一回目の悪女セラフィナの話【後編】
これから先の話を語るつもりはないと、そんな風に格好付けて言った阿呆がどこかにいたような気もするが、時が経てば人の考えも変わるものだ。
ともかく俺は話がしたい。
それがどうしても話さなくてはならないことかどうかは脇に置いておいて、話がしたい。大変な非常事態だった。久しぶりの大ピンチだ。
初めから話すとすると、この晩に北部には大雪が降っていて、兄貴が中央に行った今、この屋敷の主は俺なわけで、だから早朝に、すやすや眠るセラフィナを起こさないように細心の注意を払い、降雪状況を確認しに外を回ってきたのだ。
――で、すっかり冷え切った俺は、せっかくだから風呂に入ろうと思い立ち、用意し入ったのだ。そこまでは良かった。
問題は今である。
下着がない。
俺の、パ…………パンツが。
いや、正確に言うとあることはあるのだが、一度脱いだ下着をもう一度履くのは俺のポリシーに反することだし、下着を持ってきてくれと使用人に頼むのも屈辱的である。
第一彼らの多くは屋敷周りの雪かきで忙しくしており、とても下着の手配を頼める雰囲気でもなかった。
服――? 服はいいんだ。一度脱いだ服をまた着るというのは全く平気であるのだが下着だけは無理であるのは多数の人間が納得することではないだろうか。
魔法で持ってくればいいと思うか?
繰り返し続けた世界で俺の魔力が強まったこともあったが、あいにく今はそこまで強くはなく、下着を瞬間移動させるという高等技術は使えないのである。
なすすべもなく俺は、段々とぬるくなっていく湯に浸かり続け、誰か気づいてくれないかと一縷の望みに賭ける他なかった。
しかし連続してくしゃみをし、いよいよ寒さの方が湯の熱さに勝ってきた頃、ようやく一念発起し、浴槽を出て、素っ裸のまま廊下を進んでいった。
一度脱いだ下着を再び身に着けるくらいならば、裸の方がまだマシというもので、先述の通り、屋敷の中に使用人の数も少なく、であれば下着を取りに彷徨く裸の俺を見る者もまたおらんということだ。
と思っていたが、廊下でセラフィナに出くわした。
俺を見た途端、セラフィナは頬を真っ赤に染め叫ぶ。
「きゃあ! どうして裸なのよ!」
彼女にしては珍しく寝間着のままで、それが妙に、今朝のおぼろげな雪景色に似合っていた。
自分の粗相を一から説明するのも気まずいので誤魔化すことにする。
「今更叫ぶことあるかよ。俺の裸なんて見飽きてるだろ」
そう言うとセラフィナはますます顔を赤くして、「だって」「それは」と、ごにょごにょと口の中で呟く。悪女らしからぬ初心な反応であるが、ともかく彼女はいつもこうだった。大変可愛らしいのである。
彼女の顔を見つめていた俺は、目が赤く腫れているということに気がついた。
「泣いてたのか? どうしたんだよ」
流石の俺も嫁が泣いていたとなると心配するのである。セラフィナは泣き虫ではあり幼少の頃はしょっちゅう泣いていて、その顔をされると俺はどうも調子が狂ってしまうのだが、このところはそんな表情を浮かべることはなかったというのに。
問うと、セラフィナは眉を下げ、再び泣き出しそうな顔で俺を見上げる。
「分かんない……」
なんじゃそりゃ、分かんないで泣く奴がいるかよ、と言おうとした寸前で、彼女は再び言った。
「でも、とても怖い夢を見ていた気がするの。子供じみてるって、自分でも思うけど、すごく不安になっちゃって、アーヴェルに、会いたくなっちゃって……。だって起きたら隣にいないんだもん! だから探していたの!」
驚愕である。
お……おいおい、なんだこの可愛い嫁は。こんなに可愛いものがこの世界に存在していいのか!?
衝動を抑えきれず、俺は言った。
「とりあえず顔を洗うために、一旦、風呂に入ろう。温め直すから」
「え!? 一緒に!?」
セラフィナの顔はこれ以上ないほど真っ赤に染まる。
「別に、嫌ならいいけどさ」
俺の言葉に反応し、セラフィナは勢いよく首を左右に振った。
「い……嫌じゃない! 全然嫌じゃない! は、入る! 入る!!」
と言うので俺はセラフィナの手を引き、再び浴室に戻ったのだ。
とまあ、その先の話は野暮であるので割愛するが、風呂に入っている途中で俺は大変な問題に気づいてしまった。
ここまで読んだ諸君ならばお分かりのことだろう。
結局パンツを忘れたのである。
〈おしまい〉
おしまいです!