ショウ・フェニクスの本心
シリウスを捕らえた後、敵兵達は劣勢を悟り、撤退していった。人気のなくなった戦場には、俺たちの勝利だけが残る。
目下の課題は、従兄弟殿の始末だった。
こちら本陣に連れてこられ、縛られたままショウの目の前に引き出されたシリウスは怯えたように俺たちを見上げた。
「やあシリウス、君のパーティぶりだ」
魔法使いに囲まれて地面の上に無様に座るシリウスに向かって、ショウは穏やかに語りかける。
愚かなシリウスは、やはり愚かにショウに命乞いをした。
「ショウ! 優しい君なら僕を助けてくれるだろう! 子供の頃はあんなに仲が良かったじゃないか! 愛情を忘れてしまったのか!」
情に訴えかけるようにシリウスは言うが兄貴の態度に変わりはない。
「魔法使いに意見を聞こうか。まずはバレリーだ。君がシリウスを捕まえたんだ、どうしたい?」
「バレリー! 君はアーヴェルを殺すことを、僕に約束したじゃないか」
バレリーはシリウスを見もせずに言う。
「邪魔な鴉は撃ち殺せばいい」
「なるほど、ならばシャドウストーンの兄弟はどうだ」
「任せる。どちらでも構わない」クルーエルが言う。
「さっさと殺せ、面倒くさい」ジェイドが舌打ちをした。
「アーヴェルはどうだ」
俺はじっとシリウスを見つめた。
「アーヴェル、僕らは親友のようだったじゃないか!」
さっきバレリーに俺を殺すと言った言葉をもう忘れているらしい。哀れみを引こうとするその態度に無性に腹が立ち、俺は言った。
「確かにガキの頃お前と遊んだことがある。まあまあ楽しかった思い出だ。今、また遊んでやってもいいくらいには」
どうでもいいことだが当時遊んだのは玉蹴りだった。渾身の力でシリウスの股間を蹴り上げると、何かが潰れたような気がした。
ぎゃ、と悲鳴をあげてシリウスは静かになる。
「こいつの始末は兄貴に任せる」
そうか、とショウは答えると、レッグホルスターから回転式拳銃を引き抜き、シリンダーから六発の弾を取り出した後でわざわざ三発詰め直し、泣くシリウスを見つめて楽しそうに告げた。
「――三発だ。君は私を三回殺したから、私が君を殺すのも、三発にしておこう」
シリウスの表情が凍り付いた。
「ショウ……助けてくれ」
兄貴はまた笑う。
「私の秘密を教えよう。本当は、子供の頃からシリウス、君のことが大嫌いだったんだ」
そうして間髪入れずに弾をシリウス目がけて放ったのだ。
弾は全て地面に着弾し、体にかすりもしなかったが、恐怖が最高潮に達しでもしたのか、シリウスはその場に失神した。
兄貴の顔に、もう笑みはない。
「当初の予定通り人質だ。縄で繋いで見張りを付けておこう」
「うわっ」何かに気がついたのか、シリウスの横にいたジェイドが一歩遠ざかる。「こいつ、失禁してやがる」
◇◆◇
シリウスは俺を含めた魔法使いたちが数時間おきに順番で見張りにつくことにした。
初めはバレリー、次いでシャドウストーンの兄弟だ。夜の見張りに加わるルーティンだが、このせわしなさもあと数日だろう。
俺は兄貴のテントに二人きりでいた。確かめたいことがあったが、どう切り出していいのか分からず、数十分、そのままだった。
銘々椅子に座り、会話などなかったが、寡黙に銃の手入れを続ける兄貴を見ていると、無性に話しかけたい衝動に駆られた。
「なあ兄貴、シリウスと敵対して悲しいか。捕虜にするまでに至って、残念に思うか? あいつに愛情はあったか」
従兄弟を思ってそう言うと、兄貴は手を止め、俺を見る。
「……いや、それが一種の爽やかささえ覚える。せいせいした。気が晴れた。
青空の下、そよ風の吹く中でピクニックしているかのように清々しい気分だ」
「俺もだ」
顔を見合わせ、俺たちは笑った。
そうして今しかないと、思った。
「なあショウ、いつからなんだ」座ったまま、俺は問いかけた。
「いつから、記憶が戻ってるんだ」
兄貴の顔から笑みが消えたのを、俺は確かに見て取った。確信する。
兄貴には、過去の世界の兄貴自身の記憶があるのだ。
「前に言っただろう。私の頭の中にあるのはお前の記憶で、私自身のものではないと」
「嘘だ。さっき兄貴は、シリウスに三回殺されたと言ったが、俺が知るのは二回だ。確かに兄貴は三回死んだよ。でも一度はジェイドが実行したんだと思ってた」
兄貴自身の記憶が無ければ、三回という言葉が出てくるはずがない。
「ジェイドが殺した一回も、シリウスが命じていたのか。兄貴は、それに気がついていたのか」
「言葉の綾だ。冷静じゃなかったんだ」
とてもそうは思えない。兄貴はあの場で誰よりも冷静だった。
「俺に嘘は吐かないでくれ」
一瞬、ショウは怒っているんじゃないかと思った。それほど、感情の読み取れない表情だった。
だが、やがてショウは、いたずらがばれた子供のようにばつの悪い顔をして、苦笑した。
「……お前は確かに、多くのことを経験し、知っている。だが、全てを知っているわけじゃないんだ。お前だって知らない世界もあるということさ。そう、記憶がある。あるよ、確かに」
兄貴はそう認めた。
「いつから――」
「明確にこうという日はない。冬が終わり、雪がじっくりと溶けるように、お前にお前自身の記憶を見せられた日から徐々に、自分の記憶が蘇ってきているんだ。全てというわけじゃないと思うが」
数年も前じゃねえか、くそ兄貴。俺は少しも気づかなかった。
以前ショウは、何かのきっかけで記憶が戻ることがあるのかもしれないと言っていたが、それが兄貴自身に起こっていたのだ。俺の魔法をきっかけに、兄貴に記憶が戻っていた。
「じゃあ、どんな思いで俺とセラフィナを見てたんだ。
あいつと兄貴は恋人だった。俺が言うのもなんだけど、心が通じ合った、本当の恋人だったんだと思う。兄貴はセラフィナが好きだったし、セラフィナも、兄貴が好きだった。
その記憶があるんだったら、今だってセラフィナを愛しているんじゃないのかよ」
おそるおそる口にした俺の推論を、兄貴はあっさりと認めた。
「好きだよ。――だがアーヴェルから奪いたいとは望まない」
愕然とする以外どうしたらいいんだ。
人としての格の違いを見せつけられているかのようだった。こいつ、本当は半分だって俺と血が繋がっていないんじゃないか。フェニクス家にあるまじき人格者だ。
「俺は、いつも兄貴からセラフィナを奪いたかった。俺のものにしたかった」
「分かってる」
兄貴は椅子から立ち上がると、俺の目の前まできて髪をぐしゃりとなでた。
さながら年長者が年下にするようで、兄貴面した仕草に、思わず言う。
「……俺の方が、兄貴より長い時を経験してるんだけど」
「だがお前は私の弟だ。それに、記憶がある今、やはり私の方が兄貴さ」
己を納得させるようにため息をひとつ吐いた兄貴は、言葉を続ける。
「お前の想いは、分かっていた。本当は彼女の視線が誰を追っているのかいつだって気がついていたのに、彼女をお前のところへ行かせなかったのは、私が彼女を愛したからだ。
馬鹿みたいだろ、初めから、お前に勝てる見込みなどなかったのに、それでも彼女を手放せなかった。これは私の後悔の一つだ」
兄貴が後悔する道理はない。前の世界で兄貴とセラフィナが上手く行くように動いたのは俺であり、破滅させたのも、また俺だ。ショウはそれを知っていて、俺をなじることはない。どうしてそう穏やかにいられるのか、俺には少しも分からない。
「悪かったな、今まで言わなかったのは、こんな弱さと情けなさを、お前の前で露呈したくなかったからだ」
「違うよ兄貴」
「違わないさ。考えたんだ。
――私は彼女のために死ねるだろうかと。死ねると思う。彼女を今だって、大切に思っているから。だが彼女は? セラフィナは、私のために死ねるだろうか。
私は答えを知っている。彼女は私のために、命を懸けることはない」
セラフィナが時を戻したのは俺のためだった。俺の記憶を見たショウは、それを知っている。
だがそれは、ショウも救うためだ。それだって兄貴は知っているはずだ。
「違うよ」
「違わないよ」再び同じ問答を繰り返した後で、兄貴は言った。
「昔、恋人がいたんだ。十代半ばで、二人とも熱くなっていた。だが彼女は魔法使いで、私はそうではなかった。結局、彼女の両親は私との結婚を許さずに、彼女は別の男と今は結婚している。
もう二度と、誰かを好きになることも、心の底から何かに打ち込む情熱を持つこともないだろうと思っていたが、アーヴェルとセラフィナに、そうではないと教えられたんだ」
知らない話で、少なからず驚いた。兄貴は恋人がいても、その影さえ家では匂わせたことはなかった。
「セラフィナを初めて見たのはシャドウストーンの屋敷で、商売の話を持ちかけたときだった。まるでこの世に楽しいことなど一つも無いと決め込んでいるかのように陰鬱とした表情で、庭で一人でボールをついていたよ。
その姿が、どうしようもなくお前と重なったんだよ。会話さえない弟の、寂しげな姿と。
どうにかしたいと、ほとんどそれは衝動だった。なあアーヴェル、私の記憶も流し込めたらいいのにな。そうしたら伝わるだろうか。私がどれほどお前達を大切に思っているのか。
私は冷静か? いいや冷静じゃない。ずっと心は燃えている。二人のために、私だって、なんでもすると、覚悟を決めたんだから」
何も答えることはできなかった。
「それに、今は本当に、リリィとの将来を考えている。お前が思っているよりも遙かに真剣に、彼女と人生を歩めたらいいと考えているんだ」
それが本心か、俺を納得させるための方便か、判断できなかった。




