生きるために必要な人たち
先に足を止めたのはクルーエルお兄様だった。次いでジェイドお兄様が、訝しげにわたしを振り返る。
力のある魔法使いは、時に人を見ただけで、その人がどれくらい魔法が使えるかどうか分かるらしい。アーヴェルもそうだったのかは知らないし、彼がどうして、この家でわたしが魔法を得られるようになるのか知っていたかの疑問はあったけれど、確かにわたしは、自分の変化に気がついていた。
小さく頷いて、テーブルの上に置かれたコップに手を翳し――粉砕させた。
粉々に割れた陶器が、あちこちに飛び散る。誰かがはっと、息を呑む音が聞こえた。
人が息を吸って吐くみたいに、ごく自然に使い方は分かった。
わたしは、魔法使いになったのだった。
皆が、驚いていた。言い出したアーヴェルさえも、なにも言えない様子だった。
無魔法・無価値・無能のセラフィナ。それがわたしだった。だけど少なくとも一つは、覆すことができたんだ。
一番始めに口を開いたのは、クルーエルお兄様だった。ベッドの上にいるわたしを凝視しながらも、ショウに話しかける。
「……すまないがフェニクス公。セラフィナとの婚約は、白紙に戻させていただく。魔法が使える娘とは知らなかった。彼女はこの家の一員として、別の道がある」
いやだ――!
わたしは、恐怖で首を横に振る。わたしを初めて人間として扱ってくれたのは、大切にしてくれたのは、フェニクスの兄弟だった。セント・シャドウストーンじゃない。
ここにはいたくない。
ここはきらい。
ここはきらい! だいきらい!
わたしの体から、ゆらりと黒い影が出たような気がした。でもそれはすぐに収まる。アーヴェルの熱いほどの手が、力強くわたしの腕を掴んだからだ。だめだ、とでも言うように、彼は首を横に振った。
「……失礼ながら、あなた方は少しおかしいのではないか」
沈黙の後で、話し出したのはショウだった。彼を見ると、眉間に皺を寄せ、頭痛を抑えるかのように片手でこめかみを揉んでいた。
「血を分けた家族を、あっちがだめならこっちと、まるでパズルのピースのようにそう簡単に、当て込めるものだろうか。
魔法が使えなければ家族ではなく、使えれば身内か? 正直言って、そういう考えには反吐が出る。気高さも気品も感じられない。これが我が国で最も権威のある名家とは、なんとなげかわしいことか。国の質が落ちたと嘆く老議員たちの気持ちが、今なら分かる」
まるで怒ったアーヴェルが極力感情を抑えようとして失敗したみたいな口調だった。そう、ショウは、確かに怒っていた。あろうことか、彼はクルーエルお兄様に真正面から喧嘩を売っているのだ。
皇帝一家の秘めたる熱が、表出しているかのようだった。
「貴様……!」
ジェイドお兄様が手を出しそうになるのを、クルーエルお兄様が腕を掴んで止めている。でもショウを止める人は誰もいなかった。
「彼女は私の婚約者だ。予定は早いが、我が家で面倒を見よう。二度と帰ってくるなと言ったんだろう、ならよかった。二度と帰すつもりはない。問題はないはずだ」
アーヴェルが満面の笑みになる。
「俺も一言一句同意見だ」
そう言って、アーヴェルはわたしをベッドから抱え上げた。
「俺たちは、セラフィナを連れて帰るつもりだ」
アーヴェルの言葉に、わたしはどれだけ救われただろう。
「それは許されることではない」
クルーエルお兄様が一歩進み出る。でもアーヴェルは笑っただけだった。
「決めるのはあんたじゃない」
そうしてわたしに向き直る。
「セラフィナ、お前が選べ。どっちがいい? 家族の元に戻るか、それとも、俺とショウといるか」
抱きかかえられているから、彼の目が近かった。答えなんて、分かりきっていることだった。
「……がいい」
涙が溢れた。必死だった。生きていくために、自分に何が必要なのか、わたしはもう、知っていた。
「アーヴェルと、ショウがいい!」
「馬鹿どもめ!」
ジェイドお兄様が叫び、その手に風を溜め始めた。得意とする空気を切り裂く魔法だ。わたしもあれに、何度もやられた。
「ジェイド、よせ!」
クルーエルお兄様が止めるのも間に合わず、風の刃がわたしたちに迫ってくる。だけどそれは届かなかった。部屋の中に、まるで目に見えない壁があるみたいにそこに当たり、風はジェイドお兄様へと舞い戻る。クルーエルお兄様がその風を操り、散らして消滅させた。
「俺も魔法が使えることを忘れるな、ジェイド。ここで喧嘩でもしてみろ、どうなるかくらい分かるだろ?」
アーヴェルが捨て台詞のように言う。
「じゃあな馬鹿ども。国の片隅で、フェニクス家の繁栄でもじっくり見学しておくことだ」
◇◆◇
北部へと戻る馬車の中で、ずっと押し黙っていたショウがようやく口を開いた。
「セント・シャドウストーンに喧嘩を売ったとなれば、親族連中がうるさくなるな」
窓の外を見ていたアーヴェルが、ショウに顔を向けるために動いたから、眠りかけていたわたしも、つられてショウを見た。
アーヴェルが言う。
「後悔したか?」
「いいや、少しも」
きっぱりと断言するショウの答えに、アーヴェルは笑った。兄弟たちの顔は、美しい夕日に照らされていて、わたしは教会にある神様が描かれた絵を思い出していた。
視線に気がついたショウと目が合うと、彼は困ったように微笑んだ。
「悪かったなセラフィナ。君の兄弟達と喧嘩をしてしまって。気が落ち込んだだろう」
慌てて首を振った。
「いいの。わたしの家族は、きっとずっと、変わらない、から。
わたし、お兄様たちのこと、本当の家族なのに、きらいだった。きらいだったの……。きらいって、思ってる自分も、きらいだった。なのに、たぶん、まだずっと、許せないって思ってる」
そんな自分が、さらにきらい。俯いていると、アーヴェルが笑った気配がした。
「許せなくて当たり前だ。それだけ酷い仕打ちを、あいつらはお前にしてたんだぜ。いつかあいつらが大人になって、もし『すまん』と謝ってきたら、その時許すか考えればいい」
あの人たちが、わたしに頭を下げるとは思えなかったけど、アーヴェルの声を聞いていると、固く結ばれた心が、柔らかくほどけていくようだった。
ふとわたしは疑問に思う。
「どうしてアーヴェルお兄ちゃんは、わたしが魔法が使えるようになるって、知っていたの?」
「ただの勘」
そっけなく答えるアーヴェルが、本当のことを言っているのか分からなかった。わたしの疑問はまだあった。
「さっき、ショウさんが言ってた親族って皇帝陛下のこと?」
皇帝陛下を怒らせたら大変だ。だけどアーヴェルは否定した。
「いや、俺の母親の親戚と、ショウの母親の親戚だ。気にすんな。皇帝に身内が嫁いだのだけが自慢のような阿呆たれどもだから」
二人の母親が違うということは、ジェイドお兄様が前に言っていたから知っていた。
「さっきはショウ、中々良かったぜ。まさか兄貴が後先考えずシャドウストーン相手に喧嘩を売るなんて思ってもなかった」
アーヴェルがからかうように言うと、ショウも静かに笑った。
「お前に魔法が使えてよかった。でなければ危うく死体で帰るところだった」
「……だけどさ兄貴」
と、アーヴェルが言った。
「血が繋がってるからって、絆が特別強いわけじゃない。とくに従兄弟なんて、あんまり信用ならないぜ」
「ぎょっとすることを言うんじゃない。シリウスはいい奴さ。知っているだろう?」
ショウはそう答えて、わたしに笑いかける。
「今度セラフィナにも紹介しよう。この国の皇子で、私たちの従兄弟だ」
「絶対だめだ」
アーヴェルは心底嫌そうにそう言った。
二人と一緒に帰りながら、わたしは幸福に包まれていた。北部に近づくにつれて大きくなる木々も、深まる夕闇も、冷たくなっていく澄んだ空気も、なにもかもが美しくて、愛おしいと、そう思った。