嫉妬する悪女
北壁フェニクス家に来てから一年が経とうとしていた。
数ヶ月の間に、わたしとアーヴェルは、いくつかの約束を交わした。
例えばこれらの約束だ。
なるべくわたしは、ショウと一緒にいること。
時が戻ったことは他言無用であること。
わたしが魔法を使うときは、必ずアーヴェルが近くにいる時であること。
魔法の使い方は、なんとなく分かってきていた。というかこれは、ほとんど本能と言っていい。
過去に二度魔法使いの学園に通っていたというアーヴェルは、たくさんのことをわたしに教えてくれたけど、分からないことも中にはあった。
どうしてわたしが使う魔法が、黒い光を帯びているのかも、分からないことの一つだった。
魔法が人の目に見えるとき、たいていは、白っぽい光となって現れる。セント・シャドウストーンの家族も、アーヴェルの魔法もそうだった。
なのに、わたしの魔法は黒かった。
「なんでわたしの魔法は黒いの? 少しもかわいくない!」
あるとき、アーヴェルに愚痴を言うと、彼もまた、不思議そうな顔をしつつも答えた。
「個人差かなあ。でも、すげえ強いことには変わりないぜ」
アーヴェルは、わたしの魔力が強いと言うけど、彼だって負けていなかった。
多くの魔法使いは、その手から魔法を発出し、ものを動かしたり、炎を出したり、時には人の怪我を直したりする。使う魔法が強ければ強いほど疲れるけれど、魔法使いの力が強ければ強いほど疲れない。
アーヴェルは手を使わずに魔法を出せるけれど、わたしにはできなかった。
その頃アーヴェルは、学園卒業の資格を得る試験に合格して、通学しなくても、卒業と同等の権利を得ていた。そんなことは学園が開設されて以来初めてだと、誰もが褒めていたけれど、時を二回戻って魔力が強くなり、ついでに卒業試験の内容を知っていたアーヴェルが、その魔法をひたすら練習していただけだということを、わたしは知っていた。
学園へは十二歳から通うことができて、年齢の上限はなく、通常は四年間学ぶことが必須だった。わたしも十二歳になったから、通学の資格を得て、だから当然、通うことになっていた。
◇◆◇
そうして今日、学園へと初登校すべく、向かっていた。
「二人とも、中には付いて来ないで! 保護者同伴なんて、恥ずかしいもん」
馬車から降りてそういうと、ショウとアーヴェルは顔を見合わせ、二人して首を横に振る。
「でもお前、方向音痴だし」
「皆に挨拶しないとならないよ。これから君が世話になるのだから」
「付いてきたら、嫌いになるから!」
いつまでも、子供のままじゃない。わたしはもう十二歳だし、自分のことは自分でできると、いい加減に分かって欲しい。
だから一人で学園に足を踏み入れ、走り出す。そこまではよかった。
「……あれ?」
困ったことに迷ってしまった。学園の敷地は広大で、校舎に行きたかったのに、周囲はなぜか森だった。一体自分が、今どこにいるのかも分からない。
思いに反して自分一人ではなにもできないような気がして惨めになり座り込み、泣きそうになっていたときだ。
「あなた、大丈夫? どうしたの?」
声がして、慌てて出かけた涙を拭って振り返ると、白衣姿の女の人がいた。年は、アーヴェルと同じくらいに見える。
初対面の人と話すのは苦手だった。でもその人は、わたしが言葉を発する前に、気がついたみたいだった。
「新入生? 迷っちゃったの?」
「……うん」
頷くと、彼女は笑った。長い髪がふわりと揺れて、花の香りがした気がした。
「ここの看板、すごく分かりにくくて、たまに迷っちゃう人がいるのよ。おいで、案内するわ」
そう言って、わたしの手を引き立ち上がらせてくれた。なんていい人なんだろう。このところ、わたしの世界は前より優しく色づいているように思う。
「あの、ここで、なにをしていたの?」
「植物の研究よ。授業じゃなくて、課外活動みたいなものだけど。魔法で育てたり、違う種類を掛け合わせて新種を作ったりね。薬になったり、観賞用として売れたり、可能性は無限大よ」
そう語る彼女は楽しそうで、それだけで、ここはいい学園なのだと分かった。少し安心したわたしは、自分が礼儀を弁えていなかったことに気がつく。
「わ、わたし、セラフィナ・セント・シャドウストーンです。名乗るのが遅くなって、ご、ごめんなさい」
どもりながらも、なんとか挨拶できた。わたしの手を引き前を歩いていた彼女は、驚いたように振り返る。
「まあ! あなたのこと知っているわ! 突然魔法が使えるようになった天才少女ね。今は婚約者の家で暮らしているって――フェニクス公のお屋敷で」
それから、にこりと微笑んだ。
「わたしはリリィ・キングロード。あなたよりは先輩ね」
その笑顔は明るくて、わたしはまた、安心した。
リリィはわたしを行きたい校舎へと案内する間もこの学園のことをたくさん教えてくれて、おかげで感じていた不安が薄れていった。
校舎の前で、アーヴェルとショウが待っているのが見えた。ショウはわたしに気がつくと駆け寄ってくる。
「よかった。今、教授達にも伝えて、君を本格的に探しに行くところだったんだ」
十二歳にもなって迷子になったなんて恥ずかしかったけれど、「ごめんなさい」と謝った。
ショウは次にリリィにお礼を言った。彼女が名乗ると、ショウは笑みを浮かべた。
「極東統括領の府長のご息女ではありませんか。こちらに通われていたとは驚きました」
「ええ。この学園に父の知り合いの先生がいて、中央ではなくこちらに通うことにしたんです。今は寮に住んでいます」
アーヴェルもゆっくり近づいくる。
「よろしくリリィ。セラフィナと仲良くしてくれ」
珍しく人の良さそうな笑みを作って、リリィと握手をしていた。礼儀を欠いた口調だけど、リリィに気を害した様子はない。それどころか、少しだけ頬が赤かった。
「アーヴェル・フェニクスさん、もちろん存知上げています。お会いできて光栄ですわ。あなたの試験を、わたしも見学していたんです。その……すごく才能があるんですね。とても、素晴らしかったです」
二人が見つめ合って、笑った瞬間、わたしはなぜだか耐えきれないほどのショックを受けた。アーヴェルに、わたし以外の女の子に笑いかけて欲しくない。
胸がざわざわするのはなんでなの。
リリィのことはとてもいい人だと思うし、すごく美人だ。アーヴェルのことも当然好き。だけど二人が仲良くしているのは、なんだかもやもやしたのだった。




