一番はじめのプレゼント
セント・シャドウストーンへ宛てて、北部への滞在を伸ばすと手紙を書いたけれど、返事もないままに了承された。わたしもそれをいいことに、数週間、この家に留まっていた。機を、待つために。
わたしとアーヴェルの関係は、友人だったと思う。アーヴェルはわたしに恋はしていなかったけれど、少なくとも初対面の時よりは心を許してくれていた。
わたしとショウが語る今までのループの話も、半信半疑ではあったけれど、頭から否定することはない。
だけど、だからと言って再び積極的に反乱を起こそうとするつもりも、彼にはなかった。彼の目下の悩みは、兄弟関係にあるようだった。
わたしが側にいつもいることに、彼は初め文句を言っていたけれど、今はもう慣れたもので、そういうものだと諦めていた。そんなあるとき、二人でソファーにいるときに、彼が読んでいた本から顔を上げ、ぽつりと言った。
「最近、兄貴が優しくて気味が悪い」
「本当はずっと優しくしたかったのよ」
微笑み返すと、アーヴェルは首を横に振る。
「前は目さえ合わせようとしなかったくせに。俺を嫌ってたんだ」
「どう接していいのか分からなかっただけよ」
未だにショウの愛情を信じ切れていないアーヴェルに、わたしは何度も言い聞かせていた。
「本当は情熱的で愛のある人だもの。あなただって、前はそれを知っていたわ」
アーヴェルは小さく唸ると納得したように頷いた。
「……最近、家にいるのは嫌じゃない」
確かに外にいる友人の家にはいかずに、アーヴェルはお屋敷に留まっていた。
彼が心からの安らぎを得て、家を好きになっていく姿が嬉しい。喜びに浸っていると、ふとアーヴェルに見つめられていることに気がついた。わたしの知る彼よりも表情が変わらないから、なにを考えているのか分かりにくい。だけどどうしたってわたしは彼が好きだったから、見つめられると頬が赤くなる。
「ど、どうしたの?」
アーヴェルは言った。
「お前ってつくづく、本当に綺麗な顔してるよな」
それは前のループでのアーヴェルが、幾度となくわたしに言った言葉だった。
わたしの好意はとっくにばれていて、からかっているのかもしれないと思ったけど、アーヴェルは本気で感想を述べているだけのようだった。だから余計に顔が赤くなるけど、動揺を気取られてはいけないと思い直し、誤魔化すために言った。
「どうしてアーヴェルは、そんなにたくさん恋人を作るの?」
「俺がモテるのは俺のせいじゃないし」
アーヴェルの扱いは難しい。会話に乗り気になったかと思うと、すぐにそっぽを向いてしまう。
アーヴェルは手元の本に再び集中し始めた。もう答える気はないのかと、わたしもぼんやり隣に座っていると、沈黙の後で、彼は言う。
「……一人だけに惚れるって怖いだろ。そいつがいなくなったらどうするんだよ」
思わず尋ねた。
「だからたくさんの人と付き合うの?」
「そうだよ、俺は博愛主義者なの」
「一人の人を愛した方が、絶対にいいわ」
「そいつがお前のこと好きにならなかったらどうすんだ。好きになっても、いなくなったら?」
「いつか別れは必ず来るわ。それでも後悔しないように、好きだって伝え続けるの。失うから愛さないんじゃない、いつか消えてしまってもいいように、今を精一杯愛するのよ」
アーヴェルが、必死にそうしてくれていたように。
ふうん、と言ったきり、アーヴェルは何も言わなかった。
夏の終わりかけの日差しが、窓から差し込んでいた。
青空にはいくつも雲が浮かぶ。間違えようもなく平和な光景に、わたしは、今までのことを思い出していた。
わたしの中には、今までのセラフィナが過ごしてきた記憶が蓄積されていて、シャドウストーンや帝都に住んでいたことも覚えているけれど、思い出すのはどれも、このお屋敷で、アーヴェルとショウと過ごした日々だけだ。
サンルームで、本を読むのが好きだった。
あの頃世界は完璧で、わたしは春の木漏れ日の中で、ブランケットに包まれた子猫のように幸福だった。
だけどいつまでも、守られるだけの泣いている、なにもできない少女じゃいられない。
不幸を終わらせるためには、わたし自身が行動しなくてはならなかった。
ある日の午後、わたしは、アーヴェルに言った。
「アーヴェルの、手袋が欲しい」
アーヴェルから貰ったものは無数にあるけど、一番初めのプレゼントは、彼のお下がりの、ボロボロの手袋だった。
最近は外にも出かけず、アーヴェルは家にいることがほとんどで、今日もまた、そうだった。手持ち無沙汰だったのか、ソファーに寝転がりながら一人で小さな魔法を作って遊んでいたアーヴェルは顔をわたしに向けた。
困惑しているように見えた。
「まだ夏だろ」
「いいの、欲しいの」
なおもわたしが言うと、否定するでもなく頷いた。
「いいけど。あったかな、探してみる」
そう言って衣装部屋に行く彼に付いていく。ごそごそと奥を探りながら、顔も見せずに彼は言った。
「……俺、もう止めるから」
わたしの場所からでは、アーヴェルの背中しか見えない。
「なにを?」
尋ねると、彼は続ける。
「たくさんの人と付き合うの。……っていうか、もう止めたけど。学園に入学したら、どのみち会わないつもりだったし、このところはさ、家にいるのも、嫌じゃないんだ。……おい本当にあったぜ。ほら」
見つけたらしいぼろの毛糸の塊をわたしに差し出しながら、アーヴェルは少し照れたように言う。
「それに、お前と婚約すんだろ。お前って、嫉妬深そうで怖いし」言ってから、アーヴェルは首を横に振った。
「……今のは冗談。やっぱり、お前に悪い気もするからさ。だって本気で俺のこと好きなんだろ」
驚いてアーヴェルを見上げた。思っていたより、遙かに真剣な表情をした彼がいる。
「あのさ、俺、お前の知ってる俺より、全然魔力は弱いと思うけど、それでも、力にはなるよ。兄貴のためにっていうのは癪だけど、あいつに死んで欲しいと思ってるわけじゃないし、ドロゴたちにあいつが殺されるのは、やっぱり嫌だ。
俺、頼りないかもしれないけど、兄貴がまた反乱を起こすんだったら、一緒に戦うつもりだ。兄貴が誰かに殺されるって言うんだったら、全力で守るよ。お前の――……セラフィナの、ことも、守る。だから、あんまり心配すんな、大丈夫だからさ」
胸がいっぱいだ。アーヴェルが慌てて服の袖をわたしの顔に押しつけた。流れ出た涙が、彼の服を濃く染めていく。
「こんなことで泣くなよ」
「だって、アーヴェルが、そういう風に言ってくれるなんて思わなくて――! わたし、あなたが好きなの、大好きなの……!」
「俺も好き…………だよ。お前ってまだガキだし、恋愛感情かどうか分かんないけど、なんか放っておけないし」
「やったー!」聞いた瞬間、思わず叫んだ。涙は引っ込む。
勢いに、アーヴェルが面食らったような顔になる。
「ほんとにわたしのこと、好き? 嬉しい! キスしてアーヴェル!」
「え、なんで? やだよ」アーヴェルはすぐに言った。
「お前みたいのにキスしたら、色々とやばいだろ。倫理的にさ。もっと大人になったらな」
「わたしもう大人だわ。あなたが知らないようなことも、いっぱい知ってるんだから。でも、いいわ。アーヴェルがその気になるまで待ってるから」
それはいつか、アーヴェルがわたしに言ったような台詞だった。思わず笑う。
「わたし、アーヴェルにたくさん好きって思ってもらいたい」
「前の俺は腐るほど言ってたんだろ。じゃあ別に、もういらねえだろ」
頭をぽりぽりとかきながら言うアーヴェルに向かって、首を横に振ってみせる。
「ううん。何回だって言って欲しい! 毎日毎分、毎秒、わたしの顔を見る度に、わたしのことを好きって思ってもらいたいの!」
好きって言ってもらえたことが、嬉しくてたまらない。アーヴェルは苦笑した。
「お前って、馬鹿だなあ。俺なんて好きにならなきゃ、よかったのにさ」
アーヴェルが、少し困りながらも、わたしの頭をくしゃくしゃになでてくれたから、勢いに任せて抱きついた。
「アーヴェルじゃなくちゃ、嫌なの。他の誰でも、だめなの」
彼はわたしを拒否することもなく、緩やかに、ぎこちなく抱きしめ返してくれた。
「今までの俺がどういう風にセラフィナに接してたか知らないし、同じように愛せるか分からない。命が懸けられるか、自信もない。前の俺がどんな思いで生きたのか見当も付かないし、今の俺がそれと同じ思いなのかも分からない。でも、好きだ。大切にしたいと、思ってる」
素直な言葉だった。温かな彼の体温を感じていると、不思議なくらい、心が凪いだ。
どんなアーヴェルだって、それがアーヴェルなら、わたしは何度だって好きになる。どんな彼だって愛してる。
アーヴェルが、あまりにも穏やかに笑うから、わたしの胸は締め付けられる。よかった。よかったねアーヴェル。みんな、あなたが大好きよ。
わたしがどれほど彼が大好きで、どれほど手に入れたかったのか、彼をわたしに振り向かせるために、どれほど馬鹿なことをしでかしたのか。全部伝えたら、どんな顔をするのかな。
体を離して、微笑んだ。
「待っててね。あなたを、絶対に幸せにするから」
アーヴェルは、不思議そうな表情をしながらも、頷いた。