クライマックス
ショウとわたしの叫び声が重なった。
バレリーの青い瞳に、アーヴェルの赤い飛沫が映り込む。
驚愕の表情でバレリーは、ただアーヴェルを見つめていた。
アーヴェルは、痛いのか顔を歪めながらも、わたしの方へと目を向けた。その手はがっちりと魔道武器を掴みながらも、無理矢理作ったような笑みを浮かべる。
「泣くなよ、セラフィナ。俺なんかのために、泣くな」
自分の体に弾を何発も撃ち込むのは、どれほどの覚悟が必要なんだろう。アーヴェルは、口から血を噴き出しながらも叫んだ。
「セラフィナ! 呪いの中にはまだエレノアがいる! やることは分かってるだろ!」
そう言うと、バレリーの手ごと魔道武器を自分の口に突っ込んだ。
「だめよアーヴェル!」
止める間もなく引き金を引く。アーヴェルの後頭部から、彼を司っていたものがこぼれ落ちていく。
彼の体が地へと崩れ落ちるのが、恐ろしいほど長い時間に感じられた。
あまりにもあっけなく、アーヴェルの命は終わってしまった。
「あああああああ!」
衝撃を受けたのは皆同様だっただろう。でも叫んだのは、バレリーだった。手はアーヴェルの血に染まり、心の底からの咆哮を上げる。
「どうしてあんたは! どうしていつもそうなんだ! ふざけるなよアーヴェル・フェニクス! どこまで僕を馬鹿にする気だ!」
バレリーの体には異変が起きていた。
皮膚には血が滲み、ぽろぽろと剥がれていく。誓約の代償を払っているのだ。目と鼻から、黒い血が流れ落ちる。
それはかつて、わたしがバレリーに誓わせた呪いにも似た約束だ。“アーヴェル・フェニクスを殺してはいけない”
誓約のことを、わたしはアーヴェルに話していた。だからアーヴェルはそれを逆手にとり、自分を殺させることで、バレリーを滅ぼそうとしている。数秒もすれば、バレリーを殺そうとしたジェイドお兄様のように、彼もまた死ぬだろう。
だけどバレリーは、これで諦めたりはしないはずだ。
バレリーが次になにをするか、アーヴェルは勘づいていた。
首からぶら下げていた魔導具を、手に握りながら、バレリーは叫んだ。
「呪いを成就させてやる! 亡者ども! この国のすべての魔法使いから命と魔力を奪い取れ!」
瞬間、魔導具から黒い霧が噴出した。その漆黒は物凄い早さでわたしとショウの側を駆け抜けると、捕食器官のように突き出た先端で、ジェイドお兄様の体を貫いた。
自分の死すら信じ切れないような表情のまま、お兄様は漆黒に飲み込まれ霧散し、赤黒い水蒸気だけを残して消えてしまった。一瞬にして体が散り散りになったのだ。
ショウがわたしの体を掴み、建物の陰に寄せたけど、意味があるかは分からない。霧は広がり続け、巨大化し、空を多い、夜のように周囲を闇に包み込んだ。
物が壊れる音と、人々の悲鳴が、あちこちから聞こえてくる。バレリーの声がした。
「呪いは増殖し、魔導具によって、収束する。帝都には魔法使いが多いから、手始めには都合がいい。いずれは国中の魔法使い殺して、魔力を奪い取るんだ。僕の体が崩れるそばから、魔力を注ぎ込んで保つんだ」
呪いによって生かされ続けるバレリーは呪いを溜め込む魔導具と相違ないだろう。
「セラフィナ――」ショウが、小声で囁いた。
「セラフィナ、隙を突いて逃げろ。彼の狙いは結局のところ私だ。魔法使いでない君は、上手くすれば逃げおおせる。私が彼の前へ飛び出すから、君は反対側へ走るんだ。行くぞ、一、二、三――」
「待って!」
本当に飛び出そうとするショウの服を引っ張り止めた。バランスを崩した彼が地面に両手をついた。
ショウの言うことは一利ある。だけどそれが今、この場での最適解だとは思えなかった。
アーヴェルは言ったのだ。
あの呪いの中に、エレノア・シャドウストーンがいると。この意味が、分かる。お母様がわたしを守る祈りによって、呪いをバレリー・ライオネルから奪い取れると、アーヴェルはそう思ったんだ。
アーヴェルを殺したバレリーが誓約を受けて死にかければ、魔導具の中の呪いの力を借りるしかない。その中にわたしのお母様がいるならば――勝機はそこにしかない。魔導具の中の呪いは奪い取れないけど、外へと出された呪いは、可視化できるほどに鮮明だ。
だからアーヴェルは、自分の身さえベットして、わたしにやれと言ったのだ。彼がもういないという現実を考えると、たちまち心が砕けそうになる。だから今は、わたしがやらなくてはならないことを、やることだけを考える。アーヴェルが、信じてくれたわたしでいたかった。
「行かなくてはならないのは、わたしよ」
「なにを言う? 君はきっと安全に逃げ切れる。ここにいるんだ」
ショウがわたしの腕を掴む。
「――いいえ、ショウ。わたしが行かなくてはならないの」
その手を振り払い、大通りに飛び出した。空の黒い霧を見上げていたバレリーは、わたしへと顔を動かす。
「まだなにか、僕に用があるのかい」
その目からは、黒い血が涙のように滴り落ちる。だけど状態は安定し、先ほどよりもよさそうだ。
「用があるのは、あなたではないわ」
この宿命に、自分がしでかした一切のことに、終わりを告げなくてはならなかった。
頭上の漆黒の塊に向かって、手を精一杯伸ばした。
「お母様! わたしを助けて――!」
バレリーの声がする。
「エレノアがいたとして、君を助けるわけがない。彼女は夫を憎んでいた。彼女もまた、シャドウストーンを呪っていたんだよ。彼女の呪いは井戸の中で同化した。もう祈りなど存在しない」
違う。わたしはお母様の愛情と信念を確信している。彼女はわたしを愛してくれていた。
シャドウストーン家にいた頃、悲しい思いをしたときの夜は、いつだって同じ夢を見た。夢の中で、誰かが泣いている。それは時にわたし自身で、そうして時に、お母様だった。
だけど悲痛に泣きながらも、わたしに呼応し力をくれたのは彼女だった。
彼女の祈りに守られて、ひどくいびつに歪みながらも、わたしは願いを叶えたのだ。
呪いがある限り、彼女はそこに囚われたままだ。わたしはお母様の魂も、解放したい。だけど最後に、力を貸して欲しい。
空が、応じるように、揺れた。
そうして次に、小さく、本当にわずかに、霧が裂ける。その割れ目から、絹の糸のように光る、心許ない黄金の光が、わたしに向かって降りてきた。
それがお母様だと、はっきりと分かる。
祈りが千切れ、希望が果てて、光が黒く塗り替えられても、お母様はずっとそこにいてくれた。わたしが信じ、求めさえすれば、彼女はわたしを守るために、どんな地獄からだってやってきてくれる。きっとお母様という存在は、そういうものなのだ。
光が手に触れ、わたしを包む。
ああ、何度目だろう。
わたしは魔法を得たのだった。




