名誉ある男たち
建物の外から複数の人間が近付いてくる気配を、聖は敏感に感じ取った。既に陽は落ち、誘拐されてから二度目の夜を迎えている。思いのほか差し迫った危険が無いため、聖もミヤビも落ち着きを取り戻すことができた。しかしだからといって、のんびり構えていられるような状況ではない。特に聖は、身体に疲労は感じないものの、仮眠を取っていても神経はどこか興奮状態にあるのか、小さな音や振動に過敏な反応を示してしまう。気配は案の定ドアの前までやってきて、やがて無遠慮に覗き窓が開いた。
「二人とも、両手を頭に乗せてドアに背を向けろ」
圧威に満ちた男の声がそう命令する。
(初めて聞く声だ)
聖はそう感じながら言う通りにし、やがてドアの開く音がした。
「動くなよ」
後ろで銃を構えられている気がして、息を飲む聖。ゆっくり近付く足音と反比例して、自分の鼓動が耳の奥で大きくなっていく。相手が背後で立ち止まると、頭に乗せた手を掴まれ、結束バンドで手首を縛られる。隣ではミヤビも同じように拘束され、自由を奪われた二人はそこでようやく、前を向くことを許された。
部屋には4人の男と1人の少女が、油断なく聖とミヤビを据えている。初めに二人を誘き出したノッポの男、車を運転していた小柄で出っ歯な男、デカリョウに引けを取らない巨漢の男、褐色の肌に黒い髪をした少女。
「余計な真似をしなければ、少なくとも危害は加えねぇ。だが、人質が二人いるってことを忘れるな。片方が妙な気を起こせば、もう片方の安全は保障しねぇぞ」
そして最後に、金髪をオールバックにした、黒いタンクトップとジーンズ姿の男。初めて目にしたリーダーらしき男が、銃を見せながら無感情に言った。背丈は聖と同じぐらいだが、身体の厚みがまったく違う。スポーツ選手というよりも、格闘家のように武骨で逞しい身体つき。格闘技はおろか喧嘩の経験すらない聖は、力技での抵抗は不可能だと悟る。元からそのつもりは全く無いが、それでもいざというときの最後の手段を先に断たれたような焦りを感じ、聖は無意識に唾を飲む。
「順番に出ろ」
ノッポの男と巨漢の男が、聖とミヤビの背後にそれぞれ回り込む。先にミヤビを部屋から出すように、小柄な少女が先導する。その強張った表情には強い敵意が宿っているのが見て取れるが、それ以上に緊張の色が窺えた。
「僕のことはいい。ただ、彼女は解放してくれないか」
ミヤビが先に家屋を出ると、拙い英語で聖がいう。願いを聞き入れてくれるとは思っていない。こちらの会話に応じるかどうかを判断する為、わざと話しかけた。最悪、殴られるくらいは覚悟の上だ。
「はッ、顔の割りに度胸あるな」
嘲るように男が鼻を鳴らす。
聖が言葉を続けようと、頭の中で言葉を考える。
「次、余計な口を利いたら、女の肘を壊す」
聖の発言をせき止めるように、男が凄む。
降参を示すように、聖は男から視線を逸らした。
家屋を出ると、乗せられてきた大型のバンが嘶くようにエンジンを鳴らしながら停まっている。次はどこへ連れていかれるのか。この先の展開を考えようとしたが、ふと妙なことに気付く。ドアの開いたバンの中に、誰もいないのだ。てっきり先にミヤビが乗せられているのかと思ったが、クルマの中は空っぽだ。
(あれ?)
ミヤビだけではない。
ミヤビを囲っていたはずの二人の男と、少女の姿も見当たらない。
「リッカ?」
異変に気付いたリーダーの男が、警戒を強めながら呼びかける。
「オイ、リッカ? どこへ……」
「間抜け野郎がッ」
声が聞こえた直後、リーダーの男の身体がくの字に曲がって吹っ飛んだ。
「エディ!?」
聖の後を取っていた出っ歯の男が叫ぶ。聖の目の前を、黒い影が素早く動いて背後に回り、ぐえ、という呻き声が聞こえる。聖には、何が起きたのかさっぱり分からない。振り向いて良いのかどうかも分からず、ただ狼狽えるより他ない。
「目の前で起きたことを、感情に囚われず冷静に受け入れろ。思考と身体の反応を切り離せ。それが確実に生き残るためのコツだ」
黒いフードを頭から被ったその男は、影と溶け込むようにいつの間にか聖の前に立っていた。聖が今まで見たことも無い、鋭い眼光。迫力があるとか、威圧感があるといったそんな生易しいものではない。男の目をみただけで、聖の歯の根が微かに鳴った。
「ナンだァコイツラ? チンピラですらねぇ、ド素人じゃあねぇか」
誘拐犯たちの用意したであろう車の陰から、別の男が現れた。赤い縁の眼鏡をかけ、厳めしい三白眼をギョロつかせながら悪態をついている。日々聞かされているアドの口の悪さと似通っているが、声の端から感じられる凶暴さは比較にもならない。
「み、ミヤビさっ!」
赤い縁の眼鏡をかけた男の横には、ミヤビが戸惑ったように立っていた。それを見た聖は咄嗟にミヤビのもとへ駆け寄ろうとする。だが、それを予見していたかのように、黒いフードの男が聖の腕を掴んでそれを制止した。
「離せっ」
「落ち着け。我々は貴様の敵ではない。言っただろう。目の前で起きたことを、感情に囚われず冷静に受け入れろ。我々が今、貴様等に危害を加えようとしているか」
黒いフードの男は威圧的にそう言うと、どこから取り出したのか小型のナイフを手元で光らせる。それを見た聖が怯える間も無く、男は虫でも手で払うようにして聖の腕を拘束していた結束バンドを切り離した。
「聖くん、大丈夫。この人たちは、たぶん……味方、のはず」
状況が飲み込めず混乱しかけている聖に、ミヤビが優しく声をかける。とはいえ、彼女自身も相手の正体に疑問を抱いているようだ。隣に立つ凶悪そうな男に対し、自信なさげに反応を窺う視線を向ける。
「敵ではない、とだけ言っておこう。だが頼れる仲間みたいに思われるのは御免こうむる。我々は我々の事情で動いているに過ぎない。今回は偶然、貴様等に利する行動をとっているだけだ」
黒いフードの男は突き放すように言うと、ポケットから携帯端末を取り出す。
「第一段階完了。アルマージ、車を……なに?」
男の眉間に、皺が寄る。ただでさえ言い知れぬ迫力をかもし出している男の雰囲気が、より一層剣呑さを増した。苛立ちを隠そうともせず、男は通話を切りながら暗闇の先にある別の家屋に視線を向ける。釣られるように聖もその方向を見ると、暗がりに人影が二つ見えた。それはゆっくり聖たちの元へ向かって進み、やがて頼りない街灯がその姿を照らしだす。小柄な老婆の姿と、彼女を気遣うように手をとって進む長身の男。
「あれは」
男の顔に、聖には見覚えがある。
イタリア戦に出場し、圧倒的な力で蓮司を捻じ伏せた人物。
「オマエが直接ここに来るなんて、聞いていないぞ」
黒いフードの男が、苛立ち気味に言う。
ジオ・ヴラン・ルーノ。
この男のことを、聖はまだ良く知らない。
★
「来るのが遅れて申し訳ない。本来なら、君らをさっさと救助してしまえばそれで済む話だったんだけど」
2日間監禁されていた家屋で待つよう言われ、聖とミヤビは大人しく従った。聖とミヤビの前に突然現れ、誘拐犯たちをあっという間に制圧したのは、大会の予選で最初に対戦したイタリアのジオ率いる仲間たちだった。とはいえ、聖たちが見知っているのはジオだけで、他に見覚えは無い。ミヤビが言うには、黒フードの男はリッゾという名でイタリアの監督だというが、対戦した日は姿を見せていなかったように聖は記憶している。
「あの、警察とかは?」
身の安全が確保されてひと安心、と思いたい所だったが、どうにも様子が変だと聖は気になった。救助に来てくれたのはありがたいのだが、そういうのは警察の仕事なのではないか。なぜ、一介のテニス選手であるジオやイタリアの監督が、その仲間と自分たちを助けにきたのか。自分たちが誘拐された理由以上に、まったく意味が分からなかった。
「実を言うと……その、僕らはマフィアだ」
「おい、ジオ」
監督のリッゾが諫めるように言うが、ジオはそれを手で制する。
「大丈夫、彼らは信用できる」
リッゾは何か言いたげだったが、付き合ってられないとばかりに首を横に振って、壁に背を預けて押し黙った。
「マフィアって、あの、マフィア?」
「君らがマフィアにどういうイメージを持っているかは知らないが、概ね持っている知見通りと考えてもらって差し支えない。日本でいうところの、ヤクザ? みたいなものさ。そしてちょっと語弊があるんだが、僕自身はまだマフィアじゃない。監督のリッゾと、外で待機させてるビアンコやアルマージ、彼らがマフィアの構成員で、僕らの仲間だ」
「えっと? ジオはマフィアじゃない? 彼らは仲間? じゃあ、僕が対戦し」
「大会に出場している選手は全員マフィアではない。この辺りはまた追々説明する。悪いけど、今はあまり時間がないんだ。重要なのは、君たち二人には一度、予定通りの場所に向かってもらう、ということ。これは正直、僕のワガママだ。本当なら君らはすぐにでも帰してあげたいのだけど」
あまりにも申し訳なさそうにジオが言うので、聖はなんとなく協力してあげた方が良いのだろうかという気持ちになる。助けてもらった恩もある。だが、話を聞くとどうやら、自分たちは誘拐犯たちに誘拐を命令した黒幕の元へ行かなければならない、ということのようだ。せっかく危機から脱したというのに、わざわざもう一度引き返さなければならない。さすがにそれは承諾できないぞと、聖は冷静に思い直す。助けてもらっておいてワガママをいうような感じではあるが、ここはまずミヤビの身の安全を確保する為にも、断らなければならない。
「いいですよ」
だが、ミヤビがあっさりとジオに言ってのける。
「ミヤビさん?!」
思わず素っ頓狂な声をあげる聖。
「あの子らが関係してるんでしょ?」
あの子ら、とは、別室にいる誘拐犯のことを言っているのだろう。
「彼らの事情に心当たりが?」
ジオがミヤビに尋ねるが、彼女は首を横に振る。
「全然。でも、最初からなんか変だなって気はしてた。本気の本気で人質をとって身代金を要求する誘拐なのだとしたら、私が何もされてないのはおかしい。服を貸してくれたお婆さんとか、やけに子供っぽい女の子とか、状況が妙にちぐはぐだったもの。警察を呼んでいないのは、それをするとあの子たちが捕まっちゃうからとか、そういう事情かな? 憶測だけど、マフィアを名乗る貴方たちが私らを助けにきたのは、なんていうかその、もっと根本的な解決を図りたいからなのかな、って。任侠映画で見たことあるよ、スジを通せ、みたいなヤツ。ジオは、私たちだけじゃなくて、同じイタリア人のあの子たちも助けたいんでしょう?」
ミヤビの言葉に、ジオは目を丸くする。聖も、2日間感じていた自分のおかれた状況の不自然さが、上手く説明されているような気がした。そして、助けに来てくれたジオたちが無茶な要求を自分たちに向けているその理由も。
「協力するのは構わないけど、やるからには全員無事じゃなきゃ意味ないよ? それは私や聖くんはもちろん、あの子たちもそうだし、貴方たちもそう。マフィアだからって命懸けみたいなのはやめてよね。誰一人欠けることなく、ちゃんと丸く収めること。それが約束できる?」
真剣な眼差しをジオに向けるミヤビ。
壁にもたれかかっていたリッゾが、笑いながら口を挟んだ。
「ハハッ、ジオ、随分とハードルが上がったぞ。オマエが言い出したんだ。そのお嬢さんの言う通り、オマエのワガママで無関係のやつを巻き込むんだ。それぐらいは約束して、きっちり果たさないとな?」
煽るというより、焚きつけるように言い放つリッゾ。
ジオはしばらくのあいだ、固く目を閉じる。
「マフィアっていうのは、“名誉ある男”って意味なんでしょ?」
ミヤビが少し悪戯っぽく、しかし茶化すことなく言う。
そのセリフにリッゾが吹き出し、苦笑いを浮かべた。
「僕はまだ、マフィアではありませんが……」
前置きを入れながらジオは目を開き、二人を見据える。
「分かりました。必ず、誰も欠けることなく、丸く収めましょう」
名誉ある男は、ハッキリと宣言した。
★
執務室にいたアーヴィングは、部下からの報告を受け即座に決断した。
「ユニィ、場所が分かった。直ちに向かいなさい」
「ハイ、Mom」
ソファに腰を下ろしていた人物が立ち上がる。長身で痩躯、髪の毛や肌の色から爪先までが、まるで漂白されたかのように真っ白い。汚れなき純白というよりも、どこか病的で腐敗し切ったような雰囲気。整い過ぎている人形のような顔立ち、瞳の色は赤く濁り、無機質で無感情でありながら、嗜虐と狂気がない交ぜになった不気味さを漂わせている。
「日本人の二人は無傷で回収なさい。それから」
アーヴィングは一度言葉を切り、怨嗟を込めて言い放った。
「他は、好きになさい」
それを聞いたユニィの口元が、傷口のようにぱっくりと開いていく。
裂けるように開いた口から、血色の無い紫色の舌が覗いていた。
続く




