果たせなかった約束
「お前の気持ちもわからんでもないが、首に輪をかけてでも連れて帰る」
「まったく……レオンは横暴だね。でも、私も案外好戦的な性格をしているのは知っているだろう? 私と君が戦えば、勝つのはどちらだろうね?」
エドリックを迎えに来たと言うレオン。だが、今はまだレクトに帰るつもりはない。どの面を下げて帰れば良いと言うのだ。王子を殺せなかったのだから、帰る資格はない。
レオン達を追い返すには、戦うしかないだろう。もちろん、彼らを殺すつもりはなければ怪我をさせるつもりもない。弱い魔法で威嚇して、彼らが諦めてくれればそれでいい。
レオンは諦めの悪い男だから、簡単にはいかないだろうが……手に魔力を込めれば光が集まってくる。
後ろの騎士たちは戸惑いを見せるが、レオンの表情は何一つ変わらなかった。
「エド、まずは私の話を聞いてくれ。お前がゼグウスに行く前に夫人が身籠っていた子は、女児だった。お前が事前に、男女それぞれの名を考えていたと聞いた」
「そうか、女の子だったか。では、その子の名はエリーゼだ」
「あぁ、そうだ。夫人によく似て、大きな瞳で愛らしい顔をしている」
「……嘘だ」
なぜまだレフィーンにいるはずの子の顔を、レオンが知っているのか? その答えは、レオンの言葉を聞くまでもなかった。エドリックはレオンが何を言いに来たのか、それを先読みする。そこで思わず漏れた言葉、嘘だと呟けば先ほど集めた魔力が解放され光はフッと消えた。
目を見開いて、肩を震わせ……胸の高さに掲げていた手が、ふらりと落ちるのと同時に膝を着く。
「エド、嘘ではない。……お前の夫人は亡くなった」
「なぜ……なんでフローラが。レフィーンには、魔物の手は及ばなかったはずだ。それが、なぜ……!」
「アレク」
レオンは後ろを振り返らずに、その名前を呼ぶ。彼の従者であるアレクが馬を降りて前に出てきて、レオンすらも通り過ぎ膝を着いたエドリックの前に立った。
彼はしゃがんで、エドリックの手を取り顔をじっと見つめてくる。その瞳には悲しみの色。アレクが何かを知っているのだろう。無意識に彼の記憶を探る……
「フローラ様は、最期までエドリック様の名前を呼んでいました。エドリック様が来て下さると、そう信じていました」
「あぁ、あぁ……!!」
アレクはレオンの妹・アリアと現在は恋仲である。アリアとレオン夫妻の子を安全なレフィーンへ逃がすのに、彼も同行させていたようだ。
アレクの記憶をさかのぼれば、それはエリーゼが生まれた直後……フローラは高熱を出したようだった。そして日に日に衰弱していく。産褥熱と言う病を、エドリックも知らない訳ではない。
魔物に食われた訳ではない事だけは良かったかもしれない。だが、フローラは……最後までエドリックの名を呼んで、エドリックが迎えに来てくれるのをずっと待っていた。必ず迎えに行くと約束した。だが自分の身勝手で、その約束は破った。初めて嘘を吐いた。
瞳に涙が溜まってゆく。アレクの記憶は途中からは見ていられなくなって、俯く。地面に涙がぽたりと落ちれば、土に染み込んでいった。
「……こんな能力、いらなかった。未来が見えても、良い事なんて一つもない。未来が見えたからこそ、私は選択を誤った。一つの誤った選択が、全てを悪い方向へ向かわせた」
本音が零れた。なぜガリレードが選んだのは自分だったのか。幼い事に祖父が言っていた『お前には、たくさん辛い事を経験させてしまう』と言うその言葉の意味は、きっとあの『王都が魔物に襲われる夢』を見た直後から今日までの事に違いない。
あの夢を見なければ……エドリックはレクトに留まる事を選んだだろう。ゼグウスが要求してきた賠償金を断りもしも再び戦争になったのだとしても、その時に国を守る事は……自分とレオンとエミリアがいれば、きっと出来たと言うのに。
そうすればきっと、フローラは死ななかった。いや、彼女の運命が……もしも産褥熱が避けられなかったのだとしても、彼女の近くにいて寂しい想いをさせる事は無かったと言うのに。
「エド、お前の選択が誤りだったとは……私は思わない。お前のその予知夢のお陰で、多くの人間は助かったんだ」
「違う! 私がゼグウスへ行かなければ、そもそも魔物達が人間を襲う事もなかった……! 私がゼグウスに行く選択をすることになると知っていて、ガリレードは私にあの夢を見せた! 私があの夢さえ見なければ、『魔女』の要請に応じる事だってなかったと言うのに……!」
「ガリレード……? お前の予知夢は、神の力が及んでいると言うのか?」
「あぁ、そうだ! 祖父に魔力を与えたのも、私に人智を超える力を授けたのも、全てガリレードだ!」
「……エドリック様は、やはり神の遣いだったんですね」
「アレク君、そんな恐れ多い物じゃない。私はただの『怪物』だ。神の遣いであれば、なぜフローラを助けられなかった」
「……エド、少し二人で話さないか」
「レオン……わかったよ。少し行ったところに、昔狩人が使っていたと言う小屋がある。そこに行こう」
レオンのその提案に、エドリックは同意する。少しばかり気が立ってしまっていた。場所を移して二人で話すのは、エドリックを落ち着かせるための提案だったのだろう。
二人で小屋に入って、木の椅子に腰かける。小さな机を挟んで反対側の椅子に、レオンも腰かけた。
「お前の気持ちはわかっているつもりではあるが……ゼグウスを出た後、なぜ王都に戻って来なかった」
「エミリアから聞いているだろう? 私の罪は重い。サタンを復活させ、大陸中を脅威に晒した。サタンが産み落とされるのは間違いなかったから、せめてその子を殺そうと思ってゼグウスに留まっていたが……生まれたばかりの王子の顔を見て、私にはそれはできなかった」
「エド……」
「そんな私が、どんな顔をして国に戻ればいい」
「確かに、お前の犯した罪は重いかもしれない。だが誰もお前を責めたりはしない。むしろ、今やお前は英雄だ」
「英雄だって? 私が?」
「お前がサタンの封印を解いた事を知っている者は、俺を含め僅かな人間だけだ。むしろ魔物が人間たちを襲う事を予知し、襲撃に備えられたのはお前のお陰だと……皆お前に感謝している」
「皮肉だね。確かに魔物達の襲撃は予知したかもしれない。だが、そのきっかけを作ったのは他ならない私自身だ。英雄になりたいがための、自作自演のようじゃないか」
「お前が英雄になりたがっているとは、事実を知る者は誰も思っていない。自作自演だなんて、誰が思うか。愛する妻子を守るための行動だったと、皆わかっている」
「……だが、フローラはもういない。王子を殺せずにゼグウスを出て……だったら私は何のために、ゼグウスに残っていたんだ。こんなことなら、もっと早くゼグウスを出てフローラを迎えに行くべきだった。そうすれば、フローラが悲しんだまま逝く事もなかった」
「……自分を責めるな」
「責めるよ。私は大罪人だ。いっそのこと、レオン……私を殺してくれ」
「断る。お前は自分が楽になる事しか考えていないのか。子供達はどうするつもりだ」
「…………」
「大罪を犯したと思っているのなら、その罪は償え。夫人を迎えに行けなかった事を悔やむのであれば、墓前で詫びてこい。子供達に誇ってもらえる父親でいたいと、以前そう言っていたな。今のお前の姿を見て、エルヴィスは父を誇ってくれるか? 尊敬してくれるか?」
「…………」
「子供達は皆、お前が帰ってくるのを待っている。四人の子を、それぞれ抱きしめてやれ」
「…………こんな私が、帰る訳には」
「何度言わせる! 死にたいのなら勝手に死ねばいいが、お前はまだやる事があるだろう!? 罪を償う事も、夫人に詫びる事も、子供たちを抱きしめる事も……全てお前の成す事だ! お前にしかできないと、わからないか!?」
フローラが死んだと聞かされた今、生きる気力すら無くしかけていた。いっそのこと死んでしまいたい。そうすれば天の国でフローラに会えると言うのに。
だが、レオンの言葉にハッとする。子供たちは、何も知らず父親の帰りを待っている。あの子たちを親のいない子にさせる訳にはいかない。母親がいないのだ、父親がそばに居てやらないでどうする。それにまだエリーゼにも会っていない、抱いていない。
フローラが最後に遺してくれた子。彼女を抱かずに、そしてその成長を見守らずに死ねない。
……頭を抱え俯いて、また涙が零れ墜ちる。机に涙の跡が広がった。
「レオン」
「先ほど言った通りだ。俺は、お前の首に輪をかけて引きずってでもお前を連れて帰る」
「……わかった、帰るよ。だから首に輪をかける事は止めてくれ」
エドリックはそう言えば、レオンは口角を上げた。彼の思い通りになってしまったことが悔しいが、子供達の事を考えれば帰らないと言う選択肢は無くなった。
「あぁ、ありがとうエド。……一つ聞きたい、お前のその力がガリレードのものと言うのは……一体どういう事だ?」
「言葉通りさ。私の夢に現れた『預言者』こそ、時の魔術師・ガリレードだ。だが、彼はもう私に未来を見せる事はない」
「……なぜ?」
「私が彼を殺したからだ。サタンの封印を施したのはガリレードだという事は、皆知っての通りだが……その封印の最終的な鍵は、ガリレード自身の命で成されていた。サタンの封印を解いたという事は、すなわち私は神を殺したのだ」
「…………」
「ガリレードの魔力を与えられた、我がグランマージ家の男子にしかあの封印を解く事は出来なかっただろう。ガリレードは、自分が魔力を与えた男の子孫に殺されることを知っていたはずだ。なのになぜ、おじい様に魔力を与えたのか……私には、理解に苦しむよ」
「それはガリレード自身にしかわからないだろうが……サタンを敢えて蘇らせてから討ち取る事で、今度こそこの世から葬るためだったのは?」
「そうかもしれないけれど……私はあの王子がどんな青年に育つのか恐ろしいよ。できれば、サタンの力が目覚める前に殺したい」
「エド……」
「封印を解いてしまったのは私だ。罪滅ぼしのためにも、いつか必ず……私がこの手で殺す」
「…………」
そう、彼を……いつか必ず殺さなければいけない。それが親として、自分が犯した大罪の罪滅ぼしのため……
『生まれてすぐに殺さねば、お前は成長したその子に首を刎ねられる』と、ガリレードからはそう言われていた。だが、その未来は自分の手で変えてみせると……変える事が出来ると、何か方法があるとエドリックは思っている。
王妃が生前言っていた。『子が成長していく中でサタンとしての力は少しずつついていくだろうが、男子の成人年齢は十五。それまでは力は限定的なもので、成人するまでは力の全てを操る事はできないだろう』と。
だから彼が成人する前に一度ゼグウスを訪れ、どうにか彼に会って殺すしかない。本当は幼いうちに殺す方が良いのだろうが、やはり幼ければ幼い程躊躇ってしまうのは事実だろう。
大人になったから殺しやすいと、そう言う訳ではないが……
「その『預言者』が、ガリレードがお前自身の事を予言していたという事だったが……」
「あぁ」
「お前の子は、五人と言われていたのだろう」
……ゼググスへ向かう前、レオンにだけは話していた。預言者が夢の中に現れる事を、そして子供は五人と言われていたという事を。
だから無事に帰って来られるだろうと、そう言っていたのだ。
「だが、夫人は亡くなった……」
何と言うべきか。既に五人目の子はゼグウスで王子としてこの世に生を受けている。だが、それは言えない。言いたくない。王妃と関係を持ったわけではないが、フローラ以外の女性と自分との間に子が生まれているなんて、それは他人に知られたくはない。
だからエドリックは言葉を濁す。仮定の話なら、嘘にはならないと自分に言い聞かせて。
「……今はそんな気にはなれないけれど、そのうち再婚して子供ができるのかもしれないね。まだ幼い子供たちに……母親は必要だろう」
「確かに、それはそうだと思うが……俺にはお前が再婚するとは到底思えない」
「なぜだい?」
「そもそも、お前が彼女と結婚した時だって俺には信じられなかった。お前が家庭を持つ姿が想像できなくてな」
「そうだろうね、結婚も急だったし」
「あの頃はお前と夫人が仲良くやっている姿を見て、安堵したものだ。エミリアからも、案外上手く行っていると言う話も聞いていたが……。だが、それはあの夫人だからだ。他の女性と上手く行くとは思えん」
「ズバっと言うね……。確かにその通りだけど。私が彼女を愛せたのも……フローラがとても素直で良い子だったからだ。私の事を怖がらず、愛してくれた。あんないい子はもういないだろうね。だから仮に再婚したとしても、後妻の事を愛せる自信はない。君の父上のように」
「……あぁ」
「そうだ、今だから言うけれど……私は、君の父上が使用人とよろしくやっていたのは知っていたよ。妹の事も」
「……そうか」
「だけど、君があの妹を見つけ出すとは思っていなかった。神はやはり我々人間の事を、その立ち振る舞いを見ているのだろう。きっと君は、神々に好かれているんだ」
話を少しばかり逸らしながら立ち上がる。五人目の子の話題は避けたい。エドリックが立ちあがったのを見て、レオンも立ち上がった。
二人で小屋を出れば、アレクが心配そうな顔でエドリックの方を見る。後でレフィーン滞在中のフローラの話を、もう少しだけ聞かせてもらおうと……エドリックはそう思う。
エドリックは一度エルフの里へ戻ってエルフ達に挨拶をしてから、レオン達と共に王都へと向かった。
王都へ着いた時にはもう夕方だったが、まずは子供達に会うためにグランマージ家へ。そしてその後国王に会うために王宮へと向かう予定だった。
「なぁレオン、私は……家に戻るのが少し怖いよ」
「心配するな、皆お前の帰りを待っている」
グランマージ家に到着すると、レオンは随伴の騎士達には先に王宮へ戻る様に伝えている。そしてエドリックはゆっくりと馬を進めるが……そんな彼の帰還に気づいた使用人が出迎えてくれた。
同時に、エルヴィスが走ってくる。その後を『走ってはいけません』とフローラに教えられていたはずのエルミーナも走って来てくれた。その姿を見ただけで、エドリックは胸と瞳が熱くなる。
「父上!」
「おとうさま!!」
「エルヴィス、エルミーナ……!」
馬を降りしゃがみこんで、走ってくる二人を抱きとめた。勢い余ってエドリックは尻もちをつくが、そんな事はどうだって良い。可愛い二人の子供を、強く強くしっかりと抱きしめる。
涙で前が見えない。だが、間違いなく大切な子供達。再会までに一年以上かかってしまったから、二人とも随分と成長したように見えた。
「おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま。……寂しい想いをさせたね。すぐに帰ってこない父上が悪かった。ごめんよ、二人とも」
そう言ったところで、玄関の方から大きな泣き声が聞こえた。何かと思って顔を上げれば、それはエドガーだった。エドリックが帰ってきた事が嬉しくて嬉しくて泣いてしまったようだ。
アレクの妹のアシェルを子供達の面倒を見てもらうために雇っているが、彼女がエドガーを抱き上げて歩いてくる。
「おかえりなさいませ、エドリック様。エドガー坊ちゃん、お父様がお帰りですよ」
「ただいま、アシェル。いつも子供達の面倒を見ていてくれてありがとう。エドガー、ただいま。ほら、おいで」
エドリックが立ちあがって手を差し出せば、エドガーは泣きながらエドリックに手を伸ばす。エドガーをアシェルから受け取れば、エドガーも以前と比べて随分と重たくなっている。自分がいなかった間の子供達の成長が眩しい。
更に屋敷の中からエミリアが顔を出す。彼女は赤ん坊を抱いて歩いてくるが、その子がエリーゼだろう。彼女の息子、つまりはエドリックの甥であるリュークがエミリアの後をちょこちょこと追ってきた。リュークはレオンが抱くと、嬉しそうに笑っている。
「兄様、おかえりなさい」
「エミリア、来ていたのか」
「……お義姉様もいない、兄様もいない。だから私が来ていたの。……兄様、早くこの子も抱いてあげて」
エミリアがエリーゼを、エドリックの腕に乗せる。エドリックはエリーゼを抱くと、涙を零しながら強く強く抱きしめた。
もっと早くに帰ってくれば良かったと、エリーゼを抱いて思う……。エリーゼはフローラに似た大きな瞳をぱちくりとさせながら、喃語であぶあぶと何か話していた。
「お義姉様にそっくりでしょう?」
「……本当だ、君はフローラによく似ていてとても可愛いね。初めまして、エリーゼ。私が君の父上だよ」
「おとうさま、エルミーナも」
エルミーナも抱っこをせがんで手を上げる。エドリックは眉を下げて笑いながら言った。
「待ってくれエルミーナ。お前もしばらく見ない間に、随分とお姉さんになったね」
「ちちうえ」
「あぁなんだ、エドガー。お前、もうそんなにしっかりと喋れるのか。……みんな随分と成長したんだな」
子供達一人一人の成長を嬉しく思いながら、なぜフローラだけがいないのかと……その事に胸が締め付けられそうだ。だが、エドリックは涙を手で拭いながらレオンの方を見て言った。
「……レオン、戻って来て良かったよ。私を迎えに来てくれてありがとう」
「礼など必要ない。だが、戻って来て良かったと、そう言ってもらえて迎えに行った甲斐があった」
「あぁ。……フローラがいないのだけは残念だけど……」
「……そうだな。エド、この後陛下にも顔を見せに行くぞ。それから、一度レフィーンへ行って夫人の墓前で祈ってこい」
「フローラの墓は、レフィーンにあるのかい?」
「あぁ、少し遠いからな……。先日私もエミリアと共にレフィーンへ行って、大公とも話をしたが……夫人の遺髪と、お前と揃いの指輪を保管してもらっているそうだ。お前が引き取りに来るのを待っていると」
「……そうか。では、早くレフィーンへも行かねば。陛下に顔を見せたら、すぐにレフィーンへ行く準備をするよ」
「おとうさま、またおでかけ?」
「あぁ。……レオン叔父上と一緒に、一度お城へ行ってくる。戻ってきたら、皆で一緒に母上に会いに行こう」
「はい!」
エドリックは抱いていたエリーゼをエミリアの腕に戻し『一度王宮へ行ってくる』とそう言って再び馬に跨る。レオンも抱いていたリュークを降ろして、馬に跨りながらエミリアに『私も一緒に行ってくる』とそう言っていた。
城では国王に謁見し、ゼグウスから出た後に連絡もせず国に戻って来なかった事を詫びる。だが、国王はエドリックを責める事はしなかった。
「陛下。私は戻って来ようと思えばいつでも戻って来られました。ゼグウスに留まっていたのは、生まれてくるサタンの申し子を暗殺しようと思っていたからです。しかし、赤子を殺すなど私にはできませんでした。サタンを生かしたまま、私は逃げ帰ってきた。更にはまっすぐにこの王都へは戻って来ず、領地に隠れていたなど……許される事ではありません」
「うむ、全くもってその通りだ」
「陛下が私を責めぬのは、妻を看取れず失った私への情でしょう。情けを掛けるのであれば、しばしの間謹慎として頂けませんか。その間に、妻の弔いのためレフィーンへ行く事を許可頂きたい」
「わかった。貴公への処分は一か月の謹慎とする。それで良いか」
「ご高配を賜り感謝いたします。準備ができ次第、レフィーンへ行って参ります」
ここで謹慎の処分を、そして国からの外出許可を貰えなければ魔術師団へすぐに復帰しなければいけない。そうなるとまとまった休暇を取るのは難しく、いつまで経ってもフローラの弔いへは行けない。
エドリックは屋敷に戻り、改めて家族や使用人達と話をした。皆戻って来ないエドリックの事を心配してくれていたし、母を亡くした子供達の事を気にかけていてくれた。
だが子供達の中で、フローラの死を理解しているのはエルヴィスだけだと言う。エドガーはまだ生死の概念がわからない年だし、エルミーナもようやく理解できるかどうかと言う微妙な年だ。
フローラが亡くなった事を二人に説くのは、父親であるエドリックの意向を確認しないままではできないと……皆そう思って、フローラの死についてエルミーナとエドガーの二人へ説明はしていないそうだ。
だが、もう母は戻らない事を……フローラの死を、二人にも教えねばならない。それは明日以降の、レフィーンへ向かう道中にしようと……
「アシェル、君も二人目が生まれていたのか。エリーゼの乳母になってくれていると聞いた」
「はい、エドリック様。偶然ですが、エリーゼ様が生まれた一月後に出産していまして……私がエリーゼ様の乳母なんて本当に良いのかと思いましたが、フローラ様にも本当によくして頂きましたし……。私でお役に立てるならとお引き受けしました」
「ありがとう、助かるよ」
アシェルはレオンの従者であるアレクの妹だ。ひょんなことから彼女は子供達の世話係としてグランマージ家で雇っており、彼女の夫であるレスターには金細工の職人として商売の一員を担ってもらっている。
フローラは乳母を使ってこなかったため、レクトに戻って来てから乳母を探すのは大変だったろう。アシェルがいてくれてきっと助かったはずだ。先ほどアシェルから乳をもらったエリーゼは、アシェルの子と一緒にすやすやと眠っていた。
「明日から子供達と一緒にレフィーンへ行ってくる。その間エリーゼの事をよろしく頼むよ」
「はい、お任せください」
エドリックはエリーゼの頭を優しく撫で、目を細める。寝顔までフローラを赤ん坊にしたみたいだと、そう思ってふふっと笑った。
その夜、エドリックは子供達三人と一緒に寝た。フローラはエドリックが遠征の際には子供達と一緒に眠っていたそうだが、エドリックと子供達だけで寝るのは初めての事だっただろう。
真ん中にエドリックが、両側にエルヴィスとエルミーナ。エドガーはエドリックの腹の上で眠ってしまって身動きが取れないがこれもまた幸せと言う奴なのだろう。何度もフローラの姿を探してしまうが、彼女はもうどこにもいない。
「エルヴィス、まだ起きているかい?」
「はい、父上」
「……母上の死に目に会わせてやれなくて、すまなかった」
「父上……」
「フローラも、最期にお前にも会いたかっただろうなぁ。可哀想な事をしてしまった。時を戻せるのならお前もレフィーンへ連れて行けるよう、父上からおじい様へ掛け合えば良かった」
「……そんな事を言わないでください。父上らしくありません」
「そうだね。……今日フローラの死を知って、まだ受け入れられないんだ。レフィーンへ行けばフローラがいつものように笑っていて『あなたが来てくれるのをずっと待っていました』と、そう言ってくれるんじゃないかって……そんな気がしてしまうんだよ」
「僕も……僕もそう思ってました。母上が死んだなんて嘘だって、レフィーンへ行けばきっと笑顔で抱きしめてくれるって……。でも、母上はレフィーンにはいなかった。母上の代わりにあったのは、小さなお墓で」
「……あぁ。もう話なくていいよ。ごめんな、辛い想いをさせたね」
エルヴィスを抱きしめた手を、ポンポンとするように動かす。しっかり者だから忘れそうになるが、まだ幼い息子に辛い想いをさせた事も申し訳ないと……
思いながら、エルヴィスが寝るまでエドリックは起きていた。そして、フローラとの思い出を一から順に辿っていく。気づけば瞳が涙で溢れ、もうどうしようもなかった。
「フローラ、もういないなんて……嘘だと言ってくれ。嘘は吐かないでくれと約束したが、こればかりは嘘であってくれ……」
今になって、遠征の度にエドリックの心配をしていたフローラの気持ちもわかる気がした。いつも心配しなくて良いと笑っていたが、もし突如エドリックが帰らぬ人となったらフローラがどんな想いをするのかを考えた事なんて一度もなかっただろう。
彼女はいつも、その心配をしていたのだ。エドリックに万一のことがあったらどうすればいいのだろうかと。胸が痛い。
もっとフローラのためにできる事があったと……彼女を喪ってそう思う。今夜は眠れそうになかった。
「おかあさま……」
エルミーナの寝言が聞こえる。一体どんな夢を見ているのだろうと……瞳に溢れた涙が、エドリックの頬を濡らした。