強者たるものは
帝都の制圧は、北部から平野までの戦闘に比べると遙かに楽なものだった。
事態を静観していたキングロードが、帝都に向かう俺たちに使者を寄越し、ついに極東から数千の兵を帝都に向けて動かした。
すでに市民の多くは避難しており、戦い慣れしていない帝都の兵士達は、まるでやる気のないままに降伏した。
誰がどう見ても、ショウ・フェニクスの勝ちだった。兄貴は新しい皇帝のように、帝都に迎え入れられたのだ。
白亜の城が北部の軍に取り囲まれ、諸侯達の旗が並ぶ中、俺たちはするりと城に入る。
城に入ったのは、ショウと俺を筆頭に、北から付き従ってくれた信頼できる数人だ。
そこにはクルーエルの姿も、バレリーの姿もない。しかしセラフィナはいた。戦力を期待してではなく、守るためだ。
近衛兵すらも逃げ出した城の中では、玉座の間で待ち構えている叔父上の元へと行くのに、そう苦戦はしなかった。
きっと間抜けな彼は震えているだろうと思ったが、意外にも、ふてぶてしく玉座にふんぞり返っている様は、流石皇帝だと言うべきだろうか。一応は気骨のある人間だったのかと、わずか見直した。
「……来たか、ショウ・フェニクス」
ドロゴは、シリウスの誕生日パーティで会ったときよりも、幾分やつれているように見える。
名を呼ばれた“ショウ・フェニクス”が進み出て、ドロゴを真っ直ぐに見据えた。
「叔父上、そこを退いていただけますか」
俺も横から口を挟む。
「借してた借りを、返してもらわなくちゃな。そこはショウが座る椅子だ」
だがドロゴは両手で顔を覆って泣き出しただけだった。
「シリウス……可哀想に」
今更人間らしさを見せられても困るというものだ。兄を殺し、別の未来では兄の子を殺し、どの面下げて、息子の死を嘆くのだろう。
窓の外はドロゴの敵が取り囲んでいる。逃げ場などないのだから、大人しく降伏してもらいたい。そうすれば、痛み無くその命を終わらせてやってもよかった。
「あんたが自ら退かないというのなら、力尽くでやるだけだ」
ドロゴはそこで、初めて俺たちを見た。その目は血走り、憎しみを孕んではいたものの、取り乱した様子はない。嫌な予感がした。
存外はっきりした口調で、ドロゴは言う。
「一つ、世間知らずの甥っ子たちに、父親に代わって社会勉強をさせてやろう。反省を生かす機会は二度と訪れはしないが」
言った後で、背後を振り返る。
「私が逃げなかったのは、お前達などひねり潰せるからだ……なあロゼッタ?」
呼びかけられたカーテンの向こう側からは、当然のようにロゼッタ・シャドウストーンが現れた。
中年だが野暮ったい印象はまったくなく、その目は相変わらず他を寄せ付けないと決め込んでいるかのように冷徹に光っている。
「ええ、陛下」
空間が、ロゼッタだけを残して固まってしまったかのように思えた。それだけ強烈な気配を放っていた。
俺のすぐ背後にいたセラフィナが、びくりと体を震わせる。
ジェイドは正しかった。ロゼッタは俺を待っていた。――殺すために。
ということは、城の外にいるクルーエルも知っているはずだ。
やっぱりか、ショウが兵達の中で、小さくそう呟いた声は、俺にしか聞こえなかっただろう。
驚きなど微塵もなかった。味方なんて、初めから俺たち兄弟以外にいない。ジェイドが自らの死を持って、それを俺たちに教えてくれた。
「……本当に間抜けだな叔父上、騙されやがって。そいつがシリウスを殺させたんだぜ。数年も前から俺たちに協力していたのに、気づかないなんてな。どんな甘言に釣られたんだ?」
「戯れ言です、耳を貸さぬよう。私は娘を取り返すため彼らの味方のふりをしていたまでです。
息子二人を見張りに付かせていましたが、ジェイドは彼らに始末されました。息子を喪った悲しみは、私もあなたと同じです」
蛇のように邪悪な男が、そうドロゴに囁いた。
ロゼッタが出てくるということは、勝算があるということだ。だが依然俺たちの有利であることには変わりない。俺は今、この国で一番力の強い魔法使いなのだから。
「こう考えているのかね、アーヴェル・フェニクス? 自分の魔力は私をも凌ぐから、仮にここで私とクルーエルと戦闘になったとして、勝てると。
力業で来る気概は嫌いではないが、人間ならば頭を使わなければ。私からも教訓を授けよう、君たちが私に勝てる見込みは、“ゼロ”だ」
ロゼッタがそう言った瞬間、カーテンの奥からさらに人が現れる。兵士達に連れてこられたのは、北の屋敷で匿っているはずのリリィ・キングロードだった。
美しい金糸のような髪は乱れ、白い肌は紅潮している。腕には魔法を封じるために手錠がはめられ、肌の色に対比するように、黒い布で目を覆われていた。
「離しなさい!」喚く彼女の、目隠しが外され、その瞳が、俺たちを見た。
ショウの目が見開かれ、両手の拳が握りしめられるのを感じた。
「彼女が本当に大切ならば、セラフィナのように戦場へ連れてくるべきだったんだ。――あるいは、本当は大切ではなかったのかな?」
帝国軍が、俺たちを捕らえようと寄ってくる。
「外道め」
ロゼッタだけが、不敵に笑う。
「確かに私は外道だとも。容易く約束を破り、裏切り、切り捨て、人の裏をかくのが大好きだ。傲慢で強欲で卑怯で、人を蹴落とし、そうしてそれを顧みない。覚えておくことだな諸君、勝者とは、常にそうあるものだ」
「負けを認めることだ」
ドロゴも言う。
「キングロードは確かに動いた。だがそれは、お前達を殺すためだ。
分かるかな、愚かな甥たち。包囲されているのはお前達の方だ。中央に喧嘩を挑むなど、初めから無謀だったのだよ」
水面に石を投げ入れた時の波紋のように、ドロゴを中心に、輪が出来上がっていた。
ドロゴを殺すために俺たちが囲み、俺たちを殺すために、キングロードが街を囲めば、まず間違いなく泥沼だ。補給路も退路も阻まれれば、帝都には陰惨な死体の山が出来上がるだろう。
「馬鹿はそっちだ、その前に殺せばいい!」
魔法を放とうとするのを、“ショウ・フェニクス”が腕を掴んで止めてきた。
「止めてくれ! リリィ・キングロードが殺される!」
それを振り払う。
「リリィを殺したら、キングロード家が皇帝に味方する理由はなくなる! 人質を殺す意味はないだろう!」
「どうかな?」ロゼッタは微笑み、リリィに向かって手を翳す。たちまちリリィは胸を押さえて、息を吸い込もうとした。だができない、水の中で溺死する者のように、呼吸ができないのだ。
「人質など、生かしているふりさえできれば問題あるまい」
「堪えてくれ」ショウが言ったのが、俺の決定打だった。
「……分かった」
俺は両手を上にあげ、攻撃の意図がないことを示した。途端リリィはその場に蹲り、息を吸い込む。
ドロゴが立ち上がった。まるで芝居が終わった直後の観客のように、手を打ちながら。
「降伏しろ甥たち。今この馬鹿げた反抗を止めるなら、お前達二人の首だけで収束させてやろう。
リリィ・キングロードと、セラフィナ・シャドウストーン、それにバレリー・ライオネルの命には、慈悲をやる」
所詮ドロゴはこういう男だ。ロゼッタが味方であり、リリィを捕らえ、俺たちが降伏すると思っていたから逃げずに待っていたのだ。
俺たちは、叔父への返答をしなかった。
――パターンを、いくつか考えていた。
帝都に入る前の話だ。ジェイドの件があって以降、俺は兄貴と、何度も話し合いをした。
ロゼッタは帝都にいるか、いないか。
いたとして味方か、敵か。
味方の場合、見返りはなにを求めるか。
敵の場合、動機は。誰と手を組む。
俺を殺すか。
どうやって倒す。
敵はこいつだけか?
想定をした。腐るほど、勝利への方程式を作り上げた。必ず勝利するために。そうだ、この戦いの勝者は、俺たち以外に存在してはいけない。
この場に、いない人間の声がしたのはそんな時だった。
「なにを、ちんたらやってるんですか。ドロゴくらい、もう捕らえたものと思っていたのに」
それは、外で待機していたバレリー・ライオネルの声だった。