エリーゼへの求婚
フローラが亡くなってから十四年が経った。すでに子供たちは末子のエリーゼを除き皆成人し、エルミーナにいたってはすでに結婚しており屋敷にはいない。
エドリックの髪を結うのはずっとエルミーナの仕事だったが、それを今はエリーゼが引き継いでくれている。エリーゼは年頃の娘へと成長したが、生前のフローラの生き写しと言っても過言ではない程可愛らしく成長していた。
外見だけではなく声も、話し方もフローラそっくりで……フローラが生きていたら、フローラが二人いるようでさぞ微笑ましかったかもしれない。
そんなある日の事、仕事を終え帰宅したエドリックにエリーゼが声をかける。彼女は頬を赤くしていた。
「お父様、今日このお手紙が届いたのですが」
「手紙? 見ても良いかい?」
「はい。それがその、私へ縁談の手紙で……」
「縁談だって?」
それを聞いて、エドリックは急いで封筒を開く。封蝋の紋を見るのを忘れたくらいには動揺してしまっていただろう。
確かに、エリーゼももう十四歳で縁談の一つや二つあったっておかしくはない。だが大切に大切に育ててきた娘である。相応の家でなければ認めるわけにはいかない。
「……ゼグウスの、王弟殿下からなのです」
「!」
エリーゼのその言葉に、エドリックは封蝋の紋を確認した。ゼグウスの国王は現在、十五年ほど前にアントニア王女が嫁いだルイスが務めている。その弟……すなわちそれは、実際には王室の血など引いてもいない『彼』に他ならない。
「エレンゾール・アーム・フォン・ゼグウス……」
「なぜその様な方から私に縁談が来るのでしょう? お会いしたこともなければ、ゼグウスとは現在関係が良好とは言え我が家は政略結婚の相手にちょうど良い家柄でもないでしょうし……」
「この縁談だけは、絶対にダメだ」
「お父様……?」
これが、『彼』がサタンの申し子でなければ……自分の血を分けた子でなければ、身に余る光栄なのだから受けなさいと勧めたことだろう。だが『彼』だけは絶対にダメだ。それにそろそろ、期限も近い。
彼が成人する前には殺さねばと……その使命を忘れている訳ではない。どうしても多忙で、しかも用もなくゼグウスまで向かうことができなかっただけ。
「ちょうどいい機会だ。一度ゼグウスに行きたいと思っていたところだし、父上が直接王弟殿下と話をして断ってこよう」
なぜこの縁談を頑なに断るのか、エリーゼ本人にはもちろん伝えられない。だからこそエリーゼは困惑した表情。きっと本人としては、ゼグウスの王室に入るなんて名誉なことだからと、エドリックがこの縁談を承諾すると思っていたのだろう。
「父上、なぜこの縁談を断るのですか? こんな縁談、二度とない良縁です」
一緒に城から戻ってきて、隣で話を聞いていたエルヴィスが首を傾げる。……死ぬつもりはないがガリレードの『予言』がある以上、自分は本当にゼグウスで死ぬかもしれない。エルヴィスには真実を告げておいたほうが良いだろうと、そう判断した。
「……どうしても許すわけにはいかない理由がある。エルヴィス、お前には話そう。レオンにも話したいから、明日騎士団に出向くよ」
「わかりました」
エルヴィスは、本当は魔術師団に入ってほしかったが彼は彼で騎士に……レオンに憧れを抱いており騎士団へ入団した。魔法を扱う素質は非常に高いので勿体ないが、将来的には魔術師団への移籍をすることを前提に騎士団に預けた格好である。
「とりあえず、ゼグウスへは手紙を書く。手紙じゃ納得してくれないだろうから、追って私がゼグウスへ行く」
「お父様……」
不安げな顔をするエリーゼの頭を撫でて、それから皆で食堂へ向かう。夕食をとり、その後入浴をしてからエドリックはゼグウス宛に縁談を断る手紙を書いた。
なぜ、彼が突然エリーゼに求婚してきたかはわからない。なぜ、エリーゼなのか。同じ年頃の令嬢はごまんといる。ゼグウス国内にだって、もっと良い相手はいるだろう。それがなぜ、わざわざ隣国の伯爵家の娘なのか。
きっと彼本人はこの縁談を断られるとは思っていない。エルヴィスが言ったように、この縁談は……本来であれば貴族としてはこの上ない良縁なのだから。
翌日、エドリックは……副団長とは言わないが、エドリックの補佐として魔術師団に出入りをしているエミリアへ今日の指示を出してから騎士団へ向かう。レオンはレオンで多忙だが、少しくらい話す時間はとってくれるだろう。
大事な話があると騎士団長室へ行きエドリックはレオンと、そしてエルヴィスと向かい合った。レオンの従者が紅茶を出してくれたが、彼にはそこで一旦退室してもらう。
「話とはなんだ?」
「……昨日、ゼグウスの王弟よりエリーゼに求婚の手紙が届いてね」
「王弟……? もしや『あの』王子か?」
「叔父上、知っているのですか」
「エルヴィス、お前も記憶にあるだろう。お前の母上が亡くなった頃、魔物たちが大陸中で暴れまわった事があった」
「はい。父上がその予知夢を見ていたから……だから母上達はレフィーンに逃れていたんですよね?」
「そうだ。だが、真実は少し違う」
「……違うと言うと、どういう事ですか」
「真実を知る数名の者の中では、あの出来事のことを『魔物達の宴』とそう呼んでいる。あれは……魔物達の王であるサタン復活を、魔物達が喜び暴れまわっていた」
「魔物達の、王……?」
「エルヴィス、ここから先の話は誰にも言ってはいけないよ。魔物という存在は、神を追放されたサタンが生み出したものだ。そして、サタンは『魔物達の宴』の前年に封印から解放されている。……私が封印を解いたんだ」
「父上が……? なぜ、どうしてそのような事を」
「お前たちを、家族を守るためだった。サタンの魂は当時のゼグウス王妃に憑依していたのだが、私はあの時彼女に呼ばれた。サタンの封印を完全に解くために。封印を解かねば母上やお前たちを魔物に食わせるとそう脅された」
「……そんな。では、私たちを守るために父上は……」
「あぁ。そうして復活したサタンは、王妃に子を身籠らせた。男児が生まれるように命を操作したのだろう。それすらもきっと、サタンには容易い事で……そしてサタンは、今度は自分の魂を生まれた男児の身体に憑依させたんだ」
「それが、エリーゼに求婚してきた王弟殿下という事ですか?」
「そうだ。彼はサタンだ。そんな危険な男に嫁がせるわけにはいかない」
エドリックはそこまで言って出された紅茶を一口含む。それから一息ついて、さらに口を開いた。
正直、ここまでの話ならエリーゼにだってしてもいい。彼女は初めて来た縁談が隣国の王子からで少し浮かれているように見えたが、この話をすればきっと危険な人物なので近寄ってはダメだと判断もしてくれるだろう。
だがここから先の話は、多くの人にはできるだけ知られたくない。だからこそ、信頼のおけるレオンとエルヴィスにだけ伝えるのだ。
「それともう一つ、この縁談を絶対に断らねばならない理由がある」
「うん? 彼がサタンだからと、それ以外にも理由があるのか?」
レオンも、ここから先の話は初めて聞く話となる。彼も紅茶を一口飲んで、疑問符を浮かべるような顔を見せた。
「彼の父親だが……実は彼は、前国王の子ではない」
「なんだって? では、ゼグウスの王子として育ちながら、王家の血を引いていないという事か? 父親は……魔物のように、サタンが無から生み出した子なのか?」
「そうではないんだ、レオン。二人とも、この話は……本当に内密にしてくれ。彼の父親が誰なのか、その真実を知るのはこの世で私一人なんだ」
「わかりました、父上。絶対に口外しません」
「彼の本当の父親は……私なんだ」
「なんだって……」
「父上が、ゼグウス王弟殿下の父親……? どうしてそうなるのですか」
「一つだけ先に断っておくと……当時の王妃、彼の母親と交わったわけではない。それだけは、初めに弁明しておく。フローラを裏切るようなことはしていない。胤だけくれてやった」
「なぜ、そんなことに?」
「彼女が、サタンが望んだ。我々グランマージ家の男子が持つ魔力はガリレードの物。サタンはその力を欲した」
「復活したサタンに、ガリレードの魔力……。危険すぎる。そうかエド、お前が予言されていた五人の子というのは……」
「そうだ、彼を含めて五人。予言の通りだ」
「予言?」
「お前は知らなかったな、エルヴィス。父上は過去、子供は五人だとそう……ガリレードに予言をされていてね。だからこそ、あの時ゼグウスへ行っても帰ってこられるとそう自信を持って言えたんだ。あの時フローラは四人目の子を、エリーゼを身籠っていたが……あと一人子ができると、そう言われていたから。同時に五人目の子が災いを持って生まれると、そう言われていたし子供は四人までにしようとは思っていたんだけどね」
「と、言うことは……全くの他人として育ちながら、彼は私にとってもエリーゼにとっても異母弟だと……そういう事なんですね」
「そうだ。だからこそ、絶対に結婚なんてさせる訳にはいかない。そして、これは彼を暗殺する絶好の機会だ。私はカタをつけてくるよ。ゼグウスに行って、彼を殺す。それが悪魔をこの世に生み出してしまった私の、せめてもの罪滅ぼしだ」
「父上……」
「エド……」
彼が成人する前に暗殺するのは、きっとこれが最初で最後の機会になる。ガリレードの予言通りにいけば自分は首を刎ねられる事になるが、その未来は自力で変えてみせる。
自分には『時を止められる』と言う力だってある。そうおいおいと死ぬわけがない。
「断りの手紙はすでに今朝執事に渡しておいたが二、三日以内にゼグウスへ行ってくるよ。そして、ここからが本題なんだが」
「……今のが本題ではなかったのか?」
「あぁ。生きて帰ってくるつもりだが、万が一と言う事もあるからね。ガリレードの予言では、私は五人目の子に首を刎ねられると言う事になっている」
「なんだって……!」
「では父上、ゼグウスに行けば死ぬことに……」
「わざわざ殺されには行かないよ。未来は変えてやる。ガリレードの予言は、変えることができるはずだ。だが、万一私が死んだら……その時の事を考えて先ほどの話をした」
「お前がゼグウスで殺されれば、きっと戦になるだろう。そして、戦を収めるためにはエリーゼをゼグウスに差し出せと言う話になる。それを何があっても阻止してくれと、そういう事だな?」
「あぁ。エリーゼだって自分の父親を殺した悪魔の元へは嫁ぎたくないと言ってくれるだろうが、何より半分血の繋がった姉弟なんだ。貴族の結婚は、家や国が決めれば花嫁になる娘の意志なんて関係ないからね。何があっても、道徳的にも許される結婚ではない以上……私に万一のことがあった時には、エリーゼの事を頼んだ」
「わかりましたが……父上、必ず帰ってきてください」
「あぁ、必ず帰ってくる。エリーゼが成人するのを見守らずには死ねないよ。それにエルミーナも結婚したから、孫も楽しみだし。エルヴィス、お前の結婚だって来年に控えている」
「だがエド、お前が王子を暗殺しても……それはそれで国際問題だろう。それについてはどうするつもりだ?」
「もちろん、下手人が私だと疑われないようにするよ。むこうの使用人には悪いが、犯人を別に仕立てさせてもらおう。お茶に毒を入れたとか、そういう方向で。嘘をつかないのは私の信条だが、今回ばかりは仕方がない」
レオンとエルヴィスにその話をして、それから二日後……エドリックはゼグウスに向かうために王都を出た。が、先に向かったのはゼグウスとは正反対の方向。死ぬつもりはないが、ガリレードの予言の通り……最期になるかもしれない。
そのため、領地にいるフローラにも別れを告げておこうとそう思ったのだ。
グラムの森へ向かう道中、レオンが領主を務めるエクスタード領を通る。エクスタード領第三の都市である、大きな街・モンブール市へ立ち寄った。
いつも領地へ行くときにはこの街へ寄ることにしている。休憩地点としてちょうど良い場所にあるし、現在この街にはかつてレオンの従者を務めていたアレクがレオンの妹・アリアと共に住んでいるのだ。
彼はアリアと結婚した後、アリアが孤児院を運営すると言い出した事でモンブールに移住し、夫婦で孤児院を運営している。彼らの子も二人いるが、孤児と実子を分け隔てることなく面倒を見ているようだ。
「やあ、アレク君」
「エドリック様。これから領地へ?」
「あぁ、そのついでで立ち寄った。君にも用があって」
「俺に? 何の御用でしょうか」
「君が元狩人と見込んで話がある。私がグラムの森へ行って戻ってくるまでの間……おそらくは明日の夕方くらいになると思うが、毒を用意しておいてほしい」
「……毒、ですか? いったい何に……」
「その毒を使って人を殺めようとしている。そう言えば君はいい顔をしないだろうが……人類の平和のためだ。領地へ行った後、ゼグウスへ向かいサタンを暗殺する。そのために、毒が欲しい」
「……ついに、その時が来たのですね。確かに、人を殺めるために毒を用意はしたくないです。ですが、相手がサタンとなれば……話は別です」
「そう言ってくれると思ったよ、ありがとう。汚れ仕事は私が請け負うから、君は何も気にしなくていい。この暗殺が成功すれば、やっと……あの時フローラを迎えに行けなかった事も許されるような気がするんだ」
「エドリック様……」
「では、頼むよ。できればなんだが、猛毒だが遅効性のものが良い。お茶に混ぜても味が変わらないような無味無臭のもので」
「わかりました。少し難しい要望ですが、明日の夕方までに必ず準備します」
「あぁ、ありがとう。では、少し休憩してから領地へ向かうよ」
「では、昼食はぜひうちで召し上がっていきませんか。もうそろそろ準備を始めるところですから、エドリック様の分も用意しますよ。グランマージ家で出る食事と比べてしまうと、非常に簡素な食事でしょうが」
「ありがとう。ではお言葉に甘えさせていただくよ」
エドリックがそういえば、アレクに客間へと案内される。客間の窓からは、外で元気に遊ぶ子供たちの姿が見えた。
これから自分がやろうとしていることは……愛情はないとは言え、生物学的には自分の子の殺害。人を殺めることはもちろん許される事ではないし、それが親族となればなおの事。
だが、彼らのような未来のある少年少女たちのため。いや、それだけではない。大陸の人間すべての命の手綱を握っていると言っても過言ではないかもしれない。
彼がサタンの力に目覚めれば、大陸が混沌と化してしまう。皆魔物達に襲われ、食われ、あるいは人間は魔物達の奴隷になってしまうかもしれない。それを避けなくては。
『魔物達の宴』の際には、図らずしてエドリックは英雄と言われた。だが、それは人から見れば自分の株を上げるための自作自演のようにしか見えない。あの時だって多数の犠牲が出たのだ。これ以上の犠牲は避けねばならない。
それがサタンの封印を解き、家族を守るためだけにそれ以上の大きな犠牲を生んでしまった自分の成す事だと……外で遊ぶ子供たちの姿を見て、エドリックはそう思う。
今の自分があの時の選択を再度迫られたとしても、フローラと子供達を守る決断をしただろう。だからあの時の選択に後悔はない。それ以上にゼグウスに行ったことを後悔しているのだが……だからこそ、今ここにいる。
少しの間子供たちの姿を見ていれば食事ができたようで部屋へ運んでくれた。アレクが先ほど言ったように、貴族の家の食卓で出るような豪華なものではなく質素なものではあるが……ここが孤児院と言う事を考えれば十分に豪華な食事と言って良いのではないだろうか。
エクスタード家当主の妹夫婦が運営し、エクスタード家が直接出資をしているだけのことはあると……少し味の薄い昼食を食べながらエドリックはそう思う。
出された食事をしっかりと完食した後、エドリックは街を後にしてグラムの森へと向かった。
グラムの森についたのは、日が傾き始めた頃だった。フローラの遺体をグラムの森に運んで以降、月に一度は訪れているからエルフの里へと向かう道順も慣れたもの。
ほかの人間では目印となる木を覚えておくのも一苦労かもしれないが、エドリックにとっては何かを覚える事は容易すぎる。迷うことなくエルフの里がある場所までたどり着いて、外界と里とを隔てる……ただの人間には目に見えない結界を超えた。
まずは里の皆や長老に挨拶をして、それからフローラの元へ。十四年もの間氷漬けにしてしまっていて見る度可哀想に思えてしまうが、折角なのだからこの美しいままで保管したい。それは、エドリックの我儘にすぎないのだが……
エドリックが死んだら、その時はフローラのこの氷漬けも解いてエドリックと一緒に埋葬してほしいと……それはエルヴィスに頼んである。エルヴィスが成人し、初めて彼をこの森へ連れてきてフローラの遺体と対面させたときの話だ。
「フローラ……夫が誰かを暗殺なんて、そんなの君も嫌だろうけど……どうか許してほしい。この暗殺が成功しても失敗しても、天の国で君に会えるだろう。だから私は……君に会う事を楽しみにして再びゼグウスへ行くよ」
氷漬けを解いて、眠るフローラへ語り掛ける。フローラは二十七歳で亡くなってその当時のままの姿だが、自分はもう四十三歳だ。すっかり『おじさん』と言う年齢になってしまったし、外見にも渋みが出てしまっただろう。一歳しか違わなかった年の差は、十六歳になってしまった。
天の国で再会できたら、まずは抱きしめたい。だが、十六歳も年の差ができてしまってはフローラに嫌がられないだろうかと少しばかり心配である。天国と言うところでは永遠の命が与えられて、病もなく身体の変化もない。亡くなった時のままの姿だとそう思っている。
「私も二十八歳の頃に戻りたいな。そうすれば、君と恋人のようにしていたって不自然でないし。今のこの姿では、若く美しいまま亡くなった君にはつり合わない。でも、それでも……結婚してから二十年以上、ずっと君だけを想ってきたんだ。君がいなくなってからも、ずっとずっと……。だから嫌がらないでくれよ? 嫌がられたら、すごく悲しい」
苦笑いをしながら、フローラの髪を掬っては落とす……サラサラの銀色の髪が、手燭の光に反射してそれはとても美しい光景だ。今にも目覚めてくれそうな、生前のあの日のままの美しい妻。何度見ても愛しくて、なぜ目覚めてくれないのかと……そう、思ってしまう。
なぜ人には、生あるものには死が訪れるのか。フローラの死後、そんな哲学的なことを考えてしまう夜もあった。だがそれもきっと、もうすぐに終わるのだろう。自分が死ぬのか生きるのかはわからない。どちらにせよもうすぐフローラに会える。
彼女を再び抱きしめる事だけが、今の望み。もちろん死ぬのなら、子供達の事がいろいろと心残りにはなるから今ではないと……そう、思っているが。
その日はエルフの里に一泊し翌日、フローラに別れを告げ森を出てゼグウスへ向かう。もちろん、道中モンブールに寄ってアレクから毒を受け取ることも忘れずに。
渡された小瓶の中にはほんの少しばかりの液体。アレク曰く、猛毒のため飲み物に混ぜるのであればほんの数滴で良い。飲食物に混ぜると味はしてしまうかもしれないが、使用量が少ないので人間が敏感に感じ取れるほどの変化ではないはずとのことである。
接種後半日程度で身体がだるくなっていき、次第に眠ってしまえばもう二度と目を覚まさないだろうと言う事だった。エドリックはアレクに礼を言ってゼグウスへ向かった。
「レクト王国、グランマージ伯爵家の長男でエドリックと申します。王弟殿下に、お目通りを」
ゼグウスへ着いた後は、そう言って城へ。事前に手紙を出しておいたのも良かったのかもしれない、すんなりと城の中へ入れてもらうことができた。応接室へ通されて、しばらく待つように言われる。
エドリックが外の景色を眺めれば懐かしいと……そう思っていたところ、扉が開く。入ってきたのは王子ではなく、一人の女性だった。
「エドリック、久しぶりね」
「……アントニア王女殿下。いえ、今はゼグウス王妃殿下と申し上げたほうが良いですね」
現れたのは、かつてレクト王国の王女としてこの国に嫁いだアントニア。彼女は今では立派にこの国の王妃を務めている。子供も三人産んで、母親でもあるようだ。
「聞いているわ。義弟があなたのお嬢さんに求婚したと言う事も、あなたがそれを断る手紙を出してきたことも。今日は直接、断りに来たのでしょう?」
「えぇ、その通りです」
「どうして断るのかしら。良い結婚だと思うけれど」
「貴女の父上は、和平のために泣く泣く貴女を他国へと送り出した。今は貴女のその犠牲のお陰で我が国とゼグウスは友好的な関係です。私にはあなたの父上のように、大切な娘をわざわざ他国へ嫁にやる必要はないのですよ」
「あなたの奥様も、他国からレクトへと嫁いできたんじゃなかったかしら?」
「それはむこうにも、利があると判断したからでしょう。何しろ我が家は、レクト王家の分家であり魔術の父が当主であった家で……魔法具なども、販売していますしね。繋がって損はない」
「それを言ったら、ゼグウス王家と繋がるのはグラマージ家にとっても利になるのではなくて?」
「確かに、大陸中央に構える両国の血を引く家系となれば、周囲の貴族達へも威厳を示せます。しかし、私も父も権力には興味はないのです。ですから可愛い末娘を、遠くへ嫁がせたくない」
「……確かに、あなたもおじ様も、権力には興味のない人だったわ。興味があるのは商売の事ね」
「えぇ、権力がいくらあっても人間は裏切る可能性があります。ですが、金は裏切りませんからね」
エドリックはアントニアにそう言う。彼女はわかったわとそう言って、控えていた侍女の一人に『義弟を呼んできてちょうだい』とそう言った。侍女が部屋を出るのに合わせ、エドリックは小さな小さな使い魔を使役して意識は侍女の後を追う……彼の部屋の位置を確かめるのが、目的だった。
侍女がある部屋の前で、王子を呼ぶ。部屋の位置を、そして王子が部屋を出てきたのを確認した上で使い魔を消す。グランマージ家の魔力を持っているのだ、使い魔を感づかれては困るとそう判断した。
「失礼します、義姉上。お呼びでしょうか」
「エレン、あなたにお客様よ。先日求婚して、お断りを受けたお嬢さんのお父様が……レクトから遠路はるばるいらしているわ」
扉が開く。十四年ぶりに見る、血を分けた息子。彼は母親に似たのだろう、女性的な顔立ちをしておりエドリックには似ていない。正直安心した。これがエドリックに瓜二つだったら、関係を疑われる可能性だってあった。
だが、髪色はエドリックと同様の鮮やかな青髪で……これは確かに自分の血を引いていると、そう感じるには十分だ。それと生まれ持った潜在的な魔力も、彼からは十分に感じる。年齢の割に背が高いのも、エドリックに似たのかもしれない。エドリックも、平均的な男性より背は高い。
「あなたが、エリーゼ嬢の御父上ですか?」
「えぇ、エレンゾール王弟殿下。エドリックと申します」
「エレン、エドリックは……あなたが生まれたときにこの国にいたのよ。あなたは赤ん坊だったから覚えていないでしょうけれど、当時は我が国に魔術師団を作るための指南役としてレクトから来ていただいていて」
「……そうだったのですか」
「えぇ、殿下。赤ん坊だったあなたから娘に求婚の手紙が来て、私はずいぶん驚きました。良縁だとは思いますが、お断りさせて頂くために本日は参りまして」
「すでに手紙は拝見しております。なぜ断られるのか……私の甥であれば、王太子からであれば受け入れていたのでしょうか?」
「先ほど王妃にも話したところですが、我が家は権力には興味がないのですよ。王位継承順一位の王太子殿下からの求婚だったとしても断っていたでしょう」
エドリックはそう言いながら、にこりと微笑む。と、同時に……時を駆けた。絶対に行くはずのないと思っていた未来へ、時を進め同時に、時を止めた。エドリックが向かったのは三日後の朝食にちょうど良いと思われる時間。この部屋には誰もいなかった。ちょうど良い。
時を止めたまま部屋を出て、エレンの部屋へ向かう。思った通り朝食が用意されていたところで、それを見て毒の入った小瓶を取り出し……スープへと毒を数滴垂らす。
その場にいた執事の胸ポケットに毒の入った瓶は入れておいた。ごめんねと、そう思いながら。
先ほどの部屋へ戻り、元居た場所に立って時を戻せば……あとはなんて事はない。結婚は断るとその理由を説明して、国へ戻れば良いだけ。彼が毒で死ぬ頃には、自分はもうレクトに帰っている。
ガリレードの予言が何だったのかと思ってしまうほど、あっけない仕事。そのうえで、これで彼が死んだところで……こんなに姑息な手でサタンを葬って神になれるのかも疑問が残るのだが。
「義姉上、席を外していただいても? 卿と二人で話をさせて頂きたい」
「えぇ、わかりました。ではエドリック、また」
「はい、王妃」
アントニアと彼女の侍女らが退室する。エレンは先ほどまでアントニアが座っていた席、エドリックの正面に腰掛けた。それを見てエドリックも椅子に腰を掛け直す。
彼の分の茶だけアントニアの侍女が用意をしてから退席したが、案の定……サタンを宿し神の力を持つエレンの思考を読むことはできない。いざというときには思考を読み、読んだ思考から武器を作って戦ってきただけに思考の読めない相手との対話はしたくない。
人間とは、本来皆がこんな状況で会話をしているのかと思うと、自分はいかに恵まれていたのかとエドリックは改めて思った。
「では王弟殿下、私があなたから娘への求婚をお断りする理由ですが」
「それはどうでも良いです。すでに手紙も頂いていますし、断られるのもわかっていた事ですから。ねぇ、父上?」
ゾクリとした。彼は、自分の出生を知っていたのだ。彼の身体に巣食うサタンが、彼にその出生の秘密を教えていたのだろう。と、言う事は……彼は自分がサタンだと言う事も理解しているのかもしれない。
思考が読めなくて、その辺りの事情がわからない。どう出るべきか、どう出るのが正しいのか。
「何を……」
「自分の娘と、自分の息子は結婚させられませんよね? いくら母親が違うとは言え、エリーゼ嬢は私の姉。そうでしょう?」
「……知っていて、なぜわざわざ求婚してきた?」
「あなたに会ってみたかった。本当の父親に。私がエリーゼ嬢に求婚すれば、あなたは私を殺しに来ると……そう踏んでいたんです」
「殺すとは、ずいぶんと物騒な発想だ。私は穏健派だよ」
「それでも私の事を殺さねばならないでしょう? それがあなたの亡き妻に報いる方法であり、人間達のためでもある。だが、もう遅い」
「……!」
しまったと、そう思った時には確かにもう遅かった。息子に自分の魔力が抑え込まれるなんて事は思いもしなかったが……魔法が使えないのだ。
彼は自分の出生を知っているだけあって、魔法の使い方も心得ていたようだ。そして、その魔力が強い。エドリックの魔力が抑え込まれて、抗えないなんて事は今までになかった。
自分の魔力が世界一だと、そう奢っていた……。魔力が抑え込まれている以上、時を止める事もできない。冷汗が額に滲む。
だが、それでもあくまで穏やかに話し合おうと思った。それでこの場さえ凌いでしまえば、彼は三日後眠るように死ぬのだ。そのはずなのだ。
「……お前は何がしたいんだ、エレン」
「父上が私を殺そうとするのなら、父上を殺すまで。殺られる前に殺るとはよく言ったものですよ」
「殺す気はないと言ったら?」
「それは嘘ですね。あなたは私を殺そうとしてここまで来たはずだ。その気がなければ、求婚の断りは手紙だけでいい。当時赤ん坊だった私を殺せなかったから、成人前に殺したかったのでしょう? その機会を作ってあげたんです。父上のほうが強いのなら、神の座はあなたに譲ろうと。でも、私のほうが父上よりも強いようだ」
彼の目は本気だ。まだ成人もしていない十四歳の少年に力比べで負けているなどエドリックの自尊心が泣いているが……だがそれでも、まだ負けたわけではない。
魔力で敵わないのなら、この場を切り抜ける方法はもう力で抗うしかない。エドリックは立ち上がり、今まで飾りにしか思っていなかった腰の剣に手を添える。エレンはそれを見ても動じることはなかった。
「剣を抜くおつもりで?」
「確かに私は、お前を殺したい。大陸中の人間達のため、何より死を看取れなかった妻に顔を向けるために。だが今日、直接手を下そうと思って来たわけではない。今日のところは帰らせてくれれば、剣を抜きはしない」
「優位なのは私のほうですよ、父上。まぁ良いでしょう、魔力で私に敵わない事があなたにも分かったみたいですし。どうぞ、お帰り下さい」
何か裏があるだろうと、そうは思いながらも一旦はこの場を切り抜けたことに安堵する。剣から手を放し、エレンを睨みつけるようにしながらエドリックは足を動かした。
だがその時、エドリックは膝をつく。一体何が起こったのかわからなかったが、息が苦しい。視線を落とせば、赤く染まった細長い刃物が自分の胸を貫通しているのが見える。
エレンのほうを見れば……彼は口元に笑みを浮かべていた。