追う
帝都へは、今から向かえば数時間で着けるだろう。ジェイドお兄様の魔法が馬車の前に付けられて、夜道が明るく照らされる。
馬車の中で、ジェイドお兄様が、わたしが手に持つアーヴェルの手袋を見て、訝しげに目を細める。
「なぜだ? なぜゴミを大切そうに抱えている」
「ゴミじゃないわ」
「わけの分からん奴だ」
興味が失せたのか窓の外の景色に目を遣ったお兄様は、やがてぼそりと呟いた。
「変な感じだ」
なにがだろうと、問いかける前に、言葉は続く。
「お前とこうして、並んで座っている今の状況がだ。お前が生まれて今日まで、こんなに話したことなどないのに、奇妙にも満足感を覚えていることが、変だ」
びっくりしてジェイドお兄様に顔を向けたけど、横顔は髪に隠れ、よく見えない。
「……母上は、お前に魔法を渡さないことが正義だと思ったのだろうか。だから自分の命をかけて、魔力を与える魔導具を、この世から葬り去った。だが父上も兄上も、そうして俺も、その思いを無下にし続けたということなのか。母上が今の俺を見たら、嘆くだろうか」
答えは分からない。だってお母様はもういないのだから、言葉を交わすことなどない。
「お母様って、どんな人だった?」
沈黙の後で、お兄様は小さく言った。
「優しい人だった」
会話は、それだけだった。
東の空が白む頃、わたしたちは帝都に入る。すでに人々は起き出していて、銘々の生活を始めているようだった。
目立たない場所で馬車を降りて、ジェイドお兄様を連れる。
歩きながら、ジェイドお兄様が呟いた。
「名前だけは聞いたことがある。十歳にして学園から入学依頼が来たという天才少年バレリー・ライオネル」
振り返り、わたしは頷いた。
元々のバレリーの魔力も、ジェイドお兄様に匹敵するくらいに強かったけれど、一度時が戻っている彼は、天才と評されるほどには強まっていた。
「彼は自分を、前の皇帝の血筋だと思っているのよ。だからフェニクス家を憎んでいるわ。手段のためなら目的も選ばない。呪いをその身に宿して自爆することで、わたしたちをも殺そうとするわ」
「で、殺される前に殺すのか」
「彼が話し合いに応じるなら、それでいい。だけどそもそもそういう人じゃないから、復讐だなんて考えるのよ。そう……殺すわ。場合によっては。
真正面からは行かないわ。お兄様は、彼を逃がさないようにして欲しい。その隙に、わたしがとどめを刺す。じゃないとわたしたちは、彼に殺されてしまうわ」
「ああ」
分かっているのかいないのか、ジェイドお兄様は頷いた。
世界が実はループしているのではなくて、ある地点で再構築されているのではないかというのは、ショウの予測だ。世界の記憶は、その人の心の奥で、次の世界に引き継がれている可能性がある。
だからだろうか、ジェイドお兄様は、以前よりもずっと、接しやすかった。
バレリーの家がどこにあるのか、わたしたちは知っていた。身寄りのない魔法使いは、帝都の宿舎に、住むことになっていたから、彼もまた、そうだった。
バレリーが、どんな過去を過ごしてきたのか、わたしは知らない。だけど確実に言えるのは、彼の人生に、わたしにとってのアーヴェル・フェニクスのような人は現れなかったということだ。孤独の中で、復讐心だけを磨いてきた哀れで空っぽの人間。アーヴェルを得なかったわたしも、そうなっていたかもしれない。
朝焼けの中、宿舎に辿り着き、さあいざ入ろうとしたときだ。後方から、にょきりと現れた人物がいた。危うく悲鳴を上げるところだった。
驚愕に息を吸い込んだわたしを、前を行くお兄様が振り返り、その人を見て、眉を顰めた。
それもそのはず、とうに北部に置いてきたはずのショウ・フェニクスが、今わたしたちの前にいたのだ。
「一人で行動するなと、言っただろう」
「ショウ……どうしてここに」
渋い表情を浮かべたショウは、わたしを見据えて静かに言った。
「私とアーヴェルには恐れがあった。君が、一人で帝都に行って、バレリーと戦うつもりでいるのではないかという、恐れだ。
君が本当にシャドウストーンに帰りたいと思ったなら、それでいい。君の家にも使者を送った、君がやってきたら、私に伝えるようにと。だが君が帝都に行ったとしたら――。だから、君の不在が判明した直後に帝都に向けて出発した。さっき着いたばかりだ。
数日経ってここに現れなければ、帰るつもりだったよ。だが君はやってきた」
きっとわたしがジェイドお兄様に会いに寄り道しなければ、ショウに追いつかれることはなかったのだ。
「一人じゃないわ」
ショウはそこで初めて、わたしの後ろにジェイドお兄様がいることに気がついたらしい。でも表情の険しさは変わらなかった。
「ショウ・フェニクスか? 一体、なにがどうなっている」
呆けた顔をしたジェイドお兄様は、状況を飲み込むのに苦労しているようだ。
「わたし、二人を危険な目に遭わせたくなかった」
俺はいいのか? とジェイドお兄様が呟いたけど、聞こえなかったのかショウはわたしに答える。
「分かってるさ。だけど私たちは危険な目に遭いたいんだ。君が抱える荷物を、少しでも分けて欲しい。人一人が両手で抱えきれる量なんて、たかがしれているだろう」
ショウは長い息を吐き出した。
「一人で抱えるなと言っただろう。これは君だけの問題じゃない。私たち、全員が負っている責任だ。だから、一緒にいさせてくれ、弾よけくらいにはなるだろうから」
ショウの言葉はいつも真摯で、わたしの胸に真っ直ぐ落ちる。わたしがショウを思っているのと同じくらい、ショウもわたしを思ってくれているのだと、疑いようがなく分かる。
だけど今は感慨に耽る時ではない。周囲を見回し、わたしは言った。
「アーヴェルもいるの?」
「近くを探している。直に戻ってくるだろう」
瞬間、迷いが生じた。
アーヴェルを、待つべきかどうか。
待った方が良い。戦力が増える。
今こちらにいるのは三人だけど、魔法使いはジェイドお兄様だけだ。ジェイドお兄様に、バレリーを殺してでも止めたいと思うほどの動機が醸成されているかは分からない。一度時が戻って魔力が強まったバレリーに、対抗できるだけの戦力は持っておきたい。
一方で、思う。まごまごしていると逃げられる。
勘が良く、根回しが大好きなバレリーだ。わたしたちがここにいるということに、すでに気がついていたら? まさか、あり得ない。でも彼は、索敵の魔法も使える。
逡巡し、わたしは言った。
「アーヴェルを、待ちましょう」
戦力や、逃げられることなど、二の次に思えた。
やはり決着は、全員揃ってからすべきなんだ。
声が聞こえたのはその時だった。
「その必要は、ないよ」
それは、バレリー・ライオネルの声だった。




