鬱憤、晴らすとき
「なぜそこまで言われなくてはならないんですか」
突然聞こえた声に、ぎょっとして俺たちは振り返り、不服そうな表情を浮かべながら佇んでいたバレリーに気がついた。
ジェイドが不愉快そうに眉を寄せる。
「盗み聞きか。流石、育ちのいいことだ」
「眠れなくて外にいたら、アーヴェルさんの声が聞こえてきたから、来たんですよ」
珍しく腹立たしげな声色で、バレリーはジェイドを見据えた。
「ジェイドさん。僕が内偵だと疑っているんですか。貴族でないから信用ならないと? あなたこそお兄さんから信用されていないんでしょう。だから本当のことを教えてもらっていないんだ」
セラフィナが不安げに俺にしがみつく。
「おい、言い過ぎだ。やめとけよ」
立ち上がり、勃発しそうになる喧嘩の種に割って入った。
以前だったら俺が喧嘩をする立場だったが、いつの間にか変わったものだ。魔法使い同士の喧嘩が手に負えなくなることは、経験から実証済みだった。
「止めないでくださいアーヴェルさん」バレリーはジェイドを睨みつけながら言う。
「ジェイドさん。僕は、僕なりに覚悟を決めてこの戦場にいるんですよ。それをそんな言い方をされちゃ、謝罪を聞くまで引き下がれない」
「謝罪だと? 俺は事実を言ったまでだ」
双方睨み合い、譲らない様子だ。
ガキどもめ、俺は舌打ちをした。
「仲よくしろとは言わないが、ここで争うほどお前達も馬鹿じゃないだろう。それとも、俺が力尽くで止めた方がいいのか?」
ふん、と鼻を鳴らし去ったのはジェイドの方だった。見張りを放り出し、一人になることに決めたらしい。
もう少し奴の話を引き出したかった俺は、当てが外れてしまったが、今、俺の魔力は誰よりも強い。そうそう危険な目に遭うとも思えなかった。
ジェイドの背を見つめ、ため息を吐いたバレリーに俺は言う。
「大丈夫かバレリー、顔色悪いぜ」
連戦の疲れか、このところのバレリーはひどくやつれたように思う。
だがバレリーは俺とセラフィナを交互に見て、小さく笑った。
「この戦場も、あの人のことも別に好きじゃないけど、アーヴェルさんとセラフィナのことは、結構好きですよ」
「でもバレリー、わたしあなたと、あまり話したことないわ」
セラフィナの率直な答えにバレリーは肩をすくめる。
「そうだね。だけど、そう思っているんだ。幸せになろうとあがいている姿が、僕は好きだな」
なんて捻くれた好意だろうか。
「シリウスの話は本当か?」
「本当ですよ」
バレリーは否定しない。
「確かに彼からあなたを殺すように命じられました。僕ならできると思ったんでしょう。だけど、そんなことするわけないし、していないじゃないですか。こうやってあらぬ疑いをかけられたくないから黙っていたのに、あの人はどこから知ったんでしょうね」
「俺もお前のこと、結構好きだぜ」とりあえずそう答えると、バレリーは珍しく照れくさそうに微笑んだ。
◇◆◇
兄貴の予見通りに、勝てるとでも確信したのだろうか、数日後に、シリウスが大将として戦場に出てきた。
戦時下で良くかき集めたものだと思える五万の兵を率いて意気揚々とやってきた。対するこちらは北部の諸侯を中心に、結束力はあるが、一万弱の兵だった。この数日、小競り合い程度の戦闘しかしてこなかった俺たちにとって、最大の敵だ。
だが負けるつもりはさらさらない。
平原で待っていた俺たちに、大軍が向かい合う。戦場にあるまじき青空が映える爽やかな朝で、普段だったらセラフィナと庭でも散歩したい気分だった。
兵達に向かって、ショウは言う。
「諸君、よくここまで付いてきてくれた。先祖の英霊たちも、この活躍を誇らしく思っているだろう。あと少しだ。最後まで気を抜かずに行こう」
まるでちょっとしたスポーツの試合へ臨むような気楽さだ。兵達も、そんなショウだからこそ付いてきたのだ。
魔法使いたちに向きなおり、ショウは言う。
「我々の目的は、シリウスの捕獲だ。君たちに任せたい」ドロゴへの人質にするために。
「この戦いは、君たちがいたからこそ勝ち続けて来れたのだと思っている。私に大した力はないが、ケツを拭くくらいのことはできる。今日は何をしても構わない。君たちの力を好き勝手、存分に発揮したまえ。信じているよ」
ショウは魔法使いではないが、だからこそその言葉は、誰よりも真摯に心に響いた。ジェイドでさえ、ショウの言葉に強く頷いていた。
俺たち魔法使いは二手に別れた。バレリーとクルーエルが平野で魔導武器を動かすのと兵士達の支援に回り、俺とジェイドは相手兵士どもの殲滅に回った。
魔導武器が放つ大砲は、通常の武器の比じゃない威力がある。そこに作った隙間に加え、いつかやったように、引き金を横に曲げ、相手の銃が使い物にならなくなったところを、こちらが攻める。
相手兵士たちに切り込んでいく道を作り、味方兵士達が攻め込んだ。だが攻めすぎても、シリウスを逃してしまう。絶妙な塩梅で戦を進めることに関して、クルーエルは誰よりも上手だった。
「兄上が戦争をしている姿など想像できなかったが、存外楽しそうにやっている」
ぼそりとジェイドがそう言った。
シリウスがいるのは丘の上だ。馬鹿みたいに皇帝の旗が立っているから分かる。圧倒的有利な戦況を悠々と見物している――自己顕示欲ばかり肥大した従兄弟殿がいかにも好きそうな光景だった。
平地の戦場はそのままに、俺とジェイドはたった二人で木々の間を駆け上った。
恐るべきたやすさだ。
戦場、それ自体を、おとりに使った。強まりすぎた俺の魔力のせいで可能になったが、たった二人で大将の元へ出向くなんて、普通考えられないだろう。
途中出会う兵士達を順調に排除していく。相手からしたら俺たちはさぞ脅威だ。
相手陣営のテントは丘の上にあり、俺たちは間を置かず見張りの兵達を殺した。
「行くぞ。テントを検めろ」
襲撃に混乱する兵士達の間を抜け、数個あるテントを吹き飛ばし、一番でかいテントの中、即座見えた黒髪の男を捕獲した。顔を見て悟る。
「……こいつ、シリウスじゃねえ」
「逃げたのか。指揮官のくせに」ジェイドが舌打ちをした。
「索敵する。集中させろ」
目を閉じ、魔法を張り巡らせた。逃げたとして、俺とジェイドの動きに気がついてからだ。そう遠くへは行っていないだろう。
陣営内の兵は殲滅させたが、近くにいた別の兵士達が集まってきた。ジェイドが最も得意とする風の魔法の最大出力で攻撃する。殺しを嫌がっていた節のあるジェイドだが、文句も言っていられない状況だ。時が戻らずともこいつの魔力はその辺の魔法使いよりもずっと高い。
俺の索敵が終わる頃には、再び兵士で生きている者はいなくなっていた。
「南東方向二キロほど先に馬で逃げる数人の気配がある」
「追うぞ」攻撃が当たらず生き残っていた馬を宥めてからジェイドは飛び乗る。
だが俺は異変を感じ取った。
「待て、止まったぞ」気配の動きが変わったのだ。「むしろ近づいてくる。早いぞ、馬だ」
思わずジェイドと顔を見合わせた。何が起きているのか把握できず、死体の山と血の匂いの中で、不穏な空気を感じ取る俺とジェイドの前に、現れたのは思いがけないことに、バレリーだった。
自分の乗る馬の他に、もう一頭従えている。初め、バレリーが乗っていない方の馬にくくりつけられているのはぼろ布だと思った。だが、そうではなかった。
我らが従兄弟、シリウスが縄で縛られ、馬に固定されていたのだ。目は血走り俺たちを睨み付け、何か呻いているが、口には布が嚙まされており、言葉にはなっていなかった。
「バレリー、何してるんだ」間抜けのような問いかけだが、尋ねずにはいられなかった。
「僕も索敵の魔法を使っていたんです。丘から数名逃げる気配がしたから、クルーエルさんに戦場を任せて追った。あなたたちじゃ距離的に追いつけないと思ったから」
バレリーはジェイドをじろりと見た。
「僕を内偵だと疑っている人がいるみたいだから、行動で示したまでですよ。北部のフェニクス兄弟を殺したと言ったら、ほいほい信じて油断してくれました」
そう言って、シリウスの口を解放する。途端、シリウスは叫んだ。
「僕はこの国の皇子だ、こんなことをしてただで済むと思っているのか! 今すぐ解放しろバレリー! ジェイド!」
ジェイドは無表情でシリウスを見る。
「前から腹が立つ顔だと思ってたんだ。顔の形が変わるほど殴ってやろうか? それともお望み通り、ここで苦しみから解放してやってもいいぜ」
バレリーに煽られてジェイドは苛ついている。
「落ち着けジェイド。処遇はショウに任せよう」ともかくこの戦場は、俺たちの勝利だ。
シリウスはその目を俺に向けた。
「アーヴェル! 従兄弟だろう、血の繋がった親戚じゃないか! た、助けてくれ!」
「俺は血の繋がりなんて信じてない。シリウス、お前がそうであるように」
今までどれだけの鬱憤を、お前に対して持ってきたと思っているんだ。