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再会の先へ

 一体何が起こったのか。エドリックが困惑しているうちに、エレンはエドリックのほうに近づいてきてエドリックの腰の剣を抜いた。次の瞬間、自分の胸を背中側から貫いていた剣がフッと消える。

 魔法で生み出した物だったかと思っているうちに、剣と言う栓が無くなった事で胸から血が噴き出すのが分かった。胸へ治癒魔法をかけたいところだが、魔力は制御されていて魔法は使えない。


「油断しましたね、父上」


 エレンはそう言って、エドリックの身体から溢れる血をエドリックの剣に付着させるようにしてから『誰か来てくれ』と声を張り上げた。まずい、そう思っても何もできない。

 胸を押さえるが、血はドクドクと流れていて寒気がしてくる。


「王子、どうしました……これは!?」

「この男が、いきなり刃物を振り回してきて……。もみ合いながら剣を奪ったら、刺してしまった……」


 エレンは人を刺した事に唖然とする少年を演じながら、言う。事実とは違うが、これは事実として処理されてしまうだろう。逃げなければ、王子を暗殺しようとした罪で殺される。そう思っても、身体が動かない。動けない。


「……! エドリック様……?」

「ディアン、か……?」


 それは本当に偶然だった。かつてエドリックがゼグウスに滞在していた時に、魔法を教えたうちの一人。彼には治癒魔法も教えたはずだ。彼は咄嗟にエドリックに治癒魔法をかけてくれた。出血は多かったものの、なんとか一命はとりとめる。


「王子、お怪我はございませんか」

「大丈夫だ。だが、お前……どうしてこの者を助けた? この男は、私を殺そうとした」

「……この方は、かつての師です。エドリック様が理由もなく、王子を殺そうとするなど私には考えられません」

「だが、この男はこの剣で私を殺そうとしたんだぞ!? 助ける必要などなかろう?」

「王子、しかし……」

「そんな事は、しようとしていない。ディアン、私を信じてくれ」

「エドリック様……」

「そうか。お前は王子である私の言葉よりも、師であるその男の言う事を信じると言うのか」

「王子、そうではありません。ですが……」

「もういい。誰か!」


 エレンは更に人を呼べば、エドリックは身体を拘束される事になった。相変わらず魔力は押さえつけられたままで、どうにも抗えない。傷口は塞がったにしても、流れた血が多かったせいで思考もぼんやりとしている。

 そしてエドリックはそのまま気を失うが……ハッと目覚めたとき、真っ先に飛び込んできたのは会いたくて会いたくて堪らなかった……愛しい女性の、フローラの姿だった。

 エドリックはフローラに膝枕をされた状態で目覚め……彼女はエドリックの頬に優しく触れながら眉を下げ、悲しそうな顔をしている。あぁそうか、自分は死んだのかと……エドリックは理解した。

 未来は変えられなかった。きっと、自分が気を失っている間に首を刎ねられたのだろう。そう、ガリレードの予言の通り……エレンに、五人目の子に殺されたのだ。


「フローラ……?」

「エドリック様……」

「……会いたかった、フローラ」

「私もです。ですが、こんな形であなたに会いたくはなかった。あなたにはもっと、長く生きてその生を全うして欲しかった」


 フローラは瞳に涙を溜めて、それがポロポロと頬を伝ってゆく。その涙をエドリックは手を伸ばして拭って……温度のあるフローラに触れたのは十五年ぶりで、自分が死んだ事などもうどうでも良かった。ただただ、フローラが愛しい。

 エドリックは身体を起こして、そのままフローラを抱きしめた。フローラは静かに涙を零しながら、エドリックの背を強く抱き返してくれる。あぁ、この感覚は十五年ぶりだと……


「会えて嬉しいのは私だけかい?」

「そんな事はございませんが、私の気持ちは複雑なのです。ずっと、ずっと……あなたに再び会える日を待っていました。でも、私が死んでから十四年なんて……早すぎます、エドリック様……」

「……エルミーナが少し前に結婚して、孫ができるのが楽しみだったんだ。来年、エルヴィスも結婚する予定だったし、それに……エドガーにもまだまだ教えてやらなければいけない事もあった。エリーゼにいたっては成人も結婚も見届けてあげられなかった。確かに、少し早かったね」


 自分の腕の中で泣いているフローラの背を撫でてやりながら、エドリックはそう言う。フローラは瞳を潤ませながらエドリックの顔を覗き込むから、思わずそのまま口づけた。唇が、やわらかい。


「……でも、もっと老ける前で良かったかもしれない。あまり年老いてからだと、君にこうして触れるのも遠慮してしまいそうだ。一緒に年をとれなかったから、私だけが老いてしまって」

「気にしませんわ。年を重ねたエドリック様も、素敵です。でも、適う事なら私もあなたと一緒に年を重ねたかった……」

「そうだね、フローラ。私も同じ気持ちだよ。君こそ、死ぬのが早すぎた。私を十四年もの間、一人にさせて」

「申し訳ございません。ですが……私、少し嬉しいのです。再婚してくださいと、そう遺書を残しましたのに。ずっと、私との思い出だけを大切にしてくれていて……」


 フローラがエドリックの胸に頬を寄せる。フローラは、亡くなった時の……二十七歳の時のまま。美しいが可愛らしい。愛しくてたまらないと、そう思った。


「エドリック様、ここは天の国です。死者が集い、神々と共に暮らす国。ここにいる私たちは、生きているようでもう生きてはいない。怪我も病も、年を重ねることもありませんが……この天の国に住む死者は、死者全てではありません。神々に認められた者だけです」

「そうなのかい? 天国と地獄と……すべての人間は、死後そのどちらかに行くとされている。天国に来られなかった者は、皆地獄へ行くのかい?」

「いいえ。天の国にも地獄にも、どちらにも行けない人間が大半です。その人たちの魂は、輪廻転生でまた生の国へと戻っていきます。赤ん坊として生まれ変わるのです」

「では、天の国にいる私たちはその輪廻転生の理からは外れるという訳か」

「はい。あなたが天の国へ来た時の『ご褒美』として、私は天の国へ呼ばれあなたをずっと待っていました。あなたが生前徳を積んだ人間でなければ、私はまた生の国へと戻っていたでしょう。ここで再会はできなかった」

「徳を積んだ記憶はないけど……神々に認められたと、そういう訳か」

「はい、そうです。エドリック様、あちらに神殿があるのはわかりますか? あそこに全知全能の神ゼウスが住んでいるのですが、あなたの目が覚めたら連れてくるようにと言われています」


 フローラが振り返った先に、見事な建物が建っているのが見えた。神の住まい。立ち上がって、フローラの手を握る。まだもう少し二人きりで話したい気もするが、これから先の時間は無限なのだろう。焦る必要はない。


「わかった、行こうか」


 フローラの手をつないだまま歩く。だが、この場所は生者たちの世界と空気が違うのか……歩く感覚もなんだかおかしい。不慣れな感覚に戸惑っていれば、フローラはクスクスと微笑んでいた。どうにも気恥ずかしい。

 神殿へ向かう道中、フローラにいろいろと話をしてあげようと思ったのだが彼女は全て知っていた。ずっとこの国で、エドリック達の事を見ていたとそう言う。


「ゼウスの神殿に、生の国の事を見ることができる泉があるのです。私は毎日、そこであなたや子供達の事をずっと見ておりました。子供達も皆無事に立派になってくれて本当に良かったとそう思っています」

「そうだね。皆大きな病を患う事もなく、無事健康に育ってくれたよ。ところで……私の死後、どれくらい時間が経っているんだい?」

「二日です。あなたは首を落とされて、その首は今……塩漬けにされレクトへ運ばれています。……あの王子には、人の心がないのでしょう。あなたの子だと、そう聞いた時には信じられませんでしたが……」

「……そうだよね、君もそのことは知っているよね。すまない、君の預かり知らぬところで子供なんて」

「仕方がないですわ。私たちを守るためだったのですもの。それに、あなたが浮気をしたという訳でもございませんし……」

「……ありがとう。しかし、私の首を国に運ぶと言う事は、本格的に戦になるね。いくら我が国には大陸一と名高いレオンがいるとしても、相手はサタンだ。果たして私が敵わなかったあの王子に、我が国が勝てるのか……」

「あなたの首は、エリーゼへの『贈り物』と……そう言って、グランマージ家に宛てられました。なんて酷い事をするのでしょう。届いた贈り物を見たら、お父様の首だなんて……どうにかエリーゼには見せないようにしたいのですが、ここから生の国へ干渉はできません」


 フローラはそう眉を下げて言う。確かに、父親の首などエリーゼに見せるものではない。きっと箱にでも収められているだろうが、その箱を開け中身を見た途端気を失ってしまうのではないだろうと思う。

 まだレクトに届いていないのであれば、生の国に干渉させてもらうわけにはいかないのかと……それをこの後会うゼウスにお願いしたいところだ。


「……つきましたわ。エドリック様、あの泉が生の国を見ることのできる泉です。ゼウスにお会いする前に、我が家の様子を確認しませんか?」

「そうだね……」


 泉を覗き込んで見たい場所の事を考えれば、泉にその光景が映し出されるのだという。グランマージ家の事を考えれば、その情景が見えてきた。なんて不思議な泉なのかと、感動せずにはいられないが……

 フローラはここで十四年もの間、自分たちの事を一人でずっと見守っていたのかと思うと胸が苦しくなる。

 屋敷の外観が見えればちょうど騎士が一人やってきて、馬番に馬を引き渡す。その騎士は、エルヴィスだった。


「エルヴィスが戻ってきた。勤務中のはずだ」

「もしかして、エドリック様の死がエルヴィスの耳にも入ったのでしょうか」

「だとしたらレオンも一緒に来るような気がしないでもないが……エルヴィスを追おう」


 エルヴィスを追うと、出迎えた執事と話している。執事がエルヴィスを玄関から一番近い応接室へ案内すると、そこには木箱が置かれていた。エドリックは察する。その木箱の中には、自分の首が収められているのだと。

 おそらくは、エドリックがゼグウスへと発った後にエルヴィスが手回しをしていてくれていた。エリーゼ宛に何か届いた時には、まずはエルヴィスに見せるようにと。ゼグウスの王子がサタンだと告げておいてよかったと、そう思う。

 エルヴィスに自分の首を見せるのも可哀想だが、エルヴィスは騎士だ。まだ少女のエリーゼとは違う。エルヴィスが箱に手をかけるのと同時に、エドリックはフローラを抱きしめ彼女の目を塞いだ。


「父上……嘘でしょう。必ず帰ってくると、死なないと約束したではありませんか……。こんな事って、こんな帰宅は望んでいません……!」


 エルヴィスの嘆く声が聞こえる。自分の胸元では、フローラが鼻を啜るようなグズグズと言う音も。エドリックの瞳にも、涙が浮かんでくる。

 エルヴィスは一緒に応接室へ入った執事のほうを振り返った。


「すまない、エルヴィス……」

「……すぐに、陛下と騎士団長に報告してくる。おじい様への報告は任せた。わかっているとは思うが、エリーゼには絶対に見せるな。自分に求婚してきた隣国の王子から『贈り物』があった事は感づかれないようにしてくれ。父上が亡くなった事も、まだおじい様以外誰にも言うな。あとはおじい様の指示に従え」

「エドリック様、エルヴィスは立派になりましたね。外見もそっくりですし、若い頃のあなたを見ているようです。あなたも、年齢よりももっとしっかりとしておりました」

「そうかい? だが、本当に……エルヴィスはしっかりと育ってくれたよ。長男だからと言うのもあると思うが」


 涙声で言うフローラの頭を撫でながら、エドリックはなおもエルヴィスを追おうとするが……おそらく、この後は戦争になるだろう。自分の死がきっかけで、かつてアントニア王女の結婚で作った和平もあっけなく崩れるのだ。

 貴族と言うのはそれだけで国に保護されているし、何より……グランマージ家のエドリックと言う名には、魔術師団長と言う肩書もある。グランマージ家は王家の分家と言う事もある。そんな男を、ゼグウスは一方的に殺した。

 当然、ゼグウスだって戦になるのは理解した上で首を刎ねたのだろう。エドリックが王子の暗殺を企てたと……エレンの言葉のみで、裁判もなく殺されたのだ。


「エドリックよ、目が覚めたか」


 後ろから声が聞こえた。言語は人間のものではなかったが、だが不思議と何と言っているか分かった。フローラとともに声のほうを振り返れば、狼の耳と尾を持つ青年が立っている。


「ゼウス様、主人をお連れしましたわ」

「ゼウス……彼が、神話で全知全能と語られる、ウルフウェンド大陸の始祖……」

「今までご苦労だった。……なぜ、ガリレードの忠告に従わず、サタンが赤子のうちに殺さなかった」

「……自分も人の親です。あの子が自分の子だとかそう言う事は抜きにして、何の罪もない赤子を殺すことはできませんでした」

「人間とはわからぬ。異分子は幼いうちに取り除いておかねば、種を滅亡させるだけだと言うのに」

「……私の死後二日が経っていると聞きました。あの日、私は三日後の彼の朝食として出てくるスープに毒を混ぜた。彼がそれを飲めば、その日のうちには死ぬはずだ。明日、サタンは死ぬ」

「そう上手く行かない。彼はスープに手を付けず、生き長らえる」

「……そうか」

「エドリックよ、私がお主をここへ呼び寄せた理由はわかるか」

「いいえ、見当もつきません。ですが妻を輪廻転生させず、我ら夫婦をこの天の国で再会させてくれた事に感謝しています」

「うむ、そなたは今までよく頑張ったからな。お主の妻をここに留めておいたのはその褒美だ」


 ゼウスはそう言いながら、エドリックのほうへ一歩ずつ近づいてくる。彼の種族である狼人ワーウルフも、すでに絶滅した種と言われていた。生き残っているのは……始祖であるゼウス、ただ一人なのだろう。


「もしもお主が人生をやり直せるとしたら、どこからやり直す?」

「十五年前……魔女にゼグウスへ来いと言われたところです。魔女が魔物達を操ることがわかって……私は魔物が国を襲う夢を見ていたから、その時期を先延ばしにするため魔女の要請に応じてゼグウスへ向かった。

 だが人生をやり直せるのなら、魔女の要請には応じない。もしもそれですぐに魔物達をけしかけられるのなら、王都を襲う魔物達と全力で戦う。そうすればサタンの封印を解く事も『彼』が災いを持って生まれる事もなかった」

「なるほど。だがエドリックよ、それでもお前はサタンの封印を解く」

「……ガリレード」


 奥の間から、そういいながら現れる老エルフ。時の魔術師と呼ばれたあの男……エルフの神であるガリレードだ。自分が、彼のその命を奪った。だが、元々神であるガリレードがこの場にいることは何ら不思議ではない。


「お前の言う通りにやり直したとしても、お前は結局妻子を人質に取られてまた封印を解くし『あの子』は生まれる。お前がやり直すとすれば、この世に生まれ落ちたサタンをすぐに殺す選択肢しかない」

「そうか……。ガリレード、貴方ならわかるだろうか? フローラが命を落とさない選択はあったのか?」

「エドリック様……」

「それはあった。レクトで、お前の家で出産していれば産褥熱は発症していなかった」

「……フローラをレフィーンへ送ってしまったことが失敗だったのか。フローラ、私の選択が誤っていたようで悪かった。そのせいで、君に辛い思いをさせてしまった」

「エドリック様、その事はもう良いのです。あなたを恨んだりはしていません。それに、私が死ななかった選択を考えて下さるなんて、それだけで十分です」

「ゼグウスへ行くと決めた日から人生をやり直しても、それでもサタンが生まれると言うのなら次こそ私は赤子のうちに彼を殺そう。王都を襲う魔物とも戦うし、フローラが死なない道を……二人で年を重ねていける道を歩みたい」

「ではエドリックよ、その道を行くが良い。我とガリレードの力で十五年前に時を戻そう。そしてサタンを討て。サタンを滅ぼすためならば、我々もなんだってする」

「……ゼウス、あなたの力でサタンを滅することはできないのか」

「それができないのだ。それができるのであれば我々も、奴を封印などせずこの世から完全に葬っていた。エドリック、サタンを滅ぼす協力をしてくれるか?」

「フローラと共に生きられるのなら、喜んで」


 エドリックがそう言えば、ゼウスとガリレードは笑みを見せた。そうしてゼウスがゆっくりと手を上げ……彼の胸の高さまで手が上がれば、その手のひらから光が発せられる。

 まぶしい光が辺りを包み、エドリックは目を瞑り……瞳を開けば、見慣れた天井がそこにあった。

 長い長い夢を見ていた感覚。隣には同じように眠りから覚めたばかりのフローラ。まだ寝ぼけた顔のまま『おはようございます』と、そう言っていて……

 フローラが生きている。それだけで涙が溢れた。強く抱きしめれば、フローラは驚いているようだった。


「エドリック様、どうされたのですか」

「フローラ……もう君を放さない。絶対に、絶対にだ」

「エドリック様……でも、今日ゼグウスへ発つのでしょう?」


 十五年前の、ゼグウスへ向かったあの日の朝に戻っているのかと……フローラのその一言でエドリックは察する。フローラはどうやら、この十五年の記憶はないらしい。それとも、本当に自分だけが長い夢を見ていたのだろうか。


「……少し考え直そうと思う」

「エドリック様……」


 魔女の要請に応じても応じなくても、自分はサタンの封印を解くし『彼』を作るための胤も王妃に渡すことになると、ガリレードにはそう言われた。だったら行く必要はない。


「どうして気が変わったのですか? また、何か予知夢を? でも、あなたが行かなければ魔物達が襲ってくると……」

「あぁ、長い長い夢を見ていた。魔物が来るなら私が倒す。だから心配しなくていい」


 エドリックはそう言ってフローラに口づける。この感覚もずいぶんと懐かしい。フローラが亡くなってから十四年の間、彼女の遺体には何度も口づけたが……やはりこのやわらかく暖かい唇が良い。


 ……そうしてエドリックは長い夢とは、前世とは違う道を歩み始める。どうすれば一番良いか、それを自分なりに考えた結果だ。

 まず、ゼグウス王妃の呼びかけには応じるつもりはなかったが再び考え直した。どうせ『魔物達の宴』が再び起こるのであれば、今すぐに魔物をけしかけられるのも得策ではない。

 前世同様ゼグウスへ向かう。だが、フローラには一週間以内に戻ってくるとそう約束した。戻ってくる自信があった。

 ゼグウスでは王妃……魔女と対峙し、彼女と共にサタンが封じられている古の森へ。王妃がサタンを宿していることは、誰も知らない。そのため、護衛もつけずここまでやってきた。馬車は森の入り口で待たせてある。

 前世でも彼女の暗殺を考えたが、王妃の暗殺は即ち即開戦を意味するため思いとどまった。だが今世ではここで王妃を暗殺する。エドリックは、そう決めたのである。

 ここで王妃を暗殺すれば、開戦しても魔物は王都を襲うことはない。サタンも復活しない。五人目の子も生まれない。ガリレードの予言は覆す。未来は変えてみせる。


「さぁ、サタンの封印を解いてもらいましょうか」

「……ガリレード、またあなたを殺す事になってしまって……それはすまないと思っている。だが全て、私に任せてほしい」


 前世同様、ガリレードの命を奪いサタンの封印を解く。時の魔術師としての力を手に入れ、そして……王妃に巣食うサタンが完全体となったその瞬間、時を止めた。

 そうして、サタンを封印していた碑を破壊した魔法と同じ魔法を……今度は王妃の身体に触れて、呪文を唱える。時が止まったままの空間で、モノを内部から破壊させるその魔法を。

 ……そしてその瞬間、時を戻す。王妃は完全に蘇ったサタンを宿したまま、その場に倒れる。目を見開いて、息はしていない。身体を飛び出さないよう制御したが、脳と心臓は破壊されている。少なくとも、王妃は生きているはずがない。


「……これでもう、サタンは死んだか? ゼウスよ、応えてくれ。サタンは完全に滅んだのか?」


 エドリックのその呼びかけに答えるように、森の奥から狼が一匹現れる。その狼がゼウスだと、エドリックにはわかった。

 狼は一歩ずつ姿を変えてゆき、エドリックの真正面に着くころには天の国で見た青年の姿へと変わった。


「サタンは逃げた。だが、ずいぶんと損傷を負ったようだ。まだ遠くへは行っていない」

「追ってとどめを刺します。でなければ、同じことが繰り返される」

「……魂だけの存在は、人間のお主には見えぬ。エドリックよ、我が城で会った時から思っていたが……そなたを『神』に任命しよう。本来であれば神とは各種族の王から任命されるものだが、こと人間においては事情が複雑だ。王が絶対的な善とも限らん」

「神だなんて、私には恐れ多い。『ただの人間』のままで十分です。サタンを追う力だけ与えてほしい。サタンを討って、妻の元へ戻れればそれでいい」

「全く、欲がない。だが、そなたのそんな所が気に入った」


 ゼウスは笑って、そしてエドリックの目を見る。鋭い瞳に見つめられると全てを見抜かされたような錯覚を覚えるが……大陸の始祖であり、全知全能の神であるゼウスには全て見透かされていたって不思議じゃない。

 次の瞬間から、エドリックの世界が変わる。今まで見えなかったものが見えるようになった。精霊と呼ばれるありとあらゆる自然に宿る者たちの姿や、本来目には見えないはずの風の流れすらも手に取るようにわかった。

 サタンが逃げて行った方角も。ゼウスは微笑んでいる。エドリックは頷いた。

 すぐにサタンを追い、森のさらに奥深くへと向かえば……サタンの魂は狼たちに囲まれている。先にゼウスが手を打ってくれていたのだろう。だが、狼たちが手を出せる相手ではない。


「君たち、ありがとう。あれは私の獲物だ。さぁ、もう逃がさない。おとなしくこの世から滅んでもらおうか」


 エドリックは右手を天高く掲げた。精霊たちも、協力してくれる。自分が持っている魔法の中で、一番強力な魔法を使うために意識を集中させる……大きな光が、あたりを包んだ。



◆エピローグ・十五年後


「お姉様、とても綺麗でしたね」

「えぇ、そうねエリーゼ。……エルミーナがこの後の晩餐会で着るドレスはね、お母様がレクトへお嫁に来る時に馬車の中で完成したのよ。レフィーンにいるお母様のお母様……あなたにとってはおばあ様ね。針子をしていたのだけれど、一緒にレクトまで来てくれて。馬車の中でずっと縫っていてね」


 エルミーナが結婚し、式の後……美しく年を重ねた妻と、可愛らしく成長した妻そっくりの娘が話している。

 その様子をエドリックは後ろから見ていたが、それは夢にまで見た幸せな光景だった。フローラが二人いるようで微笑ましいが……思わず瞳が熱くなる。


 あの後、サタンの魂は無事にこの世から滅した。もう蘇る心配はない。ゼグウス王妃が死んだ事でレクトとゼグウスは全面戦争になるところだったが、その日の夜大陸中の民が皆同じ夢を見た。その時間起きていた人間にも、頭の中に声が聞こえたという。

 それはゼウスの信託。神の奇跡と呼んで良いだろう。新たな人間の神がレクト王国に誕生した事を告げる声。

 サタンを追ったあの時、エドリックは神にはならないと断ったが……その夢を大陸の全民が見たことで渋々その肩書きを受け入れる事になる。

 そしてエドリックが神に任命されたことで、両国の全面戦争は回避された。エドリックがレクトの王都に戻った時には、それはすごい騒ぎになったのは言うまでもなく……

 最初はフローラでさえエドリックの事を夫として見てくれなくなりそうだったが、自分は今までと何一つ変わっていないと説得して態度は変えずに接してもらっている。

 今では信徒たちも随分と落ち着いた。当初はどこへ行っても神扱いされたが、それは正した。神であっても一人の人間だとそう言って、普段は一人の夫であり父親であると。魔術師団も今でも団長であるし、相変わらず商売だってしている。

 そんな日々の中で迎えた、愛娘の結婚式の日だった。


「まぁ、エドリック様。珍しく瞳が潤んでいますよ。エルミーナがお嫁に行ってしまうのが寂しいのですか?」

「あぁ、そりゃあ寂しいよ。エリーゼはいつまで私のそばにいてくれるのかな」

「エリーゼはずっと、お父様のおそばにおりますわ」

「でも、いつ良い縁談があるかわからないだろう?」


 思わず熱くなった瞳はエルミーナが結婚した寂しさと、結婚式に感動したから……フローラとエリーゼはそう思っただろうが、そうではない。

 いや、それがない訳でもないが……前回の、長い夢の中ではこのエルミーナの結婚式の日にフローラはいなかった。フローラにもエルミーナの結婚式の日を見せてやれた事が、ここにフローラがいる事が嬉しい。

 くすくすと笑うフローラが、左手を口元に当てている。その左手の薬指に光る指輪は、以前とは異なる形。それはレフィーンの金事業が上手く行った後、結婚十五年目の記念で作り直したものだ。


(あぁ、君が隣で笑ってくれているだけで……私は幸せだ)


 エドリックはそう思う。そんなエドリックの隣にフローラは立って、いつものようにエドリックの腕をとった。そんなフローラの頬を優しく撫でる。


「父上と母上は、いつも仲睦まじくて憧れの夫婦だと姉上が言っていましたよ」

「お前はまだ先の話だが……結婚したら、妻を大切にしろ。夫婦円満の秘訣は、妻がいつでも笑顔でいてくれる事だよ」


 エドガーが笑いながら言うから、エドリックも笑いながらそう言う。

 結婚式の会場である大聖堂を後にするエドリック達の頭上には、平和の象徴である白い鳩が羽ばたいていた。

これにてエドリックとフローラのお話は完結となります!

フローラの物語である「嫌われ公女~」のあとがきで、本編であるカルテット・サーガの内容を捻じ曲げる訳には……とお話したのですが、やはりどうしてもエドフロにハッピーエンドを用意したくなり……

一旦はカルサガ本編の内容を通ったし、カルサガのエピローグよりも後の話って事でいいよね! と、こんな結末になりました。


エドリックがゼグウスに行ってから彼の人生は辛すぎるので、救いを持たせてあげたかったと言うのももちろん本音です。カルサガ本編では主人公ではないエドリックなので、本編では特に語る事のなかった「ゼグウスへ行って何があったか」など、書けて良かったですね。

(本作と「嫌われ公女」を書くに当たっていくつかの後付け設定などもありますが、ゼグウスで何をしていたかと言うのは後付け設定ではありません。カルサガ執筆当初より、私の脳内にはしっかり設定があったのです)


この流れも最初は、エドリックは過去に戻った後で五人目の子に関して生まれた直後に殺すような展開も考えていたのですが、やはり主人公だし赤ん坊を殺すなんてダメだよなぁと言う事で。

そもそもフローラの兄を見殺しにしてる時点でだいぶ主人公らしくないのですが。笑

死神時代のエドリックは、フローラに絆されるまで冷徹な人間だったのでまだその片鱗が残っていたのでしょう。

王妃はサタンに命を与えられていただけで本来死人な訳ですし、完全に悪として描いたのでいいかなと。


さて、エドリックは神となったのですが『フローラと共に年を重ねていきたい』と言うのが彼の望みなので、不老不死などは授かっていません。

エピローグも普通に十五歳年を取ってのお話になります。年老いて今度は寿命で亡くなるまで、エドフロ夫妻はいつまでも仲良く幸せに過ごしたはずです。

エドリックが亡くなって「人」としての生を終えた後は、「神」として天の国でゼウスらと共に大陸を見守り続ける事でしょう。

その傍らには、優しく微笑んだフローラがいつまでもいてくれるはずです。


ここまでお読み頂き、ありがとうございました!

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