0回目-4-
アーヴェル・フェニクス④
傍目から見ても、俺は打ちのめされていたことだろう。皇帝の家系でありながら、将校ではなく一兵卒であったのはまず間違いなくドロゴの嫌がらせだ。
人生は空虚だ。戦地に来て悟る。二十年も生きてきて、俺に大切なものなど何もなかった。
とはいえ、戦地であれば魔法使いは重宝される。送られたのは激戦区だったが、死ぬこともなく、周囲の期待の目も受けながら、生き延びていた。
魔法使いがもう一人いたというのも、戦地に馴染んだ一助かもしれない。
帝都で宮廷魔法使いをしていた、バレリー・ライオネルが志願して俺の戦場にやってきていたのだ。
理由を尋ねると、彼は飄々と答えた。
「帝都は飽きたので」
希有な奴だ。
バレリーの魔力は俺より高く、頭もよく、頼れる奴だった。
その日の戦場は苛烈を極めた。はじめ大河を挟み撃ち合っていたが、徐々に双方河の中に入り、水が全て血に置き変わるほど、大量の人間が死んでいった。戦力は拮抗し、泥沼へと足をつっこみかけていたその時、異変は起きた。
敵側の援軍が我が軍よりも一歩早く動き、その魔導武器が投入された。魔力を込めた弾は、通常の大砲よりも遙かに凶悪で、死体の山を増産していく。地形が変わるほどの威力で、あたり一面を焼き尽くそうとしていた。
その弾が、俺のすぐ近くへと飛んできた。ああこれはもう死ぬ。そう思ったときに、体が誰かに強い力で引っ張られた。直後、弾が着弾し炸裂する。味方側の兵士の体が吹っ飛ぶ側で、俺はかろうじて生きていた。
俺は自分の命の恩人を見ようと振り返る。そこには片足のもがれたバレリーの姿があった。
結局、その戦場からは退却し、遙か後方まで、俺たちは下がる。救護所代わりのテントに、バレリーは運び込まれた。応急措置を受けた後、病院へと移送されることになっていた。
暗澹たる気分だった。俺を庇い、バレリーが負傷した。二人とも命があって良かったと思うべきか? まさか、そうは思えなかった。
「俺を庇う必要はなかったんだ」
バレリーは、自嘲気味に笑った。
「僕も――驚いたけど、勝手に体が動いちゃったんですよ。本当に、困ったことです」
テントの外はもう暗い。至る所で負傷者の声が響いていた。誰しも各々の傷に夢中で、俺たちの会話に耳を傾ける人間はいなかった。
俺はバレリーの右足を見ていた。俺が回復魔法をかけたため血はすでに止まっているが、だからと言って足を生やしてやれるわけもない。
ふいに、バレリーは言った。
「ねえアーヴェルさん。僕は本当はユスティティアなんだ」
言葉の意味を確かめるために彼に顔を向けると、目の前に銃口が置かれている。引き金を引かれたら俺の脳みそが吹っ飛ぶ、そんな位置だった。
バレリーの表情からは、何の感情も読み取れない。
「ユスティティアって、前の皇帝一家だろ。お前、その末裔ってことか」
ああだからこいつは今、俺の頭に銃を突きつけているのかと、遅れて理解した。バレリーは眉を顰めた。
「そうだよ。そう言っているんだ。大丈夫ですか? 頭を負傷してはないですよね。今からあなたを殺そうと思うんですけど」
冗談ってわけじゃないんだろう。彼の目は真剣だった。
驚くべきは、俺の感情だ。虚しいほど何も湧き上がって来なかった。そうして気がつく。もう俺など、この世界にとってはとうに死人も同然なのだ。目の前の生に、執着もなかった。
「殺せよバレリー。別に抵抗しないぜ。俺を殺したところで、どんな意味があるのかいまいち分かんねえけどさ。知らない敵兵に殺されるのは嫌だけど、お前なら、いいや」
バレリーの目が、開かれる。
テントが乱雑に開けられたのは、そんな時だった。瞬間明かりが消され、続けざまに、銃声がする。
「敵襲だ!」負傷兵の誰かが叫ぶ。
とっさに俺はバレリーの体に飛びつくようにして、ベッドの上から引きずり下ろした。直後、銃弾によりベッドが抉れていく。
この調子じゃ、別のテントも襲われているのだろう。自国に攻め入られた敵兵達の恨みは強かった。生に執着がないと思った矢先ではあるが、反撃もせずに死にたくはない。
両手から炎を出現させ、火炎放射さながら敵兵に放った。
「バレリー、お前もやれ! 魔法が傷に響いて辛いなら、魔導銃を放て!」
魔導銃は普通の魔法を使うより労力が少なくて済む。だがバレリーは、俺を凝視したまま動かない。俺はバレリーから魔導銃を奪うと、敵兵に向かって打ち返した。
どれほどの時間が経過したのかも曖昧だったが、ひたすらの攻撃に徹している間に、ゲリラ襲撃は収まっていた。
残されたのは、死体と俺と、バレリーだ。
俺の体からは血が流れていた。バレリーをベッドからどかした時、既に数発、負傷していたのだ。どう考えても致命傷で、回復魔法をかけても無駄だろう。
どういうわけかバレリーが泣きそうな顔をしていた。
「そんな顔で、見るなよ」
笑おうとしたが、痛みで上手くいかない。
――昔、猫を飼おうと思っていたんだ。鴉に攻撃されていて、死にかけていたから回復魔法をかけた。だけど翌日に猫は死んでいて、それで俺は学んだんだ。なにをしたって、取り戻せないものがあるのだということを。
そんな台詞を吐こうとしたが、言葉を紡ぐことが難しかった。体を支えることがもうできずに、床に倒れ込んだ。俺の体から、バレリーに向かって血が流れていく。バレリーは、ようやく言った。
「ふざっ、ふざけるな! なんであんたが、なんで僕を庇ってるんだよ! 言っただろ、僕はユスティティアだ。あんたの、フェニクスの敵なんだよ! あんたを殺そうとしていたんだ。なのに――」
言われてみれば確かにそうだ。だけど俺が知っているバレリーは、ユスティティアではなくライオネルで、時に生意気で、時に頼りがいのある親友だ。
俺の知っているバレリーは、誰かを庇い負傷する、そういう奴だ。
そうだバレリー、なぜお前の片足はない。
お前こそ、なぜ俺を庇ったんだ。
「だと、したら、喜べ、よバレリー」
復讐を果たせたなら笑っていろ。
どうして泣いているんだ。なにも泣くことないだろ。悲願が達成できたのに。
「俺は、もう、いい。なにも、ない……んだ」
俺には何もない。大切なものなんて何もないんだ。死んだって構わない。泣く奴はいない。
力の入らない腕を無理矢理動かし、渾身の力を込めてバレリーの腕を握りしめた。
「だけ、ど……ショウは、殺す、な」
ショウは笑えるほどに真面目で馬鹿だ。
あんな奴を殺したって、残るのは後味の悪さくらいなものだろう。
あいつは魔法使いじゃないし、誰かと戦うつもりもない。生きていたって、無害な奴だ。だから、殺さないでくれ。頼むからさ。
もう目が見えなかった。世界が暗く閉じていく。
口から血の泡と笑いが漏れた。
俺ってまるで馬鹿みたいじゃないか。いいや、みたいじゃない。馬鹿そのものだ。
死の間際、普通、大切な人が浮かんでくるのかもしれないが、虚しいほどに誰の顔も出てこない。
俺の人生はなんと滑稽で笑えるんだろう。誰との間にも絆がなく、俺を憎む相手の手の中で、命を終えるのだ。
いつからこんなに冷笑的な人間になったのだろう。いつから他人を蔑み、見下して、それで平気になったんだ。一体いつから卑屈になり、心を閉ざして、興味がないふりをして、愛することをやめてしまったんだ。
脳裏になぜか、兄貴の婚約者の顔が浮かんだ。
――セラフィナ・セント・シャドウストーン。
なぜだって彼女はいつもあんなに悲しそうな顔をしていたのだろう。彼女が幸福そうに笑っている顔を、一度でいいから見てみたかった。心残りと言えば、それくらいだ。
俺の手を、バレリーが握り返した気がした。
俺の顔にバレリーの涙が落ちた気がした。
だけどそれは、死の間際の願望だったのかもしれない。
なあバレリー。お前はどうやって生きてきたんだ。
俺と笑ったこともあったろ。愚痴を言い合ったこともあったろ。酒を飲み交わしたこともあったろ。仇である俺といるのは苦痛だっただろう。お前がどんな思いでいたか、少しも気づけなかった。
だけど復讐ってそんなにしなきゃいけないことなのか。そんなに悲痛な表情を浮かべてまで、やり遂げなくちゃいけないことなのか。俺は別に、両親への思いが強いわけじゃないから、いまいち分かんねえよ。
もしいつかお前も死んで、あの世で会えたなら、そのあたりのことを、もう少し詳しく教えてくれ――。
次からバレリー・ライオネルの話になります。