陰謀と黒幕
アーヴェルは多分、兵士の服のままで捕まって、今日まで着替えていないのだろう。着ている制服は汚れていた。
痩せているのは戦争のせいか、それとも数日の牢獄暮らしのせいだろうか。手には、先ほどわたしが嵌められていたような、魔力を封じる手錠がつけられていた。
やつれているように見えたけど、わたしを見つめ返すその瞳だけは、牢の奥で生々しく光っている。
「……アーヴェル」
彼の名前を呼ぶだけで、涙が溢れた。
どれほど彼に会いたかっただろう。
どんなに彼を求め、望んだだろう。
だけどわたしは、ひどいことを告げなくてはならない。
「アーヴェル、ショウが、死んだわ」
牢を握る手が、震えた。ショウを守れなかったという事実が、重くのしかかるようだった。
「分かってる」
驚くことに、アーヴェルの表情に、少しの変化もなかった。わたしの手は、牢から離れる。
彼が何を言ったのか分からなかった。
「ア、アーヴェル。ショウが、死んだのよ……?」
「分かってるよ」
なおも尋ねるなとでも言うように、彼は同じ返答を繰り返した。
なぜ守れなかったのだと怒られ、なじられた方がましだった。なのに彼が抱えているのは静寂だけだ。彼が何を考えているのか、全然分からない。
澄んだ彼の瞳が、じっとわたしを映していた。混乱のまま、わたしは話す。
「ねえ、アーヴェル。さっき、ゆ、夢を見たの。わたしが過ごした、二つの世界の夢よ――。その、どちらでも、わたし、あなたを愛していた。ショウでも、シリウス様でもない、あなただったの。ねえ、アーヴェル。あなただったんでしょう? わたしが、愛していたのは、ずっと……」
アーヴェルは、初めて視線を逸らした。昔から、彼が嘘を吐くときに度々繰り返すくせだった。
「そんなの、ただの夢だ。忘れろ」
「いいえ、夢じゃない。夢じゃないわ!」
たまらず叫んだ。
あの激しい憎悪も情熱も、抱いた愛情も、すべてわたしが経験したことだという確かな実感がある。あれが夢であるはずがなかった。
「あなたはわたしに言ったでしょう!? 幸せにするって。なのにあなたは嘘ばかりだったわ! だってわたしは、真実を見たんだもの。本当のことを教えてよ!」
アーヴェルは、視線を床に向けたままだ。だけどその表情は、苦しそうに見えた。その顔を見ていると、いたたまれなくなってしまう。
苦しみの理由を、いつだって彼は教えてくれない。
心配さえ、させてくれようとはしなかった。
ふよふよと空中を漂うジェイドお兄様が放った光が、朧気にアーヴェルの顔を照らしている。
「……このままじゃ、だめだと思った。これ以上側にいると、俺はますます、お前が大切になってしまう」
やがて、彼は意を決したかのように口を開いた。
「一つ前の世界でショウが死んだのは、シリウスがお前を手に入れたかったからだ。他人を雇って殺させた。
だがその前は? その前の世界で、ショウは戦場で死んだんだ。なぜ死んだ? ショウが死ぬのは、運命なんて、もんじゃない。誰かが、恣意的に殺したんだよ。
実行したのは多分、ジェイド・シャドウストーンだろう。あいつはショウが戦場に行った時も、派遣されていたから」
廊下の果てにいるジェイドお兄様の方を見たが、遙か先の暗がりには、なにも見えなかった。
「なにを、言っているの」
理解が及ばず、硬直するわたしを傍目に、アーヴェルは続ける。
「ジェイドが単独でショウを殺すと判断するはずがない。そこまであいつは間抜けじゃない。誰かの命令を受けたはずだ。その裏に誰かがいるとしたら、お前の父親以外にはあり得ない。ちょうど、俺を捕らえろと命令したようにな。
だが、動機は何だ? なぜロゼッタ・シャドウストーンが、ショウを殺す? 俺たちなど、シャドウストーンにとっては塵同然であるのに。
魔法が使えるようになったセラフィナを、自分たちの手元に残すためか? いいや、そもそもショウが戦場で死んだとき、セラフィナにはまだ魔法が使えなかったから、それはあり得ない」
聞きながら、急速にわたしは理解していった。アーヴェルは、いつも一人で熱心に何かを調べていた。
何か目的があるかのように、何かを解き明かすかのように、動いていた。
「北部に魔導武器が配備されたのは、国境を見張るためだと思っていた。だがそうではないとしたら。見張られていたのは北壁フェニクスだとしたら? 俺たちが武装蜂起したとしても、すぐに止められるように。
なあセラフィナ、シリウスの後に、北部統括府には誰が置かれることになるか知っているか?」
疑問は宙に浮かび、闇へと吸い込まれていく。
馬車の中の会話を思い出す。クルーエルお兄様は、自分が北部統括になると言っていた。
「シャドウストーンの長兄が、わざわざ無益なことに構うはずがない。北部に価値を見いだしたはずだ。奴らにとって、北部が重要になってきたということなら、一切の行動に、合点がいく。ショウを排斥して、北部を占領したかったんだ」
ショウが憎まれたわけではない。北壁のフェニクスが仮に反乱を起こしたら、従う諸侯は多いはずだ。その影響力を恐れたのだと、アーヴェルは、そう言っているのだ。
すべては陰謀で、その黒幕は、わたしの父、ロゼッタ・セント・シャドウストーンだと。
でも、わたしにとって重要なのは、そんなことじゃなかった。重要なのは、誰がわたしたちを不幸に陥れたかなんて、そんなことじゃない。
「わたしが知りたいのは、そんなことじゃないわ。そんなことじゃなくて、アーヴェルが、何を考えているのかだけが知りたいのよ!
……どうして、わたしがショウを愛するようになるなんて、嘘を吐いたの?」
アーヴェルの瞳が、初めて悲しげに揺れたように思えた。
「どうせ不幸になるのなら、せめて優しい夢を見せてやりたかった」
その言葉が、どれほど残酷であるのか、彼は知っているのだろうか。
彼は遂に、崖っぷちに佇んでいたわたしを、躊躇なく奈落の底に突き落とした。