違うわたしの夢を見る
城に入るまでの記憶はほとんどなかった。気がつけばわたしは着替えさせられていた。
頭の中には、ショウのことがぐるぐると回っていた。彼が死んだなんて、きっと嘘。嘘に決まっている。だってアーヴェルは言った。
「俺はお前を幸せにするために未来から来たんだ」何度も聞いた台詞だった。わたしはショウと結婚して、幸せになるのだと。だからショウがわたしを残して死ぬはずがない。わたしを幸せにすると言ったアーヴェルが、ショウをみすみす死なせるはずがなかった。
「大層美しく、羨ましい限りですわ」
わたしを飾り付けた侍女らしき女性が、鏡に映ったわたしに向かって微笑みかけた。
鏡には、顔面蒼白な女が映っている。
鏡はきらい。いつだって、みすぼらしい女の子が映るから。
綺麗に飾り付けられても、わたしは結局、九歳の頃から、少しも変わっていなかった。
自分の望みなんて一つも叶わない、可哀想な女の子のまま、全然成長していない。
「準備が終わったか。こっちだ」
待っていたクルーエルお兄様がわたしを先導し、城の中を移動する。地面がふわふわと波打っているようだ。足下がおぼつかない。まるで夢を見ているみたい。
クルーエルお兄様は、一つの部屋の前で立ち止まった。記憶の片隅に、置いてあった思い出が蘇る。
この部屋は知っている。ここは――。
お兄様が部屋に入ると同時に、中にいた人物が立ち上がり、親しげな笑みを見せた。
「シリウス、様……」
やっと声を出すと、彼はまた笑った。
「やあクルーエル。セラフィナを連れてきてくれてありがとう」
思い出の中よりも背は伸びて、顔つきも、ぐっと大人っぽくなった。ショウに顔は似ているけれど、その瞳の奥に、ショウのような暖かさはない。
「ショウのことは、僕も大切な従兄弟で友人だと思っていた。とても残念だよ。だけど君は心配しないで。君に危害が及ぶことはないんだ」
言いながら、シリウス様はわたしに近づき、手を取るとそこに口づけをした。
「君は僕と結婚することになったからね。安心したまえ」
クルーエルお兄様は相変わらず無表情で立っている。シリウス様がわたしに笑いかけて来たけれど、笑い返すことなんてできなかった。
「君に初めて会ったあの時から、ずっとずっと、好きだったんだ。君は僕の妻になるために、生まれて来たんだと思った」
手足が冷たい。心臓も、凍り付いてしまったかのようだ。
「だ、だけどシリウス様」声が震えてしまう。
「ショウのことは、ご、誤解だと、すぐに分かるはずです。わたしだって、彼の無実を証言します。だから、彼を、釈放してください」
「それは無理だ」
シリウス様は即座言うと、困ったように眉を下げて、お兄様の方を見た。
「なんだ、クルーエル、言わなかったのかい」
「言いましたが、信じません」
クルーエルお兄様が首を横に振ると、シリウス様は、微笑みを少しも崩さずにわたしに言った。
「ショウは罪が確定して、昨日処刑したんだ。遺体は城門にさらしているよ、国賊だからね、仕方ない。だから、もう君と会うことは、二度とない」
地面が、ぐらりと傾いたような気さえした。
シリウス様は、片手をわたしの方に伸ばすと、子供の頃の誕生日に、ショウとアーヴェルから贈られたネックレスを掴む。
「これも、もういらないよね?」
ぶちり、と音がした。
華奢な鎖は、いとも容易く切れて、ネックレスは窓の外に放り投げられる。思い出と共に、わたしも地面に放り投げられて、消えてしまえたらいいのに。
ついに立っていることができなくなり、その場に倒れ込んだ。
◇◆◇
小さい頃、眠る前に神様にするお祈りは、いつも一緒だった。――目が覚めたら、違うわたしになっていますように。
魔法が使えますように。家族に一員として認めてもらえますように。そういうわたしに、なれますように。
だけどそうなった今も、幸福なんて少しも感じなかった。
わたしが幸福だったのは、北部で過ごしたあの日々だけだ。
夢を見た。
違うわたしの夢だった。
わたしは、自分の見た目が、美しいものであると気がついている。思うさまに貴族たちを手玉にとって国を動かしていく。お父様もお兄様達も、誰もわたしに逆らわなくて、生まれて初めて、生きていて楽しいと感じていた。
皇帝も皇子も、わたしを手に入れたがった。わたしは価値がある人間だった。
だけどある日、一人の宮廷魔法使いに、わたしは言われる。
――君が死ねばよかったんだ。
占領地を統治していた将軍が、領地の諍いで殺されたと報告を受けた直後だった。その魔法使いの名は、アーヴェル・フェニクス。わたしが、唯一手に入れられなかった男だった。わたしが恋した男だった。
なんて虚しいんだろうと、そのときやっと気がついた。なんでも手に入れられる立場にいたのに、本当に欲しいものは、永遠に手に入らないのだ。
また、違うわたしの夢を見る。
わたしはショウ・フェニクスの婚約者だった。
前のわたしとよく似ている気がしたけれど、少しだけ、違う世界のわたし。
わたしはショウと婚約していながらも、アーヴェルに恋をする。でもアーヴェルはその想いを、決して受け入れてはくれなかった。
わたしはただひたすら、アーヴェルが好きだった。それだけだった。
ショウが死んでも、シリウス様と婚約しても、ただただアーヴェルが好きだった。アーヴェルだけだった。アーヴェルじゃなくちゃ嫌だった。
夢は途切れ、また違う、わたしになった。
またショウと婚約していた。だけど、関係が深まる前に、わたしはアーヴェルに出会う。アーヴェルもわたしに恋をする。だから婚約が、結び直された。
そうして二人は、結婚して、愛し合って、幸せになる。
――それは、ありえない世界の話だ。
◇◆◇
目が覚めた。
わたしはわたしのままだった。




