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準決勝に向けて

 国際ジュニア団体戦 大会12日目 

 決勝トーナメント 第一回戦 日本 VS ドイツ

 男女混合(ミックス)ダブルス 不破奏芽(ふわかなめ)神近姫子(かみちかひめこ) VS Alex(アレックス) L Starkerm(シュタカーム)Olive(オリーヴェ) M Starkerm(シュタカーム)


 ベースラインから放たれた、強烈な一撃。奏芽と姫子の陣形の隙を突く、的確なコントロール。前衛(フロント)である姫子が触るには遠い場所を通し、後衛(リアー)である奏芽が体勢を立て直す時間を与えない球威とタイミング。不利な形勢を引っ繰り返す、見事な一打。だが、それは同時に低くないリスクを伴う。パシッ、という乾いた音が響いて、ボールの軌道が大きく変化した。


 不測の事態(コードボール)


姫子(You)!」

 奏芽が鋭く声をあげる。低弾道で飛来したボールが、ネットの白帯に触れた。これによってボールが逸れて跳ね上がり、打球に内包されていたエネルギーの大半が減衰する。浮いたその場所は、前に陣取る姫子にとって絶好のチャンスボール。咄嗟の出来事ではあったが、姫子は機敏に反応。即座に捕球体勢を完了させる。相手ペアの立ち位置(ポジション)を確認するまでもなく、普段通りトドメの一撃(フィニッシュボレー)を打てば決まる。そのはずだった。


 ガチッと固い音がコートに響く。捉えたと思ったはずのボールは、しかしラケットのフレームに当たる。白帯に接触したことで、姫子の想定以上にボールの推進力が失われていたのだ。ほんの僅かなタイミングのズレで、天国と地獄の明暗が分かたれてしまう。ボールは真下に向けて飛び、自陣側のネットを揺らす。同時に、観客席から落胆の声があがった。


「~~っ」

 うっかり花瓶を落として割ってしまったときのように、姫子は自分のプレーに身を竦ませる。絶好のチャンスをただのミスで潰してしまったショックと、ペアである奏芽に対する申し訳なさ、そして強い自己嫌悪が姫子のなかで急速に渦巻いて行く。観客席から聞こえる騒めきが、自分への嘲笑に聞こえた。


「Game set & match Germany. 6-1,6-3」

 審判が決着を告げる。


(どうして……)

 肩を落とし、ネットに転がったボールを恨めしそうに見つめる姫子。


「ホラ、挨拶」

 傍に寄ってきた奏芽が、姫子の隣に立って言う。彼女は視線を上げられないどころか、返事すらできない。せめてペアが罵倒のひとつでもしてくれれば、反射的に謝ることぐらいはできるのにと思う。黙って俯いたまま、促されてとぼとぼとネット前へ歩み寄る姫子。


「最後はすまなかったな」

 屈強な身体つきにくすんだ金髪をした対戦相手の男性が、握手を求めながら謝罪を口にした。ネットにボールが当たってしまうコードボールが起きた際、謝意を示すのがテニスにおける暗黙のマナーだ。それが勝敗を決めるマッチポイントで起こったのは、相手からしても不本意だったのだろう。相手の不運を喜び、自分たちが労せず勝つことに喜びを感じないタイプの選手であることは、試合のなかで分かっていた。清々しいまでにフェアなスポーツマンシップを持つ青年だ。それに、傍目から見ても気の毒なぐらいにしょげている姫子を見て、彼はなおのこと気を遣ったのかもしれない。


「いや、あんたらが強かっただけさ」

 姫子に代わってそう応じる奏芽。リップサービスなどではなく、本当にそう思っていた。相手のペアはドイツでも屈指の姉弟ペアだ。その実力はもはやプロといっても遜色無く、姉弟揃ってシングルスでも戦績を上げている完全なる格上。だが、負けて当然とは奏芽も思っていない。序盤はほぼ成す術も無くやられたが、2ndセットは少しずつ流れを引き寄せられつつあったのだ。それだけに、奏芽にも悔しい気持ちは当然ある。人目が無ければ、奏芽も切歯扼腕せずにはいられなかっただろう。平静を装っているのも、実はかなりギリギリだった。奏芽は気を紛らわすように、横目でチラリと姫子を見る。彼女は対戦相手の女性に軽いハグをされているところだった。


「気を落とさないで。貴女は自分で思うほど弱くない。また()ろう」

 対戦相手の女性選手は、身長約180cmの奏芽とほぼ変わらない。少し身を屈め姫子の健闘を称える彼女の様子は、母親が娘を慰めるのに似ていた。相手の言葉は勝者の余裕、というわけでもないだろう。奏芽も同じように姫子を評価しているからだ。ただ、今回ばかりはいかんせん姫子のミスが目立っていたように思えた。


「……ごめん、私」

 チームベンチに向かう途中、搾り出すように姫子がつぶやく。試合を観ていた者の大半が、きっと日本ペアの敗北の原因は姫子だと評するだろう。そういう試合だった。相手の高い水準で完成されたコンビネーションや、勘所で見せる勝負強さで、奏芽たちはあっという間に1stセットを落とした。その後、相手のプレーにある微かな綻びを見つけ、反撃の糸口を掴んだのは奏芽だった。しかし、ここぞという場面で姫子のミスが目立ち、結局追いつくこともできずに敗北を喫した。


「あとは、蓮司とスズさんに任せよう」

 気にするな、とはさすがに言えない。かといって当然責めることもできない。どうして自分たちが負けたのかは、姫子本人が一番良く分かっているはずだ。彼女は今、どうにか涙を流さぬように堪えながら、必死で敗北の苦しみと向き合っている。かけてやれる言葉など、何ひとつなかった。


(コイツはホント、いつもこうだ(・・・・・・)

 押せば倒れてしまいそうな小さな背中を見つめながら、奏芽は遅れてベンチに戻った。


           ★


(……クッソ……しんどい)

 病院のベッドの上、覚醒と気絶の狭間で意識を朦朧とさせながら、しかし身体を襲う苦痛だけはハッキリ感じて苦悶する聖。非撹拌事象における能力の使用とはいえ、久しぶりに重い失徳の業(カルマバープ)で完全に動けなくなってしまっていた。ほどほどに慣れて、最低でも自力で歩けるぐらいにはなっていたと思っていたが、どうやら、今回は事情が違ったらしい。


<オレも気付かなかったけどよ、オメェ最適調整(リサイズ)率を自力で変えちまってたンだわ。肉体強度に比例して出力が決まるンだが、場面があンなだったからな。火事場のクソヂカラ的な効果でいつも以上にパワーが出たその反動だな。でなきゃ走ってるトラックの荷台から動いてる的にピンポイントで当てるなンざ不可能だ。残念ながら当然の結果ってやつだな。残当だ、ザントー>


 仮にも管理者(アドミニス)なら気付けよ、と突っ込みたいが聖はそれさえままならない。ロシアンマフィアとの接触のあと、ホテル近くに戻ってきたものの聖は自力で歩くことさえできなかった。異常を察したミヤビがすぐ、ビアンコへ病院に向かうよう指示してくれた所までは憶えているが、そこから先は記憶が曖昧だった。


<あの美人JKも、オメェがひとまず問題ねぇって分かった途端、倒れるように気ィ失ってたぞ。ま、無理もねェわな。割とガチでストレスてんこ盛りの数日だったワケだし。ちなみに、オメェら二人とも食あたりでダウンしたことになってるらしいぞ。なァンか、色々と都合が良いっつーか、手際が良いよなァ? 結果的に問題無かったとはいえ、一歩間違えりゃ人死にが出てもおかしくねェ状況だったってのに。キナ臭さが鼻につくぜ……って、聞いてねェわコイツ>


 アドの声が段々遠くなってゆくのを感じながら、聖の意識はゆるやかに途絶えた。夢のなかでは、ここ数日の出来事が時系列を無視してゴチャゴチャに入り混じる。思考の過程を省略し、なにか答えに近いものを垣間見た気がしたが、目を覚ました時には思い出すことはできなかった。



 数時間後、再び聖が目を覚ますと既に陽が暮れかかっていた。病室は大部屋だが、どうやら聖の他に入院患者はいないらしい。だだっ広い室内は薄暗く、体調もあいまって少し人恋しい気分になる。


(今日、ドイツ戦だったよな……どうなったんだろう)

 寝ぼけた頭のまま、聖はサイドテーブルのスマホに手を伸ばす。だが充電されていなかったらしく、電源がつかない。身体を起こすと、まだ全身に痺れのような感覚が残っている。明日の朝頃まではこの状態が続くらしく、改めて能力の使いどころについては慎重にならなければと自戒した。


「あ、起きてる?」

 聞き慣れた声に視線を向けると、ジャージ姿のミヤビが入ってきた。人感センサーが反応し、室内灯の無機質な明るさがパッと病室に広がる。


「具合どう?」

「なんとか。すいません、迷惑かけちゃって。ミヤビさんは?」

 ミヤビの方はぐっすり眠ったらだいぶ回復したらしい。単純に疲れと寝不足が原因だったようだ。それを聞いてほっと胸を撫で下ろす聖。なんだかんだあったが、どうにか無事に切り抜けることができたのだ。ここにきてようやく、聖はその実感を得た。


「そうそう、ウチのチーム、ドイツに勝ったってよ」

「おお、やった!」

 自分はともかく、ミヤビがいないのは手痛い戦力不足だと思っていただけに、これ以上ない良いニュースだった。ダブルス2勝に女子シングルス1勝でかなり際どい展開らしかったが、鈴奈が意地を見せたらしい。だが、悪いニュースもあった。


「雪乃が試合の途中で少し足を痛めたみたいでさ。大したことないから本人的には出られるって言ってるみたいだけど、優勝狙うために準決勝はスキップさせるって監督が。だから今、改めてオーダー考え直すんだってさ」

 ダブルスは個人の能力もさることながら、息の合ったペアのコンビネーションが重要だ。技量で言えば怪我をしていない雪菜を他の誰かと組ませるのも悪くは無いが、即席ペアでどうにかなるレベルの大会ではない。ジュニアとはいえ世間に対して力をアピールするには、実績が必要不可欠だ。難しい判断ではあるが、最終的な目標を達成する為に早い段階でリスクを負うという金俣の采配は、合理的なものだった。


「ちなみに、準決勝の相手って?」

 何気なく聞いた聖に、ミヤビが苦笑いを浮かべる。


「ロシア」

 その単語を聞いて、思わず聖の顔が引きつった。


           ★


 ――だ。……は――――育……ゃし――ない。



 ハッと、薄暗がりのなかで姫子は目を覚ました。試合のあとで部屋に戻り、シャワーを浴びて髪を乾かしている途中で眠気に襲われ、そのままうたた寝してしまったらしい。嫌な夢を見ていたような気がして、深くため息を吐いた。眠ったのに気が晴れないのは、夢のせいではないだろう。


(……どうして、私は)

 数時間前の試合がフラッシュバックする。実力差は最初から明白だったし、運が良ければ勝てる可能性も無くない。ペアの奏芽もそう分析して、負けを覚悟で試合に望んだ。序盤はほぼ想定通りに近く、相手の実力差に打ちのめされた。だがその後、ペアの奏芽が作戦を立て、相手の小さな隙を上手く突いて反撃に転じる。もしかしたら勝てるかもしれない、そういう手応えが確かにあった。判官贔屓の声援にも後押しされ、慎重にチャンスを作り、粘りに粘る二人。そして、ここぞという場面で、姫子のミスが続いてしまった。


 ボールがネットにかかる音、真芯(スポット)を外して受けたラケットの嫌な感触、落胆し、溜め息に包まれる観客席。苦虫を噛み潰したような表情を必死に隠すペアの顔。勝利への兆しをことごとく潰したその事実が、姫子の心を苛んだ。


 ベッドから身体を起こし、冷えたミネラルウォーターを口にする。こくこくと喉を鳴らして飲むと、胸の奥にあったもやつきが少しだけマシになった。壁にもたれながら、もう一度大きな溜め息を吐く。もうとっくに、自分の人生の幸せは全て逃げ出したあとだろうなと思い、自嘲気味に笑う。


「ミヤビさん、大丈夫かな。セイ君も」

 尊敬する先輩と、ずっと昔から恋心を寄せている同い年の男の子の名をつぶやく。一番慰めて欲しい二人だが、今の自分は一番見せたくない。矛盾した感情が渦巻くのを感じ、情けなくて、惨めな気分になる。どうして自分はこうなのか。これまでにも何度もそうやって自分に問いかけては、決まって最後は誰かが言った言葉が頭をよぎるのだ。


――無理だ。この子はどうせ上手く育ちゃしない。


 どこで聞いたのか。誰が言ったのかも分からない。性別も判然とせず、そもそも実際に聞いた声なのか、妄想の産物なのかどうかさえ分からない。親の声ではない、ひとつ年上の姉でもない。もしかしたら幼い頃に見たテレビのセリフかもしれない。あるいは、悪夢のなかで。前後の文脈が分からないたった一言のセリフだが、確かなことがひとつだけある。それは、姫子に向けられた言葉である、ということ。根拠はない。だが、姫子はそうだと確信している。


 暗い気分が姫子の全部を塗りつぶそうとする間際、スマホの着信が鳴った。まるで助けを求めるようにフラフラと立ち上がって、通話に出る。姫子が応答するより早く、機嫌の良さそうな鈴奈の声が耳に飛び込んだ。


「ぅお~い! 想い人のご帰還だぞぅ!」



 姫子は簡単に身支度を整え、部屋を飛び出した。グランドフロアにあるロビーに着くと、既に見知ったメンバーが集まっているのが見え、その中心に聖とミヤビがいた。


「セイ君! ミヤビさん!」

 試合の疲れも忘れて駆け寄りながら、叫ぶように名を呼ぶ姫子。ソファに座っていた聖が立ち上がろうとする前に、勢いあまって飛びついた。人目もはばからず、子供が親に甘えるように抱きつく姫子。そんな様子を見て、ここぞとばかりにマサキやデカリョウが囃し立てる。


「心配かけたね、姫子。もう大丈夫……たぶん」

「たぶん? まだ悪いの?」

「いや、症状は落ち着いた。体力がその、戻ってないだけで」

 隣でニコニコしているミヤビに比べ、聖の方は若干顔色が悪い気がして、姫子は途端に不安そうな顔をする。だが、それを見た聖は安心させるように微笑んで、姫子の肩を撫でた。


「ホントに大丈夫、明日はちょっと出られないけど、決勝には間に合うよ」

 聖の言葉にほっとした表情を見せる姫子。そしてすぐ、頭に浮かんだ疑問を口にした。


「そういえば、明日の準決、オーダー変えるって」

「おっほん」

 わざとらしい咳ばらいをして、鈴奈が皆の注意を引く。


「さて、仲良く食あたりした間抜けな二人が戻ってきたことだし、真面目な話するからよーく聞けよ〜。え〜、ご承知の通り、我らが日本チームは準決勝へと駒を進めることができたわけですけども。しかし非常に残念ながら、頼れる女ダブの桐澤姉妹、その可愛くない方がちょっとばかし足を痛めまして」

「ちょーい、可愛い方だっての!」

「いやいや可愛いのは私だって!」

「同じ顔やろがい!」

 揃った途端に、いつもの茶番を始めるメンバー。そのお陰もあってか、姫子のなかにあった暗い気分も、今はなりを潜めてくれた。あるいは、それは仲間の気遣いだったのかもしれない。


「まぁ大したことないらしいし、本人は行けるって言ってるけど、監督命令で一旦お休みね。で、新しいオーダーを決めました。耳の穴かっぽじってよ〜く聞けよ〜。一回しか言わないからな〜。まず男ダブ! アゴとデブ!」

「名前で呼べぇ!」

「悪口だ! パワハラだ!」

「負けたら坊主! 次!」

 大ブーイングで抗議するマサキとデカリョウを無視する鈴奈。桐澤姉妹の女ダブが崩れるとなると、一番オーダーの難しいのが女ダブだ。どうするのだろうと姫子が鈴奈の言葉を待ってると、当の鈴奈と目が合った。


「女ダブ、ミヤビと姫子! 頼むよ!」

「私、と、ミヤビさん?!」

 思わず声をあげる姫子。鈴奈の表情を見るに冗談では無さそうだ。確かめるようにミヤビに視線を向ける姫子。すると既にオーダーを聞いていたのか、ミヤビはいつものように自信に満ちた笑顔を浮かべてこう言った。


「よろしくね、お姫様」


                              続く

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