叩きのめすために
「うわっ」
寝間着姿のジェイドお兄様は飛び起き、わたしを見て驚嘆したように、目を見開いた。
「なんだお前、なにを……。フェニクス家に行ってたんじゃないのか。気でも狂って帰されたか?」
「わたしは正気よ」
寝ぼけ半分だったお兄様も、徐々に頭がはっきりし、虐げ続けた妹が、どうやら自分の部屋にいるということを理解したようだ。怒りに顔を歪める。
「おい無能、今すぐこの部屋を出て行け! 今が何時だか分かっているのか?」
「行かないわ」
ジェイドお兄様はわたしを睨み付けた。
「ならば力尽くでするまでだ!」
お兄様はその手に、魔法を溜め始める。
こういう反応をするだろうことは想定済みだ。魔法を放ってくるだろうことも、分かっていた。
小さい頃、わたしはジェイドお兄様が怖かった。いつか本当に殺されてしまうかもしれないとさえ思っていた。だけど今は怖くない。わたしを庇って死んだのは、ジェイドお兄様の方だったから。
「やってご覧なさい。わたしを傷つけてみればいいわ!」
わたしは叫んだ。
「だけどそうしたら、あなたが何よりも大切にしている誇りに、背くことになるわ! お兄様を愛して育てたお母様の顔に、泥を塗ることになるのよ!」
瞬間、魔法は消失する。呆然と、ジェイドお兄様はわたしを見ていた。
「お前、本当にセラフィナか? 俺の妹の、あのおどおどした役立たずなのか?」
呆けた顔に向けて、わたしは言った。
「わたし、ジェイドお兄様のこと大嫌い。だけど許すわ。守ろうとしてくれて、ありがとう。あなたはわたしのために死んでくれた。その覚悟は、本物だと思うから」
流石のジェイドお兄様も、今度は気味が悪そうに顔を歪め、わたしから遠ざかるように身を引いた。
「本当に狂ったか。それともフェニクス家で何かされたのか? 俺に寄るな、部屋から出て行け、そうしてさっさと寝ろ」
逃げるジェイドお兄様を追うように、わたしはベッドへと身を乗り出した。ジェイドお兄様はさらに顔を引きつらせる。
「ジェイドお兄様。お母様の死の真相を教えてあげる。今から帝都に行くわよ。不幸の元凶を、叩き潰さなくてはならないわ」
「母上はお前のせいで死んだんだ。お前が生まれなければ母上は今だって生きていた」
「違うわ。いいえ、違くはないけど。聞いて――」
確かにお母様はわたしが生まれたから魔導具を破壊するため、井戸に身を投げた。わたしのせいとも言えるけど、それは古から続く呪いを断ち切るためだ。だけど結局呪いは消滅せずに、井戸の中に留まった。
わたしが一気にその話を語ると、ジェイドお兄様は眉を顰める。
「馬鹿な。あり得ない。井戸に呪いが?」
ジェイドお兄様は、確かめるように窓の外を見たけれど、暗い闇の中の庭には、なにも見つけられない。
「調べれば分かる事よ。かつてこの家にあった魔導具のことも、逃げた使用人にでも聞けば知っているでしょう。だけど今はその時間はないわ、前のお兄様だって、人に確信を持ってそれを伝えることができるようになるまで、数年かかったんだもの」
前ってなんだ、と尋ねるジェイドお兄様の腕を、ついに掴んだ。
「今から一緒に帝都に行くのよ。わたしに協力しなさい。わたしたちを不幸にする元凶を、叩きのめしに行くには、ジェイドお兄様の力が必要だわ」
ジェイドお兄様の腕に力が入る。迷っているようだった。
「お前の言っていることが真実だったとして、勝手な行動はできない。父上と兄上がなにを言うか……」
「馬鹿ね、この期に及んで、まだ分からないの!?」
叫んだ。
「あの人たちをどんなに愛したって、愛情なんて返って来ないわ! あなたを愛してくれない人なら、こっちから捨てればいい! あの人たちはあなたが死んでも、悲しむふりさえしなかったのよ! わたしは少なくとも、ジェイドお兄様を愛したいと思ってる。愛情を、持てたらいいと思っているわ」
お兄様の瞳が、揺れた。
アーヴェルと、ショウの間を流れる愛情のように、わたしもジェイドお兄様を愛したかった。
「あなたが選ぶのよ。わたしと来るなら、ジェイドお兄様はお母様が望んだような善人になれる。……来ないなら、お父様やクルーエルお兄様のように、なれるかもしれないわ」
ジェイドお兄様とわたしの、呼吸の音だけが部屋に響く。外では風が、窓を打つ音がする。
静かな間の後で、ジェイドお兄様は口を開いた。
「俺は、この目で見たものしか信じない」
そう言って、わたしの体を押しのけた。
宛てが外れてしまったのか。ジェイドお兄様の魔力がなければ、帝都に行っても返り討ちにされてしまう。
「母上のこと、嘘を言っていたら、今度こそ承知しないぞ」
ジェイドお兄様はベッドから立ち上がる。唖然としたのは、今度はわたしの方だった。ジェイドお兄様は、そんなわたしを睨み付けた。
「おい無能! なにをぼさっとしている? 帝都に行くんだろう、着替えるから出て行け。馬車の準備でもしておくことだ」
「じゃ、じゃあ一緒に来てくれるの?」
「ああ、近頃暇してたからな」
ジェイドお兄様はふんと鼻を鳴らす。
「……で、誰をどうするって?」
意を決し、わたしは言った。
「バレリー・ライオネルを、叩きのめしに行くのよ」
 




