ジェイド・シャドウストーン【前編】
幕間の更新です。
前・中・後編の3話になります。
語り手はセラフィナの兄、ジェイドです。時点は、いつかの世界のお話です。
セント・シャドウストーンの本領地は、帝都からやや北側にあり、親族のほとんどが住んでいた。
我が家の家名の由来にもなった魔導石が、かつてこの地から大量に発掘されたことで、繁栄してきた家だ。現代において採掘量は減少してきているが、今もなお絶大な権力を誇る。
俺はそんな家の、現当主の次男として生まれた。
本家に生まれる子供も皆、魔法使いだ。
俺の妹、セラフィナを除いては。
「このぐず!」
「やだあっ! やだっ」
俺が叩くと、セラフィナは蹲り泣いた。不様な姿に、さらに腹が立つ。
「真っ昼間から何をやっている」
通りかかった兄上が、無表情で問いかけるが、俺の怒りは収まらなかった。
「こいつが俺の本を、勝手に読んでたんだ! 触れられただけで虫唾が走るというのに!」
「ジェ、ジェイドお兄様、ごめんなさい……」
謝るセラフィナを、俺は更に叩く。
「ジェイド。セント・シャドウストーンの人間が、無益なことに構うな。書斎まで響いていたぞ、はやく黙らせろ」
そう言って兄上は立ち去った。
無益だとは分かっている。だがセラフィナを見るだけで怒りが沸いた。魔法が使えず、いつも人の顔色ばかり窺っている役立たずの妹など、この家には不要だった。
本は捨てた。
あいつが触ったと思うだけで、穢れて感じる。
セラフィナが生まれたときに、母は死んだ。四歳だった俺は、詳細なことは覚えていないが、産後の肥立ちが悪かったと、聞いたことがある。
だから、余計に嫌いだった。優しく、愛情を与えてくれた母は、役立たずを産み落としたせいで死んだのだ。
「お前が死ねばよかったのに」
吐き捨てると、セラフィナは、びくりと体を震わせた。
こんな妹だったが、一つだけ、役に立つことがあった。
我が国の皇帝の分家の長男が、婚約を結びたいと言い出したのだ。名はショウ・フェニクス。
前皇帝ローグの息子だが、辺境に追いやられた奴だ。
ただ一度、商売だかなんだかで、我が家を訪れたことがあったが、その際にセラフィナを見かけたのだという。名門に、落ちぶれた分家如きが取り入ろうとするなど腹が立つが、父上は快諾した。
◇◆◇
俺が宮廷魔法使いとして、中央にいる頃、父上は奪った異国の地を公国として与えられ領主となり、兄上は南部統括府の府長となり、セラフィナは相変わらず辛気くさい顔をしてただ一人家に残っていた。
そんな頃だ。北部統括府から中央に移ってきた魔法使いがいた。
アーヴェル・フェニクス。セラフィナの婚約者の弟だった。
「仲良くやろうぜ兄弟」
「触るなッ!」
俺を見るなり肩を組んできたものだから、その手を振り払う。馴れ馴れしい人間は嫌いだった。
特に北壁フェニクス家が、俺と同等の口を利くのは許せない。
「あれは俺の妹とは認めていない。貴様と群れるつもりも、毛頭無い」
そう言って立ち去る間際、話し声が聞こえた。
「お堅いなあ」
「アーヴェルさんが柔らかすぎるんですよ」
前から中央にいる庶民出身の宮廷魔法使いバレリー・ライオネルが、奴に応じているらしい。
「じゃあバレリー、二人で歓迎会でもしよう――俺の」
二人が笑っている声がした。
北壁フェニクス家のアーヴェル・フェニクス。
魔法は人並みだが、頭の切れる奴と聞いている。皇帝の親族でもあるし、今後権力を持つことを考えると、いずれは排除すべき人間だった。
あるとき、父上の公国に呼び出された。
南部にいる兄上とは度々顔を合わせていたが、父上に会うのは数ヶ月ぶりだった。
兄上は先に公国に入っており、南部統括も務めながら、父上の仕事も、時に手伝っていた。
会った瞬間、父上のやつれ具合に驚く。体格が良かった体は痩せ細り、顔色も悪く、誰がどう見ても病気だった。
「具合でも、悪いのですか」
「些細な事だ。いずれ、治す」
父上は、それだけ答え、二度とそれについて話すつもりはなさそうだ。
応接間で、兄上も含め、俺たち三人は座っていた。口火を切ったのは、兄上だった。
「近頃入った情報によると、我が国のある地域に、未だ手つかずのままの資源があるようだ。これから調査に入るが、欠片を持ってきた者がいる」
そう言って、手に握っていたらしいそれを、机の上に放つ。見た瞬間、悟った。
「……魔導石か」
それも、枯渇しつつあるセント・シャドウストーンの地で採掘されるものよりも、遙かに上質だ。
これがあればより質の高い魔導武器を生み出せるだろう。
「これをどこで?」
「北壁フェニクス家の領地の山々からだ」
息を呑んだ。
「では、ショウ・フェニクスに協力を仰ぎ、採掘されるおつもりですか」
父上に問うが、鼻で笑われただけだった。
「セント・シャドウストーンに、馴れ合いなど不要だ」
意味を図りかね、重ねて問う前に、父上は言った。
「時の為政者が誰であろうと私たちには何も関係のないことだ。フェニクス家、その前のユスティティア家、さらに前のヴァリ家、ガモット家。どの時代においても、我がセント・シャドウストーン家は裏で暗躍し続け、繁栄してきた」
兄上も言う。
「皇帝一家に権力が集中するのは、許されざる事だ。これを北壁フェニクス家に握らせ続けるのは、宝の持ち腐れだと思わないか?」
「では――」では、まさか。
「ジェイド、今より戦地へ赴き、ショウ・フェニクスを殺してこい。お前なら容易いはずだ」
瞬間、答えに詰まる。
ショウ・フェニクスは社交界で顔を合わせ、表面上の付き合いを続けていた相手だ。好意もないが、憎んでもいない。
父上は、無表情のまま言った。
「迷いは捨てろ。勝者はいつだって、セント・シャドウストーンだ」
◇◆◇
戦場から帰ったとき、帝都で声をかけてきたのはあろうことかアーヴェル・フェニクスだった。
「南方戦線じゃ、ショウと仲良くやっていたか」
雰囲気が、変わったように思えた。以前は軽薄だったが、兄の死が堪えているのか、その表情は、わずかに険しくなったように思える。
「戦場は広大だ。貴様の兄とは、顔を合わせたことさえない」
「名家の次男坊は、嘘が下手だな」
その年の夏は嫌に暑く、室内でも熱が収まらない。だがじとりと汗が背中を伝うのは、暑さのせいばかりではない。
ぎくりとしたが、表情には出さなかったはずだ。
アーヴェルは、小さく笑った。
「そちらの妹と、婚約することになりそうだ。互いに嫌い合っているのだから、上手く断っておいてくれ」
言われて、セラフィナのことを思い出した。
皇子の誕生日パーティの直後あたりから、更に陰気になったあの妹は、近頃屋敷に引きこもり、誰とも顔を合わせていない。




