三人での帰宅
北壁のフェニクス家にいる数日の間中、アーヴェルはずっとわたしの側にいてくれた。毎日二人で庭を散歩して、彼曰く、「アニキノキ」をくるりと回って帰ってくる。わたしは、この時間がとても好きだった。
散歩がとりわけ好きなわけではなかった。アーヴェルと、手を繋いで歩くのが、好きなだけだった。ほとんど一方的なアーヴェルの話に、相づちをうつだけだったけど、彼は怒ることも、つまらなそうな顔をすることもなかった。
ショウは忙しいみたいで、ほとんど家にいなかったけれど、アーヴェルがいてくれたおかげで、わたしはこの家が好きになりつつあった。――本当の家に、帰りたくなくなるほどに。
「彼女に対して、お前はまるで過保護な親だな」
あるときショウがぽつりと言ったけど、アーヴェルは肩をすくめただけだった。
陽気なアーヴェルとは違って、ショウは寡黙だったけれど、噂に聞くほど冷たい人でも、ましてや変な人でもなくて、むしろ、わたしをどう扱っていいのか迷っているみたいだった。だけど、気にかけてくれていることは分かる。
「旦那様は忙しい方ですけど、セラフィナ様の様子を報告するように、いつもおっしゃっていますよ。この家に馴染んでいるか、心配しているんです」
そう教えてくれたのは親切な使用人の女の人だった。彼女はわたしのお風呂も手伝ってくれて、体の傷のことをしきりに尋ねてきたけど、ジェイドお兄様にぶたれたとは言うことができずに、転んだだけ、と答えた。
朝になったら、アーヴェルがわたしの身支度を手伝った。彼の手先は器用で、加えて魔法も使えるから、わたしの髪の毛は毎日違う形に整えられた。使用人のみんなも、びっくりするくらい丁寧に接してくれた。存在を無視することも、ましてや叩かれることもない。
セント・シャドウストーン家では考えられないほどわたしは大切に扱われていた。
ずっとここに、いられたらいいのに。ここにいると、わたしは価値のある人間なんじゃないかと、錯覚してしまいそうだった。
だけど、終わりの日は来る。
フェニクス家への滞在は数日だけだってことは、初めから分かっていたことだった。
わたしとアーヴェルの仲がいいことを知っているショウが、こう言った。
「アーヴェル。お前がセラフィナを家まで送ってやれ」
だけどアーヴェルは、にやりとショウに笑いかけ、それからわたしを見た。
「馬鹿言えよ、兄貴の婚約者だろ? こういうのは、二人で見送るもんだぜ。セラフィナだって、ショウが好きだもんな?」
本当は、アーヴェルの方が好き。
それに帰りたくもない。
だけどまさかそんなこと、言えるわけもなくて、わたしは小さく頷いた。
◇◆◇
出発したのは早朝で、途中馬車を乗り継いで、家に着いたのは夜だった。セント・シャドウストーンに近づくにつれて、恐怖と不安が募っていった。
ショウとアーヴェルは、近くの宿屋で夜を過ごし、また北部へと戻るのだという。
わたしも連れて帰ってほしい。どうして今まで、セント・シャドウストーンでの生活に耐えられていたのか分からないくらい、家に帰るのが怖かった。
出迎えたのは昔からいる使用人のひとりで、いつもわたしに厳しくする人だった。わたしを見て、明らかに嫌そうな顔をする。
「あいにく旦那様は留守にされております。お嬢様はここで引き取ります。あなた様もお帰りくださいませ」
惨めで恥ずかしくて、顔が赤くなるのを感じた。家でこんなぞんざいな扱いを受けているなんて、大切にしてくれた二人には知られたくなかった。役立たずの娘と婚約したとばれて、ショウが婚約を、やっぱりやめるなんて言い出したらどうしよう。わたしはまた、自分の生きる意味をなくすことになる。
ショウが不可解なものを見たかのように眉を寄せた時、ジェイドお兄様が家の奥から現れて、わたしを見て、いつもの笑みを浮かべた。
「なんだ、帰ったのか役立たず。二度と帰ってくるなと言ったものかと思ったが」
「それはどういう意味です?」
ショウが信じられないような表情で、ジェイドお兄様を見た。だけどジェイドお兄様は、薄ら笑いをやめない。
「なに、兄妹間のあいさつですよ。服も買い与えたのですか? 随分とこの妹がお気に召したようで、大層なことだ。
……さあ、夜も遅い。あなた方も遠方からの旅路で疲れているでしょう。宿屋で休んだ方がいい」
そう言って、わたしの手を強く引っ張った。そのときだった。
「セント・シャドウストーンの質が知れるなあ、皇帝一家を家の中にさえ招き入れないとは! これじゃあセラフィナを渡せないぜ」
ずっと黙っていたアーヴェルが進み出て、わたしの反対側の手を掴む。ジェイドお兄様とは違う、優しい手つきだった。わたしはジェイドお兄様とアーヴェルに、両手を繋がれた形になった。
「アーヴェル、よせ」
焦ったショウが止めようとしてもアーヴェルは止めないどころか、ますます声を大きくして、屋敷中に聞こえるのではないかと思われるくらいの音声で叫んだ。
「シャドウストーン! これが名家流の礼儀か? 長旅で疲れ切った親族を玄関先で追い返すのが?
おい! 奥に誰かいるんだろう、このガキに俺たちを追い返させる気か? ってことは、フェニクス家に喧嘩を売ったと捉えていいってことだよな!」
わたしの恐怖は最高潮に達した。
アーヴェルは時に理解できない行動をするということは、数日の関わりで分かっていたつもりだけど、こんなに騒いで、しかも家を馬鹿にするようなことを言って、お父様かクルーエルお兄様が怒ったらどうするつもりなの。きっと殺されてしまう。
「……こいつ、頭がおかしいのかよ」
ジェイドお兄様がそう呟いた直後だった。
「アーヴェル・フェニクス、ショウ・フェニクス。弟が失礼した」
背筋が凍り付きそうなほど冷たい声が聞こえて、現れたのはクルーエルお兄様だった。片眼鏡の奥から除く瞳が、アーヴェルとショウを見定めるように動いた。だけど口調だけは丁寧に、二人を迎え入れる。
「あいにく父は不在にしていて、私が相手をいたします。どうぞ中へ。今日は泊まって行かれるといい。部屋を準備させましょう」
「いや、そこまでは」
断ろうとするショウの背を、アーヴェルが叩いた。
「なんでだよ、招かれたんだから、入るのがフェニクス流の礼儀ってもんだろ」
そうして北壁フェニクスの兄弟は、我がセント・シャドウストーンの屋敷に足を踏み入れたのだった。




