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リバティ・シティの犬畜生たち

 大会11日目、正午頃


 桐澤姉妹を相手に、奏芽と姫子は自分たちが持ち得る全ての戦術を試し尽くした。だが、結局のところ奏芽のサーブを2つキープできただけで、あとは完敗といっても過言ではない内容となってしまう。双子の完成されたコンビネーションについてはよく知っているつもりだが、大会期間中の集中が乗ったプレーはいつも以上に冴えていた。


「あんたら相性イイじゃん。思ったより全然イケるよ」

「ほんとだよ〜! 組んで試合出たことあったっけ?」


 二人は口を揃えて奏芽と姫子のペアを賞賛する。勝負事に手を抜かない双子の性格上、決してリップサービスの類などではないとは分かりつつも、奏芽はどこか素直に受け取ることができない。それはペアの姫子も同じようで、練習とはいえ死力を尽くして挑んだ結果にどこか打ちのめされているようにも見えた。


「どうする? 続ける? でも、やり過ぎても疲れが残るよ?」

「特に穴のあるパターンは無いし、あとは戦略次第じゃない?」


 翌日には決勝トーナメント初戦の対ドイツ戦を控えている。急遽出場することになった奏芽と姫子は、少しでも練習を積んでおきたいところだ。しかしかといって、今さらどうにかなるものでもないことは重々承知していた。奏芽としては桐澤姉妹のいう通り、自分たちのペアが今より上の実力を身に付けるには、地力の向上以外に無いと思っている。つまり、一朝一夕でレベルアップは望めない。そうであるならば、対戦相手のドイツチームについて動画を見て更に研究し、今ある武器をどう使うか戦略を練った方が良いだろう。


「ごめん、もう1セットだけやりたい」

 奏芽が何か言うより前に、姫子が汗を拭きながら言った。同意を求めるように奏芽の方をチラリと見て、すまなそうな顔をする。そう来るだろうと思っていた奏芽は、取り合えず姫子の気が済むまで付き合うことにした。



「クッソ、結局オレのサーブまで攻略されてベーグルかよ……」

 練習を終え、シャワーを浴びながら奏芽がぼやく。

 姫子のおねだりに付き合って桐澤姉妹に挑んだものの、調子を上げている二人に成す術も無く惨敗してしまった。元よりプロを目指している双子相手では分が悪い。しかし、団体戦の一翼を担う以上、そういう相手ともしっかり渡り合えないようではATCの沽券に関わる。なにより、周囲から捨て駒として見做されるのは、奏芽のプライドが許さなかった。


 汗を流したあと、奏芽はストレッチで身体をほぐそうとジムに向かった。

 すると、ランニングマシンの上を軽快に跳ねる小柄な背中が目に入る。


姫子のやつ(ガンバリ屋)め……」

 奏芽は溜め息をついて、姫子のいるところへ向かう。奏芽が近づいても、姫子は気付かない様子で一心不乱に走り続け、その横顔には不安から逃れようとするような必死さが垣間見えた。子供の頃からの付き合いだが、姫子はなにかと自分から辛い方へ行くクセがある。


「もしも~し、汗でブラ透けてますよ~」

 かったるそうに茶々を入れる奏芽。その言葉でようやく存在に気付いた姫子は、奏芽に驚くと同時に自分の姿を確認しようとして危うく転びかける。タイミングよく奏芽がストップボタンを押し、姫子の手を掴んでマシンから降ろしてやった。


「相変わらず軽いなオマエ。肉食ってっか?」

「もう、奏芽っ。驚かさないでよっ」

「体質的に肉がつきづらいのは知ってるけど、王子の好みはふくよかだぞ」

「怒るよ?」

 眉間に皺を寄せる姫子の顔に、奏芽はタオルをかぶせる。

 わっ、と声を上げて姫子は怯んだが、ひとまずそれで汗を拭った。


「気合いが入ってんのは良いけどよ、限度があるぜ」

 奏芽は自販機でドリンクを2つ買うと、姫子の息が整ってからストレッチエリアに足を向ける。頬を膨らませながら不服そうにしている姫子だが、奏芽が顎でしゃくると、渋々とシューズを脱いでソフトマットの上に寝転がった。


「ったくよぉ、オレぁマネージャーかってんだよ」

 姫子の細い足を、足の裏から順番にほぐしてやる奏芽。スポーツトレーナーについての基礎知識をあらかた網羅している彼は、実地練習がてらたまに他のメンバーにマッサージをしてやっていた。ATCのトレーナーチームでも筋が良いと評判らしいが、あいにく奏芽はスポーツトレーナーになる気はないそうだ。あくまで経験の一環、という姿勢を崩さない。


「セイ君とミヤビさん、だいじょぶかな……」

 散々運動して疲れたのか、眠そうな声で姫子がつぶやく。恐らく、姫子が不安に思っているのは、自分が試合を任されたことよりも、二人の体調が心配なのだろう。姫子にとって、聖は昔からの片思いの相手。ミヤビは大好きで頼れる先輩だ。そんな二人が揃って大会中に食中毒で入院となれば、人のよい姫子は気が気じゃないだろう。


「へーきだろ。何に当たったかにもよるけど」

 奏芽は姫子の足をほぐしながら、適当に受け流す。だがその顔には、どこか釈然としない表情が浮かんでいる。姫子は奏芽の顔が見えないため、そんな彼の様子に気付かず気持ちよさそうにマッサージを受けていた。


(別に金俣サンを疑ってねぇけど、ありゃなんだったんだ?)


 奏芽の脳裏に、昨日の出来事が甦る。ビーチテニスをしている途中で、飲み物を買いに行った奏芽は黒髪に褐色肌の小柄な少女から、一通の手紙を渡されたのだ。アメリカ人ではないらしく、拙い英語で「監督サンに、お手紙を」とだけ言って、その少女は奏芽に手紙を押し付けてすぐにいなくなった。中身を見てやろうかとも思ったが、さすがに良くないと考え直し、素直に金俣へ届けたのだ。すると、間もなくして金俣は「急用ができた」といって姿を消し、その後ホテルで聖たちのことを聞かされた。


(カンケーない、とは思えねんだよな。あの手紙は何だったんだ?)

 聖たちのことが気になってすっかり忘れていたが、奏芽は妙にあの少女と手紙が気になり始めた。関連付ける根拠は、手紙を受け取ってすぐ金俣が動いたことぐらいだが、内容がうまく合致しない。無理やりこじつけるとしたら、手紙で聖たちの状況を知った、ということになる。


(いまどき、手紙で? あるかよそんなこと)

 常識的に考えて、有り得ない仮定であると否定する奏芽。となると、急用というのは手紙に書かれている内容のことで、聖たちの件は何らかの方便である可能性が出てくる。奏芽は手を動かしながら思考を巡らせるが、答えに辿り着くためのピースが足らなさ過ぎて、考えるのを断念せざるを得なかった。


「ねぇ、奏芽。セイ君とミヤビさんのお見舞い、行っちゃダメかなぁ……」

 ますます眠そうな声になりながら、姫子が言う。見舞いについては、二人の病状を考えてまずドイツ戦を終えてからにした方が良いだろう、ということになっている。しかし、すぐ行くのは難しいとしても、病院の場所と名前ぐらいは聞けるかもしれない。


「ドイツ戦が終わったらな。段取りは組んでやる」

 奏芽がそういうと、姫子は安心したのか、むにゃむにゃ言いながら眠ってしまった。あ、このヤロ、と思いつつも、取り合えず両足を最後までほぐし終えてやる。なかなか起きないので、ルームメイトの桐澤姉妹を呼び出し、奏芽が姫子を背負って部屋まで運び、あとは双子に任せた。


「あんたら、マジで付き合ってないの?」

「マジなんでそれで付き合ってないの?」


 下世話な質問には答えず、奏芽はさっさと自室に戻って行った。


           ★


 同日同刻頃


 世界屈指のセレブ・ビーチを有するフロリダ州マイアミには、その華やかなイメージとは正反対の場所が存在する。デイド郡にあるリバティ・シティは、全米における犯罪発生率ワースト5に名を連ねる非常に危険なスラム街だ。昼間でさえ観光客の寄り付かないその街では、普通の商店すら窓には厳めしい鉄格子がはめ込まれ、物々しい雰囲気を漂わせている。街角で目にするのは、だらしない恰好をした若者なのか浮浪者なのか見分けがつかないような者たちばかり。皆一様に、何かを諦めたような暗い表情を浮かべ、しかしその瞳の奥に獰猛な何かを潜ませた異様さがあった。


 そんな無法が跋(リバティ・)扈する街(シティ)を、照りつける太陽のもと一台の大型バイクが駆け抜ける。腹に響く重低音を轟かせ、信号や標識などまるで無視し、聞く者、見る者すべてを威嚇するようにしながら喧しく進んでいく。


 乗り手は若い男。当然のようにヘルメットなど装着せず、くすんだ金髪を風になびかせている。表情はどこか不機嫌そうで、黒いタンクトップにジーンズ姿。筋肉質の逞しい身体にはトライバル・タトゥーが彫られ、厳めしい雰囲気に満ちていた。


 やがて男はバイクを減速させ、塀で囲まれた敷地へと入っていく。バイクを停めてエンジンを切ると、途端に辺りは不気味な静寂に包まれる。リゾートビーチからさほど遠くない場所にも関わらず、降り注ぐ陽射しは心なしか淀むようで、あたりの景色は閑散としていた。男は後輪に取り付けてあるラケットバックを取り外し、荷物で膨れあがったそれを背負い込む。玄関の方を振り向くと同時に、扉が開いた。


「エディ、おかえり」

 帰りを待ち侘びていたと言わんばかりに、褐色肌の少女が駆け寄ってくる。

「リッカ。話は聞いてる」

 不機嫌そうな表情を浮かべたまま、エディはリッカの頭を軽く撫でた。

「次は、どうしたらいい?」

「基本的には関わるな。サヴェトニクの連絡待ちだ」

 そう言って、エディは離れた場所にある家屋に目を向ける。


――仕事をやるよ。日本人のテニス選手を攫って、暫く監禁しろ。


 リバティ・シティ周辺の裏社会を仕切るロシアンマフィアの男が、エディにそう命令したのは数日前のこと。立場上、彼らには逆らえない。これまでにもギャンブル絡みでプロのスポーツ選手を狙った妨害行為に加担したことはあったが、全て彼一人で実行していた。しかし今回は、連絡があった際にリバティ・シティを離れていた為、仕方なくエディは彼の血の繋がらない家族に頼らざるを得なかった。もっとも、オーダー自体が「仲間全員でとりかかれ」というものであったため、結果は同じことだったかもしれない。


(日本のテニス選手、ね)

 エディは一旦荷物を置きに自宅へと入り、リッカを始めとした血の繋がらない弟たちに詳しい状況を確認する。弟たちは興奮気味に、自分たちがどうやって彼らを怪我させずに攫ってきたかを話したがった。説明が下手で要領を掴み難いが、どうやら誘拐してきた選手というのはプロではなく、ジュニアの選手らしい。自分とは異なり、華やかな世界で夢に邁進する、将来有望なジュニア選手。


「したらよ、カルロがドスの効いた声で言ったんだ。騒ぐな、乗れってよ!」

「普段は一番のビビリなのによぉ、ありゃたまげたぜ」

「お、お、オレもビビった」


 最年長でまとめ役のエディが不在だった為、弟たちは知恵を絞って誘拐計画を立てたらしい。もっとも、窓口になっているサヴェトニクが部下を通して有効な情報を与えたうえ、具体的な段取りについては家族でもっとも賢い妹のリッカルダが立案したようだが。


「まったく、ターゲットは女一人だったのに彼氏まで連れてきちゃってさ。お陰で食事代が倍になるし、リスクも跳ね上がってるんだからね。バアさんはバアさんで余計なことするし。失敗したらどうしてくれんだか、まったく」


 はしゃぐ弟どもに、頬を膨らませて文句を言うリッカ。小柄で褐色の肌に、東洋人のような黒い髪だが、生まれはエディと同じイタリアだ。今年で15歳、3人の弟たちとは1つしか違わないが、エディが不在のときはしっかりまとめ役を果たしてくれている。


「いや、オマエ等はよくやった。ここからはオレがやる。オマエ等はもう何もしなくていい。いざとなったら、全部オレ1人がやったことにして、あとはしらばっくれろ」


 リッカをはじめとした弟たちも、このリバティ・シティで生きていく為に少なからず犯罪に手を染めている。とはいえ、観光客の誘拐に関わったとなると、警察にバレた場合言い逃れができない可能性が高い。未成年に因縁をつけて撃ち殺した男が、あっさりと無罪になるようなこの国で、長く不法滞在している彼らが正当な手段で保護されることは無いとエディは考えている。


「そんなのダメ! これで最後でしょ? サヴェトニクはそう言ったんでしょ?!」

 リッカが机を叩いて抗議する。オーダーを受けた際、いくらロシアンマフィアの命令とはいえ、まだ子供の彼らを誘拐などという犯罪に巻き込むわけにはいかないと、エディは異を唱えた。すると、窓口役の男は交換条件としてこう言ったのだ。


――成功したら、お前等をイタリアに帰してやるよ


 彼らが金以外の報酬をハッキリと提示したのは、これが初めてだった。約束が守られる保障など、どこにも無いのはエディも分かっている。だが、こんな場所にずっと押し込められていても、彼らに明るい未来はない。自分はともかく、リッカ達だけはどうにかして国へ帰してやりたいと、エディは強く願っていた。


「あのな、誘拐ってのは相手を攫うこと自体は難しくねぇんだよ。下準備さえしてありゃあ、一方的に奇襲できっからな。もちろん一発で成功させたお前等は大したもんさ。でも、一番難しいのはここからだ。人質と金のトレードをする為に、相手と接触しなきゃならない。既に警察が動いていたとしたら、絶対にそこを突いてくる。そうなったとき、人数が多かったら逃げ切れない。アメリカの警察は、自分らのメンツの為に人質ごと犯人を射殺するかもしれねぇ。お前等をそんな危ない目に遭わせらんねぇ。いいか、お前等は――」


 無機質な着信音が、話を遮るように鳴り響く。


「もしもし」

「よぅ、エドアルド。ネープルズではご活躍だったな。お陰で儲かったぜ。それに、目的の選手はオマエが棄権したことでちゃあんと3回戦進出、仕事を果たしたオマエは報酬を、オレは賭けで小遣いを稼げた。貧乏くじを引いたのは、オマエに下剤を飲まされてリタイヤした選手だけだなァ、ヒャハハハ」


 応答するなり、不愉快な話を持ち出すのはサヴェトニクの手下だった。エディは名前も知らない。男が話しているのは、エディが先日受けたオーダーに関することだ。エディはその腕前を見込まれ、スポーツギャンブルの不正行為を手伝わされていた。大会に潜り込み、特定の選手を勝たせる、いわゆる八百長行為。そのためには自分が出場し、手段を選ばず自分が勝ち上がる。目的の選手との対戦が決まったら、その段階で棄権する。そういうシナリオで、エディは見事にそれをやってのけた。


「で、用件は?」

 軽口に割り込み、先を促すエディ。相手の男はしつこく話を続けようとしたが、雰囲気を察したのか、仕方なく用件を口にした。


「デートは今夜だ。オメェら全員(・・・・・・)で人質を連れて来い」

「オイ、コイツらは」

「うるせぇ。逆らいたきゃ勝手にしろ。帰る先が故郷から地獄になるだけだ」

 男の発言に、押し黙るエディ。イニシアチブは、常に相手が持っている。


「今夜0時、人質を連れて来い。くれぐれもテメェら全員でだ。最初にもオーダーしたが、人質に怪我をさせるなよ。トレードが無事に終われば、オマエ等は晴れて母国の地を踏めるんだ。イタ公のガキなんざ使い捨てて殺しちまえばいい所を、恩情で解放してやるんだ。せいぜい命懸けでやり通せ、犬畜生(サバーカ)ども」


 通話が一方的に切れる。


「エディ……」

 リッカが不安げな表情を浮かべている。エディはそっとリッカの頬を撫でた。血の繋がりなどないが、彼らとは苦しいときを一緒に潜り抜けてきた。吹き溜まりのようなこの場所から抜け出るには、足掻くしかない。だが――。


(抜け出して、その後はどうするんだ?)


 窓の外に視線を向けるエディ。世界屈指のリゾートは目と鼻の先だというのに、無法が跋(リバティ・)扈する街(シティ)には、波の音さえ聞こえなかった。


                                  続く

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