わたしの大切な婚約者
帝都に瞬間移動してしまった騒動から無事北部に帰って以来、アーヴェルは一人でいることが多くなったように思う。
魔導書をいくつも取り寄せ、屋敷の図書室にこもっていたかと思うと、次には外へと出かけて、夜遅くまで帰ってこなかった。遊んでいる様子はまるでなく、彼の表情はむしろ、日に日に厳しくなっていった。
シリウス様がショウを殺すという衝撃的な話を聞いてから、ショウがどうやって死ぬのか、わたしは事細かに教わった。強盗に襲われて、わたしを庇って命を落とすのだ。アーヴェルは戦争に兵士として行っていて、戻ったときにはすでにお葬式も終わっていたという。
その話をする時、アーヴェルはいつになく暗い表情をしていて、聞いているこっちまで辛くなる。だけど今ショウは生きているし、これから防げばいいだけだ。
「お前はショウを愛していたから、あいつと添い遂げる未来を作るために、俺を過去に戻したんだ」
幼い頃から、何度も聞いていたことを、アーヴェルはまた言った。前はピンと来なかったことだけど、今ならなんとなくは、分かる。ショウのことは好き。その好きが、愛なのかは分からないけど、好きだった。
「お前は魔法が使えるから、ショウをナイフから守るんだ」
「どうしてわたしの魔法って、黒いんだろう」
「さあな」
「どうして前のわたしには、魔法が使えなかったの?」
さあな、とアーヴェルは繰り返した。
彼も全てを知っているわけじゃないのだ。そもそもわたしが魔法を使えるようになったのだって、井戸の中を覗き込んでからだ。前のわたしは、もうすこし成長してからそうしたのかもしれない。
そうして日々は過ぎていき、とある朝食の席で、アーヴェルはぽつりと言った。
「そういえば俺、リリィと婚約したから」
「え……え?! ……え!?」
アーヴェルはなんでもないことを言ったかのように、普通の顔をしてパンを食べている。ショウもすでに知っているらしく、平然としていた。
わたしの驚きを、どうやって伝えればいいのか分からない。
大好きな二人が婚約して、いつかは結婚して家族になる。嬉しいことなのに、わたしはどうしてか、傷ついていた。
いろいろな感情が噴出しそうだった。
黙りこくったわたしを、ショウが見たのが分かった。わたしは確かにやきもちを妬いていた。でもショウの前で、アーヴェルへのやきもちを表したくなかった。
リリィもリリィだ。彼女とは課程が違うものの、学園に行けばいつも顔を合わせていた。言ってくれたっていいのに。
「祝福してくれよ。お前だって嬉しいだろ」
アーヴェルの問いかけに、暴れ出しそうになる感情をなだめすかした後で、わたしはやっと答えた。
「うん……。うん、おめでとう」
◇◆◇
午後になって、アーヴェルはまた図書室に閉じこもってしまった。わたしも誰とも顔を合わせたくなくて、例の木の前で、一人考え事にふけっていた。考えを整理するとき、ここに来るのはショウの真似だったけど、不思議と心が落ち着いてくる。
そうしていると、ショウがやってくるのが見えた。隠れる場所もなくて、結局は顔を合わせる。わたしと目が合うと、ショウは困ったように眉を下げた。
「大丈夫か。元気がないようだから、心配している」
優しい彼を前にして、わたしの心は崩壊寸前だった。
「……アーヴェルとリリィの婚約なんて、少しも知らなかった。ショウは知っていたの?」
ああ、とショウは頷いた。
「家同士の話にもなるからな。少し前に、あいつが許可を求めに来たんだ。キングロード家からの許しは、もう得ていたようで、いつになく素早い行動だったよ。
セラフィナには、自分の口から言うから絶対に黙っておけと念を押されていて――だが、驚かせて悪かったな」
ショウに謝られると、わたしがだだをこねる悪い子に思えてくる。
ショウに謝っては欲しくなかった。腹を立てているのはアーヴェルに対してだから、ショウは悪くない。
「ショウは好き。でも、アーヴェルなんてきらい! リリィと結婚して、さっさとどこかへ出て行っちゃえばいいのに!」
自分の言葉に驚いた。いつからこんなにひどい事が言えるようになってしまったんだろう。いつの頃からか、絶対に嫌われることがないと分かってから、わたしは少しだけ、わがままになってしまった。
「そうしたら、この家は静かになるな。きっと寂しくなる」
ショウはそう言って、笑っただけだった。
「アーヴェルは、いい奴さ。才能もある」
わたしに言い聞かせるように言う彼に、ふと、ずっと昔から抱いていた疑問が口を出た。
「ショウは、どうしてわたしと婚約したの? 小さい女の子が好きなの?」
それはジェイドお兄様が意地悪で言ったことだった。
聞いた直後、ショウはおかしくてたまらないとでも言うように突然大声で笑い出した。そうして笑いが引いた後、びっくりしているわたしの頭をそっとなでてくれた。
「確かに、そう思われても仕方がないかもしれない。でも違うよ」
じゃあ、どうして? ――今は魔法が使えるものの、前のわたしは、ジェイドお兄様がよく言っていたように、単なる役立たずだったのに。
「あえて言うなら、君に、魔法が使えなかったからかな」
そう言うショウの真意は分からない。その瞳に、時々浮かぶ、やるせのなさの本心を、わたしは知らない。
そのまま彼はわたしの体を抱きかかえた。高い場所からだと、枯れた木の幹がよく見える。死んでしまっている木には、もう二度と、葉も花も、つかないのではないかと危惧さえ覚える。
「魔法使いは魔法使いと結婚させろと――。君とアーヴェルを結婚させるべきだと、親族連中が騒いでいる」
木を見ていると、ショウの静かな声が聞こえた。
それは、婚約を取りやめるという意味だろうか。不安になってショウを見ると、思ったより近い場所に彼の顔があった。
「そうアーヴェルに言ったら、奴はリリィ・キングロードと婚約を決めてきた。私に相談もなくな」
「それって……」
わたしの中に、再び色々な感情が渦巻いた。
ならアーヴェルは、親戚を黙らせるためだけに、もっと言えば、わたしとショウを結婚させるためだけに、リリィと婚約したというの?
そこまでして、わたしとショウの関係を、守っているというの?
優しいリリィの気持ちまで利用して。
「アーヴェルのこと、よく知っているつもりなのに、たまに全然、分からなくなるの」
「なりこそ陽気ぶっているが、あれで案外難しくて、本心は中々みせない奴だ。あいつなりに、色々と考えているんだろう。だが悪い人間では決してない。嫌わないでやってくれ」
わたしが頷くと、ショウは微笑む。その時思った。今しかない、と。
「ねえ、ショウ。わたし、あなたに、あげたいものがあるの」
本当はずっと前から準備をしていて、渡すタイミングを見計らっていた。
リリィにも協力してもらって、たくさん研究をした。南部には、同じ木がたくさん生えているから、それを持ってくればいいと、同級生に言われたこともあるけど、この木でなくてはだめだった。
わたしは両手を木の乾いた表皮にぺたりとくっつけ、魔法を流し込んだ。大地と光と熱の魔法を、絶妙なバランスで混ぜ込まなくてはならない。かなり体力と集中力と神経を使うけど、この方法が、一番上手く行くのだ。
目を閉じていたから、その瞬間は見えなかった。だけどショウが、はっと息を呑み込む音がした。
目を開けると、枯れ木に、無数の緑の葉っぱが生い茂り、白い花が咲いているのが見えた。
わたしを抱きしめるショウの手に、力がわずかに込められる。ショウはまっすぐに、その木を見つめていた。
「あのね、木って、枝から蘇ることもあるんだって。枯れてたと思ってた切り株から、小さな芽が出ることも、あるんだって。だから」だから、この木だってきっとまた蘇るはずだ。そう思って、彼に見せたくて、いっぱいいっぱい、練習していた。
「この木は、子供の頃に住んでいた屋敷の庭に、植えてあったんだ。母が丁寧に世話をして、毎年毎年、美しい花を咲かせていた。もう二度と――」
その先の言葉をショウは言わずに、視線を木から、わたしに移す。
「君といると、今まで見えなかったものが見えてくるような気がする。同じ景色が、まるで違って見えるよ」
屋敷の窓からアーヴェルが顔を出して、白い花を咲かせている木を、わたしたちと同じように見ていることに気がついた。
アーヴェルは、リリィと結婚して、きっと幸せになる。
わたしには、ショウがいる。
わたしはショウと結婚して、幸せになるんだ。最近になって、その意味が、やっと分かるようになってきた。