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0回目-5-

バレリー・ライオネル①

 意思あるところに道は拓けるのだと母は言った。

 信念がある限り人は負けないのだとも、母は言った。


 ――バレリー、お前だけが皇帝なのよ。


 帝都にある城を見ながら、母はいつもそう言った。

 ガリガリに痩せていて、浮浪者と間違えられるほどに彼女はみすぼらしかった。いや実際に、浮浪者だったんだろう。


 彼女に初めて会ったのは、僕が九歳の時だった。冬だった。寒い、雪のちらつく昼下がりだった。

 孤児だった僕は、同じように身寄りのない魔法使いが暮らす寮に住んでいて、ある日、教会に行った帰りに、彼女に声をかけられた。


 “バレリー、わたしがあなたのお母様よ”


 彼女はユスティティアの末裔を自称し、一人で僕を産んだのだと言った。産まれてすぐの僕を教会の前に捨てたのは、逃亡生活よりも、孤児の方が幸せになれるから故の、苦渋の決断だったのだと、涙ながらに語っていた。本当はいつも愛していたのだと、彼女は僕の手を握って泣いた。


 嬉しかった。


 骨と皮だけの手は温かく、初めて僕に家族というものを実感させてくれた。

 僕も他の多くの人間と同じように、望まれ、愛されて産まれてきた子供だったのだと、思えた。


 それから彼女と、週末ごとに会った。会う度に、彼女は言う。


 “バレリー、フェニクス家に復讐をするの”

  

 一人残らず殺すのよ、と母は言った。

 ドロゴも、シリウスも、ショウも、アーヴェルも。全員、ユスティティア家の敵だった。僕は誰とも、会ったことがなかった。


 “バレリー、お前はそのために、生きているのよ”


 分かっているよ母さん。そう答えると、彼女は満足そうに笑った。


 彼女が死んだのは、初めて会ってから一年後のことだった。やはり冬で、外で過ごす彼女は夜を越えられずに凍り付いていた。彼女の遺体は川に流した。弔いに、必ずフェニクス家を滅ぼすと、僕は誓った。

 彼女の愛に、報いるために。


 誰から行くべきか、僕はずっと考えていた。

 皇帝親子は護りが堅いから、北壁の兄弟から実行するのが賢明だ。幸いにして僕は魔法使いだった。だからアーヴェル・フェニクスにまず、近づいた。

 

 アーヴェル・フェニクスは扱いやすい人間で、容易く僕を信頼し、あろうことか僕を友人だと言った。

 所詮は金持ちのお坊ちゃんだ、彼は甘く、愚かだった。僕が彼を、殺そうとしているとも思わずに、心を許すなんて。彼は僕に笑いかけ、僕を信頼した。立場も身分も違うのに、屈託のないあの笑みで、彼は僕に笑いかけた。僕が内心、彼を蔑んでいるとも知らずに。

 

 彼を庇って僕は負傷した。

 僕を庇って彼は死んだ。


 彼の体から熱がゆっくりと失われていく間中、僕は彼を抱きしめ泣いた。なぜ泣くのか、理由は分からなかった。考えるのさえ、煩わしかった。

 

 

 ◇◆◇

 


 感染症を防ぐために、兵士の遺体はその場で焼かれることが通例で、彼もその例に倣った。アーヴェル・フェニクスの遺骨と共に、僕は国へと戻った。


 北は帝都よりも、空は暗く、重かった。

 北壁のフェニクス家は輪をかけて重苦しく、通された客間さえも、明るいとはいえない。


 遺体はまとめて火葬されるから、別人の骨が混ざっている可能性もあるけれど、彼の兄は骨壺を開き、白く小さくなってしまった自分の弟を見つめ、言った。


「弟は魔法使いだった。そう簡単に死ぬはずがない」


 唖然とした声にも思えた。

 ショウ・フェニクスは馬鹿なのだろうか。魔法使いも人間だ。死ぬに決まっている。

 彼の兄の無知が腹立たしく思え、僕は立場も目的も瞬間忘れ、言った。


「アーヴェルさんは優秀でした。簡単に死んだわけじゃない。僕や、他の負傷者を守るために、命を落としました。彼がどんな人間だったか、僕はよく知っています。いつも人を勇気づけて、慕われていました」


 甘ったれで、脳天気で、明るくて、ぶっきらぼうで、大雑把で、馬鹿で、それでいて哀れで、簡単に人を信じる、愚かな人だった。彼に掴まれた腕に、指の跡が、まだ残っている。


「君は弟と友人だったのか」


 僕の口は、勝手に動く。


「――はい。親友でした」


 これは嘘だ。


「彼が最期に言ったのは、あなたの無事を、祈る言葉でした」


 これは本当だ。


 ショウ・フェニクスは、骨を凝視しながら、独り言のように言った。


「子供の頃は、まだましな関係だった。先に遠ざけたのは私だ。父に望まれ、才能に溢れ、正しいことを正しいと、間違ったことを間違っていると言える弟が、その父親譲りの性格が、羨ましかったんだ。私とは違い、戦う強さを持っていて、弟こそが父の後継者なのだと、見せつけられているようだったから」


 それから、ショウ・フェニクスは初めて僕を見た。弟と同じ、美しい色の目が向けられ、僕もまた、まっすぐ見つめ返した。


「君、バレリーといったか。アーヴェルの葬儀に、参列してくれないか。遺体が来てから、行う予定だったんだ」


 遺体ではなく、小さな骨になってしまったが、僕は頷いた。

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