夢のあとさき
今回から、セラフィナの視点に戻ります。
夢の中で、誰かが泣いていたような気がした。
だけどそれが誰なのか、わたしにはわからなかった。
毎晩眠るとき、神様に願うことはいつも一緒で――目が覚めたら、違うわたしになっていますように。
そうして毎朝、わたしはわたしであることに絶望した。
――違う! 頭の中で、誰かが叫ぶ。
魔法はきらい。
魔法使いはもっときらい。
この家では、人は二種類に分けられていた。魔法が使えればえらくて、使えなければ役立たず。使用人だって魔法使いだ。魔法が使えない人間は、この家にたったひとり。
代々続く魔法使いの名家セント・シャドウストーン家の面汚し。それがわたし、セラフィナ・セント・シャドウストーンだった。八歳になっても、わたしの立場は変わらない。多分、一生このままなんだ。
――違うわ! また、誰かの声が聞こえた。
はっと目が覚めた。
まだ、夜だった。
さっきまで、とてもとても長い夢を見ていたように思える。だけどどんな夢だったのか、もう忘れてしまった。
眠っていたのに、ひどく疲れていた。
心の中に、ぽっかりと穴が空いたような気がする。だけどそこがなにで満たされていたのか分からなかった。
ベッドから立ち上がって、カーテンを開く。窓の外には満月が浮かび、森を照らしていた。
雪がちらついていて、今が冬なのだということを思い出した。夏の終わりかけの夕陽を、つい昨日、見たような気がするのに。
景色に、違和感を抱く。
部屋の窓からいつも見えていたのは、高い壁のような、巨大な頂ではなかっただろうか。雪をかぶっていて、冬には幻想的に、辺り一面が白く染まる。朝には空気が澄み渡り、夜には星が瞬いた。
窓から見えたのは、そんな景色じゃ、なかっただろうか。わたしはそんな風景を、愛していたんじゃなかっただろうか。
布がかけられた鏡を露出させる。みすぼらしい少女が映っていた。
鏡はきらい。でも――。
鏡の中の自分の輪郭を指でなぞった。
誰かがこの髪を柔らかいと褒めてくれた。
誰かがこの目を好きだと言ってくれた。
誰かがわたしを、綺麗だと、繰り返し言ってくれた。
誰かがわたしの体を抱きしめ、何度も何度も必死で愛を伝えてくれた、そんな気がしていた。
だからわたしは、わたしを愛せた。
頭がずきりと痛む。
――思い出さなくちゃいけないわ。
それは、自分の声に思えた。
部屋の扉を開き、廊下に出る。しんと静まりかえった屋敷からは誰かが起きている気配もない。
何かをしなくてはならない気がしていた。
誰かに会わなくてはならない気がしていた。遠い昔に、誰かが祈った願いが、形になる、その前に。
廊下の窓に目を向けた。目の端に、蠢く影が、映ったように思えた。
月に照らされ、封印された井戸が見えた。
その横に、黒い人影が見えた。
小さく、子供のように見える。その影は、井戸の覆いを取り払い、こちらに気がつき、目を向けた。
暗がりで、表情の機微までは分からなかった。
だけどそれが、誰であるのかははっきりと分かった。
「バレリー……」
それはバレリー・ユスティティアだ。
瞬間、何もかもが蘇る。
過ぎ去ってしまった怒濤の日々。
わたしがアーヴェルに会いたくて、バレリーを過去に戻したこと。アーヴェルがわたしを真っ当に育て直そうと奮闘したこと。敵を見極め、反乱の日々に身を投じたこと。そうして元凶を叩き潰すため、ついさっき、帝都でバレリーと対峙していたこと。
アーヴェルがその命を捨てて、バレリーに一撃を放ったこと。
無駄にしてはならない。
全ての過去と未来と、積み重ねられた人の想いを引き継いで、わたしは今ここに立っているのだから。
庭の人影に向かってわたしは叫んだ。
「バレリー! 今すぐその井戸から手を離しなさい!」