第三話 料理勝負
おれは慌てて逃げ出した。
悪いことはしたくねえが、あの声を聞いて逃げずにいられるヤツがいたら見てみたいもんだ。
ほとんど反射に近い反応で駆け出し、店から出ようとした。
だが!
「待ちやがれ!」
「わあ!」
入り口の手前で服の襟をつかまれ、そのまま引きずり倒された。
「ぐはっ!」
「コトナリ!」
仰向けになったおれにアンが駆け寄った。
だがおれの視線が凝集したのは、いかにも乱暴者そうな、エプロンを着たおっさんだった。
「てめえこのやろう! おれの店で食い逃げたあいい度胸だ!」
「あわわわわわ!」
おれは恐怖のあまりちびりそうになった。
おっさんの貌は豚とライオンを混ぜたような強面で、腕は丸太みたいに太かった。
「どうなるかわかってんのか!」
わかんねえよ。ただでは帰れねえってことくらいしか。
「大丈夫よコトナリ! 捕まるかボコボコにされるだけよ!」
アン、それは大丈夫って言わねえんだぜ……
「小娘、おめえも共犯だろ。なに余裕ぶっこいてんだ」
「いや、あたしは彼のおごりなんで」
ええ〜?
「そうか。じゃあおれがこのガキをどうしようが勝手だな」
「そゆこと〜」
えええ〜〜!?
「オーナー、すぐに衛兵を呼びます!」
先ほどのボーイが現れ、おっさんに言った。
どうやらこのバケモノがオーナーらしい。
すると、
「いや、衛兵は呼ぶな」
「えっ!?」
えっ!?
「おめえ、衛兵呼んだらどうなる?」
「それは……投獄されて強制労働かと」
「それでうちになんの得があるよ」
「それは……」
「うちはバカにタダでメシ食わせて、食材、人件費、無駄にしただけじゃねえか」
「……たしかに」
「なら金額分払ってもらわにゃだろうが」
「なるほど……」
とボーイは納得したが、おれはなにを言ってるのかわからなかった。
だって金ねえんだぜ。
なにをどう払えってんだ。
そう疑問に思っていると、おっさんはギロリとおれを見て、ニヤリと笑いながら言った。
「おい、クソガキ。投獄されたくなかったら料理勝負しろ」
は? 料理勝負?
「てめえが勝ったら今回の払いはなしにしてやる。ただしおれが勝ったら一年間雑用タダ働きだ。さあどうする!」
……え〜と、つまり賭け勝負ってこと? なんでまた料理で?
おれはわけがわからず目をパチクリさせていた。
そこに、
「あっ、もしかしてコトナリの世界には料理勝負がないのかしら」
アンがひらめいたって顔で言った。
するとおっさんが、
「ああ? なに言ってんだ?」
「あのね、彼は異世界から来たのよ。だからきっと料理勝負を知らないのよ」
「はあ? 異世界から来ただァ〜?」
おっさんのバケモノ面がニタ〜っとゆがみ、がはははと大笑いした。
「なにわけわかんねえこと言ってんだ! 異世界から来たって、それじゃこいつは魔法使いかなにかってか!」
「あたし見たもの! 彼、なにもないところから突然現れたのよ!」
「そりゃ〜傑作だ! 夜になるとフクロウに変身してカエル集めをするのか!? がははははは!」
「ホントよ! じゃなきゃあたし、利用しようなんて思わなかったわ!」
「そーかいそーかい! そいつあ結構だ!」
おっさんはもうひと笑いすると、ぐいっとおれに顔を近づけ、
「異世界人だろうが変人だろうが関係ねえ! 投獄されるか、料理勝負するか、選べ!」
ひいいい! 顔が怖い! 声も怖い!
「ねえコトナリ、料理勝負しなさいよ。強制労働よりマシよ」
そ、そうなの? じゃあ……
「わかった」
おれは仕方なくうなずいた。それ以外選択肢がなかった。
すると、
「よし、じゃあお題を決めろ」
「お題?」
「なんだ、てめえホントに知らねえのか?」
料理勝負——それはこの世界で日々行われている賭けごとで、対決する両者は条件を決め、料理の神の前で実際に料理をする。
そして互いに完成した料理を食べ合い、よりうまいと思わせた方が勝ちとなる。
「料理のお題を決める権利は受け手にあるのよ」
と説明されたが、なんだそれ。
よりうまいと思わせた方の勝ちって、そんな曖昧な感想で勝ち負けが決まるのか?
「おい、決めねえのか。なら自由課題か、おれが決めることになるぜ」
ううん……どうしよう。
「決めさせちゃダメよ! 得意料理に持ち込まれたら勝ち目はないわ!」
そっか……じゃあ、
「フリーで!」
「よし!」
おっさんが下品な笑顔で言った。
「おもてへ出な! 観衆の前で最高の料理を味合わせてやるぜ!」
おれはおもてなしとしか思えない売り言葉を受け、アンとともにおっさんのあとをついて行った。
まったくもってわけがわかんねえ。
だって料理勝負だろ。
レストランなんだから厨房でやりゃいいじゃねえか。
それがなぜ観衆の前なのか。
いったいどこで戦うというのか。
「ここだ!」
おっさんは開けた広場で立ち止まり、言った。
その先には円形の広い舞台があり、鏡写しのように二組のキッチンが並んでいた。
「これは……?」
「闘技場だ!」
おっさんが叫ぶと同時に、食材を乗せた荷車がいくつも駆け込んできた。
そして舞台の外周を囲うように置き、キッチンストーブに火を入れていく。
それを見ていた通行人たちが、
『おい、食材が並んだぞ!』
『料理勝負だ!』
次々と騒ぎ出し、闘技場の周りにたむろしはじめた。
なんでこいつら……
「あんた、本当に知らないのね」
戸惑うおれを見てアンが言った。
「この世界ではね、料理勝負は最大の娯楽のひとつなの。みんな食べることに興味があるし、なにより真剣勝負っておもしろいじゃない。それに直接プロのわざを盗めるわ。時間のあるひとは、みんなこぞって見ていくの」
はあ……
しかしあれだけの食材、どっから……
「あれはショーンズ・キッチンの在庫よ」
おっさんの店の?
「公共闘技場での勝負にはスポンサーがいるの。この街ではショーンズ・キッチンのオーナー、クロッコ・ショーンよ。闘技場に食材提供すると税金が安くなるほか、さまざまな援助を受けられ、しかも闘技場周りに広告も出せるわ」
なるほど……よくわかんねえけどお得なんだな。
しかしどうにも勝負の内容に納得がいかねえ。
だって「よりうまいと思わせた方が勝ち」って、個人の感想じゃねえか。
なら「おれの方がうまい!」って決め込んでりゃいいだけだし、だれが判定するってんだ。
そう思っていると、
「ジャッジ! カモーン!」
闘技場に向かっておっさんが叫んだ。
直後、
——カッ!
と真っ白な稲妻が落ち、荘厳な服装のハゲたおっさんが現れた。
「な、なんだあれは!」
「神判よ」
「ジ、神判……!?」
「うむ! われこそが料理の神“神判”なり!」
しゃべった!
「われは汝らが互いの料理を口にした感想を魂から読み取り、判決を下す! よって勝負は曖昧ではないぞ、コトナリ少年!」
お、おれの名前を!
「われは神ぞ! 汝がどこから来たなんという者かくらい見なくともわかる!」
なるほど! これなら料理勝負が成り立つ!
「そこの大男はショーンズ・キッチンのオーナーシェフ、クロッコ・ショーンだな!」
「はっ、その通りでございやす!」
クロッコのおっさんが深々と頭を下げた。
「いつもすばらしい料理を作り、われも愉しんでおる! 今日も精を出すがよい!」
「ははーっ!」
へえ、おっさんはバトルの常連なのか。
勝てるかな……
「そしてコトナリ少年!」
「はい!」
「オチン・ポー界出身の汝にははじめての料理勝負だろうが、正々堂々と——」
「ちょ、ちょっと!」
「なんだ!」
「なんだよその“オチン・ポー界”って!」
「汝が生まれ育った世界の名だ」
「はあ!? おれは日本出身だぜ!? そんなふざけた名前知らねえぞ!」
「ふざけてなどおらん! 汝はオチン・ポー界の第四宇宙、天の川銀河の太陽系、地球の日本出身であり、世界単位で見ればオチン・ポー出身だ! 汝が知らぬだけだ!」
な、なんちゅう!
「そもそもオチン・ポーとは神の言葉で“生命の出ずる処”という意味であり、これほど立派な名はふたつとない! 誇りに思え!」
そんなバカな!
たしかに生命が出るって意味じゃその通りだけどよ!
「コトナリ、あんたオチン・ポー人なのね! なんだかかっこいいわ!」
かっこよくなんかねえ! チンポだぞ! チンポ!
「ちなみに神様、あたしたちの世界はなんてゆーの?」
「クリスタル・レジェンド界だ!」
はあ!? ずるい!
「おい、オチン・ポー人! さっきから料理の神の前でぎゃーぎゃー失礼だぞ! ちったあ神妙にしやがれ!」
できるかー!
「落ち着いてオチンポーコトナリ! これじゃ勝負がはじまらないわ!」
繋げんな!
『おーい! 勝負はまだかー!』
『だべってばっかで、いつになったらはじまんだー!』
うっ、すげえ数のギャラリーだ!
闘技場の周りがぎっしり埋まっちまってる!
「クロッコよ! 勝負の内容を告げよ!」
「はっ! 我々は自由課題で料理勝負を行い、わたしが勝てばこの少年を一年間店でタダ働きをさせ、わたしが負ければ今日のランチの代金をタダにしやす!」
「コトナリよ! 相違ないか!」
……ねえよ。そういう約束だ。
「汝は知らぬであろうから教えておく! われの前で取り決めた約束を反故にすれば地獄に堕ちる! もし負けて、一年経つ前に逃げ出せば、冥界に引きずり込まれる! よいな!」
ひええ……わかりました!
「ではこれよりクロッコ対コトナリの料理勝負をはじめる! お題はフリー! 調理時間は一時間! 両者キッチンに着け!」
そう告げられ、おっさんは慣れた足取りで片側のキッチンへと向かった。
だがおれは躊躇した。
だって考えてもみろよ。相手はプロの料理人だぜ。
高級店のオーナーシェフで、しかも料理勝負の常連ときた。
それに比べておれは素人だ。
姉さんの手伝いをしてたから多少の知識はあるが、プロに勝てるとは思えねえ。
まず負ける。
そして一年間タダ働きをさせられる。
やらなきゃ捕まって投獄される。
……なんだよこれ。
せっかくグルメ世界に来たってのに……ちくしょう!
「コトナリ! あきらめないで!」
アン……
「あんたひどい顔よ! 戦う前から負けると思ってる! 目が生きてないみたい!」
……つったってよお。
「どうして負けると決めつけるの!? やってみなくちゃわかんないじゃない!」
……わかるぜ。相手はプロだぞ。
「それでも男なの!? キンタマついてるの!?」
……ハッ!
「キンタマがないならしょうがないわ! でも、あるんでしょう!?」
……ある! 片方は失ったが、まだひとつ残っている!
「なら前を向かなきゃ!」
「おう!」
そうだ、おれは男だ。
勝負を前に下を向いてどうする!
おれは胸を張り、力強く歩き出した。
背筋を伸ばし、太陽の光をかいくぐるように肩を揺らした。
……勝つ! そのために戦う!
「よう、食い逃げ。ずいぶんと男らしい目になったじゃねえか」
おっさんが腕を組み、太い歯を噛み合わせて言った。
おれはキッチンに立ち、ヤツと向かい合った。
「勝算はあんのか?」
「なくっちゃいけねえか?」
「ほお! おもしれえ!」
おっさんの顔がうれしそうに笑った。
「意外と骨っぽいじゃねえか! こりゃオチン・ポーの名物でも食えるかな!?」
オチン・ポーの名物?
………………そうか! そうだよ! その手があった!
「ああ、食わせてやるぜ! オチン・ポー界の料理をな!」
おれは力強い笑みを返した。
勝算が生まれた。
この方法なら勝てるかもしれない。
「両者! 準備はよいか!」
「はっ!」
「おう!」
ジャッジの横に巨大な砂時計が現れた。
それをジャッジが抱きかかえ、勢いよくひっくり返した!
「料理勝負、はじめーーーーッ!」