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ジェイド・シャドウストーン【後編】

 セラフィナの台頭は、すさまじかった。


 呪いが消えた父上は回復したが、彼女の得た権力には及ばないように思える。妹は宣言通り、のし上がった。――多くの貴族の手を借りて。


 あの妹に、どれほどの価値があるのか知らないが、国中の有力者をパトロンに付け、まるで高級娼婦のように振る舞った。

 極めつけは、皇帝ドロゴと皇子シリウスだ。

 おぞましいことだが、親子揃って彼女と関係を持っているらしい。

 男どもの間に嫉妬はない。美術館に展示されている見事な宝飾品のように、彼女は品評され、共有されていた。

 セント・シャドウストーンの人間にあるまじき行為だ。彼女にあるのは虚栄だけで、誇りも気高さもなかった。


 この不穏を、感じているのは俺だけではなかっただろう。

 

 かつて流行った演劇を思い出す。中盤から終盤にかけて、坂道を転がり落ち、漆黒の穴へとまっすぐに落ちるように、避けられぬ悲劇へと全ての駒が配置されていた。まるで今の、俺たちのようだ。




 アーヴェル・フェニクスとは度々城で顔を合わせていた。会話など、普段はありもしなかったが、このときは何を思ったのか向こうから話しかけてきた。

 

「お前の妹は素晴らしいな。まるで女帝のように振る舞っているじゃないか」


 城の廊下で、西日が奴の顔を照らしていた。

 北部領地はほとんど放り出され、こいつは当主の座も降りた。戦うことさえ止めた負け犬。にもかかわらず、対峙すると全てを見透かされているかのような後ろ暗さを覚えるのは、なぜだろう。


「貴様の従兄弟と叔父のように、あれを分け合ってもいいんだぞ。随分とただれた生活を送っているそうじゃないか」


 アーヴェル・フェニクスに関して聞こえてくる噂で、真っ当な人間性を示すものは一つもなかった。

 奴は鼻で笑う。


「シャドウストーンの仲良し家族と違って、私と兄は嫌い合っていた。あの男のお下がりなど願い下げさ」


 俺が言えた立場ではないが、この男に人の心はないのだろうか。

 


 ◇◆◇

 


 ゆるやかに、俺たちは破滅へと向かっていたのだろうか。事件が、その日、起きた。多くの人物にとっては些細なことだ。だがその人物にとっては、決定的だったのだろう。


 議場だった。俺は議員として、出席していた。


 占領地の統治を任せていた将軍が、占領地民に殺されたと速報を受けたのは、議論の最中だった。右翼も左翼も瞬間黙り、直後銘々の主張をし始めた。

 そこで意見したのは、アーヴェル・フェニクスだった。奴は言った。


 ――このままでは長引く戦争に国民が疲弊し、皇帝へ反発する人間が増えるだけだ。これ以上の予算を注ぎ込めば、国防の礎である国民が飢える。その前に占領地から手を引け。占領地を維持するために本国が弱まれば元も子もないだろう。馬鹿でも分かる話だ。


 腐っても前皇帝の息子だ、発言力も求心力もある。誰しも、奴の主張に聞き入った。

 

 静寂を破ったのは、我が妹、セラフィナだった。ぞっとするような笑みを薄く浮かべ言い放つ。


「アーヴェル・フェニクスは、まるで皇帝になったかのように、この国の行く末をおっしゃいますのね?」

 

 皇帝ドロゴはアーヴェルを議場から閉め出した。皇帝が、北壁フェニクス家を密かに恐れていたのは知っていた。実の兄を手にかけたと噂があるドロゴが、その息子に恐怖しているのだ。それが表出した瞬間だった。




 議会が終わり、議事堂から出る際に、見たくもなかったものを見てしまった。

 セラフィナがアーヴェルに絡んでいたのだ。


「残念だったわね? 皇帝陛下はわたしのことなら何だって言うことを聞くのよ。甥よりも、信頼していただいているんだわ。将軍は確かに残念よ。戦争が下手だったのかしら」


 戦場に行ったこともないあばずれめ。血の繋がった妹ながら、嫌悪の念を抱いた。

 笑うセラフィナの一方で、アーヴェルは無表情で応じている。


「哀悼の意を、示すふりくらいはいくら君にもできただろう。将軍は、君の命令でかの地の統治者になったようなものだったはずだ。責任は感じないのか」


「戦争なんだから、人は死ぬに決まっているでしょう? アーヴェル・フェニクス。善人ぶっているつもりかしら? いい加減、わたしに逆らうのはやめて、大人しく従ったら? 悪いようにはしないわ」


「私は己の信念にだけ従う。信念のない君とは違うんだ」


 瞬間、アーヴェルの瞳に、燃えるような怒りが宿ったように思えた。


「自分で統治者になって、君が死ねばよかったんだ」


 それは俺が子供の頃、繰り返し妹に言っていた言葉だった。

 セラフィナの顔から笑みが消え、幼い頃度々見せていた怯えが、表れたように思えた。だがそれも一瞬のことで、すぐに元の余裕の笑みに戻る。アーヴェルは黙って、その場を後にした。


 すぐ後で、セラフィナが振り返る。逃げ場がなく目が合うと、微笑まれた。


「あら、いらしたの、ジェイドお兄様。せっかくよ、少し、話しましょう?」


 連れ立って、歩き出した。


「クルーエルお兄様は相変わらず南部に引きこもっているのね。わたしを目に入れるのさえ嫌みたい。昔から思っていたけれど、家族で一番、ジェイドお兄様が優しいわ」


 ふふ、と彼女は笑う。


「でも優しさは甘さに、甘さは裏切りに、裏切りは死に――繋がるわ。結局、兄妹でお母様に一番似たのは、ジェイドお兄様なのかもしれないわね」


「何が言いたい」


「結局、血には勝てないという話よ。ひとつ求めたらその次を。それが得られたら、さらにその次を。わたしたちが満足することなんて、永遠にないのよ。

 いかに外の水が甘かろうが、血に勝る濃さはないわ。喜んでよお兄様。欲にまみれたわたしは、実にシャドウストーンの娘らしいでしょう?」

 

「欲などと」自分の声が侮蔑にまみれる。「俺たちが抱くのは、血統に対する誇りと気高さだ」


 セラフィナはついに声を上げて笑った。もう俺に怯える幼い頃の面影はどこにもない。


「なんて可笑しいの、ジェイドお兄様。教えてあげましょうか? あなたが抱いているのは、誇りでも、気高さでもないわ。――罪悪感よ」


 さっと、背筋が凍り付いたように思えた。あの男の後頭部を撃った光景が蘇る。


「お兄様は、ショウ・フェニクスを殺すべきではなかった。

 なぜなら、そう命じたロゼッタ・セント・シャドウストーンに、正義はなかったから。ロゼッタ・セント・シャドウストーンは、間違っていたから。いくら求めたって、ロゼッタ・セント・シャドウストーンから愛なんて返ってこない。だったら、いっそのことご自分で判断すべきだったのよ」


 一体、俺はどこで間違えて、どこを正せば良かったのだろう。二度と取り戻せはしないものを、いくつ失ってきたというのだ。


「家族の中で、一番ジェイドお兄様が、馬鹿みたいに可哀想で好きよ。だから教えてあげる。また、やり直すことができるわ。その時に、わたしたちが、この後悔を、覚えていられるかは分からないけれど」


 そう言って、セラフィナは小さく笑った。

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