血族の誓約
俺たちが今までの世界とは全く違う動きをしているせいだろうか。
変化はまだ起こっていた。
その日、俺たちはシャドウストーンに呼び出され、セラフィナを北部に一人残し、中央に近い彼らの屋敷へと赴いた。
シャドウストーン家の面々は、客間に皆揃っていた。だがいたのはそれだけじゃない。
クルーエルの隣で、ぽつんと所在なげに立っていたのは、あろうことか天才少年バレリー・ライオネルだったのだ。
「はじめまして、ショウさん、アーヴェルさん」
この世界では、当然ながら初対面だった。
緊張しているのか、表情は固い。彼もまだ子供で、幼さが顔に残る。
バレリーがなぜここに? 俺たちが疑問を口にする前に、クルーエルが言った。
「彼はあと少しで中央の学園を卒業する、バレリー・ライオネルだ。魔力は我らと同等で、信用のおける人間だ。我々に加えようと思う」
「正気かよ、まだ子供だぜ」
俺の驚愕を、ロゼッタは鼻で笑う。
「君とジェイドも、同じようなものだろう。問題があるのかね?」
確かに俺の体はまだ子供だ。だが精神は大人である。
ジェイドは生粋の子供だが、シャドウストーン一族の一員だ。他人のバレリーとは勝手が違う。
俺が困惑のままさらに口を出す前に、バレリーが言った。
「僕は、皇帝が誰であろうと興味はありません。でも、時の為政者に従って、反乱に自分が巻き込まれるのはごめんだ。シリウス様は僕を買ってくれているけど、彼の側にいて僕もあなた方の敵だと思われるなら、初めからこちらの仲間になっていた方がいいと、そう思ったんです。
帝都の鋭敏な人間は、皆悟っていますよ、最近、北部とシャドウストーン家の距離が急速に近くなったって。これから先、北部に味方する人間も多く出てくるはずでしょう。誰しも乗りたいのは勝ち馬の方だ」
なんて大人びた奴だろうか。
俺はショウと、思わず顔を見合わせた。
あるいは、反乱の動きに気づかれやすくなる諸刃の剣かもしれないが、帝都でそう思う人間がいるのならば、こちらに寝返る人間も、早い段階で出てくるかもしれない。誰だって、シャドウストーンには逆らいたくないのだから。
「彼の魔力は確かだ。役に立つだろう」クルーエルが言う。
クルーエルはバレリーを利用しているつもりなのかもしれないが、冷徹なシャドウストーンをも味方に付ける、むしろバレリーの方がすごいのかもしれない。
すでに話がされているなら、俺たちにどうこうできるはずがない。だが相談もなしに、ほいほい協力者を増やされて、面白いはずがなかった。
俺たちの気も知らず、バレリーは微笑む。
「皆さんは、中央にいつ挑むおつもりですか。まさかすぐってわけじゃないでしょう。だけどまごついていたら、勝機を逃す」
仕方がなしに、俺は作戦の概要を話した。バレリーは悪い人間ではないが、この戦いに巻き込むことに躊躇いは未だあった。
俺の話を聞いた後で、バレリーは神妙な面持ちになる。
「数年後、魔導武器が北部に……」
魔導武器は言い訳にすぎず、本当は国民意識の醸成を待っているのだが。
魔導武器は北部を見張るために配備されたものでもあり、それが配備されるということは、北部に魔導石が埋まっているとシリウスが突き止めたからだ。恐らくはシャドウストーンが先に嗅ぎつけ密告した。だからシリウスが今回同じように突き止めてくれるかは分からないが、気づいてもらえなければ、上手く誘導する他ない。
バレリーは続ける。
「でも一方で、時間をかければかけるほど、裏切りが出ると思います」
俺は周囲を見渡した。裏切り、やりそうな奴らしかいない。この場で本当に信頼できるのはショウだけだ。
「それで何が言いたいんだね、バレリー・ライオネル? 我々が背信するとでも言いたいのか」ロゼッタの静かな問いに、バレリーはよどみなく答える。
「可能性は誰にだってあります。だって数年ですよ? 人間関係も考えも変わる。目指すのは完全な勝利でしょう? 裏切りが出たら、せっかく準備した意味がない」
「だから貴様、何が言いたい!」
声を荒げる短気なジェイドに、バレリーはにこやかに答えた。
「血族の誓約」
ふいに、窓の外が陰り、部屋の空気が冷えたように感じた。
誰もが瞬時黙り込み、口を開いたのは俺だった。
「……バレリー、意味が分かっているのか」
「もちろんです、アーヴェルさん。僕は古代の魔法について調べるのが趣味で、やり方は完全に再現できます。もっとも、皆さんには釈迦に説法かもしれませんけど」
「病気になりそうで嫌だな」
「貴様が一番怪しい」俺の感想に舌打ちをしたジェイドは、自身の父親を見た。
悔しいことに、シャドウストーンにとってこの場の最終決定者は俺たちではなくロゼッタだ。クルーエルが言う。
「父上、いかがされますか」
ロゼッタは即答する。
「いいだろう、やろうではないか。これで私たちが味方であると、フェニクス兄弟も信じるだろう?」
「だが待ってください父上」ジェイドが言う「ショウ・フェニクスは魔法使いじゃない。誓約はできない。この男が俺たちを攻撃しない保証はありません」
ショウが眉を顰めてジェイドを見た。クルーエルが侮蔑したような声を出す。
「魔法が使えない人間に、我々が攻撃できるはずがないだろう。彼が加わらなかったとしても、何ら問題はない」
馬鹿にしたようなクルーエルの言葉を、俺は苛立ちを抑えながら遮った。
「おいおい俺たちを忘れてもらっちゃ困るぜ。俺たちフェニクスに意見を聞いてないのに、ぽんぽん話を進めるな。この戦いの主役はショウ・フェニクスだぜ」
俺たち不在で話を進められるのは不愉快だった。だが兄貴を見ると、困り果てたように俺を見ている。
「聞いてもいいか、『血族の誓約』はなんだ?」
「古い魔法で、強い魔力がないと発動しない。だが俺たちならいけると思う。……血と魔力を水に込めて、それぞれ飲み合えば完成だ」潔癖な俺はそれだけで恐ろしい。誰が好き好んでシャドウストーンの血を飲みたいのだろうか。「飲んだ人間は、互いに攻撃できなくなるのが利点だ」
「攻撃するとどうなる?」
「死ぬ」
ショウが目を細め、魔法使い達を見回し、「なるほど」それだけ言った。
現代じゃこんな魔法、誰も使っていない。つまるところ、互いの頭に拳銃を向け合うと同義であり、信頼関係が全く無いと、表明するようなものだ。
絆など無い俺たちの間に、この誓約は確かに効果的だろう。
「それでアーヴェル・フェニクス。君の答えは?」
「まあいいぜ、やろう」ロゼッタの問いに答える。
これでシャドウストーンからの安全が確保されるならば、確かに悪くない提案に思えた。奴らにしても、今の俺の魔力を恐れているのだろう。
「結局同じじゃねーかよ」ぼそりとジェイドが呟いた。
グラスに入った水に、順番に血と魔力を込めていった。まず言い出しっぺのバレリーが飲み、次いでロゼッタ、クルーエル、ジェイドが飲んだ。
「お前の番だ、アーヴェル」
差し出されたグラスの中の水は、それぞれの血に濁っている。何も考えないようにして、俺も液体を飲んだ。彼らの魔力が体に流れ落ちてくるのを確かに感じ、おぞましさが全身を駆け抜けるが、吐き出さないように気を鎮めながら、口元を拭った。
満足そうに、バレリーは言う。
「誓約は結ばれた。僕らは、これで誰も攻撃できない」
心なしか、ほっとしているように見える。この場でバレリーの味方はおらず、一番安全が確保されたのはこいつなのかもしれない。
「北部に魔導具が配置されるのが、作戦開始の合図ですね。それまではモラトリアムだ」
帰り間際、俺はシャドウストーンどもに隠れてバレリーに声をかけた。純粋な疑問があった。
「バレリー、なぜここまでしてくれるんだ」
このバレリーとは今日初めて会ったことになるが、俺は彼をいまだって友人だと思っていた。振り返ったバレリーはぎこちなく微笑む。
「言ったでしょう? 僕は、誰が皇帝になろうと興味はない。争いがない世界ならそれでいい。でも時に戦うことが求められるなら、被害が少ない方がいい。
それに、シャドウストーンとフェニクス家に恩を売っておけば、今後利になると思ったからですよ。もっと言えば、クルーエルさんから声をかけられた時にはすでに、選択肢はこれしかなかった。断れば、秘密を知ってしまった僕は殺される。
僕には皆さんと違って、後ろ盾なんてない。我が身を守れるのは、自分自身だけなんです」
そう言って今度は心から笑った、ように感じた。
「でもアーヴェルさん、あなたと友人になりたいのも本心です。これから、よろしくお願いします」
もちろんだ、と俺も答える。
本音を言えば、バレリーが味方でいてくれるのは心強い。性格は知っているし、魔力の強さも知っている。腹の底の本性は未だ読めはしないが、悪い人間ではないということも、よく知っていたからだ。