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俺たちは届かない

「セラフィナ!」


 急ぎ側に行き、その体を抱きかかえる。倒れるセラフィナだが意識はあった。あったが、異変が起きていた。


 陶器のようになめらかな皮膚が、ぼろぼろと剥がれ落ちていく。体の至る場所から、だらりと血が流れていく。彼女の、猫の毛のように柔らかな髪の毛はたちまち輝きを失い抜け落ちていく。


 俺が勝ったわけじゃないということは、分かっていた。

 呪いは最悪の形で成就した。エレノアの形こそ借りたものの、我が子を守ろうとしていた祈りは消え、シャドウストーンへの憎しみだけが凝縮された。純度の高まった呪いは、結果として見事に成就した。シャドウストーン家を食らい尽くしたのだ。


「アーヴェル、たす、けて……」


 彼女の、美しい両目から、涙が溢れ、両手が俺に向けて伸ばされた。


 バレリーの目的が分かった。自分の死を引き金にして呪いを増大し放出させ、俺たちの一番大切なものを、破壊したかったのだ。


「大丈夫だ、大丈夫だセラフィナ、俺が、なんとかしてやるから、絶対に、俺が……」


 壊れていく側から、彼女の傷を治癒する。手を抜いているわけではないのに、間に合わない。

 他の誰が命を失ったとしても、それは構わなかった。セラフィナでなければ、それでよかった。セラフィナが死ぬなんてあり得ない。彼女を守るために、ずっと側にいたのに。


 俺の肩に、手が触れた。ゆっくりと視線を向けると、兄貴が、首を横に振るのが見えた。


「アーヴェル、もう、無理だ」


 その手を振り払う。


「何言ってるんだよ兄貴! まだ間に合う、俺はこんなの、絶対に認めねえからな!」


 だが兄貴の目に、絶望は浮かんでいなかった。静かな決意が、秘められていた。


「方法はある。お前だって、本当は、分かっているんだろう。お前の魔力が、なんのために強まったのか、その答えを」


 セラフィナを抱える俺の手は震えていた。


「だ、だけど、せっかくここまで来たんだ。見ろよ、敵は死んだ。俺たちの勝利だ。兄貴は生きて、皇帝になれる。ここまでに何人死んだ? それを、簡単に捨てられるか――」


 兄貴は、ほんのわずか、寂しそうに微笑む。


「捨てるんじゃないよ。お前が私のために、してくれたことが、心の中から消えてなくなるわけじゃない。ただ、忘れ去られて、目に見えなくなるだけだ。それだけだ」

 

 諭すような口調だった。

 本当は、俺にだって分かっていた。方法は、たった一つだけあるということを。


「兄貴の夢が、やっと叶うのに、セラフィナが死んじまったら意味が無い。こんなの、あんまりだ」


「確かに、父の後を継ぐのは夢だった。だがこの争いの主役は私じゃない、お前だアーヴェル。お前がいなかったら、そもそもここまで来れなかった。私のことは気にするな。お前の、望むとおりにすればいい」


 俺の望みは、セラフィナがいてくれることだ。いつだってそうだ。


 セラフィナが笑っていることだ。

 セラフィナが怒っていることだ。

 セラフィナが喜んでいることだ。

 朝食を食べ終えたセラフィナが、俺と兄貴を急かして庭へと連れて行く。また俺が、つまらないことを言って、泣き虫のセラフィナを泣かせてしまう。兄貴が俺を怒って、そうしてセラフィナを泣き止ませ、彼女は楽しそうに笑う。

 それが望みだ。

 それだけが、俺の望みだ。


「これしか、ないのか」


 かつて考えていたことが思い起こされる。

 もしセラフィナと他の誰かの命を取るという状況に陥っても、迷わず俺は、セラフィナを取るだろう。たとえそれが、救いたかったショウだとしても。たとえそれが、俺自身の命だったとしても。


「……ごめん、兄貴。ごめん、俺は。せっかく、やっとここまで来れたのに」


「構わないさ」ショウは穏やかに言う。「お前のおかげで、最高の夢を見れた。楽しかったよ。私の思いは、お前と同じだ」


 俺はセラフィナに向き直った。自分の命の終わりを悟っているのか、悲しげに瞳を揺らしている。そうだ、命は一方通行で、戻ることはない。

 だが世界は、戻ることができる。


 彼女の崩れ行く肌の上から頬を掴むと、その目を見つめた。彼女の目から、涙が溢れる。


「俺だけ見てろ、セラフィナ」


 いつか言えなかった言葉を、今になってようやく言えた。

 なあ俺も、楽しかったよ。

 お前がいて、兄貴がいて、やり直すことができて、俺、本当に楽しかったんだ。人生って、こんなに楽しいんだって、初めて知ったんだ。そうだよセラフィナ、俺の人生は、この地上の誰よりも幸福なものだったんだと思う。

 だから、後悔はない。

 全てを失ったとしても、何もかも残っていないわけじゃない。俺の全てを託せる人間がいるなんて、しかもそれが、愛する人だなんて、この俺の終わりとしては、随分上等じゃないか。


 俺はセラフィナを抱きしめ、魔法を作り始めた。方法は分かっていた。すでに二度、見ていたからだ。

 長い間履き違えていた。この世界の勝者は、北壁のフェニクス家でも、セント・シャドウストーン家でも、ドロゴでも、バレリーでもあってはいけない。セラフィナだ。セラフィナだけが勝者だ。

 なぜならこれはそもそも、セラフィナが勝利を得るために始めたゲームだからだ。初めから、俺に勝ち目などなかった。彼女に恋した時点で、永遠の敗北が約束されてるようなものだからだ。


「――セラフィナ、お前は今から未知へ行く。だが忘れるな、俺はいつだって、お前の側にいるんだ」


 姿が見えなくなったって、今の俺の意識が消滅したって、うんざりするほど、お前の側にいてやるよ。とことん付き合ってやるって、言っただろ。


「アーヴェルが……」か細い彼女の声がした。「アーヴェルが、いなくちゃ無理よ。どうしたらいいのか、少しも分からない」


「幸せでいるんだ」俺は答えた。


「セラフィナ、幸せであるんだ。いつだって幸せであれ。それだけで、十分だ」


 別に悪女になったって、俺を殺したって構わない。お前がそれで、心から幸せなら、俺はなんだって構わないんだ。

 己の手先に、白い魔法が凝縮されるのを見つめながら、俺は言った。


「……十三歳の頃の俺ってさ、我ながら救いようのないひねたガキだ。だから、迷わず見捨ててもらっていい」

 

 セラフィナが、俺の魔法を拒否するかのように弱々しく首を横に振る。


 彼女の頬を伝う涙を指で拭った。

 兄貴が、俺ごとセラフィナを抱きしめた。


「もう一度だ。もう一度、始めればいいだけさ――」


 俺の記憶が流し込まれた兄貴は、俺の知らないことも思い出していた。俺にとっては驚愕の事実。世界は、すでに一巡していた。俺はいつだって、二巡目を生きていた。

 一番初めの世界のことを兄貴は話してくれた。あまりにも暗い世界の話を。俺は、その世界では早々にリタイアしたようだ。

 そうしてその世界でも、兄貴はシリウスによって処刑された。だからそれ以降のことは、想像でしかない。セラフィナは、バレリーを、過去へと戻した。その時の彼女に、どんな意思があったのかはもう分からない。だけどそのおかげで、今この瞬間があるのは間違いなかった。


「泣くなよセラフィナ、大丈夫だからさ」


 俺は今から、セラフィナを過去へと戻す。彼女の命を、救うために。悟る。何度も時が戻って、強大になった俺の魔法は、今この瞬間のためにあったのだということを。

 

 魔法を彼女に流し込む。

 セラフィナの魔法とは違い、白い光が包み込む。

 

 世界が回る。

 あらゆる境界が、曖昧になっていく。

 回転し、二度と元に戻ることはない。


 セラフィナはこれから、過去へと戻り、何も知らない俺とショウに出会うのだろう。その時に彼女は、どんな行動を取るのだろうか――。


 それは奇妙な感覚だった。

 ふいに、その考えが首をもたげた。


 瞬間、悲しみも感傷も消し飛んだ。

 変わりに、笑いが込みあげた。――ああ、なんてことだ。

 

 消えていく世界の中で、俺の笑い声だけを聞いていた。だとしたら、これは本当にふざけた話だ。


 もしかすると、一番初めにこの馬鹿げた行為を始めたセラフィナは、ここまで読んでいたのではないだろうか。

 俺がいつか、セラフィナを過去に戻すと、分かっていたのではないだろうか。セラフィナにとっては家同士の覇権争いなど瑣末な問題だったに違いない。彼女にとっては、俺が彼女をどこまで深く愛して、彼女のためにどこまで捨てられるかが重要だったんじゃないのか。だったら見事に術中に嵌ったよ。俺はお前のためなら、何もかも捨ててやる。


 自分が消えてしまう前に、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。最期の最期まで、彼女の存在を感じていられるように。耳元で囁いた。


「お前はやっぱり、とんでもない悪女だよ」


 だとしたら、嬉しかった。

 お前が俺の中の愛と善を、そこまで信じてくれていたことが、とても嬉しいと思った。


「セラフィナ、愛してる」


 彼女が、微笑む気配がして、俺と同じ思いでいることを知った。俺はやはり、この世界で一番の幸せ者に違いない。


 そうとも、後悔は一つもない。


 だが、寂しがり屋のお前が悲しい思いをしないか、泣き虫のお前が、一人で泣きはしないか、そればかりが気がかりだ。


 なあセラフィナ。

 俺、ずっとお前に嘘を吐いていたんだ。この世界なんて、本当は少しも優しくないんだ、ごめん。

 だけどどうか、お前にとって、世界が少しでも優しくあり続けることを、願うよ。


 世界が回る。

 喜びも悲しみも、幸福も不幸も全てを洗い流していく。

 世界が消える。

 俺という存在が消えていく。全てをセラフィナへと託して。


 ――今さらながら、子猫に付けた名前を思い出した。

 我ながら、恥ずかしい名前を付けたものだ。

 


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。加筆修正はするかもしれませんが、第三章はこれでおしまいになります。


気に入っていただけたら、ブクマや感想、広告下の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」マークから評価をいただけると今後の励みになります。


物語の内容はあまり解説しない方がいいかなとも思うのですが、ちょっとだけ説明します。

時系列としては、一番初めに0周目があって、セラフィナがどういうわけかバレリーを過去に戻した→一章冒頭の世界(及び幕間のジェイドの話の世界)→一章の世界→二章の世界→三章の世界になっています。0周目ではセラフィナがバレリーを戻しているのですが、その辺りのお話はこれから先に語っていく予定です。


今回はアーヴェルがセラフィナを戻したので、第四章はセラフィナの奮闘物語になります。

引き続き、楽しんでいただけたら、とても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
あー。やっぱりお兄ちゃんが好き。推し。 お兄ちゃんが幸せになりますように。
[一言] 完結済みで半分まで読んだ所で、尺的にまたやり直すんだなぁと辛い気持ちで読んで居ましたが… 徐々に新たな事実がピースとして集まって行く感じは嫌いじゃないです。 死に戻り辛いけど、それだけの価…
[一言] オールリセットハードモード これは面白くなってきた!(ここまでも面白かったけど!
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