アーヴェルとシリウス
帝都に滞在している間、わたしはシリウス様のお部屋の近くに部屋をもらって、なに一つ不自由のない生活を送っていた。彼は本当に親切で、朝も昼も夜も、ずっと側にいてくれた。「空間転移の魔法を使ったと知れたら大変だから」と、ほとんどの人には、わたしの存在さえ知らせていなかった。
「そのネックレス、毎日つけているのかい」
わたしの首に光る一粒の宝石を見ながらシリウス様は尋ねた。
はい、と答えると、シリウス様は言う。
「もう少し、宝石が大きい新しいものをあげようか? 誰も見たこともないデザインで作らせるよ」
慌ててわたしは首を横に振った。そこまでご厚意に甘えるわけにはいかない。それに――。
「いいえ、わたし、これがいいんです」
これじゃなくてはだめだった。
「……十歳の誕生日に、ショウとアーヴェルからもらったものなんです」
あれから何度も誕生日を祝ってもらって、贈り物もたくさんもらったけど、一番はじめにもらったこのネックレスだけは特別で、毎日身につけていた。
「そう、素敵だね」
そう言ってティーカップに口をつけるシリウス様は、どこからどう見ても、物語に出てきそうな王子様だった。実際にも、皇子様なんだけど……。
わたしたちは毎日こうして、お茶の時間を一緒に過ごしていた。
「本当に君はかわいいね」
そう言っては、わたしの手にキスをしてくれた。
この人が、ショウの従兄弟だということはよくわかる。落ち着いた物腰や、見た目がよく似ているから。
だけどアーヴェルと従兄弟だなんて信じられない。アーヴェルは雑だしぶっきらぼうだし、口が悪いし、意地悪だし、かわいいと、褒めてもくれない。最近は、わたしに全然構ってもくれない。
皇帝ドロゴ様にも、お会いした。お忙しい方のようだけど、わたしがセント・シャドウストーンの人間ゆえか、丁寧なあいさつをしていただいて、一度だけ夕食の同席の許可もいただいた。
そうして六日経った頃、お城にアーヴェルが一人でやってきた。
じろりとシリウス様を見ると、わたしと再会の喜びを分かち合うこともなく、あろうことか舌打ちをする。
わたしは焦って、不遜な態度を取るアーヴェルを恥ずかしくも思って、彼の体を思い切り叩いたけれど、まるで気にした様子はなかった。
「よう従兄弟殿。セラフィナが世話になったな。じゃあ、帰るぜ」
と言って、シリウス様にお礼さえ言わずにわたしの手を引っ張ったのだ。
こんな時にも関わらず、アーヴェルの手は温かくて、わたしは心の底からほっとした。
だけど、
「待ってくれ」
シリウス様が、わたしのもう片方の手を引っ張った。力強くて痛かった。直後にアーヴェルの手が離され、わたしはシリウス様に引き寄せられた。
シリウス様は言う。
「彼女には、北部よりも中央が相応しいと思うんだ」
驚いてシリウス様を見上げるけど、視線はまっすぐアーヴェルに向いていた。それでもわたしに話しかける。
「セラフィナ、ここは北部より気候もいいし、なんでも好きなものをあげるよ。ここにいればいい。君のように才能に溢れた美貌の人が北部に留まっているなんて、もったいないと思うよ」
どうしてこんなことを言い出したのか分からなくて、困惑するわたしに、シリウス様はさらに言う。
「ショウとの婚約を取りやめると言えばいいんだ。元の家が嫌いなら、君が帝都に住み続けられるよう力になるよ。ずっと僕の側にいればいい。僕が望めば、君がここにいることに、文句を言う人はいないんだから」
文句なら、すごい形相をしてそこに立っているアーヴェルが言いそうだ。
一瞬だけ、アーヴェルがシリウス様に殴りかかるんじゃないかと思った。それだけ彼が怒っているように思えた。
だけどそうはならず、アーヴェルは首を横に振っただけだった。
「いいや、相応しいとは思わない。そいつは北部の人間で、俺の家族だ」
わたしの体はシリウス様に包まれていたけれど、意識はアーヴェルだけに向いていた。だって彼は、わたしを「家族」と言ったのだ。嬉しくて、涙がでそうだった。
「どれだけ中央が気に入っても、セラフィナはショウの婚約者だ。いずれは北部統括の妻になる」
言って彼は、わたしの体を掴むと、今度こそシリウス様から引き離した。肩に置かれた手は、痛いくらいに強い。大きくて、熱い手だった。
そうしてアーヴェルは、シリウス様に向かって、敵意を隠すことなくこう言った。
「いいかシリウス。お前がいくら清廉潔白で皆に好かれて偉くても、セラフィナは絶対にお前のものにはならない。いくら皇子で望むものが手に入ったとしても、セラフィナだけは無理だ。こいつを見いだしたのはショウだ。恨むなら、北部に遅れをとった自分ののろまを恨んでおけ」
シリウス様は、それきりなにも、言わなかった。
◇◆◇
しばらくの間、馬車で向かい合いながら、わたしたちはどちらも話さなかった。
帝都が遠ざかり、少しずつ人もまばらになった頃、ようやくわたしは口を開いた。
「……ショウは?」
窓の外を見ながら、アーヴェルは素っ気なく答える。
「ショウに、お前が行ってこいと言ったが、当主が家を空けるわけにはいかないと断られた。帝都が嫌いなだけだぜ多分」
それから、やっとわたしの方を見た。
「リリィが心配してたぜ、ずっと一緒に探してたんだから、次に会ったら謝っとけよ」
そのひと言で、わたしはアーヴェルを許したわけじゃなかったことを思い出した。そもそも彼が、リリィをわたしの部屋で口説かなければ、魔法は暴走なんてしなかったのだ。
「アーヴェルよりも、シリウス様の方がずっとずっと優しかったわ」
だけど、本当だったら、別にアーヴェルがどの女の子と付き合おうと、わたしには関係のないことだ。分かっているけど、胸のざわめきは収まらない。
アーヴェルは不愉快そうに片方の眉を上げた。
「ふん。じゃあ、シリウスの言うとおり、帝都に残ればよかったじゃないか。俺とショウがどれだけお前を心配して、どれだけ探したか知ってるのか? それを踏みにじるってことだな」
驚いて尋ねる。
「アーヴェルは、わたしのこと心配してくれたの?」
「したよ。当たり前だろ」
アーヴェルの目が、じっとわたしを見つめるから、耐えられなくて目を反らした。心臓が、うるさいくらいどきどきしている。
どうかこの鼓動が、彼に気づかれませんようにと、わたしは祈り続けた。
「……シリウス様は、すごく優しかったの」
アーヴェルは、黙っている。
「いつもわたしのこと、可愛いって褒めてくれたの」
ふ、と彼が息を漏らす気配がした。
「あいつの方がよくなっちゃった?」
「ううん。それでも帰りたかったのは二人のところだった」
「……俺も兄貴も、いつだってお前のこと、大事だって思ってるよ」
聞きたかった言葉はそれじゃなかったけれど、アーヴェルが、昔みたいにわたしの頭をくしゃくしゃになでてくれたから、今はそれでよしとした。
「アーヴェルは、どうしてシリウス様が嫌いなの?」
「別に嫌いじゃねえよ」
「うそつき」
誰がどう見ても、敵意全開だった。従兄弟なのに。
「……血の繋がった奴ら、みんながみんな、互いを大切に思ってるわけじゃないってことは、お前が一番わかっているだろうが」
生家を思い、わたしはもう、なにも言い返せなかった。
アーヴェルは、ときどき、ぞくりとするようなことを言ってくる。
「そういえば、お前に言ったことなかったよな」
アーヴェルの瞳が、暗く濁ったように思え――そうして、恐ろしいことを口にした。
「シリウス・フェニクス。あいつがショウを殺すんだ」