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特別編:神となった男 ①神の帰還

本編終了直後、エピローグよりも前のお話。

本編とは関係ない〜とはもはや言えないレベルのお話になってしまいました。

感動的な3部作になっていると思います。どうぞお楽しみください。

 ゼグウス王妃の暗殺。そしてゼウスから神の名を賜り、魂だけの存在となったサタンを滅ぼした。エドリックは『これで全て終わった』と、そうぽつりと呟く。

 そう、これで……前世で犯した罪は清算できただろう。サタンを復活させ『魔物達の宴』で大陸中が魔物に襲われる事も、その十五年後にサタンが真に目覚め人類を危険に晒す事もない。フローラの出産はレクトで行えば、フローラは死なない。

 これで望んでいた未来が待っているはずだと……エドリックはそう思いながらその場を後にする。だが、これは始まりでしかなかった。


「エドリック・グランマージ卿。王妃は……?」

「サタンを封じていた碑がある場所はわかるだろうか? 王妃はそこで、息絶えた」

「な、なんだと……!?」


 古の森を出れば、ゼグウス王家の護衛騎士が一人で戻ってきたエドリックに尋ねる。一緒に森の奥へ向かった王妃の姿がない事は、誰が見ても不自然だった。

 いくら王妃にサタンが憑依していて、彼女はサタンの意志で動いていたとしても……それを知らぬゼグウスと言う国からすれば、王妃の殺害は重罪に該当するのは間違いないだろう。

 本当ならエドリックはこの兵たちがいる森の東側に戻ってきたくはなかったのだが、この古の森は高台にあり他の方角は崖となっていて『ただの人間』ではそちら側から抜ける事はまず無理だった。


「私が彼女を殺害した。する理由があった。だが、その理由はここで述べるものではない。王妃殺害の罪は甘んじて受け入れる。本来であれば王家を侮辱した罪は即刻斬首かもしれないが、私は王位継承権は無くともレクト王家に通ずる家系の貴族だ。法に基づく正当な裁判を要求する」


 エドリックのその堂々とした物言いに、護衛騎士はたじろぐ。手枷などエドリックのような魔術師には無意味だっただろうが、エドリックは自ら『手枷をかけろ』とでも言うように両手を揃えて護衛騎士の前に出した。

 ……エドリックは手枷をかけられ、更に身体を縄で縛られたまま馬車に乗せられる。そうして小一時間……ゼグウスの王城へ戻ってくれば、すぐさま王の御前に通された。


「王妃を殺害したとの事、事実か」

「はい、陛下。王妃の亡骸は今、こちらに運ばれている最中でしょう」

「……王妃がそなたを古の森へ連れて行ったのも、そなたが王妃を殺害したことも……その理由が見当もつかぬ」

「私の話を信じるか信じないかは陛下にお任せしますが、私が今から述べる事は事実だけです」


 そうしてエドリックは、国王に述べた。

 彼女が前王妃を毒殺したこと。王妃になるため、若さと美貌と身体で国王を篭絡した事。そして、王妃はサタンをその身に宿していた事。サタン復活が彼女の野望だった事。

 エドリックは彼女の野望を止めるために、彼女を殺害した事……俄かには信じられないような話だろうが、エドリックの言葉に偽りはたったの一言すらもない。


「なんと、そのような事……。あの王妃が、そのような事は……」

「ちなみにですが、陛下。前王妃の毒殺には内通者がおります。私はその者の名も知っておりますが、今ここで申し上げましょうか?」

「陛下、なりません! 今この者が申したことは、全て戯言に違いない!」


 脇に控えている大臣が、エドリックの言葉を遮るように国王の前に出た。前王妃毒殺の内通者の名を言われたら困るのだろう。この大臣こそが、内通者の一人なのだから。


「……大臣、控えよ。エドリック・グランマージ卿。その者の名を申すがよい。取り調べの結果、その者たちが無実であれば貴公は処刑だ。そしてその首をレクトへ送り、両国は再び戦争となるだろう。だが無実でなければ、貴公の言う事を信じよう。……貴公の王妃殺害は不問とする」

「承知しました。では、申し上げましょう。まずはこの場にいる……」


 エドリックは数名の名をあげる。執事や侍女だけではなく、大臣の名を告げたことで国王は驚きを隠せないようだった。

 そして一旦、エドリックはそのまま地下牢へと連れていかれる事に。エドリックの今後の処遇は、大臣たちの取り調べ以降の決定となる。

 埃っぽく、ジメジメとした薄暗い地下牢……粗末な硬い寝台と、汚い便所しかない独房にエドリックは入れられた。正直潔癖症でもあるが故に、貴族なのだからもう少し丁重にもてなして欲しかったと言うのが思うところだ。

 だがエドリックを処刑することは、この国にはできない。エドリックは何一つ嘘などついていないのだから、すぐに無罪として釈放されるだろうとそう思っていた。

 そのまま夜になって、粗末な食事を食べ寝台に横になる……眠りも深くなった頃、エドリックは夢を見た。それは、大陸の始祖でもあるゼウスの信託。大陸中全ての人間が同じ夢を見た。起きていた人間には、頭の中にその声が響いた。


『我はこの大陸の始祖、ゼウスである。本日、新たに人間より神を任命した。レクト王国のエドリック・グランマージである。彼はガリレードと共に、時の魔術師となろう。人と神々を繋ぐ、唯一の存在となろう。現在、彼はゼグウス王国の地下牢にいる。ゼグウスの王に告ぐ。即刻彼を開放せよ』


 エドリック本人もその夢を見て、目覚める。牢の前にいた兵が目覚めたエドリックを見て目を見開いたまま青ざめ、言葉もなくその場にひれ伏した。手が震えているのが分かる。まるで神罰を受けるのを恐れるように。

 先ほどの夢は、大陸の全民が見たのだろう。起きていた者にも、夢とは違う形でゼウスは語り掛けたのだろう。エドリックはそう察して、静かに言う。


「そんな事をする必要はない。私は別に、誰も咎めるつもりはない。こんなところに閉じ込められたことも、怒ってはいないよ。幽閉するならせめてもう少し……綺麗な部屋にして欲しかったとは思っているけれど」

「も、申し訳ございません……。ですが、私には神を牢からお救いする権限がなく、お許しを……」


 エドリックと兵がそう会話をしていれば、遠くからドタドタと急いでやってくる複数の足音が聞こえた。寝巻のままの国王と側近達だった。国王のその顔には、神託に震える民の代表としての真剣さが浮かんでいる。


「そこのお前、今すぐに牢の鍵を開けろ!」

「は、はい陛下!」

「……我々に、ゼウスが語り掛けました。あなた様を神に任命したと……この処遇については、どうかお許しを」


 国王がそう言いながら膝をつき頭を下げた。神の名の前には、ゼグウス国王の膝すら汚れた牢の床に触れることを躊躇わなかったのだ。

 許さないと言って少しからかってやろうかとも思ったが、神を牢に閉じ込めた事に対して罪を問われるのを恐れているようだったからやめた。もしも許さないと言えば、王は失神していたかもしれない。


「許すも何も、怒ってはいない。……昨日の私の話が真実だったと、そう理解してもらえたと言う事で良いかな?」

「は、はい……神よ。あなた様に無礼を働いてしまい、大変申し訳ございませんでした」

「一国の王が、そう簡単に謝罪を口にすべきではない。私の罪が無罪放免となるのであれば、それでいい。私は、国へ帰らせてもらう」

「あなたは罪人などではございません。この世界にあなたを裁ける者など、もはや存在しないのです。私もまた、ただあなたの言葉に従う一人の人間に過ぎません。誰か、レクトへ戻られる神の護衛を。お見送りを!」

「護衛も見送りも不要だ。そんな事をすれば目立ってしまう。静かに帰らせてくれ」


 そう言いながらエドリックは牢を出て、膝を床についたままの国王の隣を歩いて静かに去った。

 ゼグウスの王城では、地下牢に続く階段は人だかりになっていた。国王が寝巻のまま、側近と一緒に慌てて降りて行ったのを目撃した者も多かっただろう。

 エドリックが階段を登り姿を見せれば、一瞬で静まり返り使用人たちは一斉にひれ伏した。皆、神を一目見ようと集まっていたのだろう。

 ただ皆ひれ伏し、ある者は膝をつき胸の前で両手を組み……すぐに微かに『神よ……』と呟く声がいくつも重なり響いた。

 それらの人々には反応せず、エドリックは城を出る。まだ早朝、神がゼグウスの城から出て王都を後にするとは誰も思っていなかっただろう。王城を出た直後、神を見に集まろうとする人たちがいなくて幸いだった。

 ゼグウスの王都を出て、東へ。昼過ぎにメルガス川の渓流に作られた、両国間を隔てる関所に到着し……エドリックはそこで、自分の通行許可証を出す。

 その通行許可証を確認した兵は、まさか神が通行許可証を持って現れるなど微塵にも思っていなかった事だろう。


「エドリック・グランマージ……神!? 今日ゼウスのご神託のあった、新たな神……!」


 昼過ぎの関所は人が多い。まだ両国間の国交は『停戦国』の位置づけであり、一般人の往来はないが……国境警備隊として両国の兵が複数いた。

 そんな中で、大きな声を出されて注目を浴びてしまった。『神なのか』と言う問いかけに『そうだ』と答えるのは恥ずかしいが、通行許可証も返してもらわねばいけない。騒ぎになりかけているのだから、早く去りたいと思い肯定した。


「大変失礼しました! おい、そこ! 神が通られる! 道を開けろ!!」


 兵は言わなくても良い事をいちいち大声でいう。お陰で多数の兵にバレてしまった。


「神よ……!」

「どうか神のお言葉を……!」

「妻が病に伏しておりまして、治療を……!」

「戦で命を落とした弟の魂は……!」


 兵たちが、祈りを請う。顔も名前も知らない人々が、己の苦しみを託すように『神』へ縋ってくる……その言葉一つひとつが、重く胸に刺さった。

 だがエドリックはそんな彼らに馬上から静かに言った。それは教えを説くように。諭すように。


「……私は、神に任じられただけの一人の人間だ。私は裁くために在るのではないし、答えを告げるために在るのでもない。奇跡だって起こせなければ、祝福を与える事も出来ない。私が成すべき、神の役割とはなんだ? 私は、その答えがまだわからない」


 エドリックのその言葉に、兵士たちは深く深く頭を垂れた。誰もがその言葉を救いとして受け取ったのだ。神も人間なのだと。神だから特別な訳ではないのだと……


 兵たちはエドリックの通る道を開いてくれて、先へ進む。背に感じる祈りの視線が、まだ定まらぬ『神』の肩に目には見えぬ重荷をそっと置いていくようだった。神に任ぜられた者として、エドリックはこれから世界中の『願い』と『矛盾』と、そして『救い』と、向き合っていくのだろう。

 そうしてエドリックはレクトへ、愛しい者たちが待つ我が家へと急ぐ。きっと、今頃グランマージ家も大騒ぎしている。

 家の中では両親や使用人たちが、フローラが。きっと屋敷の外にも多くの人が集まっている。王宮でも、大騒ぎになっているかもしれない。

 だからエドリックは、国境にほど近い小さな村へ一度立ち寄ることにした。こんな田舎であれば、ゼウスの信託を聞いていたとしても騒ぎにはなっていないだろうし……自分の顔だって知られていない。

 村長の家らしき建物へ訪問し、少しばかり休憩させてほしいと告げた。人の良さそうな村長は、突然の旅人を歓迎してくれる。紙と筆を貸してもらうようにお願いして、エドリックはさらさらと文字を書いてゆく。

 村長の家を選んだのは、識字率の問題だ。このような小さな村では、教会もない。村長くらいしか文字の読み書きができる人間がおらず、紙も筆もないかもしれないとそう思っての事だった。


「ありがとうございます、これはお礼です」

「そんな、お礼なんてとんでもない」

「紙は貴重品ですから、受け取っておいてください」


 銀貨を一枚渡す。いくら貴重品だと言っても、銀貨でも十分すぎる礼だっただろう。


「これは……もらいすぎです、旅の方。おつりと言っては何ですが、食事でもご用意します」

「それは助かります」


 そう言えば、ゼグウスでも食事をとらずに出てきてしまった。もう昼を過ぎている。食事を出してもらって、空腹の腹が満たされた。

 食後エドリックは外に出て、魔法で鳩の使い魔を顕現する。村長は無から鳩が飛び出してきたことに驚いて唖然としていたがそれを気にせず、先ほど書いた手紙を足に括りつけ鳩を飛ばした。

 飛ばす先は、グランマージ家まで。今戻っている最中だと、その事を伝えておきたかったし屋敷の様子も確認したかった。


「旅のお方、今のは……」

「魔法です。我が家にだけ伝わる」

「魔法……? た、旅のお方……お名前を伺っても……?」

「エドリック・グランマージと申します。では村長、食事と紙と筆、助かりました」


 エドリックは馬に乗って、その腹を軽く蹴って馬を走らせる。今日の夢で神の名を、エドリック・グランマージの名を聞いた村長はエドリックの背中を目で追いながら『神が、神が訪ねてきていたと言うのか……』とそう言って、膝をつき胸の前で手を組み祈っていた。


 エドリックは馬を走らせながら使い魔を王都のグランマージ家へ飛ばす。グランマージ家に使い魔が着くまでには二時間程かかったが、思っていた以上に大変なことになっているようだ。

 玄関先に父の姿。集まった人たちへ何か話している。貴族も平民も関係なく、グランマージ家へ押しかけているようだった。それを横目に、エドリックは自分の部屋の方へと使い魔を飛ばす。

 普段なら日中は開いているカーテンが、窓を閉ざしていた。きっと庭の方から回ってくる人を対策しての事だろう。部屋は三階にあるが、長い梯子でも用意すれば登れなくもない。

 こんなに警戒されている状態で、窓を叩いて気づいてくれるだろうか。下から小石でも投げられているのだと思われ、出てきてくれないかもしれない。

 そう思いながらくちばしで窓をコンコンと叩けば恐る恐る……と、言った様子でフローラの侍女であるアンが顔を出した。


「フローラ様、エドリック様の使い魔です」

「本当!? すぐに窓を開けて!」


 二人のそんな声が聞こえる。アンが窓を開き、そうすれば使い魔の姿で部屋の中へ飛んでいく。フローラは子供たちと一緒に寝台の上で座っていた。使い魔を見て、安堵した表情を見せる。

 それはエルヴィスも同じだった。エルミーナとエドガーは、まだまだ幼く事の重大さがわからないのだろう。


「おとうさま! あのね、きょうはおそとにひとがいっぱいいるから、おへやからでちゃだめなんだって」


 エルミーナはそんな風に……鳩の形の使い魔に触れながら可愛らしく言った。


「エドリック様……。地下牢に捕えられていたのでは? ご無事なのですね? 神の、ゼウスの言葉は……あれは一体? わたくし、何が何やら……。でも、あなたが無事で本当に良かった……」


 フローラは困惑しながらも、足に括りつけた手紙を広げる。『迷惑をかけてしまってごめんね。明日の朝には帰れると思う』と、それしか書けなかったが……それを見てフローラは、瞳に涙を溜めていた。

 鳩の姿のまま、フローラに寄り添う。フローラの困惑も当然だ。もう少し、このままでいようと……エドリックはそう思った。


 その日、もうずいぶんと暗くなってしまったが王都のすぐ近くまではたどり着いた。今なら城壁の門を潜っても人は少ないだろうし、グランマージ家の前にいた人々も少なくなっているが……だが、何も言わずには門を開けてはくれないだろう。

 エドリック・グランマージが戻ったから開けてくれと伝えれば、夜といえ騒ぎになる可能性もある。エドリックは、それを避けるために近くの街で一夜を明かすことにした。

 宿を探すのも、やはり騒ぎになる可能性があると……この地は王都に近くはあるが、治める伯爵のいる土地だ。伯爵本人は王都にいて、この街の私邸にいるのは彼の甥だったはず。

 伯爵家私邸の前で馬を降り、馬丁を探し……建物の横にそれらしい小屋を見つけるも王都とは勝手が違うのか、夜間に馬を見張っている番はいないようだ。

 仕方がなく馬は、空いていた馬房に勝手につないだ。


「夜分に失礼、領主代理殿に頼みがあって参った」

「こんな夜間に、誰が何用だ」


 中から聞こえる声は尤もだっただろう。門番と思われる男の問いに、エドリックは答える。


「私は、グランマージ家の嫡男でエドリック。王都に戻る途中だったが、遅くなってしまったので今日の宿を……」

「グ、グランマージ家のエドリック卿!? か、神様……!?」


 エドリックが皆まで言う前に、門番の男は慌てて扉を開けた。そしてエドリックの顔を見るや膝をついて、両手を胸の前で組み何やらブツブツと祈りの言葉を唱えている。


「……お借りしたいのだが……」

「し、失礼いたしました! しょ、少々お待ちくださいませ! 今、主を呼んで参ります……!!」


 玄関にしかついていなかった明かりは、五分も待たずに屋敷のあちこちで灯される。伯爵の甥ももう寝ていただろうが、エドリックを迎えるのに寝巻のままではいけないと思ったのか、急いで着たと言うような礼服でやってきてはエドリックの前で膝をついた。

 彼の事は以前、彼が何かの用で城へ訪問していた時に何度か見たことはある。真面目で誠実な印象は、以前見た時と変わっていない。


「まさか、我が家にエドリック様がお立ち寄りになられるとは……。ご無事の帰国、なによりでございます。私も、ゼウス神の信託を聞いております。御身はゼグウスで地下牢に捕えられていたと……お身体に問題はございませんか?」

「朝からずっと馬を走らせていたから疲れてはいるが、問題ない。夜分に済まないが、宿を探す手間を省くために立ち寄らせてもらった」

「と、とんでもない! このブレドラ家の私邸など、エドリック様には恐れ多い場にございます……!」

「謙遜せずとも構わない。神に任命されてしまったとは言え、私は今でも人間だ。従者も供も連れていない、ただ一人の男に過ぎない。寝床ひとつ借りるくらい、構わないだろうか?」


 エドリックの言葉に、領主の甥は目を見張った。目の前の男は『神』なのに、こんなにも謙虚に……そして人間らしいのかと。


「もちろんでございます。神をお迎えしたなど、何と言う光栄でしょう。すぐに一番落ち着ける、静かな部屋を準備します。温かい湯と、食事も……」

「ありがとう、助かるよ。大した礼はできずに申し訳ないが……」

「礼なんて、恐れ多い!!」


 領主の甥は、館の使用人達に指示を出す。部屋と風呂と、食事の準備……

 指示をされた者以外でも、神の突然の訪問に気づいた使用人たちは多数いた。彼らは『あの方が神……』と心の中ではそう思いながらも無言で、物陰からエドリックの方を見ていたようだった。

 それは神に対する敬意と、畏れ。エドリックは思う。今まで『怪物』『死神』などと言われ恐れられてきたこともあった。だが今感じる視線たちは、明らかに今まで感じてきた視線とその意味合いが異なると……


(畏怖されることはあっても、敬われることはなかった。……不思議な気分だ)


『神』と言う肩書の、その重荷を改めて知る。明日、王都の城壁を潜ればどれだけの騒ぎになるのだろうかと……エドリックはその事で頭が痛かった。

 翌朝早くに領主の私邸を出たが、王都の城壁にたどり着くころには人々の往来も活発になりつつある時間になっている。この城壁の門を開けさせて、中に入るのが怖いと……エドリックはそう思いながらも、城門の方へ向かう。格子の門の奥には、すでにたくさんの人がいるのが見えた。


「……もう、人に知られず入るのは難しそうだ。腹を括るしかない」


 エドリックは馬に乗ったまま門に近づく。人々が、門番が、エドリックのその姿に気づいた。


「エドリック・グランマージ様……! か、神よ! よくご無事のご帰還を!!」

「名で呼んでもらって構わない。神になったとは言え、私はこの国の臣民であるし国民の一人だ」


 穏やかにそう言えば、奥から門将が駆けつけてくる。彼もやはり、門の奥でエドリックへ跪いた。


「エドリック卿、ご帰還何よりにございます。門はすぐに開けさせましょう。ですが、その……城下には神の帰還を待つ人々が集まり、この門前だけでこれほどの人が……」

「見ればわかるよ。だが好奇心も、敬意も、信仰も……人間の自然な気持ちだ。何より彼らの、それらの心を否定する権利は私にはない」

「はっ……!」


 門を開くための操作を兵たちが行う。神の帰還を今か今かと待ち詫びていた国民たちが、わっと声を上げた。


「神だ! 神が来たぞ!」

「本当に……。本当に神がお戻りに……!」

「お姿を! お姿を拝ませてください!」


 民衆の前には、騎士たちが整列し壁を作っていた。それでも、人々は熱狂している。

 今エドリックが言ったように単に好奇心で、野次馬のように見に来ただけの人もいるだろう。厚い信仰を持ってきた人も、神となった自分を敬うために来た人も……本当に神なのかと確認したい人や、神そのものに疑念を抱く人だっているだろう。

 エドリックは城門を潜り、民たちの前に立つ。馬の背に乗ったまま、ゆっくりと口を開けば辺りは一斉に静まり返った。

『神の言葉』は、何を語るのか……。皆、それを聞き洩らさないように。


「皆、聞いてくれ。私は確かに、ゼウスより神として任命された。だが、私は今でも人間だ。皆と同じこの地に生きる者として、愛する者が待つこの王都に帰ってきた。どうか神だからと私を特別な目で見る事はなく、皆と同じ目線で見て欲しい。私は、ただ一人の男……妻と子を愛し、友と語り、国の行く末と皆の未来を案じる者だ」


 群衆は、エドリックの言葉に息を吞む。そして、誰からともなく大きな拍手が沸いた。神の言葉ではない。エドリックの人間としての言葉に。

 やがてそれは、王都の朝を祝福するような大歓声へと変わっていく。


『エドリック様、万歳』『神エドリックと我が国に栄光あれ』と……


 その言葉を聞きながら、エドリックは馬をゆっくりと歩かせる。早く我が家へ帰ろう。フローラと可愛い子供たちが待つ、我が家へ。

 神としての帰還であってもエドリックにとっては、ただ家族に会いたいと……ただそのための帰還だったのだから。


 エドリックが馬を歩かせるのに合わせ、人垣も着いてくるように移動してくる。だが、グランマージ家までの道は騎士達が確保してくれていた。

 グランマージ家の前にも人だかりができていたが、正門は閉ざされている。門の内側に、複数の使用人たちが待ち構えていた。


「エドリック様」

「よくぞお戻りくださいました」

「皆、エドリック様が戻られるのをお待ちしておりました」

「坊ちゃん、ご立派になられて」


 もう三十歳にも近いと言うのに、年老いた乳母には幼い頃そう呼ばれていたように『坊ちゃん』などと呼ばれてしまった。彼女を叱責するつもりなど、勿論ない。我が子同様にエドリックを育てた彼女だからこそ、つい漏れた言葉だったのだろう。

 正門の扉を開けてもらって、屋敷の敷地に入り馬を降りた。手綱を使用人に渡して、涙ぐむ乳母へ『ただいま』とそう言う。


「神様!お言葉を……!」

「昨日からずっと待っておりました!どうか、お顔だけでも!」

「ご加護を……!」


 閉じた正門の奥から、人々の声も聞こえた。エドリックは彼らの方を見渡す。


「皆、私のためにここまで……ありがとう。だが私には神としての力があるとはいえ、万能ではない。全ての願いに応えることはできない。私は、神の名を与えられた人間に過ぎないんだ。

空に浮かぶ雲を操れるわけでも、すべての病を癒せるわけでもない。ただ君たちと同じように朝目覚め、夜眠る。腹が減れば食事を取る。血の通った、ただの一人の男なんだ。父であり、夫であり、子でもある。私を敬うのは構わない。だが、どうかそういう者だと知った上で信仰してくれ」


 民衆たちは、そのエドリックの言葉に何を感じたのだろうか。ある者は涙し、ある者は両手を組んで祈る。

 エドリックはそんな彼らに、施しを与えるような優しい瞳で応えた。執事の一人が口を開く。


「……エドリック様、中へ」

「あぁ、そうだね。……集まった皆も、家へと帰るが良い。ここは、我が家は私の大切な場所だ。我が家を神殿にする気はない。また別の機会に『神』として皆の前に立つから、それまではそっとしておいてほしい」


 外套を翻し、玄関へと向かって歩く。その後ろ姿を、神の姿を……エドリックがグランマージ家の建物の中に入るまで、民衆たちは皆じっと見つめていた。


 屋敷の中に入れば、両親と子供たちと多数の使用人が出迎えてくれた。皆、神となったエドリックの事を誇らしいとそう言ってくれる。だが、この場にフローラがいない。

 フローラは四人目の子を……エリーゼを身籠ったばかりで、悪阻もあるから体調がすぐれないのだろうか。両親と子供達とももっと話したいところではあったが、今はまず……フローラに会いたい。

 感動の再会は早めに切り上げて、部屋へと向かった。


「フローラ、戻ったよ」


 エドリックは部屋の扉を開く。日は高くなっていると言うのに部屋はカーテンで閉ざされ暗く、フローラは寝巻のまま寝台の上に座っていた。エドリックの声に振り返って……その瞳には、涙が浮かんでいる。


「エドリック様……」

「四日目だ。約束通り、一週間以内に帰ってきた」


 エドリックは寝台へ腰かけ、フローラを抱き寄せた。フローラは微かに震えている。これは悪阻で体調が優れないからではないと、エドリックは悟る。

 フローラは抱擁を拒むように、弱々しくエドリックの胸を押した。


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