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三番目のセラフィナ

 目覚めた時、わたしはベッドの上にいた。ドレスは寝間着に着替えさせられていて、窓の外は夕闇だった。

 今の夢は、不思議と、単なる夢ではないということは分かっていた。

 アーヴェル・フェニクスが経験したという、時が戻る前の世界のことなんだろうと、分かる。


 だとしたら――。

 だとしたら、わたしは、一つ、気がつきたくもない真実に、気がついてしまった。


「アーヴェルの、うそつき」


 彼はずっと嘘を吐いていた。

 優しい笑顔で、優しい声で、彼はずっと、わたしを騙していた。


 わたしが好きで好きでたまらなくて、ひたすら求めて愛してやまなかったのは、幸せになりたかった相手は――……ショウじゃなくて、あなただったんじゃないの。


「目が覚めたかい、セラフィナ」


 声がして、びくりとそちらを見ると、部屋の隅の椅子の上に、一人の青年が座っているのが見えた。濃い茶色の髪が、額にかかっている。

 見覚えがある。過去に二度、会ったことがあったから。


「バレリー……?」


 バレリーは、同意するように頷いた。


「アーヴェルさんのことは、本気で残念だよ。僕は彼のこと、結構好きだったから」


 体を起こして、また気がつく。

 わたしの手には手錠が嵌められていた。魔法使いを拘束する時に使われるもので、材質は魔導石。これを使われると、わたしたちは魔法が使えなくなる。

 

「君が目覚めるまで側にいて欲しいと、シリウス様に言われてね。目覚めたらまた連れてこいってさ」


 バレリーは立ち上がり、熱を測るようにわたしの額に触れた。ひやりとした手が、妙に心地よくて、一層不気味だった。


「君の呪い、強まっているみたいだ。あとは坂道を転げ落ちていくように、一方通行だろうね。君を蝕んで、壊してしまうだろう。すでに、始まっているようだけど」


 ぞっとするほど冷たい目に思えた。

 その時、声がした。


「妹から離れろ、宮廷魔法使い」 


 見ると、部屋の入り口に男の人が立っていた。わたしとよく似たその姿は、面影からして、ジェイドお兄様に違いない。

 九歳以来の再会だった。彼もまた、当たり前だけど成長している。数年ぶりの再会の感慨は、どちらにもなかった。わたしはただ、目の前で繰り広げられている、自分には無関係の劇を、観客席から見つめているだけのような、そんな気分だった。


 バレリーはわたしから一歩離れると、ジェイドお兄様に顔を向ける。


「ジェイドさん、アーヴェルさんを捕まえた功労で、しばらく休暇が与えられたものと思っていましたけど」


「言うとおり休暇だ。だが休みをどう使おうが、俺の自由だろう。妹は俺が引き取る。世話をかけたな。下がっていい」


 ジェイドお兄様とバレリーは互いを睨み合っている。どちらも譲る気配はないようだ。


「僕はシリウス様から、彼女の面倒を見るように命じられています。あなたに譲れとは言われていない」


「庶民風情が、この俺に口答えするな。セラフィナはまだセント・シャドウストーンの人間で、この俺が世話をする権利がある。たとえ皇子だろうと文句はあるまい。皇子が何かを言ってきたら、俺に無理矢理追い払われたとでも報告しておけばいいだろう。さあ、散れトンチキめ」


 結局、その言葉が決定打となった。バレリーは不愉快そうに眉を顰めた後で、無言で部屋を出て行く。

 ジェイドお兄様が帝都にいることの驚きはなかった。戦場でアーヴェルを捕らえたと聞いていたから、きっといるはずだろうと思っていた。むしろ驚いたのは、わたしに会いに来たことだ。彼はわたしを嫌っていたから。


 ジェイドお兄様はわたしに歩み寄ると、手錠に手を翳し、解除した。


「再会の感動に浸るつもりはない。行くぞセラフィナ」


 どこへ、と聞くことさえ億劫で、手を引かれるまま、寝間着姿でわたしはお兄様に連れられた。

 



 我が物顔で城の廊下を歩くわたしとジェイドお兄様を見ても、咎める人はどこにもいない。それだけセント・シャドウストーン家はこの国を支配しているということだ。


 歩きながら、ぽつり、とジェイドお兄様は言った。


「アーヴェル・フェニクスは頭がおかしい。あれほど狂った人間は初めて見た」


 わずかに顔を上げ、ジェイドお兄様の後頭部を見る。振り返ることのない彼が、どんな表情をしているのかは分からなかった。


「戦場で、アーヴェルと一緒だったんだ」


 アーヴェルとジェイドお兄様が? 知らないことだった。アーヴェルは手紙なんてくれないから。


「ああいう場所というものは、奇妙で――。どんなに嫌いな相手でも、不思議と情が沸くものだ。特に、互いに魔法が使えると余計にな。敵を殺し、血を浴びて、共犯意識でも芽生えるのかもしれん。ともかく俺は、あいつが嫌いじゃなかった」


 城の中庭に出て、さらにお兄様は進んでいく。


「父上がショウ・フェニクスの処刑を決意した時、俺にもアーヴェルを捕まえろと命令があった。

 正直言って、無謀だと思ったよ。あの男は、俺の魔力など遙かに上回っているものを持っていたから、簡単に捕まえられるわけはない。父上も兄上も、それを知らなかったんだ。彼らは戦場になど行かないから」


 暗い建物の中に入って、階段を、地下へと降りていく。気温が下がる。肌寒さを覚え、体を抱きしめた。

 ジェイドお兄様は話を続ける。


「だから、アーヴェルに、逃げろと言ったんだ。家に対する裏切りだと分かっていたが、みすみす殺すと分かっていて、奴を捕らえることはできなかった。そう簡単に捕まえられるとも思えないし、俺も傷を負いたくはなかったからな。

 俺を負かしたことにして外国へ逃げれば、奴も命は助かるだろうと。

 だが、あいつは逃げるどころか、笑ったんだ。『ジェイド、お前はやっぱりいい奴だな』ってさ。結局、自分で捕まりに来た。なにを考えているのかさっぱり分からない」


 そこまで言ったところで、ジェイドお兄様は足を止めた。目的の場所に着いたらしい。

 ジェイドお兄様が手を翳すと、指先から光が漏れ、フロア全体をぼんやりと輝かせた。

 

 人のうめき声がする。ここは地下牢だった。


「最後の別れの時間をくれてやる。だが俺の立場もある。そうそう長くはない。手早く済ませて来い」


 ジェイドお兄様は、初めてそこで振り向いた。その顔には、意外にも人の感情が浮かんでいた。それは悲哀の、表情に見えた。


「……昔、お前のこと、叩いて悪かったな。子供の頃の俺は、最低な人間だったと思う」

 

 光は牢の奥へとゆっくりと進んでいく。


 この場所に、誰がいるのか見当がついてしまった。ジェイドお兄様と彼の間にどんな友情と約束が交わされたのかは知らないけれど、その絆は、お父様の想定よりも、ずっと強かったのだろう。


 いつかアーヴェルは言った。

 お兄様達がいつか謝って来たら、その時許すかどうか、考えればいいと。すこしの間、考えて、答えを言う。


「どんなに謝られても、わたし、多分、許すことはできないと思う。あの惨めさは、言葉で言っても伝わらないから」


 わたしは、ジェイドお兄様の顔を見て、やっと言った。


「……でも、前よりも、ジェイドお兄様のこと、怖くないわ」


 ジェイドお兄様は、目を伏せた。


 光を辿りながら、目的の場所まで歩いて行く。

 ひとつひとつ、想いが浮かんでは消えていった。


 どうあがいても、幸せになれなかったかつてのわたし(セラフィナ)たち――。彼女らは、アーヴェルに自分の幸せを託した。次こそ、次こそ、必ず幸せになるようにと、わずかな光を辿るように。


 だけど想いを受け継いだこのわたしは、どうして幸せになれなかったのだろう。

 アーヴェルは、わたしの幸せが、自分にあると知っていたはずなのに、どうしてそうはしなかったんだろう。


 わたし、ショウと結婚しようとしていた。

 だけどアーヴェルとのあのキスの意味を考える度に、胸が苦しくなったの。

 なのに、彼にとってわたしは、なんの思い入れもなかったのかな。


 アーヴェルが罪悪感を覚えたのは、悪女だったセラフィナで、アーヴェルが、狂おしいほど愛して守りたかったのは、自分の手で大切に育てた二番目のセラフィナだ。

 

 じゃあ、三番目(わたし)は――?

 三番目のセラフィナは、一体、彼にとってなんだったのだろう。


 目的の牢の前まで辿り着くと、わたしは目線を合わせるように座り込む。


「アーヴェル、来たわ」


 呼びかけに、彼はゆっくりと顔を上げた。

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