果たされる
俺は兄貴のためにどうしたらいい――そう言おうとした瞬間だった。
テントの入り口が、声もかけられず乱雑に開けられる。
現れたのはジェイドであり、驚嘆すべきことを俺たちに告げる。
「早く来い! 皇子が死んだ! 毒を持っていたらしい」
自殺なんてする殊勝さと高潔さを持っていたとは思えないが、向かうと確かに、シリウスは死んでいた。
呼ばれたらしきバレリーとクルーエルもすでにいて、地面に横たわるシリウスを見つめている。
「誰が見張りの時だ」
問うと、皆の視線がジェイドに集まり、奴は言った。
「……俺だ」
「両手を縛られているのに、どうやって毒を飲めたんだ」
かがみ込み、シリウスの死体を調べていた兄貴が、俺を振り返った。
「見ろ、襟が破けている。口で噛みちぎったんだ。内側に毒を隠し持っていたに違いない」
確かに破けているが、納得できるかはまた別だ。
「こいつが自分で死を選ぶタマかよ、あれほど生に執着してたじゃねえか」
「誰かに仕組まれたとでもいいたいのか、アーヴェル・フェニクス」クルーエルが冷徹に言った。
「皇子が死んだのはジェイドが見張りの時だった。ジェイド、お前は皇子に毒を盛ったか」
「いいや――」青ざめながらもジェイドは言う。「――気づいた時には苦しみだして、止める間もなく死んだ」
ショウは一瞬だけ黙り、ジェイドとクルーエルを交互に見た。彼らに向かって何かを言うのかと思ったが、そうではなかった。
「……人質がいなくなっただけさ。我々のすべきことに変わりはない」
独り言のような台詞だった。
こういう時の兄貴は、実は内心で急速に思考を巡らせていることを、俺だけは知っている。
「この死体はどうします」
尋ねるバレリーに答えた。
「せっかくだし城門に吊そうぜ」
いいや、と首を横に振ったのはまたしても兄貴だった。この場を丸く収めることにしたようだ。
「近頃暑い、その前に腐敗する。生きている頃がどんなに憎かろうが、死ねば罪は洗われる。遺体を辱める真似をしては、彼らと同じさ。ここに葬り、我々は先を急ごう」
穴を掘り、シリウスを埋めた後で、周囲に聞かれない距離で、兄貴が俺に囁いてきた。
「ジェイド・シャドウストーンは信頼できる人間か」
「普通だったら信頼はできる。だが家と信念だったら、究極的には家を取るような男だと俺は思う」
ショウも頷く。
「私もそう思う。屋敷に居候していた時期もあるから、信じたい気もするが、一度は背後から頭を撃たれているからな」
ショウは息を一つ吐いた。
「アーヴェル」
「ああ、探るよ」
兄貴がみなまで言わずとも、俺も同じ考えだった。
意外なことに、その機会は向こうの方からやって来た。
兵達が帝都に移動する行軍の最中、あっちから俺の側に来たのだ。
セラフィナはショウと一緒に先頭付近にいて、だからジェイドが話しかけてきた。
「なあアーヴェル。妹が好きか」
唐突な切り出しだが即答した。
「ああ、心底惚れてる」
はあ、と呆れとも嘆きともつかぬため息を吐いた後でジェイドは言った。
「父上は、公国から動かれた。実際、ショウ・フェニクスの裏に誰がいるのかをとうの昔に気がついているんだ。誰を排除すべきか、知っている」
苦悩するように眉間に皺を作るジェイドに、俺はしびれを切らす。
「じれったいな、何が言いたい。核心を告げないのはお家柄か?」
「逃げろ、と言っただろう。この反乱が負けると思っているからじゃない。むしろこれは、必ず勝つだろう、シャドウストーンが力を添えているのだから負けはあり得ない」
自信過剰な台詞に反してジェイドの表情は暗い。
「以前、お前に問うたことを覚えているか。シャドウストーンの人間が、なぜ皆、魔法使いなのかについての問いだ」
「もちろんだ」俺も疑問に思っていたところではある。そこまで高確率で魔法使いが生まれ続ける幸運があるのだろうか。
実際、セラフィナだけは違うが、黙って続きを促した。
「確かに魔法使いと魔法使いが子供を作れば、それだけ魔法使いが生まれる確率が高くなる。だが全員そうであるわけがない。
……我が家に、昔から伝わる、魔導具があったんだ――。
それがどんな形状をしていたか俺は知らないし、見たことはない。ただ人が持ち運べる大きさだったんだろうし、常識では考えられないほどの量の魔力を貯めていて、人に分け与えることができるほど精巧な作りだったのも確かだ。
……それが答えだアーヴェル。
セント・シャドウストーンでは、赤ん坊が生まれ、魔法が使えないと分かると、その魔導具を使って、その精神に魔法を固着させていた。いわば、人そのものを、魔力を貯める魔導具にしていたんだ」
困惑は表情に出ていただろう。
「担いでんじゃねえよ。そんなこと不可能だ。人に魔力は固着しない。俺はちょっとしたアクシデントで兄貴に少しだけ記憶を流し込んだことがあるけど、それだって兄貴自身のものにはならなかったんだぜ」
「いいやできる。それ相応の魔力と技術があれば」ジェイドは断言した。
「お前はショウ・フェニクスに記憶を流し込み、魔導具もどきにしたが、幸いなことに固着はしなかったんだろう。無意識だったせいじゃないのか。人に魔法を固着させるのは、通常じゃ考えられないほど複雑な術式と、莫大な魔力が必要だ」
莫大な魔力とは、セラフィナが得たほどのものだろうか。
――そこまで考えて気がついた。まさしくジェイドは今、俺との約束を果たそうとしているのだということに。
「おいジェイド。魔導具が“あった”、と言ったのか。今は失われたってことか? あの井戸に、それが投げ込まれたのか、エレノアと一緒に?」
察しがついて尋ねると、ジェイドは頷いた。
「母の死の理由を尋ねたとき、父上は、父上からの愛が得られないと知り絶望したからだと言っていた。だが嘘だ、と思いたい。
貴様とセラフィナの関係を見て思うようになった。人の愛は、人の生きる糧になるのかもしれないとな。俺は母上を愛していたし、だからその愛は、彼女の生きる理由になったはずだと信じたい」
「俺もそうだと思うぜ」
どれほど世界が悲痛でも、誰か一人に愛されているということは、それだけで生きる力になると、俺も今は知っている。
暗い顔をしていたジェイドだが、俺の肯定によりわずかに表情を明るくした。
「ここから先は推論でしかない。確かめようもないことだが、母上は、魔導具を壊したくて、自ら抱えて死んだのではないか。俺は生まれついての魔法使いだが、兄上はそうではなかったんだ。赤ん坊の頃に兄上は魔法を得たが、代償があった」
「代償ってなんだよ」
ジェイドは舌打ちをする。
「順を追って話している。聞け。
母上は、兄上が無理矢理魔法を与えられてしまったことに、気がついていたんじゃないのか。そうしてセラフィナを妊娠し産んだが、またしても魔法使いではなかった。
魔導具により魔力を与えられてしまっては、セラフィナもまた、代償を払う必要がある。だから母上は、魔導具とともに、井戸に身を投げたんだ。セラフィナを守るために――」
普通だったら、妄想だと片付けてしまいそうな話だ。だが、あの井戸に氾濫する魔力が、確かにおぞましさを帯びていることを知っている。
「結果、魔導具は破壊され、意図せず井戸に魔力が氾濫したと言いたいのか。
だがな、おかしいぜ。お前の母親は、お前の中じゃ随分聖人のようだが、あの井戸は呪われている。お前の母親が呪っているんだろう」
セラフィナはその呪いを受けたのだ。
「違う!」ジェイドが大声を出したため、兵士達が俺たちを見た。
声を低くして、ジェイドは続ける。
「いいかアーヴェル、ここからが本題なんだ」