特別編:15年目の結婚式
それは、エドリックの神殿が完成するふた月前の事だった。エドリックの神殿は本人の希望もあり比較的小規模な作りだが、それでも着工からもうすぐ五年になる。完成が見えてきたこともあり、きたる建立記念式典に向けエルヴィスに礼服を仕立ててやろうと思ったのだ。
エルヴィスも成人直前。貴族の子として公の場に出る機会も増えるし、そろそろ本格的な礼服の一着や二着仕立ててやっても良いだろう。普段なら仕立て屋を呼ぶところではあるが、直接様々な生地や礼服の形を見たいというので馴染みの仕立て屋へ出向くことにした。
エルミーナも兄の礼服選びを一緒に見たいというので、連れてきているが……きっと彼女の新しいドレスも強請られるのだろうとは思っている。
そんな道中で、馬車の外を見てエルミーナが『わぁ』と声を挙げた。
「どうしたんだい、エルミーナ」
「あそこ、結婚式をしているの。新婦さんすごく綺麗! とっても幸せそう……」
窓の外を見れば、エルミーナの言う通り。純白のドレスに包まれた若い新婦と、照れたように笑う新郎の姿が教会の前にあった。
彼らはきっと、中級層なのだろう。貴族の政略結婚であれば、新婦はあんなにも幸せそうな顔はしない。だから彼らは恋愛結婚……つまりは平民だが、平民であんなにも立派な挙式ができるのは小金持ちだから。などと、冷静に分析していれば……エルヴィスが口を開いた。
「父上と母上の結婚式はどうだったんですか?」
「私たちかい? 今でこそ夫婦仲は国一番だと自負しているが、政略結婚だったからね。フローラはあの新婦のような幸せそうな笑顔は見せていなかった」
「……なんだか、寂しいわ。お父様とお母様、とっても仲良しなのに」
「貴族の結婚なんてそんなものだよ。それに急だったから、招待客もいなかったしね」
そんな話をしながら馬車が進む事更に数分、今度は建設中の神殿の横を通る。多数の職人たちが懸命に働いている姿を見て、エドリックは自分が『神』であることが少しだけ誇らしくなる。
「ねぇ、お父様」
「なんだい?」
「お父様の神殿って、お式もできるの?」
「できるんじゃないかな」
「……だったら神殿での最初の結婚式、お父様とお母様でやるのはどうかしら?」
「エルミーナ、名案だ! 今度は母上が笑顔になれる結婚式、やりましょうよ父上!」
「え?」
突然のエルミーナの提案と、乗り気なエルヴィス。結婚式を『やり直す』なんて、聞いたことがない。再婚なら二度目の式だってあるだろうが、同じ相手と再び誓いを立てる式なんて……
「でも」
「父上は、母上が綺麗な婚礼衣装を身にまとって、幸せそうに微笑む姿を見たくないんですか?」
「……見たい」
自分の記憶の中の、結婚式のフローラは……美しく着飾った姿に似合わず不安げな顔をしていた。
これから訪れる結婚生活に不安しかないと、神の御前で愛を誓う時ですら浮かない顔をしていたのだ。
先ほどの新婦のような、幸せに満ちた姿ではない。エルヴィスが言うように、幸せな新婦であるフローラを見たい。幸せな新婦に、してやりたい。
「お父様、もう一回結婚式しましょう?」
「……そうだね。しようか、結婚式。今年で結婚十五年目だし、その記念にちょうどいい」
「きっと母上も喜びます。母上の幸せそうな顔、今から楽しみです」
「じゃあ、仕立て屋さんでお母様の花嫁衣裳も作ってもらおう? ね?」
「あぁ、そうしよう。……二人とも、結婚式をやり直すのは……フローラには内緒で進めたい。驚かせたいんだ」
「わかりました。母上には内緒にしておきます」
「私たちだけの、秘密!」
そうして、エドリックと子供二人による……『二度目の結婚式計画』が始まる。まずはこの日の仕立て屋で、当初の目的であったエルヴィスの礼服と合わせてフローラに着せるための花嫁衣裳も注文する。
仕立て屋の主人も『……二度目の結婚式、ですか? これはまた、面白い企てを』と驚いていたが、エドリック達の計画に賛同してくれた。
馴染みの仕立て屋のため、フローラの身体の寸法は店で記録を取ってあり彼女に気づかれずに花嫁衣裳を用意することはできるだろう。もちろん、フローラに会う機会があっても結婚式の事は何も言わないでくれと釘は刺してある。
帰りに靴屋に寄り、花嫁衣裳に合わせる靴を。そしてグランマージ家の屋敷に戻ってきてその足で、敷地の中に作った金細工職人・レスターの工房へ足を運んだ。
「エドリック様。どうされましたか?」
「頼みがある。作って欲しいものがあって」
「エドリック様からのご依頼でしたら、勿論最優先で対応します。何をお作りすれば……?」
「私とフローラの、新しい指輪を」
「でしたら、若奥様もご一緒に相談された方が良いのでは?」
「そうだね、指輪はそうしよう。フローラは改めて連れてくる」
「……指輪『は』、ですか?」
「君は勘が良くて助かるよ。他にも作ってほしい物があるんだが、これはフローラだけではなく……他の誰にも言わないで欲しい」
「わ、わかりました」
エドリックは他言無用であることを念押ししながら、レスターにもこの密かな計画を明かした。他に頼んだものはと言えば、ティアラと首飾りと耳飾り。思い切り豪華にしたいところではあるが、やりすぎると品がなくなる。
豪華すぎず、だが控えめすぎず……フローラの美しさを最大限に引き出してくれる物を作るように言った。
それから、また少しだけ時が経ち……その日はエドリックとフローラの、十五年目の結婚記念日だった。
エドリックはもちろん休暇を取って、その日は家族と共に心安らかに過ごす日とした。寝室でフローラと二人きり、寝台に腰かけたフローラの膝の上に頭を置いて、エドリックは寝転がる。
フローラの優しい手が、エドリックの髪を撫で……いつもは自分がフローラの髪を撫でているが、たまにはこうして撫でられる側に回るのも悪くない。彼女の暖かい手が、心地良いと思いながら。
「エドリック様、十五年……あっという間でしたね」
「そうだね。十五年前の今日、私たちは初めて出会って……こんな幸せな家庭を築けるなんて思っていなかったよ」
「私もですわ。嫁いできた日は、不安しかありませんでしたもの」
そう言うフローラの頬に、手を伸ばす。いつものように、瞳を細め微笑む姿が愛しい……。あの時まだ幼さの残っていた十八歳のフローラは、十五年経った今ではすっかり美しい大人の女性で、四児の母で。
その積み重ねてきた時が、この十五年が……いや、自分にはそれ以上の時間が。辛いこともあったが、今となってはその全てが愛しい日々だ。
「エドリック様。お伝えしたいことがあるのですが、聞いてくださいますか?」
「なんだい?」
「……子を授かりました」
フローラが、はにかんでそう言う。エドリックは一度目を大きくしてから飛び起きた。
「子を? 本当かい?」
「はい。実は、数日前から悪阻が……でも今日言いたかったので、黙っていたのです」
「そうだったのか。……君の体調の変化に、気づかなくて済まない。悪阻は、辛いだろう?」
「えぇ、ですが大丈夫ですよ。今は辛くても、乗り越えられるものだって知っていますから」
フローラを抱きしめる。そしてその腹にそっと手を添える。エドリックのその手に、フローラの手が重なった。
エドリックの頭に、ある事が思い浮かぶ……それは神となってまだ間もない頃、ゼウスに聞いた話。『神の子』を宿したとしても、フローラや胎児に悪影響はないだろうと言う事。心配なら、加護を与えてやればいいと言う事……
神が与える加護。それは言わずとも、特別なものだ。フローラに加護を与えれば、特別扱いされるフローラが非難されてしまう可能性もある。彼女は自分にとって何よりも特別な人なのだから、フローラに加護を与える事を特別扱いだと言われる筋合いもないのだが……
だが、信徒たちを納得させておきたい。後々フローラが辛い思いをしないために。そこでエドリックは考えた。神殿建立の記念式典の場で、信徒達の前で彼女の懐妊を発表しようと。そしてその場で、フローラへ特別に加護を与える事を信徒達にも認めさせようと。
誰にも文句は言わせない。そう決めた。
「ありがとう、フローラ。でも無理だけはしない事」
「わかっております」
「……本当に、今までの妊娠と変わりないかい? 私の『神の力』が胎児や君の身体へ負担にならないか、心配なんだ」
「今のところは何も……」
「これから子が大きくなっていくにつれて影響が出るかもしれない。ゼウスは大丈夫だと言っていたが、君を守るための加護を与えたい」
「ですが、それは」
「特別な事だとは、私もわかっているよ。神の妻だから特別なのかと、批判されることもあるかもしれない。だが、神の妻ではなく『私の妻』だから特別なんだ。誰にも文句は言わせないから、安心して欲しい」
「……はい」
フローラは、エドリックの胸にそっと寄りかかる。そのフローラの肩を抱きながら、額に口づけた。
「フローラ、私も言いたいことがあったんだ」
「何でしょうか?」
「指輪を、作り直さないかい?」
「指輪ですか?」
「あぁ。この結婚指輪は、あくまでも金事業を始める時に作った『試作品』だろう? だから、改めて君に指輪を贈りたい」
「でしたら、私からもあなたに贈らせてください。新しい指輪を作って、お互いに交換しあうんです」
「あぁ、いいよ。そうしたら、さ。支度をして、レスターのところへ行こう。私たちだけの指輪の、設計図を作らないと」
エドリックは使用人を呼ぶための鈴を鳴らす。そうすればすぐに侍女がやってきて、フローラの支度をしてくれた。
そして改めて、フローラと二人でレスターの工房を訪れ指輪を作り直す相談を。レスターは、先日依頼したその他の装飾品の事を、フローラには感づかれないようにしてくれた。
「みんなに報告がある」
「なぁに、お父様?」
その日の夕食時、エドリックは子供達を前に言った。今日が結婚十五周年の記念日だと子供達もわかっており、いつもよりも豪華な夕食に目をキラキラとさせたエルミーナがエドリックの声に反応する。
他の子供達も、皆エドリックの方を見て、父の口が開く瞬間を待っていた。
「母上のお腹に、赤ちゃんが来てくれたよ」
「えー! 本当!?」
「母上、子供ができたのですか?」
「また赤ちゃん生まれるの?」
「エリーゼ、おねえさまになるの?」
「あぁ、そうだよ。だから皆、母上に無理はさせないようにね。特にエドガー、エリーゼ。母上の言う事をよく聞くこと」
「はーい!」
子供たちは皆思い思いに話していたが、中でも末子のエリーゼは特に嬉しそうだ。だが下二人はまだまだやんちゃ盛り。フローラの負担にならぬよう、今のうちにしっかり釘を刺しておかねばならないだろう。
「次の子はどっちかなぁ」
「ふふ、どっちかしらね?」
「お母様はどっちがいい?」
「どっちでもいいわ。元気で生まれてくれれば」
「お父様は?」
「母上と同じ気持ちだよ。でも、しいて言うなら男の子の方がいいかな」
「えー、どうして?」
「女の子は、将来が心配だから」
「生まれた瞬間から嫁ぎ先の心配をするつもりですか?」
「そうじゃなくて、悪い虫がつかないかが……」
十五年目の結婚記念日は、そうして平和に過ぎてゆく。そしてその直後、神殿が完成した。神殿の建立記念式典の場で、エドリックはフローラの懐妊を発表する。併せて、フローラに加護を与える事を。
誰にも反対はさせない。そのためにこの場を借りた。何かがあってからでは遅いと、その素直な気持ちを吐露した。『特別な措置を許してほしい』と、神が信徒達に請う。エドリックのその態度に、反対の意を唱える人は誰一人としていなかった。
それから更にひと月ほど経って、ついに舞台が整う。神殿の司祭へ神殿で式を行う事を言えば驚かれたが、エドリックの望みならと快諾してくれた。
十五年前の式には参列者もいなかったが、大勢の来賓を招待してある。招待客にも、もしもフローラに会う機会があってもこの話は絶対に言わないようにと、そう言って。
最初の計画の段階ではエドガーとエリーゼはいなかったが、当日の朝彼らにもそれぞれ役目がある事をエルヴィスから教えた。当日まで伝えなかったのは、まだ幼い二人は口を滑らせてしまいそうだからだ。
「フローラ、君の母上がレフィーンから来てくれたよ」
「え? なぜお母様が……」
「フローラ、元気にしていたかい? お腹に新しい赤ん坊がいると聞いたよ」
「はい、お母様。私は毎日変わらず過ごしておりました。悪阻も落ち着きましたのよ。赤ちゃんも、きっと元気に育ってくれていますわ」
フローラの母、リンダも呼んだ。二人とも嬉しそうにしてくれているが……これは序章に過ぎない。
「ダミア子爵、この度は神殿が完成したと聞いて……おめでとうございます」
「ありがとうございます、義母上。これから、皆で神殿を見に行きませんか?」
「まぁ……それは嬉しいわ」
「では、フローラ。今から皆で神殿に行こう」
「はい。では準備いたしますわね」
エドリックはこの後のことを考えながら、微笑みを浮かべ部屋を出る。エドリック自身も、真新しい白い礼服を新調した。子供達も皆着替えさせ、あとはフローラの準備が終わるのを待つだけ。
子供達と一緒に、フローラの部屋の前で待った。皆、楽しそうだった。
「お母様、きっと今すごく動揺してると思うの」
「どうしてこんな、結婚式みたいな衣装を……? って、絶対そう思ってるよね」
「うん。それに耳飾りも首飾りも、先に見せてもらったけどすごく素敵なの」
そう言うエルミーナの手には、花嫁のヴェールとティアラ。エルヴィスは色とりどりの花が美しいブーケを持っている。エドガーも、エリーゼも、フローラが現れるのを今か今かとそわそわしている。
ゆっくり扉が開いてフローラの侍女、アンが現れる。『準備できました』とそう言ってくれるから、エドリックを先頭に皆で部屋へ。フローラはやはり戸惑っている表情だったが……エドリックと子供達の盛装を見て、目を見開き驚いていた。
「これは……」
「フローラ、綺麗だ」
「かわいい!」
「お母様、とっても似合ってる!」
困惑するフローラの横へ、娘二人が駆けてゆく。花嫁衣裳とは言っても若い娘が着るような派手なものではなく、美しい大人の女性にぴったりな装いで仕上げてもらっていた。
着付けを手伝っていたフローラの母、リンダは泣いている。『おばあさまどうしたの?』と、エリーゼが無邪気に聞いていた。
エドリックはフローラの正面に立ってから、膝をつく。そしてフローラへ手を向けて言った。
「愛しい君。私ともう一度、結婚してくれませんか」
「エドリック様……」
せっかく侍女がいつもよりも気合を入れて化粧をしてくれたと言うのに、フローラの瞳には涙が溜まっている。瞳から一筋涙を零しながら『はい、喜んで』と、そう言ってフローラはエドリックの手を取る。
エドリックは立ち上がって、微笑む。エルミーナがティアラとヴェールをフローラの頭の上に載せて、エルヴィスがブーケをフローラに渡す。
「では、改めて……神殿へ行こうか」
グランマージ家の使用人たちは、皆『行ってらっしゃいませ』と笑顔で声をかけてくれた。フローラがエドリックの左腕に、いつものように手を絡め並んで歩く。
今日だけは、馬車は子供達と別にしてもらった。子供達の乗っている馬車は、きっととても騒がしいだろうが……フローラと二人の馬車は、とても静かで居心地の良い空間だった。
「エドリック様、今日はその……神殿に着いたら、結婚式、ですか?」
「そうだよ。こんな衣装を着て神殿へ行って、式を挙げないなんてそんな訳ないだろう?」
「同じ相手と二回目の結婚式なんて……初めて聞きました」
「私もだ。前例がないなら作ればいいと思ってね」
「まぁ、あなたらしい」
「そうだろう? ……少し前に、街の教会で結婚式を挙げている夫婦を見てね。その夫婦が、とても幸せそうに笑っていたんだ。最初の結婚式の時、君は幸せな花嫁ではなかったから……君にも幸せな花嫁になってほしくて」
「……私、毎日幸せですわ。それなのに、もっと幸せにして頂いて良いのでしょうか?」
「もちろんだよ。君は、世界で一番幸せになってほしい」
「ふふ、もう世界一幸せだと思っておりましたが、まだだったみたいですね。あなたのような素敵な旦那様がいて、可愛い子供たちがいて……まだ世界一じゃなかったなんて、信じられません」
そう瞳を細めて笑うフローラが、可愛らしくて愛しくて……エドリックは思わずフローラに口づける。
「もう、口紅が……」
「馬車を降りたら直してもらえばいいよ」
もう一度、触れるだけの口づけを交わした。
神殿に到着後は、エドリックは一足先に祭壇の前に立った。参列者はすでに集まっている。神の式とあって、国王まで招待した厳格なものとなっていた。フローラの兄、ルドルフ大公もレフィーンから呼べば、彼も快く参列してくれている。
本来であれば礼拝堂の入り口からこの祭壇までの道を花嫁は実父と歩くが、フローラの父はもういない。そうなれば家長として、兄であるルドルフが代理を務めるのが一般的だったが……今日フローラの隣に立って、彼女をここまで連れて歩く役はエルヴィスが買って出てくれた。
かつて政略結婚で嫁いできた花嫁が、愛の象徴でもある子に導かれ再び結婚式に臨む。とても感動的な演出でもあっただろう。
扉が開いた時、先頭に立っていたのは次男・エドガー。宣誓書と指輪を載せた銀盆を持って緊張した面持ち。今日突然言われたのだから、彼も彼で驚いているだろう。
エドガーがまずは歩いてくれば、妖精のように可愛らしいドレスを着たエルミーナが花をふんわりと降らせながら続く。その後に、エルヴィスと彼の腕を取った美しい花嫁。エリーゼが、フローラのドレスの裾を持って最後尾を歩いていた。
家族総出で作った、二度目の結婚式。大勢の招待客の視線の中、まずはエドガーが祭壇の前へ。緊張した面持ちのまま祭壇に上がってきては用意されていた卓に銀盆を載せると、どうしていいかわからなかったのかオロオロとした表情を見せた。エルミーナが引っ張って、一番近くの空いていた椅子へ。
エルヴィスに導かれフローラが祭壇の前へ。『ありがとう、エルヴィス』と、フローラがそう小さくエルヴィスへ言った。エルヴィスは礼をして、後ろのエリーゼを抱いてエルミーナ達の隣へ。
「フローラ、こちらへ」
「……はい、あなた」
手を伸ばし、手を取って。フローラを祭壇の上へ導く。まだ結婚式はこれからが本番だというのに、フローラの瞳は潤んでいた。
「神の御名において、ここに再び愛の契約を結ぶ者達が立ちました。永劫の加護と、命の水が注がれんことを。この聖なる殿に集いたる皆よ……心静かに、誓いの時を見届けましょう」
エドリックは自分が神で、しかも自分の神殿であるにも関わらず『神の御名の元に』なんて言われるのは面白いなと、そう思いながら神父の言葉を聞く。
「グランマージ伯爵令息・ダミア子爵エドリックと、その妻フローラ。二人はすでに十五年前に夫婦として認められているが、今ここに再びの婚姻の儀を執り行う。
エドリック・グランマージ卿。汝はここに、妻フローラと再び契りを交わし、健やかなる時も病める時も、貞潔と信頼をもってこれを守り抜くことを……ヴァレシア十二柱の御前において誓いますか」
「……私の、神の名をもって誓おう」
「……よろしい。同じくフローラ・グランマージ夫人。汝は夫エドリックにその身と名を預け、この愛と家を守り共に歩むことを……神と民の証人たちの前で、誓いますか」
「はい、誓います」
「では、指輪の交換を」
……指輪の交換。初めて聞く言葉に、フローラは疑問符を浮かべるような表情を見せた。結婚指輪はグランマージ家が流行らせ、今や王都では求婚の際に指輪を贈るのが定番になっているが……
十五年目で指輪を作り直そうと言ってレスターの元を二人で訪ねる前に、フローラが『お互いに交換しあうんです』なんて言ってくれた事に着想を得た。
結婚指輪は夫婦の永遠の愛を誓う物。それを結婚式の場で互いに交換し合う。いかにも女性が好きそうだと、そう思ったのだ。だから式の途中に『指輪の交換』と言う儀式を入れてもらった。
エルヴィスとエルミーナが前に出てきて、先ほどエドガーが卓の上に置いた銀盆から指輪を一つずつ取り出す。エドリックはエルミーナからそれを受け取って、フローラの左手を取った。
愛してる。ずっとずっと、永遠に君だけを。
そう思いながら、フローラの左手の薬指に真新しい指輪をはめる。そしてエルヴィスが、同じようにフローラに指輪を渡した。
「母上、父上の指に」
エルヴィスがそうこそっと言って、フローラがエドリックの左手に触れる。揃いで作った新しい指輪が、エドリックの左手薬指に収まった。
それから結婚証明書への署名、新郎の外套で新婦を包む『庇護の儀』……それで式は終わる。はずなのだが、最後にもう二つ……エドリックの希望で式次第を足してもらった。
「ではここで、新郎より新婦へ宣誓を」
「……フローラ。もう一度結婚式がしたいなんて、新婦の君が幸せそうに笑う姿を見たいなんて……私の我儘に付き合ってくれてありがとう。でも私たちは政略結婚だったし、十五年前の結婚式はただの儀式でしかなくて……あの時、君はずっと不安げな表情を浮かべていた。今度が君が幸せだと、私と結婚して良かったとそう思ってもらえるような結婚式にしたかったんだ。
……愛してる。永遠に、君を愛すると……私の名に誓って、ここに再び宣言しよう」
「エドリック様……」
フローラは瞳に涙を溜めて。招待客達からも、感動のあまり鼻を啜っているような音も聞こえる。エドリックは手を伸ばし、フローラを抱きしめる。人前で、子供達も見ている中で抱き寄せられるのが恥ずかしいようだったが、そんな事はもう気にしていられなかった。
「……最後に、誓いの口づけを」
「……!?」
これも、エドリックの希望で入れてもらった。進行役の神父ですら少し照れているような気配がするが、フローラはいっそ焦るような態度だっただろう。
抱き寄せた手を緩め、薄いレースで編まれたヴェールを上げて……覚悟の決まっていない顔をしたフローラに優しく口づける。
フローラは真っ赤になっていたが、招待客からは暖かい拍手が降った。
このエドリック夫妻の『二度目の結婚』は人々の関心を買った。
とある侯爵夫人は『私もあんな風に主人に愛されて、二度目の結婚式を挙げたいですわ。私、エドリック様とフローラ様の愛の深さに感動して涙が零れましたの』『結婚十五年で、もう一度愛を贈られる……そんな経験、全貴婦人の憧れではなくて?』と。
またとある伯爵夫人は『フローラ様は三十三歳でしたかしら? 正直あのお年頃で白い花嫁衣裳はと案じて思っておりましたが、それはもうなんとお美しい事。大変品のある花嫁衣裳が、とても素晴らしくて。あれほどの気品と美しさを纏われては、ため息ばかりで言葉もございません』『白は若い娘だけのものだと思っておりましたが、そうではありませんでしたわ。慈愛と誓いの純粋さを示すものだと、フローラ様がそれを証明してくださいました』と言った。
これから結婚式を迎える令嬢は『私も指輪交換をしたいわ。でも、誓いの口づけは……』と恥ずかしがり、その婚約者は『いいじゃないか、誓いの口づけ。エドリック様とフローラ様は、とても美しくまるで絵画のようだった。我々の結婚式にも取り入れよう』と令嬢を説得する。
結婚指輪の交換、誓いの口づけ……エドリックが二度目の結婚式で取り入れたそれがレクト国内で浸透するのに時間はかからず、その後の結婚式の中に自然と組み込まれていくことになった。
結婚十五年目の節目に『再婚式』を行う事も、この一件以来根付き始める。指輪を新調し、かつての式を再び演じる……それは、夫婦が時を経てこそ交わせる『真の誓い』として、密かに支持を広げていった。
また、エドリック夫妻の結婚指輪を作ったレスターの工房は以前にも増して繁盛し、レスターはついには弟子を取る事になったほどだ。
この挙式の為に用意された特注の花嫁衣裳は『私もあの花嫁衣裳が着たい』『あの愛溢れる式にあやかりたい』等の声が殺到し、神殿での挙式の際に希望者に貸し出す衣装の一つとなる。
そしてなぜかその花嫁衣裳を纏った新婦は挙式後半年以内に妊娠する確率が異常なまでに高く、フローラが着用した際には妊娠中の彼女と胎児を守るために神の加護を受けていた、その加護が衣装にも移ったのではないかと噂されるようになり……
『神の花嫁が纏った花嫁衣裳』として伝説のようになったそれは、今日では数多の愛の誓いを見届けている。
「エルミーナも『あの』花嫁衣裳を着るのかい?」
「いいえ、あの子は『あの花嫁衣裳は大人っぽすぎる』と言って。それに、ヴェリッツ家の方でも素敵な花嫁衣裳を拵えて下さるそうですから。でも、最初の式で着たあの衣装は晩餐会の時に着たいと言っていますわ」
「あの花嫁衣裳は、義母上が一針一針丁寧に縫ってくれた品だ。急拵えではあったけれど、それを感じさせない美しい衣装で……それを母から娘へ繋ぐ。素敵な話だね」
「えぇ、そうですわね」
数年後……愛娘・エルミーナが結婚する事になった。相手は国内貴族でも名門中の名門であるヴェリッツ公爵の孫で、ユーリス・ヴェリッツ。
家格のつり合いと言う点だけではグランマージ家は劣るものの、公爵家に匹敵するとも言われているグランマージ家の影響力や経済力、グランマージ家が王家に連なる家系と言う事……さらには母親であるフローラがレフィーン公国の公女であったことから、名門公爵家の孫であっても傍流である彼に『高貴な血統』であるエルミーナはつり合わないとひと悶着もあった。
だが二人は愛の力でそれを乗り越え、正式に結婚が決まった。他ならぬ、娘を想うエドリックの後押しもあっての事ではあるが。
「……幼い頃は『お父様、お父様』と言ってくれていたあの子が……もう結婚する年か。時が経つのは早いね、フローラ」
「本当に……」
長椅子に並んで腰かけ、瞳を伏せたフローラがエドリックの胸にもたれかかる。そのフローラの顔を覗き込めば、少しだけ……年齢を感じさせる小皺が目に入った。
だが、それは……共に年を重ね歩いてきた証拠。時を十五年戻す前にはなかった事。自分だけが老いて行って、氷漬けのフローラはいつまでも若く美しくて……それが嫌だった。
だからフローラの中に『老い』を見つける事は、むしろ嬉しい。フローラは気にしているようだったが、年を重ねてもいつまでも美しいのだから気にする必要なんてないとそう思っている。
「フローラ。これから先も、何十年……一緒にいてくれるかい?」
「はい、もちろんです」
フローラがふふっと笑う。エドリックも微笑みながら、フローラの手を握った。
夫婦の寝室には、白い百合の花が一輪飾られている。この白百合の花は、フローラが五人目を身籠った時……神殿の建立記念式典で彼女に加護を与えた時に持たせたもの。
その加護は白百合の命すらも永久の物とし、今も変わらぬ姿のまま……決して枯れる事はなくいつまでも凛として美しく、静かに二人の人生をそっと見守り続けている。