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私は生まれた時、アルドール伯爵家の末娘として、みんなから祝福されました。

お母さまからも。お父さまからも。お兄さまからも。

いつから狂い始めたんでしょうか。


屋敷に女の人が出入りし始めた時?

お兄さまが私の代わりに死んだ時?

お母さまがおかしくなった時?

新しい弟ができた時?


七歳まで平和でした。

私とお兄さまとお母さまとお父さまはいつも笑っていました。

お母さまとお父さまはいつも仲良く過ごされていました。


しかし私が七歳ごろ、きれいな白髪のきれいな女の人が屋敷を出入りした。

お母さまはその人が嫌いでした。

その人を見ると、いつも優しいお顔をしたお母さまは、信じられないほど、歪んだ顔をしていた。

その女の人も私から見てもわかるぐらい私たちのことが嫌いでした。

お兄さまは怒ったお母さまをいつも宥めていました。

いつからか、お父さまはいつもお母さまと歩いていらっしゃった、庭園を白髪の女の人と歩くようになりました。


その姿を私は窓から見ていました。

横にはお母さまもお兄さまもいました。

お母さまはやはり顔を歪めて、泣いて、それをお兄さまが慰めていました。

私はと言うと何もできませんでした。

どうしたらいいのかわかりませんでした。


のちほど女の人はアルノ夫人であることがわかりました。

夫人は男爵家の未亡人だったようです。


ある時、お母さまはアルノ夫人と廊下ですれ違うと、口論になり、頬を叩いていしまいました。

アルノ夫人の頬は赤く腫れ、手で押さえていました。


お母さまと部屋に戻り、しばらく過ごしていると、お父さまが真っ赤なお顔になって扉を勢いよく開けました。


それからお母さまとお父さまは言い争いを始めました。

こんなに言い争いをしていることを見たことのなかった私は、怖くて怖くて、ただ隠れていました。

それからお母さまとお父さまの言い争いは日常になりました。


私が8歳の時、お兄さまが死にました。


私のせいんで亡くなったのです。

私とお兄さまが一緒に出かけて、帰る途中でした。


野盗が私たちの馬車を襲いました。

護衛たちは私たちを守っていました。

そう、ちゃんと守っていたのです。

でも護衛たちも人ですから、見落としてしまったのです。

私たちに近づく人影に。


馬車のドアをこじ開けて、男が入ってきました。

おそらく野盗の一人だったのでしょう。

護衛たちは、扉が開いた音でこちらを振り返り、驚いた顔をしていました。


それもそうでしょう。

護衛といってもアルドール家の正式な騎士たちですから、プライドがあるのです。

自分たちは強いと。

私たちを守れると。

そのプライドがいけませんでした。

気づいてこちらを振り返った時には、お兄さまの腹部は赤く染まっていたのですから。


野盗の短剣がお兄さまの腹部を貫いて、お兄さまの服は赤く染まって、吐血して、お兄さまの口は真っ赤に濡れていました。


本当ならば、私が刺されるべきでした。

なぜなら、野盗がドアをこじ開けた時、そのドア側に腰を下ろしていたのは私だからです。


本当なら本当なら私の腹部に刺さっているはずの短剣は、咄嗟に私を庇ったお兄さまに刺さりました。


お兄様を刺した野盗はすぐに騎士に切られてしまいました。


屋敷に帰ると、お母さまは私を叱りました。

当然です。

お母さまが必要としているのはお兄さまで私ではないのですから。

お兄さまのお葬式の時、黒い棺桶の中にはいい香りのする花が詰められ、それに埋もれるように、お兄様だったものが埋まっていました。

ただまみれていたお兄さまはいつものような綺麗な姿でしたが起き上がる気配はまたまったくかありません。

生気などもうなく鼓動も呼吸音さえ聴こえず、それはただ気持ち良さげに微笑みながら眠っていました。

私はそんなお兄さまを羨ましく思いました。


お葬式中ずっと、お母さまは泣いていました。

お父さまはそんなお母さまを冷めた目で見ていまし

た。

私は大切なお兄さまが亡くなったのに、涙が出てきませんでした。

お兄さまの遺体をお墓に埋める時もお母さまは泣いていました。

でも私はやっぱり泣けませんでした。


そんな私をお母さまは叱りました。


「お前は兄が死んで悲しくないのか」と。


わかりません。

お兄さまが亡くなって、悲しいのに、心がとても痛いのに、目から涙は溢れませんでした。


お父さまは、お兄さまの遺体を埋め終わると、すぐに屋敷に帰ってしまいました。

だんだん葬式に参列してくださった、方々も帰って行きました。


でもお母さまはお兄さまが埋まっている場所から動こうとはしませんでした。

私はそんなお母さまのそばにいました。

お母さまの侍女が帰りを促すとやっと屋敷に帰りました。


お兄さまの喪があけないうち、アルノ夫人が妊娠したことがわかりました。

お母さまはそれに怒り狂い、アルノ夫人が住んでいる、別館に怒鳴り込みに行きました。

ちょうどその時、お父さまが、アルノ夫人と一緒におり、お母さまを叱りました。


それから六ヶ月ほどたつと、アルノ夫人は元気な男の子を産みました。

男の子はウィリアムと名付けられました。

ウィリアムはアルドール家の私生児となりましたが、皆から祝福されました。

なぜなら今アルドール家には後継者がいないからです。

ウィリアムが嫡男でなくともお父さまの寵愛があり、もしお母さまから男児が産まれなければ、ウィリアムが伯爵家を継ぐでしょう。


アルノ夫人がウィリアムを産んだあと、お母さまはと私を別館に追いやり、アルノ夫人とウィリアムが本館に住み始めました。

本館に移ったあとアルノ夫人は正妻気取りでした。


まるで私たちが間違っているようでした。

それからだんだんお母さまは異常な行動が目立ってきました。

人形のことをお兄さまと思い込んだり、使用人たちに、物を投げつけたり…


そんなお母さまに怯えてお父さまはお母さまと私を別館に閉じ込めました。


閉じ込められてからはお母さまは姿も化け物のようになりました。

とてもお美しかったお顔は痩せこけ、目元はくぼみ泣いていたであろう赤い跡と、クマが目元を覆い、紅を塗らずとも赤かった唇は紫色に変色し、潤いすらもなくなりました。艶のあった銀髪はパサパサになり、陶器のように白かった肌はさらに白くなり、棺桶に眠っていたお兄さまと、同じような肌になりました。

お母さまはそんな自分の姿を見るのが嫌で、鏡を極端に嫌いました。


別館にはお母さまの怒鳴り声と私の謝る声と静寂しかありませんでした。

使用人は数人程度しかおらず、お母さまに叩かれないように息を潜めていました。


お母さまは、いつかお父さまが目を覚まして、自分に会いにきてくれると信じていました。

でも徐々にお母さまは狂っていきました。

ある時は、外から固く閉められている、別館から出る唯一の扉を叩き続けました。

扉にはお母さまの爪の傷跡と、赤いシミができて、

お母さまの綺麗な手は傷だらけになっていきました。


ある時はお父さまが会いにこないのは、全て私のせいだと、私が代わりに死ねばよかったと、私がお兄さまより優れていないのが悪いと、私に当たり散らかしました。

私はただお母さまに謝るだけでした。

だってお母さまのおっしゃることは正しいのです。

全て私が悪かったのです。


十二歳になった私は、いつものようにお母さまに謝っていました。

それでもお母さまの怒りはおさまらず、自室に監禁されていました。

こうなると、お母さまの怒りが収まるまで出してもらえません。

それまで食事も届けてはくれません。

ただただ私は一刻も早くお母さまに出してもらえることを祈るはずでした。


部屋に入ると、ないはずの明かりが部屋をともしていました。

それは暖炉の火でした。

暖炉に火がつくことなどまずありません。

なぜなら、暖炉の火は魔物だからです。

だから勝手につきません。

しかも喋るはずのない魔物が喋ったのです。

驚くことに、人のような知能を持っていました。


その火は私に言いました。

私は悪くないと。私と逃げてくれると。

初めてでした。

私は悪くないと、逃げてくれると、そんなことを言ってくれる人は誰もいませんでした。

きっと、あの火…イグニスは私を心配して、そんなことを言ったのでしょう。

でも私はイグニスの提案を断りました。


私は認めたくありませんでした。

きっと私はとっくに気づいていたんです。

もうお母さまは私を愛していないと。私は悪くないと、でもそれを見ないようにしていました。

だってそうしなければ私は馬鹿みたいでしょう?

昔のように、お母さまもお父さまも元に戻ってくださるとまた私を愛してくださると、信じていたのですから。

頭の片隅にはもうそんなことはないと分かっていたのに。

お母さまの愛を信じて、お父さまの愛を信じて、でもそれはもうとうの昔に捨てられたことを私は見ないふりをして、ただただ現状を自分のせいにして、私を守っていた私はどこまでも臆病者です。


だから、イグニスを強く突き放してしまいました。

私を守るための盾が、感情が、思いがイグニスの言葉でいとも簡単にひびが入ったのですから。


数日たってお母さまが部屋から出してくださいました。

それからいつも通りの生活に戻りました。

お母さまが発狂したり、怒鳴ったり、いつも通りの光景のはずなのに、いつもならこんなにも疑問を持ったことはないのに、私はこれが異常なのかと疑問を持ち始めました。


イグニスと話した時、私はお母さまたちに、少なからず、不信感を抱いていたのかもしれません。


その日、お母さまは言いました。


「お前なんか生まれてこなければよかった。

どうしてお前だけ生き残ったのよ。アヴィンの代わりに死ねばよかったのに。なんなら今から死んでよ。

ねえ、わたくしのため死んでよ。そして、アヴィンを返してよ!!」

「お、お母さまは私に死んで欲しいの?」

「何度も言ってるじゃない。そうよ。死んでよ。あなたが死んだらきっと、アヴィンが帰ってくるわ。」

「お母さまは、アヴィンみたいに私を愛していないの?」

「何言ってるの?お前のことなんか愛してるはずないじゃない。わたくしはお前がとても憎いわ。お前が男の子ならまだしも。お前が死んでくれたら、きっとわたくしはお前を愛せるわ。お前のせいでわたくしはこんなにも肩身の狭い思いをしているのよ。お前じゃなくて生きたのがアヴィンだったら、旦那様はわたくしをまた愛してくださるはずなのに。お前なんかがいるせいで、わたくしの人生台無しよ!」


ああ、イグニスごめんなさい。あなたが正しかった。

お母さまは私を愛してはいなかった。お母さまは私を愛していないのに、無い愛をただただ盲信していたなんて。

私が馬鹿だった。

何度も聞きなれた、お母さまの暴言も、もう何もかも耐えることできない。

もう私を守ってくれる盾は壊れてしまったから。


ごめんね。イグニス。私、あなたにひどいことを言ったのに、結局頼れるのは、私に逃げるという選択肢をくれたあなただけだった。


私は逃げるように、お母さまのところ離れて、見慣れた自分の扉に向かう。

部屋には、不自然に明るい暖炉に駆け寄り言った。


「イグニス、ごめんね。やっぱりお母さまは私を愛してはいなかった。やっぱり返事を、返事を変えてもいい?お願い、イグニス。私を逃してくれませんか?」

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