フローラの手紙
レクトに戻ったエドリックだったが、やる事は山積みだった。いくら謹慎中とは言え、魔術師団の様子は確認しなければならないし、子供達の事もそうだがフローラの遺品整理だって……
そんな中、エドリックの元を一人の少女が訪ねてきた。レオンの妹で、フローラの最期を看取ったアリアだ。
彼女の存在は当然知っていたし、フローラが彼女に淑女教育を行っていたと言う縁もあるが……直接話すのはこれが初めてだった。彼女は恋仲であるアレクを侍従として連れ、グランマージ家にやってきてはフローラから預かった物があるとそう言った。
「フローラから預かった物?」
「はい、こちらのお手紙です。フローラ様の遺書と言えば良いでしょうか……。フローラ様は身体を起こすことが難しく、筆も握れない状態でしたから私が代筆した物ですけれど……」
そう言って取り出した、五通の封筒。その数を見て、エドリックと子供達それぞれに当てたものだと察しが付く。アリアはまず、その中の一通をエドリックの方へ差し出した。
「これがエドリック様に宛てたものです」
「……今読みたいところだけど、中を見たら泣いてしまうかもしれない。そんな姿、君達の前では見せられないから後で読むよ。後の四通は子供たちに、かい?」
「仰る通りです。お子様たちが成人する時に渡してほしいと……フローラ様はそう仰っていました」
封筒にはそれぞれ宛名が書かれている。エドリックはそれを受け取り……じっと封筒を見つめた。
封筒にはしっかりと蝋で封がされている。開けるなと、そう言う事だろう。
「……私が事前に中身を確認する事は?」
「エドリック様に宛てた手紙の中に、それぞれのお子様達への想いは書かれています。開けて確認する必要はないかと……それでもどうしても確認されたいのであれば、封は切らずにエドリック様のお力での私の過去を……この遺書の代筆を頼まれた日の事をご確認下さい」
「……わかった。ありがとう、アリア嬢。君はフローラが産褥熱で臥せってから、献身的に看護してくれていたと聞いている」
「……ですが、結局は助けられませんでした」
「無理もない。産褥熱は原因不明で治療方法もなく死亡率も高い病だ。仕方がないよ」
「フローラ様はずっと、エドリック様にお会いしたいとそう仰られていて……最期の言葉も、『エドリック様、お会いしたかった』と……」
アリアは知らない。その言葉は、再会したエドリックに会えた感動から出た言葉だと。最期に一目会いたかったと惜しむ言葉ではなく、会えて嬉しいと言う喜びの言葉だったのだと……
エドリックは、アリアの言葉を黙って聞いていた。
「フローラ様がお可哀想で、私、見ていられなくて……。今エドリック様に言っても、どうしようもない事くらいわかっています。ですが、どうしてもっと早くにゼグウスを出て下さらなかったのですか」
「それは……」
アリアは泣きそうな顔でエドリックを問い詰める。
エドリックには成す事があった。だが、それを成す事は出来ずに逃げるようにゼグウスを去った。こんな事ならもっと早くにゼグウスを出るべきだったと、それは自分でもよくわかっている。
フローラと同じ、待つ身である女性の立場からアリアは言っている。フローラの最期に、感情移入しすぎているのだろう。言葉が出ない。そんなエドリックの事を見かねたのか、アレクが口を開いた。
「アリア、エドリック様だって後悔していらっしゃるんだ。もっと早くにフローラ様を迎えに行けば良かったと……」
「アレクさん、ですが」
「……アリア嬢、君の言いたい事はわかる。私だって、君やフローラの立場で考えたらそう言われたって仕方がない事は理解できる。だが、もうどうしようもない。私にはゼグウスで成す事があった。目的は達成できずに戻って来てしまったが……フローラの死に目に立ち会えなかった罪滅ぼしのためにも、自分の犯した罪の贖罪のためにも、いつか必ずその目的は達成するつもりだ」
「エドリック様……」
「アリア、帰ろう。エドリック様は、早くフローラ様の言葉を確認されたいだろうし」
「……そうですね。エドリック様、失礼いたしました。ご無礼お許しください」
「とんでもない。もっと言われても足りないくらいだと……そう思ってるよ。アリア嬢、わざわざ来てもらったのに大したもてなしもできずにすまないね」
「いいえ、お紅茶美味しかったです」
そう言ってアリアは微笑み、上品に紅茶を飲み干してからグラマージ家を後にするが……彼女に出した紅茶のカップは、生前フローラが気に入ってよく使っていたものと同じカップだった。
屋敷の玄関まで二人を見送った後、エドリックは自室に戻り……早速フローラの『遺書』の入った封筒の蝋を剥がし中身を確認する。代筆したのはアリアという事だったが、フローラの言葉はアリアの性格がよくわかるようなとても丁寧な字で綴られていた。
『親愛なるエドリック様
エドリック様、これをあなたが読む頃には私はもうこの世にはいないのでしょう。あなたの妻になって十年近くなりますが、嫁いで以降私は毎日とても幸せでした。
可愛い子供達にも恵まれましたし何より、名前も知らなかったあなたとこんなにも素敵な夫婦になれたのです。結婚した当初はあなたと過ごす日々が新鮮でしたし、博識なあなたが色々な事を優しく教えてくれる事がとても嬉しかったことを昨日のことのように覚えています。
初めて二人きりで出かけたのは、あなたの秘密の場所でしたね。結婚してすぐに注文してくださった植物図鑑を持って、森の奥へ……馬の背に揺られながら薄暗い森の奥へ行くのは少し不安でしたが、あなたがいて下さったからちっとも怖くはありませんでした。
たどり着いた秘密の場所はとても美しいところで、私は感動したのを覚えています。レフィーンにはなかった、色々な花の名を知りました。今でも鮮明に覚えていますが、あなたにはそれが当たり前のことなのですよね。あなたのその神がかり的な記憶力は、凡人の私には今でも驚きを隠せません。
そう、ですから……あなたは私の事を、一生忘れる事はないのでしょう。そう思うと嬉しい反面、次の人生へ進めないあなたが不憫でなりません。エドリック様、あなたもまだお若いのですから……子供達のためにも、どうか私の事は忘れて再婚してください。
忘れられないのだと、そう苦しそうに笑うあなたの姿が目に浮かびます。でしたら、心の片隅に残しておいて下さいませ。私の事は記憶の奥底に、しまい込んでください。私は、私の事をあなたが引きずったまま幸せになれないのは嫌なのです。
本当は、ずっとあなたの一番でいたい。最愛の人のままでいたい。あなたの中の美しい思い出の中で生き続けて、永遠に私だけを愛してほしい。ですが、それは死にゆく私の我儘。あなたに幸せになって欲しいし、子供達に母親がいないと言う寂しい思いはさせたくないのです。
ですからどうか、再婚をお考え下さい。あなたは再婚なんてしないと、そう仰るかもしれませんが……私と言う思い出を、喪を抱えたまま生き続ける必要はありません』
概ね思っていた通りの内容だった。フローラは我が強いところもあるが、自分の本心を押し殺して我慢をすることに慣れている。
『本当はずっとあなたの一番でいたい。最愛の人のままでいたい。あなたの中の美しい思い出の中で生き続けて、永遠に私だけを愛してほしい』
この言葉が彼女の本心である以上、そして彼女の最期に約束したように……エドリックはフローラ以外の女性をこの先の人生において愛するつもりはない。先日改めて思ったように、いくら子供達に母親を用意するためと言えど再婚するつもりもない。
「フローラ、どんな気持ちでこれをアリア嬢に託したんだい? きっと泣きながら、こう書いて欲しいと伝えたんだろうね。……泣かせてすまなかった。でも、君以外の女性を愛する事も、添い遂げる事もしない。だから安心してほしい」
首飾りにするために細い鎖をレスターに作らせた。その鎖には、フローラが身に着けていた指輪を通してある。その指輪を握りしめながら、エドリックはそうぽつりと呟く。
その後は子供達への想いが綴られていて、そして最後には『愛しています。幸せでした』と、その言葉で締められていた。エドリックの両目には涙が溢れ堪えきれなくて、思わず嗚咽まで出てしまう程だった。
「フローラ、会いたい……。遠目で見るくらいなら、許されるだろうか……」
エドリックはそう呟いて、瞳に溢れた涙を拭う。手紙を大切にしまって、そして庭の方へと向かった。
庭に植えられた大樹のすぐ下に立って、ここからであれば屋敷の大広間が見える。フローラが嫁いできた直後、結婚して三日目に戻ろうと思い立った。フローラはエミリアとあの広間の机でお茶をしていたはずだ。
目を瞑って、意識を集中させた。ちょうど大樹からの魔力も受け取れて、過去に戻るには都合の良い場所だった。何分、慣れない事であるし……過去へ戻るには随分と魔力を消費すると、前回フローラの死を看取った際にそう思ったのだ。
瞳を開けば、そこは雪景色。景色が冬なだけで建物自体は変わらないから本当に結婚した直後に戻ってきたのかと疑いたくもなるが、大広間の窓の方を見ればエミリアの後姿の奥にまだ十八歳のフローラがいた。
気品はあれどまだあどけなく、幼さが抜けきれておらず可愛らしい……懐かしいと、そう思って木の陰からフローラを見ていればフローラが樹の方を見る。目が合った。
まずいと思って、その瞬間時間を止める。一旦この場を離れなくてはいけないと、屋敷の玄関の方へ向かった。焦ってしまって、真新しい雪の上に足跡がついてしまう事だって構わぬまま……
(あぁ……この日フローラが言っていた『不思議な足跡』は、私の物だったのか)
思い出した。この日帰宅したエドリックに、不思議な足跡があったとフローラは怖がっていた。安心するように言ったが、まさか未来の自分が過去に戻ってきた時に付けた足跡だとは夢にも思わないだろう。
時間を止めたまま、エドリックは屋敷の中に入る。きょとんとした顔のまま、フローラの時は止まっていた。改めて見ても、まだ少女と言って差し支えないフローラはとても可愛らしい。
「怖がらせてごめんね、フローラ」
そんな彼女の頬に口づけて、この日はおろしていたサラサラの長い銀色の髪を掬って落とす。流れるようにエドリックの手から落ちてゆく細い銀の髪がとても綺麗だった。
エドリックは自分の部屋へ行って、誰もいない事を確認してから時を戻した。外の景色は夏へ戻っている。自分が生きる時代に帰ってきた。
「なるほど、この力は……すごいけれど少し危ないな。時を止められるのも便利だが、魔力の消耗が激しい……。魔力はすぐに回復するとは言え、ここまで消耗が激しいとそう長時間使っていられるものでもない」
だからこそ、ガリレードがエドリックに見せていた予知夢も断片的な物だったのだろうかと、ふいに思う。彼の場合は人間の自分と違って魔力に際限はないのかもしれないが……そもそも自分だって魔力に際限はないはずだが、それでもこんなにも消耗を感じるのだ。
過去は狙った日に行けるが、未来へは何かがある日を狙って行くのは難しい。未来にも行けるはずだが行く事はないだろうと……エドリックは思う。
「おとうさま」
部屋の外からエルミーナの声が聞こえる。入っていいよと言えば、フローラの侍女であったアンと一緒にエルミーナが入ってきた。
エルミーナもフローラの死を知ってかなり落ち込んでいたが、もう随分と元気を取り戻しているようではあった。
「どうかしたのかい?」
「あのね、アンにひもをつくってもらったの。みて」
「あぁ、そうか。良かったね」
「おかあさまのかわりに、こんどからおとうさまのかみのけ、エルミーナがむすんであげる」
小さな手に紐を乗せて見せてきたエルミーナが、嬉しそうにそう言う。そう言えば、エドリックの髪を結うのは結婚してからずっと毎朝のフローラの日課だった。
ゼグウスに行ってからは、自分で結っていたが……髪を結ってくれるフローラがいないから、短く切ってしまおうかと思っていたところでもある。
「エルミーナ……できるのかい?」
「できるよ。エルミーナれんしゅうしたもん」
そう言って目を輝かせる娘のなんと可愛い事か。エドリックは微笑んで、エルミーナの頭を撫でる。『じゃあ頼むよ』とそう言えば、エルミーナは更に嬉しそうに笑った。
エルミーナは少し、エミリアに似た顔立ちをしている。エドリックとエミリアも似ているし、グランマージ家の顔が出たのだろう。だが、この可愛らしさはフローラに似たに違いないと、ニコニコと笑う顔を見てそう思った。
本当に大丈夫か? とアンに視線を送ってみると、アンは笑顔を返した。その表情に、察する。エルミーナは本当にちゃんと練習して、綺麗に髪を結えるのだろうと。
「……君も、すまないね。子供達の面倒まで」
「とんでもない事です。ずっとフローラ様のお近くにいたのは私ですから、お子様達も私に懐いておりますし……私が適任でしたでしょう。世話係だったアシェルは、今はエリーゼ様の乳母ですからそちらをしっかりこなしてもらいませんと」
「そうだね、ありがとう。エドガーは今何をしている?」
「午睡の最中です。エルミーナ様は、エドリック様にこの事を言いに来るまでお昼寝はしないと仰って」
「はは、そうか。ではエルミーナ、お昼寝をしに部屋に戻ろうか。父上も一緒に行こうかな」
「ほんとう? おとうさま、おててつないで」
「あぁ、いいよ」
エドリックは立ち上がって、エルミーナと手を繋いで子供部屋へとむかう。思えばこうして子供達と手を繋いで歩く事も、仕事が忙しいと言ってほとんどできずに全てフローラに任せきりだったかもしれない。
フローラがいなくなって、あらためて彼女の存在の大きさがわかる……どうにかしてフローラを助ける事が出来なかったのか、エドリックの頭にあるのはそれだけだ。
だがもしも、フローラが産褥熱に侵されることなく生きていれば……結局今も彼女に甘えたままだっただろう。子供達とも仕事の休みの時にたまに遊ぶだけ、良い父親とはきっと言えなかった。
「おとうさまも、エルミーナといっしょにおひるねする?」
「父上はやる事があるから、一緒にお昼寝は出来ないよ。でも、エルミーナが寝るまでトントンしてあげようか」
「うん!」
娘は可愛い。息子も可愛いが、娘の可愛さと言えば別格である。やはり女の子だからだろうか……。レオンとエミリアの子は男児だったが、レオンは『次の子は女の子が良い』と常日頃言っている。
エリーゼもまだ赤ん坊だがきっとすぐに大きくなっておしゃべりをするようになるのだろうが、その頃にはエルミーナももっと大きくなっているのだろうと思うと感慨深いものがある。
「あ、エドリック様。珍しいですね」
「たまには私がエルミーナを寝かしつけようと思って」
「そうですか。……できますか?」
「見くびらないでくれ、トントンと胸を叩いてやればいいんだろう?」
子供部屋に行くと、アシェルがエリーゼを抱いていた。先ほど授乳を終えたばかりで、エリーゼは満腹でご機嫌らしい。アシェル自身の子は……エリーゼの乳兄弟と言う事になるが……背中に負ぶっている。双子を育てているようなもので、彼女も大変だろう。
エドガーはぐっすり眠っていて、その寝顔を見ると頑張ろうと言う気にさせられるのは自分が父親だからだろう。
「エルミーナ様、まずはお着換えしましょうか」
「はーい、アン」
エルミーナは素直に寝巻に着替えてくれて、着替え終われば寝台の布団へ。エドリックは隣に椅子を置いて、エルミーナの胸をトントンと叩く。だがエルミーナは中々眠る様子はない。
「おとうさま、ごほんよんで」
「……本なんて読んだら、余計寝れなくなるんじゃないかい?」
「エルミーナ、ごほんよんでほしいの」
「エドリック様、こちらの絵本がエルミーナ様のお気に入りでして。寝る前にはこちらをよく読んで差し上げています」
「そうか。では、今日は父上がこの本を読もうか」
「わぁい」
絵本を読んでいるうちにエルミーナはウトウトとし始めて、読み終わるころにはもう半分寝ているような状態だった。その上でトントンとしてやれば、すぅっと眠り始める。
エルミーナの寝顔といえば、天使のようで愛らしい。エドリックは思わず微笑んだ。
「どうでしょう、エドリック様。子供の寝かしつけは大変でしょう?」
「そうだね、知らなかったよ。……フローラも、こうして寝かしつけていたのかい?」
「えぇ。もっと小さい頃は抱っこしてゆらゆら揺らしてあげたりしていましたね。子供の寝かしつけなんて貴族のご婦人がされることではないのに、フローラ様はいつも笑顔で。なかなか寝付かないときには、お子様たちが眠った後疲れていらっしゃったり、添い寝で寝かせようとしているうちに、フローラ様が先にお眠りになってしまったりなんてこともありましたが……」
アンに聞けば、彼女はそう言って笑った。
フローラが嫁いできて以降、ずっとフローラを近くで見ていたアンにとってフローラはすでに娘のような存在であっただろうし、子供たちは孫のような存在だろう。彼女が眠りについたエルミーナを見つめる瞳は、優しくて……そんな気がした。
「エドリック様、差し出がましいのですが今後のことはどのようにお考えで?」
「今後のこと……それは私の再婚について、かい?」
「はい」
「フローラの手紙には、子供たちのためにも再婚してくれとそう書いてあった。だが、再婚するつもりはないよ。君やアシェルには負担をかけてしまうが、フローラの代わりに君たちが母親のような存在になってあげてくれないかな」
「エドリック様……」
「貴族の結婚なんて、常に愛はないところから始まる。結婚後に愛を育む必要だってないのだから、私は再婚してもフローラの事を愛し続けたって良い。だが、フローラではない女性のことを『母上』と言って育つ子供たちのことをあまり想像したくなくてね。再婚したら再婚したで、後妻との子供だって求められるかもしれないが、それはちょっと……私が嫌だし。でも子供にはやはり、母親は必要かな?」
「……エドリック様が私やアシェルでお子様たちの母親代わりをしてくれと、そう仰るのであれば無理に後妻を娶る必要はないと思います。それに、お子様たちの母親は、フローラ様以外にはおりませんから……」
「ありがとう。アシェル、君にも負担をかける。だが、私の考えを尊重してくれるかい?」
「勿論です、エドリック様。ですが平民で、ただの使用人の一人である私がお子様たちの母親代わりなんて、本当に良いのかと思ってしまうのですが……」
「私が良いと言っているんだ、良いに決まってる。自分の子とエリーゼと、双子みたいで大変だろうけどよろしく頼むよ」
「はい、エドリック様!」
アシェルがグランマージ家に雇われることになったのは二年ほど前のこと。彼女はエドリックが死神と呼ばれていた時代を知らない。故郷が魔物に襲われ乳飲み子を抱え王都へ逃れて行き場所がなくなったのを、エドリックが拾うように雇うことになった。
エドリックが気に入っているアレクの妹だからと言うのもあったが、何より……アシェルもフローラと同様、エドリックの能力を畏怖しなかったと言うのも理由の一つだろう。彼女をグランマージ家で拾ったことへの恩義もあるのかもしれないが……
何より、エドリックのことを心から信用してくれている。子供たちのことも、一人ひとりしっかりと愛してくれている。それだけで、彼女にエリーゼを任せる理由としては十分だった。
「ばぁ……ぶぅ、ばっ」
「エリーゼ様、ご機嫌ですからお父様に抱っこしていただきましょうか」
アシェルはそう言って笑って、ご機嫌なエリーゼをエドリックの腕に乗せた。愛らしい娘。フローラが残した、自分の『最後の子』……。何かあぶあぶと話しているようだが、エドリックに言わせてみれば子供の感情を読み取ることだって朝飯前だ。
先ほど眠りから覚めてアシェルに乳をもらい、言ってみれば『絶好調』な状態である。エドリックが首に巻いていた紐タイを掴んで楽しそうに笑っていた。
「あぁ、本当に可愛いね。きっと君は、フローラのように気品のある美しい女性になるんだろうね」
頬を撫でながら、目を細め言う。子供たちだけが、今のエドリックには唯一の癒し……見回せばエルミーナもエドガーもぐっすりと眠っていて、皆天使のように愛らしい。エルヴィスだけは、別の部屋で読書でもしているのだろうが……
それから、レクト国内にフローラの墓を移設する準備が始まる。とは言っても、氷漬けの遺体を保管できるような墓地などどこにもない。王家の聖廟であれば別だが、そんなところに埋葬してもらえるわけもない。
そこでエドリックはエルフ達の住む森……グランマージ家の領地であるグラムの森へと向かった。事情を説明すれば、エルフ達はきっと受け入れてくれるだろう。
エルフの長老に許可をもらい、遺体を収容しておける場所を準備してもらった。王都内ではなく少し距離のあるこの森というのも、地理的にもちょうど良かっただろう。
王都内であれば、屋敷からすぐにフローラのところへ行けるとなったら……毎日入り浸ってしまうかもしれない。たまの休みに会いに来るくらいが、きっとちょうど良い。
フローラから四人の子供たちに宛てた手紙も、遺体とともに保管することにした。彼らが成人するときにここへ連れてきて、そしてフローラに会わせてこの手紙を渡そうと……エドリックはそう思うのだ。
フローラの墓をこのグラムの森へ移設できたのは、謹慎の一か月が終わるギリギリだった。なんとか謹慎が明ける前に間に合ってよかったと、エドリックは安堵する。
「フローラ、また会いに来るよ」
一瞬だけ氷を解いて、口づけて。やはり『あなたがまた来てくれるのを、ここで待っていますわね』と……フローラのその声が聞こえる気がする。
エルフの里を後にする前に、エドリックは魔力の大樹の元へと向かった。この大陸に古くから生息していた大樹は何もかもを知っている。大樹に触れれば、魔力を通じて大樹と会話ができるのだ。今までも何度も、大樹の知恵の世話になった。
「死者を蘇らせることはできないのはわかっている。だが、彼女の声が聞こえる気がするんだ。フローラは、妻は天の国で我々を見守ってくれているのかい?」
エドリックのその問いに、大樹は言う。
『お主の妻は、天の国でお主達の事を見守っている。お主が神になれば、天の国へ行く事も叶う。そうすれば再び会う事だって叶うだろう』
「神になる? 人間にそんな事、できるわけがない」
『お主はすでにその資格を持っている。ガリレードから、神の力を賜っただろう? 蘇ったサタンを討て。さすればゼウスもお主を、人間の神の復帰をきっと認めよう。神となる人間はサタンではない。エドリック、お主だ』
「だがガリレードは、赤子のうちにサタンを討たねば私は彼に首を刎ねられるとそう予言している」
『その未来を変えるのはお主自身。実際、変えられると……そう思っているだろう?』
大樹の言う事は的を得ていた。ガリレードの予言については、変えられると確かにエドリックはそう思っている。いや、変えてみせる。どうにかサタンを討つと、そう考えていたのだ。
サタンを討てば神になれると言うが……神になるつもりなんて毛頭になかった。サタンを討つのは、あくまでも自分自身が犯した罪の償いのため。
だが、それでフローラと天の国で再会できるのなら……神にだってなってやろうじゃないか。エドリックはそう思う。何年先だっていい。フローラはきっと、何年だって待ってくれる。
必ずサタンを討つと……エドリックは改めてそう誓ってグラムの森を後にした。
本スピンオフ作品の元作品であるカルテット・サーガ未読の方は一旦ここで手を止め、カルテット・サーガ本編をラストまでお読みになってからこの続きを読んでいただく事をおすすめします。
カルテット・サーガはこちら→https://ncode.syosetu.com/n9766hv/