特別編:カルテット・サーガ前日騨
本編とは直接関係のない日常を描いた特別編です。
もしかしたらたまにこういった短編を掲載するかもしれません。
このお話はカルテット・サーガ本編が始まる少し前……
9話開始時に色々飛ばした部分の一部となります。
「おとうさまは、エルミーナとおかあさまどっちがすき?」
まだ三歳にもなっていないが、おしゃべりが得意なエルミーナがそう聞いてきたのはある日の午後のことだった。
その日魔術師団の仕事は休暇で、午前中は家族総出で出かけてきた。午後になって帰ってきて、子供たちの午睡の間は久々に夫婦の時間をまったりと過ごそうと思っていたのだが……
エルミーナが午睡を拒否したようで、フローラと二人でお茶をしていたエドリックにそう聞いてきた。
「……突然、どうしてそんなことを聞くんだい?」
「だっておとうさま、いつもおかあさまにすきだよっていってるから」
「まぁ、エルミーナったら……」
「エルミーナのこともすき?」
「もちろん、大好きだよ」
「じゃあおかあさまとエルミーナ、どっちがいちばんすき?」
「一番か……それは困った質問だな」
エドリックが苦笑すると、エルミーナはむうっと頬を膨らませる。
どうやら、妻であるフローラか娘であるエルミーナ、どちらが一番かをはっきりさせないと納得してくれないらしい。
「……エルミーナ。父上はいつも、嘘を付いてはいけないと言っているだろう?」
「うん」
「母上のこともエルミーナの事も、同じように大好きだからどちらが一番かなんて父上には決められない。どちらかと言うのは簡単だけど、それでは父上が嘘つきになってしまう」
「……うそつきは、だめ」
「そうだね。父上は、エルミーナも母上も同じくらい好きだよ。どちらも同じくらい大切で……それじゃだめかい?」
そう諭すように言えば、エルミーナは首を横に振った。先程までは優劣を付けたがっていたというのに、優劣を付けることは父を嘘つきにすることだと言うことを理解してくれたらしい。
この子供特有の素直さが、可愛らしい。賢く、そして優しい子に育ってくれたと……エドリックは思う。
「エルミーナはね、おとうさまのことだいすき!」
「ありがとう、嬉しいよ」
「でもね、いちばんじゃないの」
「……一番じゃない? では、二番目ということかな? 一番は誰なんだい?」
父親であるエドリックのことを大好きと言ってくれる、可愛い娘。そんな彼女の口から『一番じゃない』と言われてエドリックは少し傷つきつつ、そんな素振りは見せずエルミーナに問いかける。
きっと一番は兄であるエルヴィスだとか、あるいは甘やかしてくれる祖父の名を出すのだろうと、エドリックはそう思ったのだが……違った。
「レオンおじさま!」
「……あ、あぁ。そうか、レオン……」
なぜそこでレオンの名が出てくると、エドリックは驚きながらも唖然とする。その姿を見て、フローラがふふっと笑っていた。
将来的にエミリアとレオンが結婚すれば彼は叔父になるのだからと、結婚前から叔父と呼ばせているものの……一応はまだ他人の幼馴染に娘の心が奪われているのは、ひどく悲しいものだ。
「一応聞くけど……レオン叔父上のどこが好きなんだい?」
まだ三歳にもなっていないが、それでも女の子。見目麗しい男がいいのだろうかと……そう思ったのだが。
「あのね、レオンおじさまがくるときは、いつもおかしをもってきてくれるの!」
「お菓子をくれるから好きってことなのかい?」
「うん!」
……国一番の美男子より、甘い香りの焼菓子ひとつ。所詮、女の子とは言ってもまだまだ子供だ。甘いものさえ与えていれば機嫌が良いのかもしれないと、エドリックはそう思うことにした。
(それにしても……まさかエルミーナがレオンのことをそこまで気に入っていたとは知らなかった)
確かに彼はよく顔を出してくれるし、その度に手土産付きだ。エルミーナは彼の膝の上で、絵本を読んでもらっていたりもする。
国一番のモテ男をそんな風に独占しているなんて、なんて贅沢な娘なんだろうか。
「おとうさまは、レオンおじさまがきらい?」
「えっ!?」
「だっておとうさま、こわいおかおしてるもん」
エルミーナは幼いながらにも、自分の父親が何かに悩んでいることを察していたようだ。こんな小さな子供にまで心配されてしまうほど、エドリックは分かりやすい顔をしていたらしい。
「エルミーナをレオンに取られてしまったと思ったら悔しくてね」
「お父様は、エルミーナの一番じゃなかったのが悲しかったのよ」
フローラもふふっと笑いながらそう言う。だがエルミーナは、そこでエドリックの機嫌を取るように『やっぱりお父様が一番好き!』なんて、そんな事を言う娘ではない。
「おとうさまのこともだいすきだけど、いちばんっていったらうそつきになるからだめなんだよ」
「……そうだね、嘘つきはいけないからね」
『私の娘は本当に賢いな』と、エドリックはそう思いつつ苦笑した。
その日の夜、フローラと二人寝台に潜り込む。今までだってこうして何度も愛を囁いて、心と身体を重ね合った。
結婚して七年。すでに三人の子がいるが、未だ毎晩こうして抱き合っていた。飽きないのかと言われれば、全く飽きない。母となったフローラを女として見ることが出来なくなったなんてそんなこともないし、この時間は夫婦にとってとても大切な時間だ。
「エドリック様……エルミーナと私、どちらが一番好きですか?」
「君までそんなことを言うのか。……君に決まってるだろう」
「まぁ! 昼間はどちらも大切だから一番は決められないと、一番を決めたら嘘になるとそう仰っていたではありませんか」
「それはそうだが……先程の話は、家族としてどちらも同じくらい大切だって話で、今は異性として誰が一番好きかという話だよ。君が求めているのも、異性としての話だろう?」
「……私はいつになっても、あなたの一番でいたいのです」
「フローラ……君は本当に可愛いね。もちろん、君が一番だよ。私には君しかいない」
「……エドリック様、意地悪ですわ」
そう言って拗ねるフローラが可愛すぎて、思わずぎゅうっと抱きしめた。
「私が世界で誰よりも好きなのは君だ。私にこんな気持ちを教えてくれたのは、他でもない君なんだよ。……愛してる、フローラ。一生君の事を離さないから、覚悟していてくれ」
「……私も、一生貴方のお側におります。エドリック様、お慕いしております」
それからどちらからともなく唇を合わせていれば、口づけは徐々に深いものへと変わっていく。初めて抱き合った頃のように、情熱的に……またお互いを求め合う。
夜は長いようで、短い。もっとフローラとこうしていたいと……そう思いながら、エドリックは眠りに就いた。
翌日、仕事を終えて屋敷に戻ってくるとレオンが来ていた。エルミーナが彼の膝の上に座っている姿を見ると、なんだか複雑な気分になるのは……昨日『レオンが一番好き』と言う話を聞いていたから仕方がないだろう。
「おとうさま、おかえりなさい!」
「ただいまエルミーナ。レオン、来ていたのか」
「あぁ、少し時間があったので伯爵の見舞いにな。眠っていた様子だったので、そのまま失礼したが……夕食を食べて行けとイザベラ様が仰って下さったから、お言葉に甘えさせてもらおうとしていたところだ」
「あのね、レオンおじさまにこのごほんよんでもらったの!」
「よかったね」
エドリックは微笑みながらエルミーナの頭を撫でる。エルミーナは『えへへ』と可愛らしく笑った。
……勿論レオンのことは嫌いではないが、どうしても娘に近付く男としては複雑である。彼にそんな気はないのは、わかりきっている事ではあるが。
レオンはエドリックのそんな気持ちも知らず、エルミーナを膝の上に座らせたまま。エルミーナは幼い頃のエミリアによく似ているから、レオンにしても可愛くて仕方がないのだろう。
「おとうさま、おとうさま」
「うん、なんだい?」
「レオンおじさまがいちばんすきなのは、エミリアおばさまなんだって」
「あぁ、そうだろうね」
「エミリアおばさま、いつかえってくるの?」
……妹、エミリアは五年ほど前に出ていったきり音沙汰もない。彼女はレオンの事が好きで好きで仕方がなかった割には、結婚したくないと言って家を飛び出した。
五年前にはまだエルミーナは生まれていない。だから、エルミーナはエミリアに会ったことがない。名前だけは何度も聞いているので、覚えたようではあるが。
「エミリアは……きっと、もうそろそろ帰ってくる頃じゃないかと思うんだけどね」
「そうなの?」
「なんとなく、そう思うんだ」
(……そろそろ帰って来なければ、おじい様の葬儀にエミリアは参加できない……)
祖父は老衰で、もう先は長くない。だが、五年前に……エミリアが家を出る少し前に、夢を見ている。祖父の葬儀と思われる場に、エミリアの姿もあった。彼女は涙を流して、レオンに慰められるように抱き寄せられている……そんな姿を、予知夢に見ていた。
つまり、余命幾ばくかもない祖父の葬儀にエミリアが参加しているということは、近いうちにエミリアは帰って来るということだ。
「エミリアおばさま、はやくかえってくるといいね!」
「そうだね」
エルミーナの無邪気な笑顔を見て、エミリアが帰ってきたら我が家に子供が増えているのを見てびっくりするだろうなと……エドリックはそう思い笑う。
そしてエミリアが戻ってきた時にはきっとエルミーナも喜ぶだろうと想像して、早く彼女に会わせてやりたいとも思った。
「エミリア、お前は一体……今どこで何をしてるんだ? 早く戻ってこい……」
エミリアによく似た娘、エルミーナの頭を撫でながらそうぽつりと呟く……
エミリアが帰ってきたのは、それから一週間後のことだった。