!


「大変! シロッコが血ゲロを吐いてぶっ倒れたわ!」


 添え物の野菜を食っていたアンが叫んだ。

 数人の観客が闘技場に飛び込み、シロッコの体を取り巻いた。


『息してないぞ!』


『心臓も止まってる!』


『し、死んでる!』


 そうか、死んだか……

 だがおめえが悪いんだぜ。相手の知らない調味料で優位に立とうなんて卑怯な手を使ったおめえがよ……


 地獄で()びろ! 親父とともにな!


「静まれい!」


 ジャッジの尊大な声が響いた。

 途端、辺りを静寂が包み込んだ。


「コトナリ少年! まさか毒を入れたのではないだろうな!」


「入れてません!」


「うむ! では判定を下そう! この勝負……」


 ……ゴクリ!


「シロッコ戦闘不能により、コトナリのKO勝ちとする!」


「よっしゃああああーーーー! 勝ったああああああーーーー!」


『おおー! あいつまた勝ちやがった!』


『本物のシェフだわーーッ!』


 へへっ、よせやい! 照れるぜ!


「さすがコトナリね! あたし勝つって信じてたわ!」


 なっ!? アンのヤツさっきと全然態度違えぞ!?


「おめえシロッコに媚び売ってたじゃねえか!」


「なんのこと〜? あたしさっぱりわかんな〜い」


 このやろう! 調子のいいことばっか言いやが——


 ……うっ! こいつおれの腕に絡みついて……!


「おめでとう! またいっしょに住めるわね!」


「う……うん!」


 ま、まあいいか! 勝ったんだしよ!


『それにしても、なんでシロッコは死んじゃったのかしら』


 観客が口々に話し出した。


『毒は入れてないんでしょ?』


『まさかクソでも入ってたとか?』


『バカ、クソ食ったくらいで人が死ぬかよ。たまに子犬が自分のクソ食ったりしてるぜ』


『そうだよねぇ。う〜ん、不思議!』


 おや、こいつら知らねえんだな。

 クソ食えば人は死ぬぜ。

 やはり現代日本の科学知識があるのとないのとじゃ話が違うようだ。


 そこでおれは言ってやった。


「バチが当たったのさ」


『バチ?』


「実は、こいつは今回の勝負である卑怯なまねをした」


『なんだって!?』


「危うくおれはだまされて負けるところだった。だが、神は見ていたんだろう。天罰がくだり、あいつは死んだ。おかげでおれは勝てたってわけさ」


『なるほどなー!』


『このやろう、料理勝負を(けが)しやがって! 蹴れ! 蹴れ!』


『おらーー!』


 ヤツの死体は観衆によって罰せられた。

 いまごろあの世でも罰を受けていることだろう。


 おれはヤツの賭け金を手に台座を降りた。

 どこかさびしい気持ちだった。

 人はささいなことで罪を犯し、悪に堕ちてしまうという現実を、ドラマでもマンガでもなく実際にまのあたりにした。


 ……せめて、きれいになって生まれ変わってこい。


 待ってるぜ、シロッコ。

 おれはこの世界で生きて、おまえを待っている。

 姿かたちは違っても、きっとおまえを見たらすぐにわかる。

 そんな気がするんだ。

 だっておまえは、すげえ熱い男だからよ。


 ヤツの死体を背に、そんなことを(おも)った。

 口の中にはまだヤツのハンバーグの味が残っていた。


 ……それにしても、うまかったなぁ〜〜。

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