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アーヴェル・フェニクス

 アーヴェルが屋敷にふらりと戻ってきたのは、わたしの滞在五日目の夕方のことだった。シャツは洗濯されているようだし、誰かのところにいたのは間違いなさそうだ。

 アーヴェルの姿を見ると、やっぱり嬉しくなる。彼がいると、わたしの心はいつだって明るく晴れた。


「ショウはいないだろうな」


 使用人に尋ねている間に忍び寄る。


「おかえりなさいアーヴェル」


 声をかけると、驚いたようにアーヴェルが顔を向けた。

 以前の彼はわたしが出迎えるといつも頭をくしゃくしゃになでてくれたけど、今の彼が同じことをするはずもなく、嫌なものをみたかのように顔を歪めただけだった。


「まだいたのかよ、兄貴の婚約者」


「セラフィナって名前があるわ。わたしのこと嫌いなの?」


「異物が家にいるのが嫌だ」


 そっぽを向いてそう答えると自室に向かって歩き出す。


「異物じゃないわ。わたしが滞在するって、聞いていたでしょう?」


「忘れてた」


「今までどこにいたの?」


 アーヴェルは不機嫌そうに答えた。


「俺がどこにいようが、お前に関係ないだろ」


「あるわ。婚約者になるのよ、わたしたち」


「はあ!?」


 驚愕の声を上げて足を止め、アーヴェルが振り返る。


「わたしたち、そのうち、互いが互いを好きになるのよ。心の通じ合った、恋人になるの」


 アーヴェルに、納得した様子は全くない。


「なんで俺がお前のこと、好きにならなくちゃいけないの?」


 なんて答えたらいいんだろう。アーヴェルはいつだってわたしのことを一番に考えてくれていたから、話せばきっと分かるはずだと思っていた。だけど期待は見事に裏切られる。


「まだ言うなと、言っただろうセラフィナ」


 ショウがやってきてそう声をかけた瞬間、アーヴェルが舌打ちをして目線を逸らした。


「……いるのかよ」


「アーヴェル、話がある。書斎へ来い」


 高圧的なショウの態度にわたしはハラハラしてしまう。こんな言い方では、アーヴェルの態度がますます頑なになるだけじゃないだろうか。


「嫌だ」


 案の定、アーヴェルは従わない。


「言うことを聞け」


「嫌だって言っただろ!」


 どこまでもショウに刃向かう気でいるアーヴェルは、またしても大声を出した。


「俺に偉そうな口を利くんじゃねえ! 魔法だって使えないくせによ!」


 アーヴェルはそう言って手から魔法を放った。魔法は壁に大きな穴を空け、使用人から悲鳴が上がった。穴の向こうから、夕闇が見える。


「またか。勘弁してくれ」

 

 ショウが深いため息を吐いても、アーヴェルは反省なんて少しもしていなかった。


「いいか、金輪際、俺に話しかけるな! 命令もするな。学園に入学したら、二度とこの家にだって帰らない。俺たちはたまたま父親が同じだった、他人でしかねえんだよ!」

 

 叫ぶと、アーヴェルは部屋の反対方向に走り出し、外へ出て、庭の方へと逃げていった。慌てて後を追おうとしたところで、肩を掴まれる。


「行かなくていい。様子を見たろ、もうどうにもならない。あいつは、君の側にいたアーヴェルじゃないんだ。手の付けようがないよ」


 ショウは前の記憶がぼんやりあるけど、主導権を握っているのは、今のショウだった。アーヴェルはショウに苛立っていたし、ショウはそんなアーヴェルに呆れ果てている。

 兄弟の間に流れる空気は緊張していて、冷たかった。


「ショウの馬鹿!」思わず叫んだ。「そんなことないわ! アーヴェルは、本当はとっても優しい人だもの! 唯一の家族のあなたが信じてあげなくてどうするのよ!」


 大声でそう言うと、わたしも庭へと出た。 




 幸いなことに、アーヴェルはすぐに発見できた。庭の生け垣の陰に設置されているベンチにぼうっとした表情で座っていたのだ。その目は赤く、潤んでいるように見えた。

 彼は近寄るわたしに気づいたらしく、目線を下に向けたまま言う。


「兄貴の婚約者が、なんで俺を追ってくるんだよ。一人にしてくれ」


 さっき、感情を爆発させたせいだろうか、屋敷にいた時の怒った口調ではない。彼は消沈しているようだった。 


「放っておけないわ」


「なんでだよ」


「だって、わたし、あなたが好きだもの」


 アーヴェルの瞳が、微かに左右に揺れたように思えた。彼の隣に腰をかけ、わたしは言った。


「わたしね、未来から戻ってきたの」


「ガキの妄想に付き合う気なんてない。帰れよ」


 とりつく島もないってこのことだ。


「いいえ、大切な話だもの。しておかなくちゃ」

 

「兄貴にでも言っとけよ。婚約者なんだから、少しは相手してくれるだろ」

 

 じゃあな、と言ってアーヴェルは立ち上がり、去ろうとする。

 引き留めなくちゃ、と思うけど、なんて言ったら彼がわたしに興味を持ってくれるのか分からない。現状でいえば、わたしは彼にとって、赤の他人でしかないのだ。

 何か、何かないだろうか。彼がわたしの言葉に耳を傾けてくれる、魔法の言葉が。


「――エンジェル!」


 気づけばそう、叫んでいた。

 アーヴェルが立ち止まり、振り返る。


「なんだって?」


 彼に駆け寄りながら、わたしは一生懸命に言った。


「あなたは、小さいときに子猫を拾って、その子に、エンジェルって、名前を付けた。天使みたいに、綺麗だったから。だけどその子は翌朝死んじゃって、ショウと一緒に、庭に埋めたの」


 アーヴェルの顔が困惑に染まる。


「なんで、知ってるんだよ。名前はショウにも言ってないのに」


「未来のあなたが、教えてくれたのよ」


 アーヴェルがその話をしたとき、子猫が死んだとは言わなかった。ただいなくなったと言っただけだ。名前も、お墓の場所も、彼は忘れてしまっていた。

 だけど、最後に、彼は子猫の名前を思い出して、その悲しい記憶ごとわたしにくれたのだ。


「聞いてアーヴェル。信じられないかもしれないけれど、本当のことなの。聞いてから、嘘だと判断したなら、それでもいいわ」


 ようやくわたしは、彼の心を捉えることができた。

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