第八話 究極の調味料
前オーナーの息子、シロッコ・ショーンはとてつもない料理を作ろうとしていた。
「牛、鳥、魚——このまったく異なる三つの味を、ひとつのハンバーグにする!」
前代未聞だ。
ひとつのテーブルに並ぶことはあっても、ひとつにこねて食ったヤツはいまだ世にいねえだろう。
味の想像がまったくつかねえ。
それがうめえのかもわからねえ。
未知の組み合わせに観客も興味津々だ。
『魚を混ぜて味がまとまるなんて思えねえ!』
『いったいどんな味になるんだ!』
気になるよなぁ。
おれだって気になる。気になりすぎてつい見入っちまって、自分の手が止まっちまってたくれえだ。
だってそうだろ。親父の形見を取り返せるかどうかの大勝負だぜ。
ここでギャンブルをするとは思えねえ。
てことはあの料理に自信があるってことだ。
つまり、あいつは三種の肉を確実にまとめる!
とんでもなくうめえもんを作る!
アンもそれがわかってるんだろう。
「シロッコさーん! お店継いだらあたしがお部屋の掃除してあげるねー!」
このやろう、すでに媚び売ってやがる。おれが負けると踏んでんだな。
冗談じゃねえ! おれには秘策があるんだ!
ただのハンバーグをメチャクチャうまくする、日本ならではの調味料がよお!
ちと早えが見せてやる!
「アン! 材料を取ってくれ!」
「なによ童貞! 死ねば!?」
はあ!?
「こっちは媚び売るのに忙しいのよ! あんたの相手なんかしてらんないんだから!」
おいおい、おれが文字を読めねえの知ってるだろ! つーか言い方ひどくねえ!?
「おい、コトナリ。おまえ文字が読めないのか?」
会話を耳にしたシロッコが不思議そうに言った。
「ああ、異世界から来たもんでな」
「そうか……なら、おれが取ってやろう」
なに!?
「そんなおめえ……おれは敵だぜ?」
「それがどうした」
こいつ……!
「おれは戦うなら全力がいい。自分だけが有利で相手が不利じゃ、たとえ勝ってもうれしくない」
「けどおめえ……それで負けたら」
「店が——か?」
そうだ。おめえはいま、大切な父の形見を取り戻すために戦ってるんだろう?
「……なんでかな」
シロッコは小さく笑い、ふと遠くを眺めた。
そして風のようにさわやかに言った。
「……きっと、親父もおなじことをしたと思う。親父は荒くれ者だが、曲がったことが大きらいだった。もしここにいたら、こう言うだろう。勝負に負けても、おのれに負けるな。大切なのはどう生きるかだ——ってさ」
直後、雲が割れた。
遮られていた青空が顔を出し、あたたかい太陽が一気に光を振りまいた。
まるでこの男の言葉に心を開くように。
……まあ、おれにはなに言ってんのかさっぱりだけどよ。
とにかくありがてえや。
そいじゃ材料を取ってもらおうかねえ。
「それで、なにがほしいんだ?」
「ああ……おれがほしいのは」
「ほしいのは?」
「しょうゆとワサビだ!」
「しょうゆとワサビ!?」
シロッコの目がハッと驚いた。
そうだろう、驚きだろう。
なにせしょうゆは日本特有の調味料だ。
地球では日本食ブームの影響で多少有名になったが、この世界では未知の液体だろう。
もちろんワサビも同様だ。
「しょうゆとワサビでいいんだな……?」
「ああ、すまねえな」
シロッコは訝しみながらも食材の中からしょうゆのビンと粉末ワサビを選んでくれた。
手渡したあともまだ怪訝な顔をしている。
だよなぁ。しょうゆなんて知らねえよなぁ。
おれはおめえらに未知の味を出そうとしてるんだぜ。
でも卑怯だなんて思わねえでくれよな。
だってしょうがねえんだ。
素人のおれがプロに勝つには、こんくれえしねえと話にならねえんだからよ。
「さあ! こいつを混ぜるぜ!」
おれは小さめのボウルにしょうゆを入れ、ワサビ粉末をぶち込んた。
「そ、それは……!」
シロッコが愕然と立ちすくみ、目を丸くした。
へへへっ、知らねえだろ。こりゃ“ワサビじょうゆ”っつー日本のソースだ。
日本人は世界一しょうゆとの付き合いが長い。
世界一しょうゆを知っている。
海外ではハンバーグにはデミグラス的な甘めのソースをかけることが多いが、おれたち日本人は、牛肉にはしょうゆが合うことを知っている。
ま、つーかこいつら、そもそもしょうゆ自体しらねえか! あははは!
——ところが、
「なぜ大根おろしではなくワサビなんだ!?」
……へ?
「たしかにビーフとしょうゆは合う! 薄切りのステーキにワサビを乗せてしょうゆを垂らすと肉の味がキリリと引き立ちうまい! だがこれはハンバーグだ! なら大根おろしやタマネギを混ぜた“おろしじょうゆ”が定石だろう!」
な、なに!?
こいつ……しょうゆを知り尽くしてやがる! 日本人じゃねえのに!
「これで終わりとは思えん! コトナリ! おまえはまだなにか隠しているな!」
お……終わりだ!
「そ、底が知れん!」
底です!
「くっ……! だがおれはおれのハンバーグを作るだけだ! おれは負けない!」
シロッコは気合を入れ直し、調理を再開した。
「ニンニクとショウガをすりおろし、砂糖、塩、しょうゆ、酒を加える!」
やろうもしょうゆを入れるだと!?
「そしてこのタレを三種の肉に混ぜ、揉み込む!」
くっ……なんて動きだ!
ただハンバーグをこねてるだけなのに、躍動感があって、リズミカルで、まるでダンスでも踊ってるみてえだ!
飛び散る汗がキラキラ光って、男のおれでもドキッとするほどかっこいい!
これだけの身のこなし……キンタマもさぞ雄々しく揺れているに違いねえ!
このままじゃ負ける……!
「ほどよく混ざったな! そうしたら最後の仕上げだ! おまえに最高の調味料を見せてやる!」
シロッコはポケットからなにやら小さなビンを取り出した。
ラベルはなし。
中には赤ワインのような、くっきり澄んだ液体が入っている。
いったいあれはなんだ? おれの知るどの調味料とも違う。
『ワインにしては透明度が高いわ!』
『長年シェフを務めたおれでも見たことねえ!』
観客にも知る者はいなかった。
だが、それもそのはず。
「これはおれが発明した“ドラゴニックソース”だ!」
ど、ドラゴニックソース!?
「旅に出てから五年間、ずっと研究を続け、先月やっと完成したおれの自信作だ! ドラゴンの骨髄をベースに野菜や香草を長時間煮詰め、幾重もの工程を経て作り上げた究極のソース! こいつを使えばあらゆる肉のうま味を倍化させ、臭みやエグみをさっぱり消し去る!」
な、なんてソースだ!
「いまはまだ金がないからこれしか作れないが、いずれは安価に量産できるように研究を重ね、食卓の新しいスタンダードとして定着させる! ここで見せるのは未来の調味料! その、最高級品だ!」
どおっと観客が沸いた。
辺りが熱狂に包まれた。
すげえヤツだと思った。
こいつは料理の常識を根底から変えてしまう代物を作りやがった。
顔色からしてかなりの自信作だろう。
そしてそこから生まれる料理は歴史を変えるうまさだろう。
だが! 気に入らねえ!
こいつはさっき、戦うなら全力がいいと言った!
自分だけ有利で相手が不利じゃいやだと言った!
けどてめえ、有利なことしてんじゃねえか!
だってドラゴニックソースは未来じゃ定番なんだろ!?
てことは自分しか知らねえ未来の調味料を使って相手を圧倒しようってわけだ!
自分だけ有利じゃねえか!
清々しい顔しやがって! この卑怯者め!
「そっちがその気なら容赦はしねえ!」
おれは食材置き場に突っ込み、ターメリック、クミン、コリアンダー、チリパウダーをごそっと選んだ。
「それはカレーのスパイス!?」
そうだぜシロッコ!
おれは記憶力がいいんだ! この前の勝負で覚えたんだぜ!
「こいつをタネにぶちこむ!」
「なに!? そんなに大量に入れるのか!?」
「ちょいと席を外すぜ!」
おれはタネの入ったボウルを手に、便所へと走った。
背後からなにやら聞こえるが、ほとんど聞き取れなかったし、聞く気もなかった。
そして個室に入り、鍵を閉めた。
「あのやろう……善人のふりしてだましやがって!」
おれは怒りとともにズボンを下ろした。
なにか裏切られた気分だった。
正々堂々の勝負だった。
少なくともおれはそのつもりだった。
だが! ヤツははじめからだますつもりでいた!
未来の調味料だと!? 最高級品だと!?
だったらこっちはみなさんご存知のこいつを食らわせてやるぜえええーーーーッ!
——ブリブリブバァーーーーッ! ブブブブーーーーッ!