呪いとキスと彼の謝罪
「やあセラフィナ、久しぶりだね。大きくなって」
自分だって成長しているにも関わらず、わたしだけが子供だったかのような口調でバレリーは言う。
確かに彼には変わりない。背が伸びて、顔つきが精悍にはなってはいたけれど、元々大人びた性格だったからか、大きな変化はないように思えた。
玄関に近い場所で、親しい使用人とおしゃべりしていたら彼が来たから、一番始めに出迎えたけど、彼が屋敷を訪れた理由は分からない。
困惑していると、
「俺が呼んだんだ」
背後から、ぬらりと現れた影に、思わず心臓が跳ねた。アーヴェルだった。
彼は親しげにバレリーに笑いかけ挨拶をした後で、わたしに向き直る。
「職場の同僚で、仲良くしてるんだ。望んで北部統括府に来た珍しい奴さ」
「アーヴェルさんだってそうでしょう?」
俺は実家が近いんだよ、と答えてからアーヴェルは言う。
「バレリーを呼んだことを兄貴には言うなよ、わざわざあいつがいないときに予定を組んだんだから。客人はきちんともてなすべきだと言い出すからな。こいつは格式張ったもんが嫌いなんだ」
ふふ、と笑うとバレリーは、同意するように肩をすくめた。
宮廷魔法使いの仕事はかなりのお給料が出ているはずだけど、着ている服にしても、そう高いものには見えず、“格式張ったものが嫌い”というアーヴェルの言葉は本当のようだった。
ならわたしはお邪魔だろう、側を離れようとしたところで、呼び止められる。
「待てよ、お前に会いに来たんだ。バレリーは医療魔法に造詣が深いからな、お前のことを話したら、一度看たいと言い出した」
「どうして?」
「お前の魔法が黒いからさ」
確かにわたしの魔法は黒いから不思議に思っていたけど、別に困ってないことは、アーヴェルだって知っているはずだ。病気じゃないし、大げさすぎる。わざわざバレリーに時間を取らせることでもないように思えた。
わたしが固まっていると、バレリーは朗らかな笑みを浮かべる。
「気楽にしてよセラフィナ。珍しい事例だし、僕も興味があったんだ」
◇◆◇
場所を、人があまり近づかないサンルームに移し、いくつかの魔法を見せると、長い沈黙の後で、バレリーは言った。
「これは呪いだ」
ぎょっとする話だった。
呪い――魔法が形を成す前に、生まれた二つのものは、祈りと呪いだ、ということは、学園で習ったことだ。こうあって欲しいという、その願いの形が、人間に魔法をもたらした。
正の方向に願えば祈り、負の方向に願えば呪い。
魔法はその二つの願いを利用して、理論づけて発達してきた。だけど原始の願いは今だって有効だ。
「君は呪われてる。悪いけど、これを解くのは僕には不可能だ。黒い魔法は実に見事に君に取り憑いた。心の弱い部分を増幅させようとしている。これはいつか君を蝕んで、殺してしまうだろうね。肉体じゃなくて――精神を。残念ながら、誰にも止められない」
元々回転の早くない頭が、全然ついていかない。
わたしは呪われているというの?
近くの椅子に座っていたアーヴェルが立ち上がり、やってくる。
「ちょっと待てよ。じゃあ誰かが、セラフィナを呪ったって言うのか?」
「あるいは別のものを呪いたくて、彼女を依り代にしているのかもしれません。いずれにせよ、君のそれは魔法と呪いが混じり合ったもので、正の方向に修復することはできない」
遂に隣までやってきたアーヴェルが、わたしをじろりと見た後で、バレリーに言う。
「本当に解けないのか」
「少なくとも僕には無理です。いじわるで言っているんじゃないですよ。多分、今存命している魔法使いの、誰にだって無理だ。それだけ強い呪いなんです」
神妙な顔をして、バレリーは答えた。
この魔法は確かに後発的なもので、井戸の中を覗き込んでから使えるようになった。
あそこに何かが封じられていて、その力を、わたしは得たのだろうか。
これからも調べる、と言ってバレリーが帰った後も、一人でずっと考えていた。
無魔法・無価値・無能のセラフィナ。
それがわたしのあだ名だった。
小さい頃、わたしは魔法がきらいだった。
魔法使いはもっときらいだった。
だけど今は、そうではない。
わたしに魔法が使えるようになって、周囲の環境はなにもかも、良い方向へと変わっていった。だから、魔法は好き。だけど、この魔法は、誰かがわたしを呪っているから出現させたものだった。
なんて絶望だろう。呪いはいつか、わたしを殺す。
一人でいるのが不安で堪らないのに、ショウは今日、帰らない予定だった。アーヴェルもバレリーを送りに行って、夜まで帰って来なかった。
夜、一人で部屋にいると、ノックの音がする。
「セラフィナ。入るぜ」
アーヴェルだった。迎え入れると、帰ってからそのまま来たらしく、まだ外出着のままの彼がいる。
もう深夜が近く、部屋は真っ暗だ。燭台に火を灯すと、ぼんやりとした明かりが広がる。
アーヴェルが窓辺に立ちカーテンを明けると、部屋はさっきよりも明るくなる。彼の髪と同じ色の月が、大きな光で世界を照らしていた。高い山々が、銀色に輝いている。
なんて美しい景色だろうと、束の間見とれていた。
「バレリーと色々話してみたんだが、現状ではやはりお前の黒い魔法を解く方法は思いつかなかった」
「……呪いが解けたら、わたしの魔法もなくなるのかしら」
わたしに価値を与えてくれたこの魔法がなくなるのは、本音を言えば嫌だったけど、アーヴェルは無情にも肯定する。
「多分な」
「呪いが解けなかったら、わたしの魔法はわたしの心を殺すのかしら」
アーヴェルの側に寄りながら言うと、彼は今度は否定した。
「そうはさせない。ずっとガキの頃、約束しただろ、お前を幸せにするまでとことん付き合うってさ。俺がなんとかしてやるから、心配すんな」
そう笑うと、わたしの頭を、昔みたいになでてくれた。
――もう、だめだ。と思った。
どうやってこの気持ちを、隠せばいいのか少しも分からない。
ねえアーヴェル。あなたはきっと、気づいてさえいないんでしょう? あなたがリリィのことを話す度に、わたしの中に、恐ろしいほどの嫉妬が渦巻いていることに。
気づけばわたしは、とんでもないことを口にしていた。
「アーヴェル、わたし……わたし、あなたが、あ、あなたが、好き」
言ってから思った。――ばかなのセラフィナ?
言ってはいけないことを口にした。どうせ軽く流されるに決まってる。
誰かを好きだと言うことに、これほどまでの恐怖を覚えるとは思わなかった。
月明かりに照らされたアーヴェルの表情は、凍り付きそうなほど固く、なんの感情も読み取れない。
「う、嘘よ。なんでもないわ。今のは……」
罪悪感が募る。
これはショウとアーヴェルに対する裏切りだ。今日の今日までわたしたち三人は、それぞれの居場所を確保するために、必死でそれぞれの役割を演じてきたというのに、わたしが止めてどうするの。
みじめで泣きそうだった。自分の感情さえ、上手くコントロールできないのに、呪い混じりの魔法なんて、どうやって向き合えばいいの。
アーヴェルの、呼吸の音が聞こえた。
「セラフィナ、俺は」
彼の顔を見続けることができずに床を見た。なにを期待して、彼を好きだと言ったの。否定される。きっとまた、否定される。馬鹿だなお前、思い違いなんかして、恋心なんて勘違いだ、そう言われる。でもそれでいいのかもしれない。そうすれば、何もかも今まで通りに過ごせるんだから。
彼が一歩、わたしに近づいた。彼の手が、わたしの肩に触れ、頭の後ろに触れ、頬に触れた。
「アーヴェ……」
言葉の先が言えなかった。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
やや遅れて、キスを、されているのだと気がついた。
唇が触れただけのキスだ。
それだけ。それだけなのに、どうしてこんなに涙が出そうになるんだろう。
顔が離れた後で、なんとか小さく笑うことには成功したけど、きっと無様な笑みだった。
一方でアーヴェルは、苦虫を噛み潰したかのように、渋い表情をした。
「……お前さ、ショウの婚約者なら、泣いて嫌がるくらいしろよ」
しないわ、そんなこと。
首を横に振って、わたしは答える。
「だって――あなたが好きだもの」
アーヴェルの目が見開かれたように思った直後、再びわたしは強い力で抱き寄せられ――間を置いて、キスがあった。
そうしなくては、呼吸さえできないかのように。
そうしなくては、死んでしまうかのように。
まるで生きるためにこれが必要であるかのように、何度も、何度も彼とキスをした。深く深く、彼はわたしを求めていた。
彼の手が、強くわたしの背を抱いている。わたしも必死に彼にしがみついた。誰かと、こういうキスをしたのは初めてだった。なのに、ずっと待ち望んでいたみたいに、心が、震える。わたしは、ずっとずっと前から、アーヴェルとこうなるのを待ち望んでいた。
ぼんやりと考えていた。
わたし、ショウに言おう。
アーヴェルが好きですって。
だから、彼と結婚させてくださいって。
リリィに言おう。
彼が好き、ごめんなさいって。
やがて何度目かのキスの後で、アーヴェルは体を離して、ぽつりと言った。
「……悪かった」
予想していなかった言葉に、感情が置いてけぼりになる。
あろうことか、彼が口にしたのは謝罪の言葉だったのだ。
「忘れてくれ」
どうして彼が謝るのか分からない。
わたしはこのキスに、傷ついてなんかいなかった。
「忘れることなんて、できないわ」
だけどアーヴェルはなおも言う。
「今のは、間違っていた。ちょっとした倒錯だ。お前は兄貴と結婚する。俺はリリィと。それだけだ」
そう言って、唖然と立ち尽くすわたしを残して、ふらりと部屋を出て行ってしまったのだ。




