怖がるセラフィナ
これはかなり強力な味方を得たことになる。
俺とショウが過去の記憶について認識を共有し終えた頃、外はすでに薄暗かった。
兄貴は言う。
「過去に戻ったのは、本当にお前だけか」
「どういう意味だ? そうだよ」
セラフィナの持つ魔力ほど強い魔法でなくては、過去に戻るなんて馬鹿げた事態は引き起こせない。
「いや――お前が三回経験した世界がわずかに違っているのなら、誰か、他の人間の干渉もあるのかもしれないと思っただけだ。だが確かにあり得ないな、戯れ言さ、気にするな」
人の動きは予測不能で、俺一人の立ち回りで、驚くほど変わってしまうのだ。
俺は再び兄貴に言った。
「中央に、喧嘩を仕掛けよう。やられる前に、先手を打つんだ。ドロゴとシリウスを排斥して、兄貴が皇帝になる。今度こそ、今度こそ俺たちの勝利になる」
「……北と中央で、内戦になるぞ」
兄貴はまだ及び腰らしい。その背を押してやる。
「内戦にはならない、その前にカタをつける。俺の魔力は、更に増してる。見てろ」
俺が視線を窓の外にやると、兄貴もつられたように見た。
そうして、兄貴は息を呑む。
以前セラフィナが使った魔法を俺も使った。兄貴の木には、白い花が無数に咲いている。兄貴は口をぽかんと開けて、その花を凝視していた。
「分かったか、俺は今、この国の魔法使いの、誰よりも強い。争いになったとしても、すぐに終わらせてやる。それに、戦力は俺だけじゃない。アテがある。聞いてくれ――」
そうして俺は、考えていたことを口にする。
推論と願望が含まれた予測ではあったが、あながち、無謀とも思えない。
聞き終えて、兄貴は言った。
「覚えているか、私がまだ子供で、お前がほんのちびだった頃、よく二人で、使用人に悪戯を仕掛けたな」
覚えている。
兄貴の後をよくついて回っていた時分、悪戯を度々一緒にやっていた。
兄貴は当時のような子供じみた笑顔で、にやりと笑った。
「その頃みたいに、久しぶりにわくわくしているよ。いいさ、やってやろうじゃないか。
私だって死にたくはない。中央相手に、人生をかけた悪戯を仕掛けても、悪くはないな」
なんということだろうか。頭の固いショウが、俺の話に乗ってきた。
「やってやろう! 北から中央への、逆襲開始だ!」
いつかやったことがあったように、俺たちは、こぶしをカチリと合わせあった。
セラフィナが部屋で休んでいるというので、ショウと二人で向かう途中、俺は言った。
「なあ、さっきも言ったけど、兄貴はセラフィナのことが好きだったと思う。セラフィナも多分、兄貴のこと、結構好きだったんだ」
前を行く兄貴が振り返った。
「お前の記憶を通して見たが、実感はないな。あくまでお前の思い出の中の私のことだ。
私はまだ、彼女にそこまでの感情はない。私の中にあるのは、記憶の中のお前が、狂いそうなくらい彼女を愛していたという事実だけだ」
「……俺さっき、兄貴のためならなんだってできると言ったけど、ひとつだけ、欲しいんだ。セラフィナが欲しい。
俺、あいつのことが、本気で好きだ。愛してるって、はっきり言える。自分よりも、なによりも、大切だって思ってるし、この思いだけは誰にも負けない。だから、あいつと俺の、結婚を許して欲しい」
「彼女はまだ幼い。愛していると、本気で言っているのか」
俺は首を横に振る。
愛という言葉さえ陳腐に思えた。愛さえも飛び越えて、セラフィナはもはや、俺の一部だった。
「セラフィナがいない人生なんて、もう俺には考えられない」
「彼女は、お前にとってなんなんだ?」
彼女は俺の敵であり、義理の姉でもあり、婚約者でもあり、妹でもあり、家族でもあり、同時に、誰よりも愛する女だった。
「宝だよ」
即答すると、兄貴は眉を下げて、小さく笑った。
「そこまで愛することができるのは、少し、羨ましい気がするよ」
本音を言うと、兄貴に対してもほとんど同様の思いを抱えていたが、それを口にするのはあまりにも気色が悪いため、黙っておいた。
◇◆◇
「……やだ」
俺と婚約することになったとセラフィナに告げると、彼女は小さくそう言った。
「なんでだよっ」びっくりである。「お前、俺のことが好きだろ」
「好き――……じゃない」
セラフィナはその目に涙を溜める。
なんてことだ。
「今は好きじゃなくても、そのうちだいすきになるんだよ!」
俺が大声を出したせいか、セラフィナの体はびくりと震える。
「なら、ない……。こわい。好きじゃ、ない。きらい……」
女に面と向かって嫌いと言われたのは、生まれて初めての経験だった。たとえ子供相手だろうと、傷つくものは傷つくのだ。
ならば、先ほど兄貴に触れたときに放った魔法と同様、セラフィナにも記憶を見せればいい。
そう思い、彼女の腕を掴むが、魔法は一向に発動しない。そもそも、どうやってあれをやったのか、俺自身、再現性が分からないのだ。結局、腕を掴まれたセラフィナの表情がさらに恐怖に染まったため、俺は手を放すしかなかった。
「俺はただ、セラフィナといちゃいちゃしたいんだよっ!」
叫ぶと、セラフィナは顔面蒼白になる。
とはいえ子供相手に欲求を覚えることはない。ないし、手を出すつもりもさらさらない。
ただ、側にいたいし、いてほしい。それだけであるのに、セラフィナはぷるぷる震えて、兄貴の背に急いで隠れた。
「こわい……ショウ……さんが、いい」
俺とセラフィナに挟まれた兄貴は、困り果てて二人の顔を交互に見る。
「こうしてはどうか。彼女がもし、お前のことを好きになれば、お前と婚約させると約束しよう。いずれにせよ、我が家とシャドウストーンの縁を結ぶことができれば、それでいい」
兄貴の折衷案だった。
セラフィナは、決して俺など受け入れないとでも言うように、その目に未だ涙を溜めている。根負けしたのは俺だった。
「分かった。分かったよ。待つよ。セラフィナがその気になるまで待つからさ。
それまで俺は、とっても優しいお兄ちゃんだ。オーケー?」
強情なセラフィナは頷かない。
「いいか?」
セラフィナは頷かない。
「いいか?」
セラフィナは頷かない。俺の心が折れそうだ。
「いいか? ――頼むよ」
問いかけに、セラフィナは、ようやく頷いた。




