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第二話 笑顔の女

 気がつくとおれはベンチに座っていた。


 どうやら異世界に着いたらしい。

 建物は西洋的なレンガ造りか木造で、目の前には噴水(ふんすい)があり、一見してここが街の広場だとわかる。


 行き()う人々は明らかに日本人じゃない。

 顔つきから肌の色までさまざまで、服は単色で簡素なものが多く、あまりファッションに気を使わない感じだ。


 馬車や荷車がちらほら通るのを見るに、自転車の発明はまだ先のことだろう。


 おれは異世界に来たという現実離れした状況に心(おど)らせていた。

 見るものすべてがキラキラして、自分がなにか特別な存在になった気がした。


 が——それはいっときの興奮に過ぎない。


「キンタマは!?」


 おれはハッと思い出し、股間に手を伸ばした。

 神様はキンタマを治し忘れたと言っていた。

 そしてやはり、


「………………ソロか」


 キンタマはひとつしかなかった。

 失ったカタキンはすっぽりと消え、どれだけ探してもしなびた感触だけが手のひらを(むな)しく(つた)った。


 すると、おれもまたキンタマ同様、ひとりきりだと気づいた。


 途端、心細くなった。


 どこを見ても、なにもわからない。


 ここがどんな街なのかも知らない。

 引率(いんそつ)の先生がいるわけでもない。

 この広場から先、どんな道が続いているのか想像もつかない。


 見知らぬ土地にひとり放り出された不安がぎゅうっと胸に詰まった。

 迷子などという生やさしいものではなかった。


 だれひとり知り合いはいない。

 それどころかおなじ惑星の人間さえいない。

 まったくの未知の世界を、ひとり立って歩かねばならない。


 おれは途方に暮れた。

 視界の広さに目眩(めまい)を感じた。


 昨日まではすべてを見知(みし)っていた。

 通学路なら電柱のラクガキまで鮮明に思い出せるし、家の中なら目をつぶっても歩けた。


 だが、ここは異世界……。


 服はそれらしいものを着せてくれたようだ。

 おかげで目立たずにいる。

 しかし、これからどうすれば……


 そう思っていると、


「〜〜〜〜」


「え?」


 横から女の声がして、おれは顔を向けた。

 そこには同い年くらいの汚れた服の女が、不思議そうな顔でなにやらしゃべっていた。


「〜〜〜〜」


 えーっと……なに言ってんのかさっぱりわかんねえ。

 おれは日本人だぜ。

 異世界の言葉なんかわかるか!


 ……まてよ、そういや神様が“翻訳の魔法を付与した”っつってたな。

 たしか翻訳って叫べばいいんだっけ?


 よーし、やってみっか!


「翻訳!」


 おれは言われた通りにしてみた。

 すると、


「えっ? なんて言ったの?」


 女はキョトンとして言った。

 すげえ! 言葉がわかる!


「や、なんでもない。ところでボーッとしてて君の言葉を聞きそびれちまった」


 おれは()き上がる希望そのままの笑顔で言った。

 言葉が通じたことで、まるでなくしたキンタマが戻ってきたみたいに孤独が薄れた。


「なにか用かい?」


「ねえ、さっきからズボンに手を突っ込んでなにしてるの?」


「ああ、キンタマがあるか確かめてたんだ」


「へー! おもしろーい! それで、あったの?」


「まあ……な」


 まさかないとは言えねえ。見栄を張るのは男の性分だ。

 それに片方はある。


「そんなことより!」


 女は食いつくように長い金髪を揺らし、


「あなたいったいどこから来たの!? だって驚いちゃったわ! なにもないベンチに突然現れるんだもの!」


 そうか、おれは突然現れたのか。そりゃ驚いたろうなぁ。


 ……さて、どう答えるか。

 異世界から来たと素直に言うか?

 この状況で驚くってことは、この世界には魔法奇術のたぐいはないと見える。


 だが真実を言ったところですんなり受け入れてもらえるとは思えない。

 間違いなく変なヤツだと思われるだろう。

 とはいえ、はぐらかすにも知識がない。

 この街の名前すら知らない。

 そもそもすでに奇跡を見られている。


 ……言ってみるか。


「おれ、異世界から来たんだ」


「ええー!? 異世界〜!?」


 女は肩を跳ね上げ、わざとらしいほど驚いた。

 嘘だと思われたか?


「なにそれおもしろーい! あたし異世界人なんてはじめて見たー!」


 おや、うたがわないのか?


「異世界ってどんなのー!? どうしてここに来たのー!?」


 予想に反して女は鵜呑(うの)みにした。

 青い瞳をキラキラ輝かせ、キュートな顔を前のめりにして()いてくる。

 年ごろの男子にはかなり刺激的なフレンドシップだ。


「えっと、おれがいたのはニホンってとこでさ」


 おれは簡単にことのあらましを話した。

 トラックという乗り物に轢かれ、神様に転生させてもらったこと。

 おれたちの世界では馬車よりも進化した自動で動く乗り物が使われていること。

 そしておれは食いしん坊で、いくつかの行き先からグルメ世界を選んだこと。


 ——ただしキンタマのことは秘密だ。

 恥ずかしいからそこだけうまく隠しておいた。


「へー、すごーい! いろんな世界があるんだねー!」


 女はぴょんぴょん飛び跳ね、これでもかとはしゃいだ。

 美少女にトークをよろこんでもらえるなんておれはじめてだ。

 なんか照れくさいなぁ!


「そういえばあたしたちまだ名前も知らなかったわね! あたしアン・コーシィ! あなたは?」


「おれはコメガ・コトナリ。名前はコトナリで、苗字はコメガだ」


「へー! 異世界人は名前があとなんだねー! あたしはアンだよー! よろしくー!」


「へへへ、よろしく」


 おっといけねえ、変な笑い声出ちまった。

 なんせ可愛いんだもんなぁ。

 童貞には刺激が強すぎらあ。


「ところでグルメなんでしょ? じゃあこの世界のおいしいもの食べたいと思わない?」


「食べたい!」


 おれは女の色香(いろか)も忘れて飛び上がった。

 そうだよ、グルメだよ!

 神様がグルメ世界って呼ぶくらいだから、うまいもんいっぱいあんだろうなあ!


「それじゃいい店案内してあげる! いっしょにランチにしましょ!」


「おうよ!」


 おれは一も二もなく即答した。

 こりゃラッキーだぜ。なんせ翻訳の魔法のおかげで会話はできるけど、文字は見てもわかんねーからな。


 それに……こんな可愛い子と食事!

 それだけでもワクワクしちまう!

 平静を保つのがやっとだぜ!


「それじゃ、ついて来て!」


 そう言ってアンは街の大通りへとおれを案内した。

 話を聞くと、どうやらここはそこそこ栄えた街らしい。

 古くから貴族が治めているが、活動は市民が中心で、自由経済の色が濃く、商売が盛んだという。


 それゆえ金持ちが多い。

 失業者や貧民も少なくはないが、ほとんどの商店が庶民派で、かつ貴族の失業者対策も万全、貧富(ひんぷ)まんべんなく暮らしていける。


 そうして大きくなった街だから、商人の行き来も多く、食材は豊富だという。


「おいしいお店が多くて選ぶのに困っちゃうわ」


 アンはニコニコ話しながら、迷いなく歩いていく。


「でもせっかくの初ランチじゃ、あそこしかないわね」


 そう言って選んだ店は、大通りに面する立派なレストランだった。


「はい、到着! あたしの一番のオススメ、ショーンズ・キッチン!」


 広さはちょい大きめのファミレスくらいか。

 他店がチェーンの牛丼屋くらいなのを考えると、かなりでかい部類だろう。

 外装だけ見てもメンテナンスが行き届いており、汚れはほとんどない。


「いい店はまず見た目から違うのよ」


 なるほど、一理ある。

 日本じゃ汚くてうまい店もいっぱいあるが、それだけ掃除する余裕もないと考えることもできる。

 外観まで気が回るのなら料理も万全に違いない。


「それじゃ入りましょ」


 アンの手引きでおれたちは店に入った。

 するとすぐに清潔感のあるボーイに、


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」


 と丁寧な案内を受け、二人がけの席を案内してもらった。

 店内もきれいだし、客層もどこか気品がある。

 この店がハズレなわけがない。


「ねえねえ、なに食べる?」


 とアンに聞かれメニューを眺めたが、文字がさっぱり読めない。


「じゃああたしが選んであげよっか」


「おう、たのむぜ」


 おれは酒が飲めないということだけ伝え、あとはおまかせした。

 しかしわくわくするなぁ。

 なんせ異世界のレストランだ。

 食材はどんなもんを使ってるんだろう。

 地球にはない特別な味もあるに違いない。

 そのあたりの事情を尋ねると、


「基本的には家畜ね。牛、豚、(トリ)……あと魚とか、野菜とか」


 ふーん、地球とあんまり変わんないなぁ。


「それとモンスターも獲って食べるわよ」


「なに、モンスター!?」


 どうやらこの世界では動物とは別に、人間を脅かす力を持った生き物を“モンスター”と分類しているらしい。

 単に危険だから駆除するものもあるが、大半は食材や道具の素材として重宝(ちょうほう)し、中でもドラゴンの肉は格別のうまさだという。


「へえ〜、ドラゴンかぁ。食ってみたいなぁ」


「あら、今日食べられるわよ」


「え、マジ!?」


 そうこう話していると、


「お待たせしました」


 そう言ってウェイターが次々と料理を運んできた。


「おお、うまそう!」


 まずはスープとサラダがきた。


「うん、うまい!」


 スープはたとえるなら超高級なコンソメスープだ。

 そしてサラダも野菜は見覚えのあるものばかりだが、かかっているソースが甘じょっぱくてうまい。


「サンドタートルのスープとサラダね。ドレッシングには貴重なロイヤルスワローのダシが入ってるわ」


 なんだかわかんねえけどうめえ!


「お次はなんとサンダーフィッシュのムニエル!」


 知らんけどうめえ!


「そしてメインはソニックドラゴンのステーキ!」


 うめえ! ドラゴンの肉うめえ!


「さらにレッドドラゴンのシチューと、ごろごろ野菜のグラタン!」


 うめええええーーッ!


「おいしかったわねー!」


「ああ、最高だ!」


 おれは異世界ではじめてのランチを満喫した。

 どれがどんな食材かはまったくわからなかったが、とにかくうまかった。


 ……しかしけっこう食ったな。

 ある程度は共有して食ったとはいえ、三、四人前は注文した。

 ……いくらくらいするんだ?


 おれは食後のパンとコーヒーを口にしながら漠然(ばくぜん)と思った。


 ……そういやおれ、金持ってねえけど大丈夫か?


「なあ、アン。そういえば支払いって……」


「ごちそうさま!」


 えっ?


「ありがとねー! あたしこんなにお腹いっぱい食べたのひさしぶりー! しかもこ〜んな高級店でごちそうしてもらえるなんて、あなたすっごくいい人ね!」


「ちょ、ちょっと待て! それっておれが払うってことか!?」


「はあ?」


 それまでニコニコしていたアンの態度が急変した。

 眉ごとぎゅっと目をゆがめ、テーブルに乗せる勢いで足を組み、


「もしかして女に払わせる気?」


「えっ?」


「いやいや、ありえないよね? 男が女といっしょにごはん食べて女に金払えとか、それマジで言ってるの?」


「いや、だって……」


「えーー!? ウッソー! 女に金払わせるのーー!? サイテー!」


「ちょっとちょっと! そんな大きな声出すなよ! みんな見てるから!」


「あーそおー! 男のくせに女に食事代出させるんだー! へえーーーー! そーゆーのがいるんだーーーー! へえーーーー!」


 や、やめてくれ!


「わかった払う! おれが払う!」


「わかってくれればいいの」


 途端、アンは元のニコニコ笑顔に戻り、


「ありがとね!」


 とウィンクしやがった。

 こ、このやろう!


 ……でもどうしよう。

 ポッケに手を突っ込んでみたけどそもそも財布がない。

 こいつ高級店って言ってたよな……


「お客様、どうされましたか?」


「うっ!」


 騒ぎを聞きつけボーイが顔を出した。

 まずい。どう言い訳しよう。


「………………あのさ、おれ異世界から来たもんでさ……」


「はあ……」


「その、あのさあ……」


「はい……」


「金がねえんだ」


「………………はい?」


 ボーイは(ほう)けた顔で首をかしげた。

 しかしすぐに意味を理解したのだろう。

 表情筋が混乱したみたいに、引きつった笑顔をぐねぐねさせて、


「アハハハ……お金がない……」


 と不思議な愛想笑いを見せた。そして、


「少々お待ちください」


 そう言って店の奥へと消えていった。


 ……おれ、どうなるんだろう。


「ねえねえコトナリ、食い逃げするならいまよ」


 なに言ってんだこいつ! うれしそうに犯罪の相談すんじゃねえ!


「きっと役人を呼ばれて強制労働施設に投獄されるわよ。さっさと逃げましょうよ」


 う……そ、そうしようかなぁ。

 でも男が逃げるなんてなぁ……


 おれは隙間一ミリ腰を浮かせた。

 それは「逃げちゃおうか」という姿勢だった。

 そのとき——


「ぬぅあにいいいぃ!? 金がねえだとおお!?」


 スタッフルームから恐ろしく太い怒号が飛んできた。

 やばい! この声カタギじゃねえ!


 に、逃げろーーーーーー!

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