井戸に封印されていたもの
クルーエルお兄様とジェイドお兄様は、あとのことを使用人に任せてさっさと姿を消してしまった。言葉にしないまでも、お兄様たちはフェニクス家よりもセント・シャドウストーン家の方が遙かに格が上だと思っている。軽蔑は、その態度から明白だった。
アーヴェルとショウがそれぞれに準備された部屋に通される時も、わたしは二人の側を離れなかった。この家で、一人になりたくない。ジェイドお兄様に、後でどんなひどい目に合わされるか分からなかった。アーヴェルにしがみつくようにして歩いていると、小声で話しかけられる。
「セラフィナ、この家で何か感じるか?」
「なにかって……?」
感じるものはたくさんあった。羞恥、恐怖、不安、そして、ほんの少しの、期待。
もしかしたら、暗くのしかかるような重りのあるこの家が変わるんじゃないかという、期待だった。だけどアーヴェルが言いたいのは、違うことだった。
「魔法が使えるようになる気配があるかどうかだ」
首を横に振ると、そうか、と彼は答えただけだった。
未来、わたしは魔法が使えるようになるのだとアーヴェルは言うけど、未だに信じ切れていなかった。
魔法使いは皆、人が二足歩行で歩くのと同じように、自然と魔法が使えるのだという。だけどわたしには、その使い方はさっぱり分からなかった。
先にアーヴェルの部屋に着いた。彼が部屋に入りたそうにしたけれど、わたしは手を、離すことがどうしてもできなかった。
「……アーヴェル、お兄ちゃんと……いっしょに寝たいの」
アーヴェルとショウは驚いたように顔を見合わせていたけれど、わたしだってびっくりしていた。こんなにわがままな願いを、持っていたなんて。
こんなことを言ったら、きっと、嫌われてしまう。誰だってわたしみたいな人と、いっしょに寝たいだなんて思わないだろうから。アーヴェルに嫌われると思ったら、目に涙がにじみそうになった。
アーヴェルの手が、わたしの頭に置かれた。
「まあ……、いいけどさ、どう兄貴?」
いいんじゃないか、とショウが言うのを待ってから、アーヴェルはわたしにぎこちなく微笑んだ。
「いいぜ、一晩くらいは、一緒にいてやるよ」
部屋に入ると、アーヴェルはわたしをベッドへと寝かせ、自分は部屋の中央の方へ行く。
「俺は起きてるから、ベッドを使えよ」
彼に眠る気はないようで、窓辺に椅子を寄せて、外を見ているみたいだった。その姿を見て、思う。一体、この人は、何をしようとして、何を待っていたんだろう。何をしに、この家に入ったの。
未来から戻ったと言う彼。わたしを幸せにすると約束した彼。時にこどもっぽくショウに笑いかける彼。わたしの頭をくしゃくしゃになでる彼。いろんな彼を、知っていたけど、本当の彼を、知っているわけじゃない。
白い月明かりが、彼の顔を照らしていた。彼を見ていると、ときどき、胸の奥がどうしようもなくチクチクするの。だけど、嫌な感じじゃなくて、とても優しい気持ちになれる。
わたしはその横顔を、眠くなるまで見つめていた。
◇
――その夜、わたしは夢を見た。
誰かが、泣いていた。
泣いているのが誰か、知っている気がした。
近づいていくと、彼女は振り返る。
わたしによく似た女の人だった。
――フィナを、助けてほしいの。
そう伝えると、その人は涙を流しながらも優しく微笑み、庭の一角を指さした。
◇
翌朝起きて、アーヴェルにおはようのあいさつもほどほどに、わたしは部屋を飛び出した。
行かなくちゃ!
「おいどこに」
アーヴェルの言葉を最後まで待たずに、わたしはかけだした。それは感覚だった。口では言えない。
だけどあの人が、わたしに何をくれたか分かった。
家を飛び出し庭に出て、片隅にある井戸まで一直線に走った。
乳白色の石が積み上げられた井戸は、まるでわたしを待っていたかのように、そこに佇んでいる。今はもう使っていなくて、誰かが落ちないように木の板で覆われている。わたしは覆いを取り去った。――瞬間。
井戸の底から、黄金に光る風が吹き抜けたように感じた。光はわたしに纏わり付き、取り囲み、そうして体の中へと吸収されていった。そこまでは覚えている。
次に目を覚ましたのは、ベッドの上だった。
天井が見えて、一瞬、さっきのことは、何もかもすべて夢だったんじゃないかと思った。だけど心配そうに覗き込むアーヴェルとショウの姿が見え、本当のことだったのだと分かる。
「大丈夫か。家を飛び出して、庭で倒れていたんだ」
ショウがそう言った。
体を起こすと、意外なことにクルーエルお兄様とジェイドお兄様がいるのも見えた。
ジェイドお兄様が舌打ちをする。
「フェニクス公。こうしてセラフィナも無事に目を覚ました。もう行っていいか。俺たちは忙しいんだ」
どうやらショウかアーヴェルが、お兄様二人をここに引き留めていたらしい。
お兄様たちが部屋を出て行くのを、ぼんやりと見つめていると、アーヴェルが、ぽつりと言った。
「なあセラフィナ。お前、魔法が使えるのか?」




