愛よ、君の指針となれ
ロゼッタを見た瞬間からセラフィナの震えが止まらなくなったため、使用人に彼女を任せ、部屋へと連れて行かせた。この男に対峙するのは俺とショウだけでいい。
セラフィナが去るのを見て、侮蔑したようにロゼッタは言った。
「あれに随分と愛情を注いでいるようだな。流石は皇帝になった男の息子達だ、懐が深い」
物言いは、ジェイドやクルーエルによく似ている。あの兄弟がなぜあんなねじくれた性格になったのかよく分かるというものだ。
殴りたい衝動に駆られるが、俺の怒りを制するように、ショウに背を叩かれた。分かってる。ここで怒っては、俺たちの負けだ。まともにやりあうことなどできない。
「彼女に愛情を抱かないなんて、よほど見る目がない奴だけさ」そう言うに留めた。
ロゼッタと対面するソファーに、俺とショウは並んで腰掛けた。
空気は険悪だったものの、意外にも話はすんなりと進み、ロゼッタは俺たちの提案を受け入れた。つまりショウを皇帝にするために、協力すると言ったのだ。
「採掘は待とう。ショウ・フェニクスが皇帝になってから、時間をかけて行えばいい」
話が分かりすぎて気色が悪いくらいだ。まるでショウを皇帝にすることなんて、シャドウストーンにしてみれば朝飯前のような口調だ。実際にこいつらの意向によって権力者が変わっているのだとしたら、恐ろしい奴らである。
俺は言った。
「初めに言っておくが、俺たちは、多分あんたが想像してる以上に時間をかけるつもりだ。
俺たちが目指すのは完全な勝利だ。ショウが皇帝になってすぐ反乱など起きたらしゃれにもならん。ショウに人望を集め、誰もが納得する形で皇帝となる。あんたたちは気に入らないかもしれないが、数年単位で考えているんだ」
時間をかけるなりに勝算はあった。
今から数年後になれば、国民が戦争に疲弊し始め、表だっては口に出さないものの、皇帝への反感意識が高まるのだ。そこでショウの登場だ。反戦を掲げるショウが、皇帝をぶち殺す。国民達はショウへの信望を強めるだろう。
だが未来の話をこいつの前でするつもりもない。
「数年待てという、それなりの根拠があるのだろうな?」
想定通りの反応だ。回答は準備している。
「数年後、北部に魔導武器が配置される。それを待つ」
だがロゼッタの疑念は晴れない。
「君たちのような子供になぜそんなことが分かる」
俺が口を開きかけたが、ショウが先に言った。
「腐っても私たちは皇帝一族です、中央の情報は入ってくる。それがたとえ、一級の軍事機密でも、教えてくれる人間は、いるんですよ。叔父上に近い人間にも、私に味方してくれる者がいますからね」
これはショウのはったりで、もちろん嘘だ。中央に味方なんていないが、そう思わせておいた方がロゼッタへの牽制になる。
ショウは俺の記憶の中の何よりも確かな情報を言っているに過ぎない。微笑みを崩さず嘘を吐くのだから、我が兄ながら、中々悪い奴だ。
「魔導武器が配備された後、ここにいるアーヴェルがそれを奪う。それとともに中央に行けば、いくら兵がいようとも、制圧など造作もないことですよ。叔父上の味方が挙兵する前に、全てを終わらせることができる。あなた方も共に――いや、手を出さないでいてくれるだけでも構わない」
「いや我らも加わろうショウ・フェニクス公。新たな皇帝に恩を売るのも、悪くはない話だ」
密約は交わされた。シャドウストーンはショウを皇帝にし、ショウは彼らに北部を譲るのだ。
◇◆◇
冬になり、セラフィナはますます我が家に馴染んだ。いつもながら見事な手腕で、使用人全員の心を虜にしているのではないかと勘ぐってしまうほど、彼らに甘やかされていた。使用人達は俺と兄貴にはまずみせない笑顔を彼女に向ける。
もう間違いがないので認めるが、セラフィナがフェニクス家に来てから、我が家は笑いの絶えない家へと変わった。
そこに俺の努力があることも言っておきたい。セラフィナが退屈しないようにいつだって相手になったし、身支度も手伝い、自信を付けさせるために毎日だって褒めた。結果、少々わがままになってきたのはいつものことだ。
「フィナって、かわいい? アーヴェル、フィナのこと好き?」
確認するように、度々彼女はこんなことを尋ねてくる。
世界一かわいいし、大好きだ。
そう答えると、いつだって彼女は幸福そうに笑った。
雪が降り、大はしゃぎで雪遊びをするセラフィナに付き合いながらも、俺とショウは着々と中央を倒すための準備を進めていた。
二人で北部を周り、諸侯たちとの連携を深めた。もちろん反逆など少しも匂わせはしない。彼らの好意を得るための世渡りだ。
皇帝ローグの長男に気にかけられているということは、中央に忘れ去られたような北部の諸侯たちにとって、それはそれは嬉しいものに違いなく、ショウに何かあったら、必ず力になるだろう。田舎者は情が深いのだ。
俺たちの動きを敏感に感じ取っているのか、セラフィナは時折不安そうな表情になる。それでも俺とショウが出かけるときは、いつもと違いわがままを言うこともなく、泣きそうな表情になるものの泣くことはなく、使用人に守られていた。
寂しさの反動なのか、セラフィナは俺が家にいるときは、ベッドに毎晩潜り込んでくる。
普段、誰かが側にいると禄に眠れなかったが、彼女だけは別で、その体温を感じていると、どういうわけか不思議と心地よさを覚えていた。
寝物語に過去の話を聞かせた。
知る必要の無い都合の悪い部分は伏せていたが、いかにシリウスがくそであるかは熱く語って聞かせていた。
「いいか? シリウスはくそだ」
ベッドで隣に横たわりながら、セラフィナは強く頷く。
「うん! シリウスはくそ!」
なんとも素直でよろしい。
「この先もし顔を合わせても、絶対に心を許すなよ。好きだと言われても、好きになるな。お前が好きになっていいのは俺だけだ」
我ながらなんとも自惚れた台詞ではあるが、セラフィナはまた頷く。
「心配しないで。フィナがアーヴェル以外の誰かを好きになるなんてありえないもん」
俺が心配していたとでも思ったのか、セラフィナが頭をなでてきた。
素直な言葉に、俺の方が恥ずかしくなる。ふいにセラフィナが何かを思案するように頬を膨らませる。
「だけど、もし悪女になったらどうしたらいいの?」
「そうなる前に、俺が絶対にお前を正しい場所に連れ戻すよ」
セラフィナは泣きそうな表情になる。
「だけどもし、アーヴェルが側にいなかったら?」
今度は俺が、彼女の柔らかい髪をなでた。
「確かにお前が迷ったとき、俺が側にいられない時があるかもしれない。でもそれでもさ。俺がお前を愛してるって、忘れないでくれ。いつだってそれがお前の指針になるんだ」
お前の愛が、俺にとってそうであるように。
うん、と安心したようにセラフィナは小さく笑って、やがて寝息を立て始めた。
その目から、涙が流れ、俺は指先で、そっと拭った。
「なあセラフィナ。悲しみなんて、忘れてしまえ」
純粋すぎるほど純粋な、可愛いセラフィナ。
その寝顔を見つめていると、かつての自分が彼女にぶつけた言葉を思い出した。
――君が死ねばよかったんだ。
何も知らないくせに何もかも悟ったと思い込んで世間を穿って見ていた愚かな男が、彼女にそんな言葉を言い放ったのだ。
その瞬間の、彼女の瞳を、今でも思い出せる。俺がセラフィナの心を殺したのだ。ナイフを突き立て切り裂いた。
彼女に抱くのが、贖罪か義務か罪悪感か、愛なのか、俺には判断できなかった。言ってしまえばそれら全てであったし、そもそも区別が必要なのかさえ分からない。
「もう誰にも、お前を傷つけさせはしないよ」
その額に口づけをすると、くすぐったかったのか、彼女がもぞりと動いた。
俺が絶対に守ってやる。
俺たちの敵を排除して、お前を不幸にする人間を全員いなくさせるから。
悲しむいとまもないほどに、俺がお前に抱えきれないほどの幸福を与えてやる。だからお前は、喜びだけ受け取っておけばいいんだ。