戦地へ
そんな生活の中で、珍しく兄貴が酒に誘ってきた。
食事の後でセラフィナも眠っていたし、むさい男二人で、ワインを飲むことにした。
「兄貴が俺を誘うなんて、どうしたんだ」
「たまにはいいだろう、お前も私も、近頃まともに話していなかったんだ」
それもそうだ。失恋の感傷により、俺が兄貴を避けていたんだから。
「仕事はどうだ」などと世間話を始めた兄貴に、適当に返事をし続ける。以前の世界での俺と兄貴は顔を合わせても挨拶さえしたかどうか怪しいところだ。だが今は。今は普通の兄弟くらいの関係は築けていた。それも全て、おそらくはセラフィナがいたせい――いや、おかげだろう。
たった一人の存在が我が家に現れただけで、これだけ仲が改善するとはおかしな話だ。
「従軍することにしたんだ」
話し続ける兄貴の声の中で、その言葉だけが嫌にはっきりと聞こえた。
「は――!?」間抜けな声を出す俺を見ながら、兄貴は静かに続けた。
「我が家の地位は、そうでもしなければ確保できない。叔父上は、私やお前が皇帝の座を狙っていると恐れているんだ。彼に睨まれては我々は生きていけない。国に尽くすことを、見せてやらなければなるまい」
「行ったら死ぬぞ……!」
俺は立ち上がった。衝撃でグラスが揺れる。
クソ兄貴、今までそんなそぶり、一つも見せなかったじゃないか。
以前の世界ならいざしらず、あれほど懐いているセラフィナを置いて、戦争に行くなどと言い出すとは思ってもみなかった。
兄貴は阿呆なのか?
行ってどうするんだよ、馬鹿な叔父なんて放っておけ。勝手に恐れていればいいだろう。
だがこうなった兄貴の決意は誰にも砕くことができないということを、俺もまた知っていた。
兄貴は家長として、いつだって最善を尽くすのだから。だけど、俺だってそうだ。俺だって俺なりに最善を尽くしてきたんだ。
そうして俺は自分でも、思いもしなかったことを叫んだ。
「じゃあ俺が行くよ! 誰かが行かなきゃいけないんだったら、俺が行く! 俺が戦場へ出て、俺たちが国家と皇帝に従順だと示せばいいだろう! 第一、セラフィナはどうなるんだよ!」
「あれはお前を好いている。私が死んだら、お前が面倒を見てやればいい」
「違えよ!」
本当に兄貴は馬鹿でクソ野郎だ。俺が言いたいことを一つも理解していなかった。
「俺は、兄貴に死んで欲しくないんだよ!!」
しん、と静寂が訪れた。兄貴は驚いたように俺を見ていたし、俺だって自分で放った言葉に驚いていた。なんてこった、俺は、兄貴に死んで欲しくなかったんだ。戦場へ行ったら、俺が死んでもおかしくないのに、自分の死を防ぐためではなく、単純に、兄貴が死ぬのが嫌だった。
俺は、再び椅子に座り直して、やや冷静になった頭で言った。
「そうだ、俺が行くよ。当主が死んだらどうするんだ。俺だって仕事が忙しい。家がやってる事業なんて引き継げるわけがない。だけど宮廷魔法使いの仕事は別だ。俺よりも魔法が使えて頭のいい奴なんて腐るほどいる。換えはいくらでもいるんだ」
兄貴は、眉間に皺を寄せた。
「アーヴェル。お前はそれでいいのか?」
いいかなんて知るかと言いたかった。だが、それが最適解のように思えたのだ。
「だけど兄貴、ひとつだけ約束してくれ」
俺たちは、まっすぐに見つめ合った。
「あいつを、セラフィナを幸せにしてやってくれ。政治の道具としてじゃなく、一人の女として、幸せにしてやってくれ。セラフィナは、俺にとっても――……妹、同然なんだ」
結局俺は、核心から逃げた。妹だなんて思ったことは、一度もなかったくせに。
しばらく考え込んでいた様子の兄貴は、長い沈黙の後で、ようやく首を縦に振った。
そうして俺は、戦争へ行った。セラフィナは泣いたが、引き留めはしなかった。俺の決意が固いことを、彼女なりに悟ったのだろう。
俺がセラフィナの側を離れる決心が着いたのは、もう彼女は、どう転んでも悪女になどならないと確信したからだ。兄貴の花嫁として、幸せな女になるのだろう。